硫黄島の真実

十勝岳


「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」の硫黄島2部作を映画化したクリント・イーストウッド監督のおかげで、硫黄島が全世界的に脚光を浴びるようになりました。


東京新聞の特報欄は、大袈裟に言えば、日本のジャーナリズムの中で、小生が最も愛読する欄なのですが、今朝の特集は「当時17歳 通信兵が語る 硫黄島の真実」でしたので、むさぼるように読んでしまいました。当時、志願して海軍通信兵となった秋草鶴次さんは、まさしく、私の母親の同年齢ですし、今年亡くなった作家の吉村昭さんらも同世代です。


この中で、一番衝撃的だったのは、秋草さんの、「米軍による攻撃に加え、飢えと渇き、負傷で極限にまで追い込まれた日本兵同士の殺し合いが起きた」という証言です。私のような戦後生まれの人間にとって、戦前、戦中の日本人は、全く我々とは異質で別次元に生きてきたような教育を受けてきたと錯覚していたのですが、あに図らんや、我々戦後世代とまったく同じだった、という至極当然の真実に突き当たったということです。そういえば「硫黄島からの手紙」の中で、イーストウッドは、上官に反目する大日本帝国陸軍の幹部を登場させていて、随分、誤解と偏見に満ちているなあと思ったものですが、秋草さんの証言によれば、イーストウッドの描き方の方が正しかったわけです。


例えば、当時の人たちは、「教育勅語」や「軍人勅諭」によってがんじがらめになって、全く「思考停止」状態で、上官の命令に対しては、無自覚、否応なしに関わらず、服従していたとばかり思っていたのですが、秋草さんの証言では、「軍の階級や指揮系統は全く機能せず、『弱肉強食』の世界になった」というのです。これには、驚きました。もう少し整然とした、毅然とした階級社会が存在していたものとばかり思っていたのですが、いざとなれば、人間はすべて本性が現れるものだという救いに近い真理を目の当たりにすることができたのです。


この記事によりますと、硫黄島での1ヶ月以上に及ぶ戦闘で、日本軍2万1千人の兵のうち、総指揮官の栗林中将をはじめ、約2万人が死亡。米軍は約6千800人が死亡し、約2万人が負傷したというです。


この戦闘で、2万6千人の戦死者がでたということは知っていましたが、そのうち日本人が2万人だったとは。いまだに、硫黄島の土となったまま、帰還しない遺骨が1万柱以上あると聞きます。


硫黄島は「いおうじま」と発音すると思っていたのですが、東京新聞の一週間くらい前の紙面で、演出家の鴨志田氏は「当時は、『いおうとう』と呼んでいた」と訂正しています。


あれからの日本は、どれくらい変わったのでしょうか?阿部慎三さんは教育基本法を改正し、志願しやすい美しい国を作ろうとしてますし、アメリカを真似して国家安全保安局を創設したり、日本版CIAをもくろんだりしています。


あんまり変わっていないということです。