公開日時: 2007年9月18日 @ 19:02
文部科学省が、新学期の開始を各大学の学長の自由裁量に任せて、「9月入学」に拍車を掛けようとしています。ある人は「これこそが、グローバル・スタンダードだ」とか「やっと、日本も国際社会の仲間入りを果たした」と拍手喝さいするでしょうが、私なんか、「そんなんでいいんでしょうかね」と懐疑的です。
私は、「4月入学」が日本の風土に一番合っていると思います。以前、読んだ新聞記事で、どなかが書いたか忘れてしまいましたが、桜の咲く季節に始まり、不慣れな学生生活に心身ともに疲れ切ったところで、5月の大型連休がある。また、授業が始まっても、夏休みがある。…そうこうして、学園生活にも慣れ、ホップ・ステップ・ジャンプで離陸することができる。…そんなことが書いてありましたが、私も大賛成です。
何と言っても、「グローバル・スタンダード」とか「国際化」が何がなんでも正しくて、革新的だというマスコミから与えられた固定観念を根底から改める必要があります。
例えば、アフリカの孤島で大型船が難破して、50人も亡くなる大惨事が起きたとします。犠牲者に日本人が一人もいなかったことから、日本のマスコミは「べた記事」か、ほとんど取り上げなかっとします。すると、必ず、「日本のマスコミはなっていない。国際化に乗り遅れている」と批判する人がいます。
どんな日本と関係ない外国で起きた小さな事件でも報道しなければならないとなると、紙面も放送時間も足りるわけがありません。第一、日本と無関係な諸外国だって、日本で起きた小さいな出来事なんて興味ないし、報道するわけがありません。
グローバル・スタンダードという市場原理主義のおかげで、いくつの日本の中小企業が倒産に追い込まれたことでしょうか。国際化のおかげで、国内で、思想信条、風習、信仰の違いでどれだけトラブルが発生したことでしょう。
アフターケアもしないくせに、簡単に「国際化」なんて口に出してほしくないものですね。外国というより、アジアではなくて欧米に気を使って、「9月入学」を推進しようとする日本の国家も何を考えているのか。
横丁でも頑固親父の姿が消え、何か気持ち悪いほど物分りがいい日本人ばかり増えてきました。せめて、私ぐらいは頑固爺いで行きます。