「フィクサー」はよく分かりませんでした

アカデミー賞主演男優賞を受賞した「ゼア・ウイル・ビー・ブラッド」を見ようとしたら、「満員」で断られたため、仕方なくジョージ・クルーニ主演の映画「フィクサー」を見てきました。(ティルダ・スウィントンが助演女優賞)

正直、よく分からない映画でしたね。ある製薬会社が外部に漏れると、薬害訴訟裁判で不利になる内部文書を手に入れた弁護士が殺害されたり、揉み消し屋のクルーニが、命を狙われたりしますが、最後は目出度し、目出度しで終わるような結末です。

 

その上辺のストーリーだけはどうにかついていけましたが、細かい描写など、例えば、子供が好きな赤い表紙の童話と内部文書との関係とか、揉み消し屋マイケル・クライトン(ジョージ・クルーニ)が自家用車から降りて、放し飼いになっている馬数匹を見にいくと、車が爆破され、彼は命拾いするシーンとかは、何を意味していたのだろう…などと考えると、よく分からない。

 

何か、お馬さんにしても、何か深い意味を示唆しているのでしょうが、こっちは理解力が不足しているのか、さっぱり分からない。

ただ、何も細かいことを考えずに楽しめばいい、ということなら、それでいいのかもしれませんが、腑に落ちない映画でした。

バーソロミュー・ディアスが見つかった?


 今年はブラジル移民100周年だそうですね。百年前の日本は、日露戦争(1904-05年)後の長引く不況で失業者が街に溢れ、その一方で、ブラジルでは奴隷解放などで一気に市場が開かれ、労働力が不足したという背景があるようです。(石川達三は、ブラジルでの農場体験を小説にした「蒼氓」で第一回芥川賞を受賞しています。)


 


 ブラジルがポルトガルの植民地になったのは1500年4月のことです。ペドロ・アルバレス・カブラル(1460?-1526年)がリスボンからの航海成功によって成し遂げられました。


 


 


 面白い記事が載っていました。アフリカ南部のナミビア沖で、金貨数千枚や象牙50本以上、それに銅製の大砲6門などを積んだ沈没船が見つかったのですが、それは、バーソロミュー・ディアスの船の可能性が高いという記事です。


 


 バーソロミュー・ディアス(1450?-1500年)なんて、世界史を勉強した人にとっては懐かしい名前ですね。インド航海路を発見したバスコ・ダ・ガマ(1469?-1524年)の先輩格に当たるポルトガル人の探険家で、アフリカ南端の喜望峰を「発見」した人として歴史に名を残していますが、どうやら、このディアスは1500年、カブラルと一緒にブラジルを目指して航海に出たのですが、途中、この喜望峰あたりで遭難したというのです。


 


 ブラジルがポルトガル領になる8年前が、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」した年なので、時は大航海時代。日本は室町時代で、明とチマチマと朝貢貿易をしていた頃です。1500年は特筆すべき歴史的事件はありませんが、1497年に蓮如が石山本願寺を創建し、その2年後に亡くなっています。


 


 


 ポルトガル人は「南蛮人」として、1543年に日本にもやってきて種子島に鉄砲を伝えたりしますから、世界中でブイブイ言わせていた時期です。アメリカさんはまだ、生まれたばかりの赤ん坊どころか、まだ、影も形もない頃です。


 


 16世紀末にはオランダやイギリスなどの信教国が台頭しますから、ポルトガルの天下は、百年そこそこでした。ブラジルに移民した貧乏国日本も百年経って、逆転して、世界第二位の経済大国となり、今ではブラジル人が日本に出稼ぎに来る時代になりました。我々は、いつの時代でも、世界史の流れの中に生きていることを実感します。

エリック・クラプトン その壮絶な人生

 

「エリック・クラプトン自伝」を読んでいます。

何という凄まじい、まさに壮絶な半生なのでしょう。栄光と挫折。これほど、天国と地獄を行ったり来たりしている人生を送っている人は、私は過分にして知りません。

色んな見方があるかもしれませんが、クラプトンはとんでもない人ですね。複雑な経緯でこの世に生を受けたことは以前に書きましたが、この事実がトラウマになっているのか、アダルトチルドレンになっているのか知りませんが、普通の人では考えられないジェット・コースターのような人生を自ら選んで生きています。

何しろ、若い頃は定住先さえなく、ボヘミアンのような生活で、音楽以外は、女性と関係を持っているか、薬物かアルコールに浸っているかのいずれかなんですからね。恋人、愛人、いきずりの女性は数知れず。周囲に気に入ったと思えば、女もスーパースターが相手なので、拒絶する者は一人もおらず、登場する女性も8人くらい数えていて、あまりにも多いので、途中で馬鹿らしくて数えるのをやめてしまいました。

色んな薬物に手を出して、有名なアルバム録音や公演の最中でもやっていたことを告白しています。薬物から立ち直ったと思えば、今度はアルコール中毒です。米国のミネアポリス州にある有名な更生施設に二度も入らなければ、回復できないほど問題を抱えていました。

今、読んでいるところははもう終盤ですが、イタリア人のファッションモデルの愛人が儲けた息子が、ニューヨークの高層ビルから転落死するという事故に遭遇して、意気消沈する場面です。

波乱万丈なんていう生易しい言葉では片付かない複雑怪奇な半生です。

 

ちなみに、私が一番興味をもっていた、ジョーズ・ハリスンの妻だったパティを奪う事件についてのプラプトンの当時の感慨が素直に表現されていました。

「私がパティを手に入れたかったのは、彼女が、立派な車から輝かしい経歴、美人の妻まで、欲しいものをすべて持っているように私が見える(ジョージ・ハリスンという)力のある男のものだったからでもあった。」(少し文章を変えました)

と言うのです。

クラプトンは結局、パティと結婚しますが、手に入った途端に醒めてしまい、相変わらず同時並行して複数の女性と付き合い、アルコール中毒は深刻化し、結婚生活もうまくいくわけがなく、ほどなくして破局してしまいます。(以前ゴシップ記事で、クラプトンがパティと別れたのは、クラプトンの激しいDVによるもの、と書かれていましたが、クラプトン自身は全く暴力問題については書いていませんでした。「自伝」の限界でしょう。)

「ギターの神様」「ロック界のスーパースター」という肩書きがなければ、単なるアル中か色情魔です。その辺りを包み隠さず、淡々と正直に告白しているところがすごいです。

私が、クラプトンを知ったのは、クリームのメンバーの一員として「ホワイトルーム」がヒットした頃ですから、1967年か68年の頃です。もう40年も昔のことです。その後の活躍について、ほとんど知っていますし、アルバムもかなり持っているので、あの曲を出した時にこういう精神状態だったのか、と手に取るように分かりますが、クラプトンを一曲も知らない人にはちょっと読んでも分かりずらいでしょうね。

それに、何度も言いますが訳文がひどすぎます。日本語になっていない箇所が何度もあり、これも途中で腹が立ってマークすることをやめました。

これは、単なる一人のミュージッシャンの自伝というだけではなく、当時の時代を反映した歴史的証言だと思います。それには、もう少し、訳注を増やしたり、日本語版用に中見出しをもうけたりして、クラプトンをそれ程知らない人でも、もっと読みやすくした方がいいのではないかと思いました。これは訳者というより、編集者の怠慢です。

こんな本では歴史的価値がある資料としては残らないのが、残念です。(原文は別ですが)

「随分高いなあ」と思いつつ、2940円も出して買った本なので、少しぐらい意見を言ってもいいと思い、私の真情を吐露しました。