速水御舟が描いた二曲一双の屏風「名樹散椿」

こんにちは、京洛先生です。
 春のお彼岸の時季に、奥多摩では、遭難騒ぎがあったようですね。テレビのニュースでは、雪が降って、男女13人が下山出来ず、7人が、ヘリで救助された様子を空撮で流していました。ヘリコプターの救助は大掛かりで、相当お金もかかります。携帯電話で、救助を求めたそうで、”スマフォの時代”では、携帯電話も登山の必需品になっているのですね。しかも、遭難騒ぎには「外国人」も居て、すべて時代の合わせ鏡、写し絵です。
 
 ところでこの写真は何だか分かりますか?
 「これから、桜の季節に、京洛先生、椿ですか?」と反応があるかもしれませんが、茅屋の傍にある、通称「椿寺」こと、浄土宗「昆陽山 地蔵院」の散椿です。
 まだ、三分咲きですが、これから、4月上旬頃までが、見頃ですね。
 近代日本画の巨星、速水御舟が描いた二曲一双の屏風「名樹散椿」(「山種美術館」所蔵)は、この地蔵院の境内に咲き誇った、樹齢400年の椿を描いた作品です。
 昭和4年(1929年)に、御舟が描いた椿は、天正年間(1573年~92年)に、豊臣秀吉が、このお寺に寄進した椿で、原木は加藤清正が朝鮮から持ちかえったと言われていました。残念ながら、昭和57年(1983年)に枯れてしまい、写真の椿はその二代目です。それでも樹齢120年も経つ古木です。
 先代の椿も、今の椿も、紅、白、桃、紅白絞りと多彩で、五色八重の散り椿です。
 速水御舟は、昭和4年(1929年)に、屏風を描きましたが、近砂子(金の細粉)を撒き散らした、独自の画法で出来上がっていて、椿の華麗さがよく分かります。「名樹散椿」は昭和52年(1977年)に、昭和期の作品として初の「重文」指定されています。如何に名品、名画であるか分かるでしょう。
 渋谷区広尾の「山種美術館」に出向いて、時間のある時に、この作品をじっくり眺められてはどうですか。
 同美術館には、やはり御舟の作品「炎舞」も所蔵していますが、同美術館にとっては、御舟のこの2作品だけで、十分、その存在価値があると思いますね。
 桜を愛でる前に、二代目ですが、美しい椿の色を愉しんでみてくだされば幸いです。
 以上
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