常林寺で萩見を=京都

Copyright par Kyoraque-sensei

 9月になって少しは暑さが和らぎましたが、渓流斎先生の暮らし向きは如何でしょうか? 京洛先生です。

 貴人のブログを見ると相変わらず、難しそうな本ばかり読んでおられますが、もっと頭を柔らかくしないと息苦しくなりませんか?(笑)。

 年齢が行けば行くほど、持って生まれた気性、性格は治らないものですが(笑)、読む本も、もっと柔らかいものも読まないとね。それに「読書」は足腰の鍛錬をおろそかにします。二宮尊徳みたいに薪を担いで、歩いて読書すれば別ですが(笑)、本は、大体が、座って読むわけですからね。

Copyright par Kyoraque-sensei

 小生は「一日、一万歩」目標で散歩を心掛けています。

 昨日も晴天だったので、今の時季、綺麗に咲き始めた「萩」を愛でに出掛けました。

Copyright par Kyoraque-sensei

 出掛けた場所は、叡山電車「出町柳」駅そばの「常林寺」です。浄土宗のお寺ですが、京都市民には「萩のお寺」として知られています。ちょうどこれから10月初めにかけてが見頃です。

 此処は幕末に勝海舟が上洛した時に宿坊にしていて、中岡慎太郎らと密議をしていたということです。

ちょうど、連休明けで、人けもなく、静かで萩の見物にはよかったですね。

Copyright par Kyoraque-sensei

「常林寺」の前は賀茂川と高野川が合流して「鴨川」になる葵橋界隈です。

 「下鴨神社」も近くですが、常林寺は、それほど大きなお寺ではなく、観光寺院でもないので、日頃は、お寺の前を通っても、目立たないので誰もが通り過ぎます。でも、この時季は、萩が咲き誇っているので、門の外からもその光景が見えます。

Copyright par Kyoraque-sensei

それに気づいて、可憐な萩の花を愛でると、何か得した気分にもなるものです。

以上

 常林寺ですか。。。知りませんでしたね。勝海舟の京都の宿坊で、坂本龍馬も訪れていたということですから、幕末ファンにはたまらないでしょうね。

  調べたところ、毎年9月の敬老の日に「萩供養(はぎくよう)」が催されるそうですね。今でも 四季折々の花々や年中行事を大切にする京都の人にはいつも感服致します。

ハイエク著「隷属への道」を読む

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 今や古典的名著と言われているフリードリヒ・ハイエク(1899~1992)著、西山千明訳「隷属への道」(春秋社)をやっと読了しました。超難解。読破するのに10日間掛かりました。

 この本は発売と同時に売り切れ店が続出したらしいのですが、世界のインテリの皆様の頭の良さとその構造には参りました。訳文だけがそうなのかもしれませんが、私にはスッと腑に落ちてくれないのです。例えばー。

 経済活動に対する統制を完全に中央集権化してしまうという考えは、今でも多くの人々をぞっとさせる。単にそれが途方もなく困難だからということではなく、ただ一つの中央機関によってすべてのことが統制されるという考えそのものが、強い恐怖を抱かせるのである。しかし、なお、われわれがそれへ向かって急速に歩んでいるのは、実はいまだに大半の人々が「原子論的」な競争体制と中央集権的統制の間に「中庸の道」があると信じていることが大きな原因となっているのである。(48ページ)

 本文の中でも比較的分かりやすい部分を抽出してみましたが、分かりやすいといっても、これぐらいなのです。(しかし、お経のような文章も次第に慣れていって、頭に反芻するようになります)

 この本の訳者でハイエクの弟子に当たる西山教授の長い序文によると、「隷属への道」は、ハイエクが、第2次大戦真っ只中の1942年から44年にかけて継続的に書かれた論文をまとめたもので、米国ではどの出版社も出版を拒否されたものの、やっとシカゴ大学出版部が引き受けてくれることになり、1944年5月に刊行されるや否や店頭から飛ぶように売れ、たちまち世界的ベストセラーとなり、同年中に独語、スウェーデン語、仏語、西語、葡語…等々に翻訳されていったといいます。

 西山教授の解説にある通り、同書は、戦前の欧米で、なぜ自由主義や自由経済体制を放棄して、社会主義や共産主義やナチズムやファシズムといった国家社会主義や巨大な政府主義が台頭するようになったかを深遠な洞察力で詳細に分析したものです。

 私がこの本について初めて知ったのは、1993年9月に出版された大須賀瑞夫インタヴュー「田中清玄自伝」(文藝春秋)でした。ところが、また訳者の西山教授によると、彼がハイエク先生から同書の日本語訳を頼まれたのは1954年でしたが、自分自身の著書と論文に忙殺され、1992年3月にハイエク先生が逝去するまで翻訳出版できなかったといいます。やっと出版できたのが92年10月で、それまで日本ではほとんど読まれない「幻のベストセラー」だったといいます。

 いずれにせよ、この本が1942年から44年にかけての第2次世界大戦真っ只中に執筆されたことは驚くべき事実です。この時点で、まだヒトラーは健在であり、ナチズムの勢いはあったにも関わらず、著者は、既にナチスの敗北を予想し戦後処理問題にさえ言及しています。

 この本で最も注目すべきことは、全体主義は社会主義から生まれたことを喝破したことです。理想的な社会主義を追求することによって、多くの国民の自由が奪われ、独裁的なファシズムに移行することを見抜きました。ハイエクはこう書きます。

 国家社会主義を単に理性に対する反乱とみなし、したがってどんな知的論拠も持っていない非合理的な運動であるとするのは、人々の間に後半に広まっている誤りである。もしも国家社会主義がこのようなものであれば、この運動は実際よりもはるかに危険性が少ないだろう。だが、これほど真実からかけ離れていて、人々を誤らせる見方もない。国家社会主義の教義は、人類の思想の長期にわたるひとつの発展が、その最高潮に達した結果として出現したものであり、ドイツの国境を越えて他の国々にも大きな影響を与えた思想家たちが出発点とした最初の前提が真に評価できるものかどうかはともあれ、この新しい教義を生み出した人々の考え方が、欧州の思想全体に対してきわめて大きな刻印を残したという事実は否定することができない。そして彼らの思想体系は冷酷と言えるほどの徹底的な首尾一貫性をもって発展させられてきたのであり、出発点となった前提はいったん受け入れてしまえば、そこから導き出される論理のからくりから逃がれることはまったく不可能となる。こうして発生してきた体系こそ集産主義なのであるが、それが個人主義の伝統から集産主義の実現を妨げるかもしれないあらゆる痕跡を取り去ることによって生まれてきたのである。(222ページ)

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 随分長い文章を引用させて頂きましたが、ハイエクの入門書やネット情報だけで、ハイエクの思想を知ったつもりになってはいけないと思ったため、わざわざ長く引用してみました。

 この本の段階では、まだあまり書かれていませんが、このほかハイエクは、収容所や粛清で恐怖独裁政治を敷いたソ連共産党のスターリズムを批判するだけでなく、社会主義が採用する「計画経済」に倣って公共事業を起こすケインズのやり方もいずれ立ちいかなくなるということで批判し、左派からも右派からも批判されたことはよく知られています。

 ハイエクが最後まで主張した自由経済主義も、フリードマンのような極端な新自由主義を生んで、世界的な格差拡大社会になったことを指摘する識者もいますが、私自身はまだそこまで語る資格はありません。

 ただ、世界的にも極めて優秀で真面目なドイツ人が、あまりにも純粋に理想を追求して国家社会主義を民主的に選んだことが、逆説的に極めて不自由な独裁政権を生むことにつながったというハイエクの分析には共鳴します。

 ハイエクは、1974年にノーベル経済学賞を受賞。

さいたま新都心でジャズ祭り

9月8日~9日に首都圏を襲った台風15号の影響で、千葉県はいまだに9万軒が停電のままで、苦しい不便な生活が続いております。熱中症で亡くなった方もおられたということで、お見舞い申し上げます。

 そんな折に、呑気に趣味の神社仏閣と城歩きをしていては駄目でしょ、と気が引けたので、3連休は近場で過ごしました。

 どうも埼玉県民は漢字が読めないので県庁の所在地を「さいたま市」と、ひらがなにしたという根強い噂がありますが、この3連休、その「さいたま新都心」で、「ビール祭り」が開かれているというので、出掛けてみました。

 よく調べずに勝手に行ったら、会場でのビール売り場はたったの1軒だけ。確か、10年ぐらい前に行った時は、ドイツビールから全国の地ビールに至るまで何種類ものビール売店が並んでいましたから、拍子抜けしてしまいました。

その代わりに、ジャズの野外コンサートをやっていました。印象で判断するのは怒られそうですが、超有名バンドではなく、セミプロみたいな感じでした。でも、無料で聴けるわけですから、ビール片手に何か得した気分です。

 あまり知られていませんが、さいたま新都心は、東京・霞ケ関の官庁の支所がほとんどあり、もし、東京が壊滅的被害に遭った時に、臨時的に官庁業務を代行するという噂を聞いたことがあります。

 さいたま新都心は、東京都心から急行で40分ぐらいの所ですが、埼玉県は、関東大震災の際に被害に遭った都心の盆栽屋が大宮に移転したり、太平洋戦争の際に、都心の子どもたちの疎開先になったりしています。避難場所ですね。

 そう言えば、埼玉県は大きな地震や風水害に襲われたという話はあまり聞いたことがありません。

暇人が多く、1000人ぐらいの観客が聴き入りました

今でこそ、東京・墨田区に「東京スカイツリー」が鎮座していますが、大胆不敵にも、さいたま新都心は、「第2東京タワー」の設置場所として立候補したことがあります。墨田区に敗れはしましたが、世が世なら、「埼玉スカイツリー」になっていたのかもしれません(笑)。

あまり、皮肉を書くと埼玉県民の皆様に怒られるのでやめておきます。そう言えば、さいたま新都心にある「埼玉スーパーアリーナ」は、来年の東京五輪のバスケット会場になりますね。酷暑に開催される東京五輪は大反対ですが、アリーナは室内で冷房も効いているので、体調不良を訴える人は少ないことでしょう。

 さいたま新都心駅は、2000年4月1日に開業した比較的新しい 駅で、官庁街とショッピングモールで出来た人工的な街です。

 でも、500円の生ビール片手にジャズの生演奏を聴いていると、どこかヨーロッパの古い都市にいるような感覚になれました。埼玉県は意外といい所ですよ。

【後記】いつも、このブログに書いたことと現実とのシンクロニシティを感じていますが、さいたま新都心駅を設計したのが著名な建築家エドワード鈴木氏で、同氏は9月15日に71歳で亡くなっていたことが、9月18日に分かりました。

私がさいたま新都心駅を訪れたのは、何と9月15日でした。エドワード鈴木氏の御冥福をお祈り申し上げます。

?「人間失格 太宰治と3人の女たち」は★★★☆

 太宰治に関しては、誰でも麻疹(はしか)のように一度は罹って、若い頃に熱中するものです。

 小生の場合は、ちょっと度が過ぎていて、高校生にして、既に、全集収録の全作品と書簡まで読破し、それでももの足りず、山岸外史「人間 太宰治」、坂口安吾「不良少年とキリスト」、檀一雄「小説 太宰治」、野原一夫「回想太宰治」…等々、評伝まで読破する始末でした。

 ということで、昨日から全国公開された蜷川実花監督作品「人間失格 太宰治と3人の女たち」は見逃せませんでした。しかし、私が映画を観る際に最も参考にする日経新聞の映画評では、★がたったの二つ!「つまらないから、観るな」と言われているようなものですから、躊躇しましたが、時、既に遅し。ネットで切符を買ってしまいました。

 で、仕方なく重い腰を上げて観に行ったのですが、やはり「★★」は酷過ぎる。とはいえ、映画史上の名作かと言えば、そこまで行かないので、「★★★☆」と中途半端な採点をしてしまいました。監督の蜷川実花さんは、あの「世界のニナガワ」演出家の蜷川幸雄の娘さんですから、斬新な映像美は確かにDNAとして受け継がれているようです。

 最初の方の真っ赤な曼殊沙華の花々の中での太宰と子どもたちとの散歩、太田静子との伊豆の満開の桜の中での密会場面などは、映像美術として見事でした。しかし、後半の太宰の雪上での喀血シーンなどは興醒めするほど長過ぎて、目をつぶってしまい、カットしたくなりました。後半を15分ぐらいカットすれば、満点に近い作品でした。

 どうせ配役は忘れてしまうので、書き記しておきますと、太宰治役が小栗旬、放縦な太宰を支える妻・津島美知子役が宮沢りえ、「斜陽」のモデル太田静子役が沢尻エリカ、入水自殺をする最後の愛人山崎富栄役が二階堂ふみでした。他に、坂口安吾が 藤原竜也、伊馬春部が瀬戸康史、三島由紀夫が高良健吾。

 太宰の文学研究者は奥野健男ら数多おりますが、人となりの研究者としては、「山崎冨栄の生涯ー太宰治・その死と真実」などの著書がある長篠康一郎氏がピカイチでしょう。この人は長年、太宰治研究会の世話役をやっていて、毎年6月19日の太宰の命日に東京・三鷹の禅林寺で行われる「桜桃忌」で、18歳だった私もお会いして、太宰の旧宅を案内してくれるなどお世話になったことがあります。(2007年に80歳で亡くなられたようですから、当時はまだ48歳だったんですね。)当時は私も若かったので、その時に出会った明治大学文学部の学生の下宿で、男性4人、女性2人が夜明けまで飲み明かしたことを覚えています。名前は忘れてしまいましたが、その時に会った若尾文子に似た1歳年上の美しい女性が今でも忘れられませんね(笑)。2人だけでそっと下宿の外に抜け出して、太宰作品について、立ち話をしたことを覚えています。翌朝、池袋駅で、彼女は赤羽線に乗るというので、連絡先も聞かずに別れてしまいました。大変懐かしい思い出です。

 蜷川実花監督は、当然、長篠康一郎さんの作品も読んで映画に参考にしていることでしょう。でも、概ね事実に沿って映画化したというのでしたら、山崎冨栄の愛称が「スタコラサッチャン」だったことや、太宰を囲んだ飲み会では「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュー」なんていう戯れ歌を唄っていたことは初歩的知識として知っていたはずですから、映画に反映していなかったのが残念でした。

 残念といえば、太宰の遺作は「人間失格」ではなく、未完の「グッド・バイ」なので、妻への遺書として「人間失格」の原稿を添えたことは本当かなあ、と思ってしまいました。単行本になった「人間失格」の生原稿は出版社にあったわけですから、嘘くさく感じましたが、これは、現実とは違う映画の話でしたね。

 太宰に関しては、なまじっか、知識があるものですから、「人間失格」を主に執筆したのは、三鷹ではなく、埼玉県の大宮なので、何で、大宮のシーンを出さなかったのか、とか、出てくる子どもたちで、太宰の長女園子さんは、後に婿養子を取った津島雄二元厚生相の妻で、長男正樹君は知的障がいがあり、若くして亡くなったとか、次女里子さんは作家津島祐子になる、とか、太田静子の娘も現在作家の太田治子だなあ、とか、映画を観ていても、深読みして頭の中にごちゃごちゃと出てくるので、困ったものでした。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 でも、全く、太宰治の小説を読んだことがなく、人間関係もほとんど知らない人がこの映画を観たら、単なる、我儘な小説家が主人公のエログロナンセンス程度しか思えないかもしれません。

晩年、流行作家になり、「人間失格」や「斜陽」は、今の若い人の間でも、太宰が「敵視」した文壇大御所の志賀直哉や川端康成よりも多く読まれていると聞きます。でも、晩年の頃の作品よりも、「富嶽百景」や「お伽草紙」などの中期の作品の方が明るくて個人的には好きですね。

太宰自身はわずか38歳で亡くなってしまいましたが、彼の作品はこれからも読み継がれていくことでしょう。三島由紀夫のように反発する人もいますが、「あなただけに」内緒で語り掛けるような文体は、誰も書けないでしょう。だから、他の多くの作家は死後すぐ忘れ去られてしまうのに、太宰だけはこうして没後70年以上経っても映画化されるような作家として残っているのです。

 

 

世の中の仕組み=銀行員や商社マンだって天下りしたい

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 このブログで政治家さんのことについて書いた翌日は、どうも気分が悪く、削除したくなります。正直、あまり関わりたくないのです(苦笑)。生来、権威や権力者に対する拒絶反応が鋭敏なのか、何か、魂が穢れる思いがするのです。失礼しました。大袈裟ですね。

しかし、政治家はエリートの選民であり、国民の負託に応えてもらわなければなりません。封建主義じゃあるまいし、民主主義なら本来、2代目、3代目、4代目と世襲制になるのはおかしいのであって、常に我々は批判の精神を持って彼らの言動を見続けていく必要があります。だからこそ、彼らに対して国民の税金を投資しているのです。特に、総理大臣の年収は5000万円、国務大臣は3500万円といわれていますから、その分、仕事してもらわなければ困るのです。逆に言えば、国民は政治家に投資しているから、国民には政治家を批判する権利があるのです。

 このように、国会議員の年収が、世襲したくなるほどおいしくて、いかに高額か、卑近な例を挙げてみます。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 還暦を過ぎて、某マスコミで定年延長の形で働いている阪元氏の年収は200万円以下です。まだ高校生と大学生の子どもを抱えているので生活はかなり苦しいです。退職金と預金を切り崩して生活しています。

 彼は先日、学生時代の友人と4人で新宿に飲みに行って、自身の生活苦を訴えつつ、友人の年収を聞いたところ、大手銀行出身のA君は、取引先への3回目の「天下り」でいまだに年収600万円は確保。大手商社で重役を務めたB君は、関連会社で週1回出勤するだけの非常勤監査役で800万円ももらっているというのです。世の中、官僚だけではなく、エリート銀行員や商社マンともなると、定年後に天下りが用意されていることが分かります。「さすがに自分の年収は言えなかったよ」と阪元氏は苦笑いしてました。

 その阪元氏は、学生時代に某大手銀行からの内定を二つも蹴って、わざわざマスコミに就職したといいますが、今や、マスコミも斜陽産業で落ち目の三度笠。私も「馬鹿だねえ。銀行に行ってたら、今ごろ、年収5000万円の頭取になっていたのに」と言うと、いつも反発する彼も返す言葉もなく、シュンとしてしまいました。

 もちろん、私も同じ穴の狢ですから、他人事ではありませんが(苦笑)。

萩生田氏の文科相御就任を寿ぐ

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 昨日(9月11日)発足した第4次安倍再改造内閣の閣僚を見ると、最も適材適所で見事に嵌っていたのが、文部科学相に就任した萩生田光一氏(56)以外有りえないことでしょう。それにしても、台風15号の影響で、千葉県内では45万軒も停電で復旧の目途が立っていない中、よくぞ性急に内閣改造なんかやったものです。

 萩生田氏は、東京都下の八王子市議から都議会議員、衆院議員と一つ一つ階段を昇って地位を築き挙げた苦労人らしいですが、世間が彼を注目したのは2016年、モリカケ問題華やかりし頃、安倍首相と加計理事長と一緒に缶ビール片手にバーベキューを楽しむ勇姿写真が拡散してからでした。

 「この人、誰?」と疑問に思う世間を尻目に、180センチ、100キロのガタイを武器に官房副長官として「消費増税を延期したらどうか」「憲法改正に消極的な衆院議長は交代したらどうか」などと発言力を増し、「安倍首相の側近中の側近」「総理の懐刀」と呼ばれるようになりました。それが如実に現れたのが2016年、加計学園獣医学部新設に際しての「官邸は絶対やると言っている」「総理は『平成30年4月開学』とおしりを切っていた」といった発言疑惑で、そう発言したとされる文書が17年になって文科省で見つかったことでした。まあ、そんなことは、世間の人はもうすっかり忘れていることでしょう。報道すらしない新聞やテレビもありますからね。

 御本人は、文科相就任記者会見で「私の名前を使って(文科)省内の調整を図った人たちがいたのだろう」と疑惑を否定していますから、真相は不明だということは付け加えておきます。しかし、こういう方が本丸の文科省の大臣になってしまうなんて、ブラックジョークとしか考えられませんよね?

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 萩生田氏は、 「日本会議」国会議員懇談会事務局長で、2013年に自民党の「教科書検定の在り方特別部会」の主査に就任した際、教科書会社の社長らを呼びつけて「自虐史観に立つなど、多くの教科書に問題となる記述がある」と追及したりしたようです。また、 彼の議員会館の事務所には「教育勅語」の大きな掛け軸が掛かっているということで、思想信条が分かりやすい人です。まさに安倍首相好みで、祖父の岸信介以来の念願だった「一丸となって力強く推進する」憲法改正に邁進する同志として、どうしても彼が必要なこともよく分かります。

 でも、NHKの最新の世論調査(9月9日)で、安倍新内閣が最も力を入れて取り組むべきだと思うことを六つの選択肢をあげて聞いたところ、「社会保障」が28%で最も多く、次いで「景気対策」が20%、「財政再建」が15%の順で、「憲法改正」は6番目の5%でした。 やはり、世間の皆様は、憲法改正よりも、年金などの社会保障や雇用問題など景気対策の方が関心があるということです。

 今日のブログは、あまりにも正攻法で我ながらつまらないですね(苦笑)。ただ、新聞を読み比べると、萩生田氏のことをほとんど書かない新聞もあったので、つい書いてしまいました。えっ?新聞に出ていなくてもネットに出ている?・・・ありま。それじゃあ、何のツッパリにもなりませんね(笑)。

真言宗の沿革、空海~観賢~叡尊~覚鑁上人のこと

「出版不況」が囁かれている中、今、一番元気を出しているのが京都市山科区に本社を構えるミネルヴァ書房かもしれません。

 その出版社が本日の朝日新聞朝刊に「ミネルヴァ日本評伝選」通巻200冊の全面広告を2面ぶち抜いて出しておりました。相当な広告費をかけてますね。卑弥呼から力道山まであります。フムフムと眺めていたら、あれっ?空海さんがない!ということが分かりました。宗教家として道元や親鸞、日蓮らは入ってましたが、法然さえ取り上げていません。あまり知られていない金沢庄三郎らは取り上げていますから、解せないなあ、と思いました。

 私は、いかなる特定の宗教団体にもカルト集団にも(笑)、入っておりませんが、日本の文学や絵画、彫刻、文化、思想には仏教は欠かせないと思っています。となると、宗派の開祖と言われる最澄、空海をはじめ、法然から隠元に至るまでは最小限必要ではないでしょうか。これから出るかもしれませんが。

高野山

何度も書くようですが、この夏に初めて高野山を参拝して真言宗や空海(774~835年)についてはさらに興味を持ちました。専門書を読めばいいのでしょうが、私は俗人ですから、経典そのものよりも、もっとジャーナリスティックな人間関係や逸話の方に興味があるので困ったものです。

 そういった種類の情報は、今では専門書よりもネット上に多く溢れているので大変助かります。ただし、気を付けないと、とんでもないフェイクニュースめいたものがあるので面食らってしまいます。例えば、「空海は男色の開祖だった」とか、「最澄と空海は弟子を奪い合って三角関係になっていた」といった類です。まあ、1200年以上も昔なので、真相は不明ですが、出典も不明なので、「ネットは何でもありの世界」だということを肝に銘じなければなりません。

 ジャーナリスティックな話ですが、真言宗を調べていて分かったことは、空海入定後、弟子たちがさまざまな分派を起こしたため、今では50以上もの宗派があることでした。その中でも「主要16派18本山」は主流になっていました。この18本山の中で、個人的に驚いたのが奈良県の西大寺です。もともと、称徳天皇が、父君の聖武天皇が創建した東大寺にあやかって創建した律宗の寺院でしたが、奈良から京都に遷都されてから荒廃して無住となってしまったというのです。その西大寺を鎌倉時代半ばに再興したのが叡尊上人(1201~1290)です。若き頃、醍醐寺で密教を修行したことから、西大寺も律宗と真言宗が混合したような独特の宗派となり、今では真言律宗といわれているそうですね。奥が深いです。

 とにかく、真言宗には50以上の分派があるそうですから、開祖の空海も驚くことでしょう。

高野山 根本伽藍

 このように、ネット上にある真言宗関係を印刷してバインダーに閉じてみたら、とうとう1冊の本になってしまいました。これで、少し分かったことは、(相変わらずジャーナリスティックな話ですが)作家高村薫氏が著書「空海」で書いてあった通り、空海入定後、70年ほどで高野山は、伽藍が落雷や火災などで消失し、国司が土地からの収益を横領するなどして荒廃し、無住になってしまったようです。

 その荒廃の無住状態から復興させたのが、空海の十大弟子の一人真雅のそのまた弟子の観賢(854~925年)です。東寺長者と金剛峰寺座主を兼ねた観賢は醍醐天皇に空海に大師号をおくって頂けるよう上表します。その願いが叶ったのが921年(延喜21年)で、空海が入定されて86年後のことでした。弘法大師です。今では大師と言えば、弘法大師のことだと思われていますが、浄土宗の開祖法然ともなると、大師号は、1697年(元禄10年)の円光大師に始まり、800回忌に当たる2011年の法爾(ほうに)大師まで8回もおくられています。ちなみに、天台宗の開祖最澄が、伝教大師の諡号を清和天皇よりおくられたのは、866年(貞観8年)、最澄入滅から44年後でした。

 弘法大師ほどの万能の天才でも跡を引き継ぐ弟子が優秀でなければ教義も寺院も絶えてしまうことが真言宗の歴史を読み込むと分かります。その断絶寸前と分裂の危機の中に現れたのが覚鑁(かくばん)上人(1095~1144年) 興教大師です。この人は宗派によって色んな書き方をされていますが、真言宗の中興の祖といって間違いないようです。(高野山では現地ガイドさんから「覚鑁上人は、高野豆腐を発明した僧侶」と説明されましたが、どうも違うようです)

 覚鑁上人は、空海が入定して約300年後に高野山の金剛峰寺の座主となり、弘法大師の遺志を復興しようとしますが、高野山の守旧派からの反発と妬みなどを買い、紛争を解決するには自分の身を引くしかないと考え、1141年頃、弟子たちとともに根来山に移ります。その2年後の1143年に49年の短い生涯を終えますが、興教大師以前の高野山や東寺を中心とする流れを古義真言宗というのに対して、興教大師以降の根来山を中心とした流れを新義真言宗(智山派、豊山派なども)といいます。

 真言宗では「南無大師遍照金剛」(遍照金剛とは、空海が恵果和尚から頂いた灌頂名)と唱えますが、新義真言宗では「南無大師遍照金剛 南無興教大師」と唱えるそうです。

 このような話は専門家から見れば当たり前過ぎて表層的ですが、自分自身、ちょっと頭の整理をしてみたかったのです。また、茲では書き込めませんでしたが、力を持った高野山や根来山は信長、秀吉らの格好の標的となったり、真言宗にはこのほか多くの名僧、智僧、怪僧がいたりしたことを付け加えておきます。

首都圏直撃の台風15号の影響で電車が動かない

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

いやあ参りました、本当に。

昨晩から関東地方を縦断した台風15号の影響で電車が動かず。午前10時ごろ運転開始するというので、その時間に最寄り駅に着いたら、「ミロのヴィーナス展」でもやるかのように群集が、駅前を二重三重のとぐろを巻いていました。

どうしようか。

私自身は、歴史学者ハラリ氏言うところの「不要階級」Useless class(朝日新聞は「無用者階級」と翻訳していましたが、甘い!やはり、「不要階級」でしょう)ですから、別に会社に行かなくても、大勢に影響がないのですが、私は超真面目人間ですから、歯を食いしばって行くしかありませんでした。

そしたら、台風一過の蒸し暑い中、「改札規制」なんかやりやがって、駅の階段で1時間も待たされましたよ。まさに「不要階級」御用達です。

後姿なので失礼…

こんなの、ここ何十年もなかったと思います。関東地方に台風が上陸したのはここ最近では17年ぶり3回目らしいですが、確かに凄い台風でした。強風で一晩中窓がガタガタいってましたから。

電車内も、「順法闘争」時代の1970年代を思わせるほどの超満員。久しぶりのラッシュを味わいました。しかも、最寄り駅から都心駅まで通常なら45分掛かるところを1時間も掛かり、押され、突き飛ばされながら、満員の立ちっ放しで、15分も長く電車に乗ることができました(遊園地か!)。

 もちろん、これらは単なる個人的な不満を並べただけで、駅が改札規制したのは、安全対策として当然だったことでしょう。でも、こういう混雑極めた時に限って、平時にある「気分の悪くなった方がおられたので某駅でしばらく停車しました」とか、「お客様が線路に立ち入った」とか、「お客様が線路に落し物をされた」とかいった事案は発生しないんですね。

 皆さん、文句一つ垂れず、黙々と整然と並んで、車内でも、「あー」とか「うー」とか呻き声はしても、声を荒らげて抗議する人はなく、飼い慣らされた羊のようでした。

 恐らく若い彼らは、45年前の国鉄の順法闘争を知らなければ、満員電車もあまり経験がないことでしょう。それでも、慌てず、騒がず、デモもせず…です。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

これで、日本の将来も安泰だあぁぁ。

先行き暗いメディア業界

 WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

仕事なので、嫌でも毎日、ニュースを見たり、聴いたり、読んだりしなければならないのですが、毎日、いつも何かしらの事件、事故があり、その度に気分がささくれ立ちます。

 最近では特に、幼児虐待殺人事件などは、見るのも聴くのもつらいですね。この事件に関しては、殺害した両親以上に児童相談所の不行き届きを批判する報道も溢れました。「児相さえしっかりしていれば、幼い女の子の生命が救われた」といった論調です。

 昨晩、ラヂオを聴いていたら、恐らく児相に勤めているらしき50代の女性から投稿があり、「ニュースを解説される方は、自分が児相で働いていれば、彼女の命を救えるとでも思っているのでしょうか。児相がどんなに大変で、皆、へとへとになって毎日仕事しているのか理解できないことでしょう。児相ばかりを悪く責めて、煽るようなことはやめてもらいたい」といった趣旨の発言をしていました。

 これに対して、ニュース解説者は「私は何度も児相を取材した経験があり、どんなに仕事が大変か、よおく分かっております…ムニャムニャ…」といった感じで応じていました。

 確かに、今に始まったわけではありませんが、報道各社、特にテレビのワイドショーなどは、やれ、韓国が悪い、やれ、社長の責任だ、などといった煽るような報道が目立ちます。

 そもそも、マスコミの原点は、ガンガンガンと銅鑼を大きく鳴らして「オオカミが来た、オオカミが来た!」と煽っているようなものですからね。そして、自分たちの責任は一切棚に上げて、高いところから人を裁くことに勤しみます。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 今、中国の古典「荘子」を読んでいますが、良いことを言ってますね。

 人間の判断は、常に相対的なものであって、絶対的な正しさはどこにも存在しないのだ。

 国際的な紛争は、お互いの国が正義を主張することから起こります。一緒にすると怒られますが、テロリストにもテロリストの正義があるわけです。胡散臭さは別にして、ですが。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 最近、大学生の就職先としてマスコミの人気は随分低下しているそうです。試みに某サイトを覗いてみたところ、2020年卒の大学生の就職希望ランキングは(1)伊藤忠商事(2)三菱商事(3)JTBグループ(4)三菱UFJ銀行(5)全日空ーと商社、航空、銀行が上位を占めていました。マスコミは、博報堂が17位でトップで、新聞社の首位は読売新聞で、何と75位ですからね。私の世代の1970年代後期~80年代初期は、朝日新聞が必ずベスト10に入ってましたからえらい違いです。

 マスコミが「3K職場」になったのか、やりがいがなくなったのか、理由はよく分かりませんが、こうしてネット社会になり、情報が溢れ、新聞が売れない時代になったからなのでしょう。駅構内のキオスクが次々と閉店して、新聞すら簡単に買えなくなりましたからね。車内で新聞を読む人は絶滅危惧種になりました。

 メディアの王様だったテレビだって、ネットに広告を取られて、かつてのような大名商売ができなくなりましたから、もう、そう悠長に構えていられないでしょう。

 今ですら、テレビのニュースは、視聴者からの「スクープ動画」に頼っているのですから、10年後、いや5年後のメディアがどうなってしまうのか、想像も尽きません。でも、信頼の置けないフェイクニュースが溢れ、報道にみせかけた広告記事や、お店や商品の宣伝を忍ばせたグルメ番組やショッピング番組ばかり増えるような気がします。

 悲観的ですか?

消費増税で便乗値上げはやめてもらいたいものです

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 来月10月から消費税が上がるということでアタフタしています。今のうちに高い買い物をしておくべきかどうか…。もう1カ月を切ってしまいましたからね。

 昼によく行く会社近くの寿司屋は、980円の握りランチをやってくれているのですが、顔だけ見ると意地悪そうに見える女将さんに「来月からどうなりますか?」と聞いたところ、「さあ、まだ決めてないのよぉ~。1100円にしようかしら?」とのたまうではありませんか。

 便乗値上げやんけ!

 2%増税なら、980×1.02=999円

せめて、1000円じゃないですか。

 それはともかく、軽減税率とかいう複雑なシステムで、消費税が8%になったり、10%になったり、わけが分かりません。

 そこで、松屋なんかは、店内で食べようが、持ち帰ろうが「同一料金」を打ち出してます。例えば、牛めし(並盛)は、消費増税でも現行と同じ320円(税込)。 店内で食べれは本体価格を291円にして、消費税10%=320円。持ち帰りだと、本体価格を297円にして消費税8%=320円としてます。 うまく考えたもんです。

「税金問題は国を滅ぼす」といわれてますが、大人しい日本人は香港のようにデモすることなく、お上の指図に唯々諾々と(出典「韓非子」)従っています。これで日本は安泰だあぁぁ。。。ただ、皆さん、スマホゲームに忙しくて、政治に関心がないだけなのかもしれませんが。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 私は真面目人間ですから(笑)、いまだに一生懸命勉強しています。でも、古典派経済学の最大の理論化で完成者といわれる英国のリカードの著書「経済学および課税の原理」を読み始めたら、滅茶苦茶難しいですね。商品効用について、「労働価値説」と「稀少説」を提唱しています。

 それより、リカード(1772~1823 )は、 ユダヤ人の証券仲買人の息子で、アダム・スミスの著書の影響から経済学は独学で習得。後に公債引受人として巨万の富を得たこと。リカードの最大のライバルで論争相手だった「人口論」で知られるマルサス(1766~1834)はケンブリッジ大学を卒業したエリートで、英国教会の牧師だったことの方が興味あります。

 我ながら、ちょっと外れていますね(笑)。