WHOの非常事態宣言は遅すぎる=国際機関はどこか怪しい…

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今日は、自画自賛のお話から始めます。たまにはいいでしょう(笑)。

 この《渓流斎日乗》(もしくは《場郭斎日乗》、または《蛇幕斎日乗》、時たま《激流斎日乗》)の最大のライバルは、昔は大学入試問題に頻繁に使われた《天声人語》だと勝手に豪語しております(残念!永久に認可下りず!)。

 一昨日の1月29日に「『募ったが募集していない』とはどういう意味なのか?=新型コロナウイルスによる肺炎のデマも心配」を書いたところ、遅ればせながら、《天声人語》さんは、今朝31日の朝刊で、やっと「募る/募集する」のタイトルで取り上げていました。遅いですねえ、勝った!(笑)。

 影響力絶大のコラムに向かって、何の影響力のない無名のブログが遠吠えしているだけに過ぎないのですが、後追いされると、森羅万象の中で選び抜いた「目の付け所」が間違っていなかった、と勝手に思い込んでしまいます。

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 とはいえ、日本の大マスコミの報道姿勢に対して、異議を申し立てたくなることがあります。

  世界保健機関(WHO)が1月30日夜(日本時間31日未明)になって、やっと新型コロナウイルスによる肺炎について「国際的に懸念される公衆衛生の緊急事態」と宣言したことです。遅すぎやしませんか? 私はすでに、一昨日29日の時点で「WHOは何をやっているんでしょうか。いまだに『緊急事態宣言』を発令しないのは、『出すな』という中国からの圧力と、分担金の多い中国を配慮しているからではないかというまことしやかな噂が流れています。WHO事務局長も何となく…。いや失礼、失礼、伝聞を書いてはいけませんね」と書きました。 29日の時点では、日本のマスコミはどこも私のようにWHOに対して批判的なことは書かず、正直、情報収集能力に欠ける私自身はこのように「憶測」でしか書けませんでした。

 そしたら、どうでしょう。仏の高級紙「ルモンド」が 29日の紙面(日本時間30日)でWHOが緊急事態宣言を出さないよう「中国が圧力」をかけていたと報じたというのです。 私の個人的な憶測は間違いではなく、やはり、そうだったんですか。本日の米ニューヨークタイムズ紙には、中国がコロナウイルスの国内感染をWHOに報告したのは昨年の12月31日だったと書いていますね。

  それなのに、WHOのトップ、テドロス事務局長は30日のジュネーブでの記者会見で 「中国政府は感染拡大阻止に並外れた措置を取った」と桁違いな「中国賛辞」を繰り返したそうじゃありませんか。テドロス氏は、エチオピアの保健相や外相を歴任し、2017年にWHO事務局長に就任したようですが、エチオピアと言えば、昨今は、中国からの巨額の投資に全面的に頼っているという報道ばかり目立ちます。となると、何か、「怪しい」と思わなければならないのに、日本の大手メディアはどこも取材しようとせず、WHOの批判的記事なぞ一切書いたり報道したりしませんでした。

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 そもそも、日本人は国際機関となると盲目的に全幅の信頼を寄せすぎます。United Nations =国際連合=国連なんて、はっきり言って誤訳で、「第2次世界大戦 戦勝国連合」が正しいはずです。少し言い過ぎですが、戦勝国による戦勝国のための団体です。WHOも国連の専門機関ということですから、中国を含めた戦勝国の思い通りの機関と疑っても大きく外れてはいないことでしょう。

 また、このような国際機関の職員の手当が、想像を絶するほどの超高額だと言われているのは、信頼に値する情報でしょう。国連にせよ、IMFにせよ、EUにせよ、わざわざ公表しないでしょうが、そのトップは年収5000万円は下らないでしょう。まあ、どうでもいい話ですが。

 どうでもよくない話は、最高権力者や大国の横暴で正確な情報が隠蔽されたり、発令が遅れたりして、死者が増大し手遅れになることです。

京都・相国寺の承天閣美術館で「茶の湯・禅と数寄」展が開催中=宗旦狐の逸話も面白い

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おはようございます。京洛先生です。

 ワタシが勧めた「藝術新潮」2月号を購入され一読されて、「軽薄だ!」と厳しいご指摘ですが(笑)、世の中、すべてが軽佻浮薄です。貴人のように物事をナンデモ真正面から真面目に受け止める人は、生きにくいご時世です。もっと、生半可にいい加減にならないとノイローゼ、不眠症に陥りますよ(笑)。

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 ところで、中国・武漢の「急性肺炎」で、中国をあてにしている業界、企業は大慌てですね。株価も下降線に入りました。恐らくすぐ解決できることではなく、今夏の東京オリンピックも影響を受けると思いますね。特にその対応が「人の集まる場所に行かない方がいい!」ということでは、「景気」の落ち込みは半端じゃないですよ。「東京五輪後に不況がやって来る」と予測するエコノミスト、評論家はいましたが、これでは「東京五輪前に不況がやって来る」と言うことになりますね。

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 消費増税で消費が減速し、デパート、コンビニなどの業界では既に売り上げが大きく落ち込み始めているのですから、尋常じゃありません。

 1月28日(火)には、武漢に行ったこともない奈良在住の運転手が、武漢から来たツアー観光客を乗せて運転し、新型肺炎に感染したという事が分かり大騒ぎになっています。

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 京都、大阪、東京と中国人観光客が多いところは、日本国内での感染にこれまで以上に神経をとがらせことになります。

 洛中も新年になり、中国人観光客がめっきり減りました。その分、静かになり、煩くない分、地元住民は、ほっと一息つきますが、これから、新型肺炎の感染騒ぎを考えると憂鬱になりますね。

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 そんな世間の動きとは別に、以前、南青山の東京別院に渓流斎さんが参禅に行かれた京都五山の一つ「相国寺」に1月29日(水)の昼下がりぶらっと出かけてきました。
 同寺の境内にある承天閣美術館で「茶の湯・禅と数寄」展が開催中(3月29日まで)で、それを覗いてきたわけです。

 この展覧会は、昨年10月~12月は「Ⅰ期」、新年1月11日から「Ⅱ期」と、二回に分けての長期の開催です。Ⅱ期は、無学祖元の国宝「墨跡」(鎌倉時代、相国寺蔵)、明の永楽帝が足利義満におくった国宝「明永楽帝勅書」(室町時代、相国寺蔵)など、展示数は少ないですが、“禅と茶”、“権力者と茶”、“数寄者と茶”の関係がよく分かる品々が並び、充実した展覧会でした。

京都・相国寺 Copyright par Kyoraque-sensei  

しかも、平日なので来館者も、少なくゆったり見られるのは好いですね。

 展示品の写真撮影は不可ですが、相国寺の境内は御覧の通り、静寂で南天が咲いていたり、梅の枝には早くも梅の蕾が膨らみはじめ季節感を味わいました。

相国寺 宗旦稲荷 Copyright par Kyoraque-sensei  

 同寺の専門道場そばの“宗旦狐”を祀る「宗旦稲荷社」にも参って来ました。ここで伝承されている「宗旦狐」の謂れについてはリンクを貼っておきます。

 逸話は面白いでしょう。

 以上

「募ったが募集していない」とはどういう意味なのか?=新型コロナウイルスによる肺炎のデマも心配

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ここ一週間は、新型コロナウイルスによる肺炎騒ぎで、ニュースはその話題一色です。

 最初は、「大したことはない」「大したことはない」「ヒトからヒトへ感染しない」と言っておきながら、あれよあれよ、と感染が広がり、1月28日の時点で、 中国では死者132人、感染者5974人 という有り様です。これで、2002~03年に流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)感染者数 5327人= 世界保健機関(WHO)調べ=を超えたことになります。

 海外でも50人以上の感染者が報告され、 特に、昨日になって、武漢からの中国人観光客を乗せていた奈良県の観光バス運転手が感染し、ついにヒトからヒトへの感染が日本でも初めて確認されたことから大きなニュースになりました。

 WHOは何をやっているんでしょうか。いまだに「緊急事態宣言」を発令しないのは、「出すな」という中国からの圧力と、分担金の多い中国を配慮しているからではないかというまことしやかな噂が流れています。WHO事務局長も何となく…。

 いや失礼、失礼、伝聞を書いてはいけませんね(苦笑)。ただ、このまま死者、感染者とも増え続けていくと、極端主義者や宣撫活動家が徒に不安や恐怖を煽って、人々がパニックに陥らないか心配です。一刻も早く鎮静化してほしいものです。そのためにも、正しい情報の発信が望まれます。特に、公的機関や政府関係者からの発言は厳格にしてもらいたいものです。

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 政治家についても、彼らは、発する言葉が全てだと言っても過言ではないのに、昨日の国会・衆院予算委員会での安倍晋三首相の答弁には呆れましたね。 例の首相主催の「桜を見る会」を巡り、安倍首相の地元の後援会事務所が、「功績」や「功労」に関係なく事前に参加者を募集(後援会員なら誰でも自由に)していたことから、野党から税金を投入した公的行事の私物化ではないかと指摘されると、安倍首相は「幅広く募ったが、募集はしていない」と言い放ったそうですね。なんじゃらほい、ですよ。

 こんな言い方が許されるのなら、

 罪を犯したが、犯罪はしていない。

 明らかに言ったが、明言はしていない。

 ウイルスは広がったが、拡散はしていない。

…などと言っているようなものですよ。

 「真摯に反省」し、「誠意に対応」することを信条とする日本の最高権力者があんな発言をすれば、公的機関による発表も疑いたくなります。でも、あんな発言をしても優遇された後援会による強いバックアップで支持率は変わらず、政権は安泰ですから、こんなブログを書いても、馬耳東風であり、何の突っ張りもないことは確かです。

 嗚呼、場郭斎。

 

継体天皇は新王朝なのか?

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「今、東博で『出雲と大和』展をやってますね。『芸術新潮』の今月2月号が、日本書紀を特集していますから、それを読んで展覧会に行かれたら分かりやすいんじゃないですか」との京洛先生からのお薦めがあったものですから、万難を排して本屋さんに行って買い求めて来ました。

 何しろ、今年2020年は「日本書紀」が編纂されてちょうど1300年という記念の年ですからね。

 で、読み始めたのですが、「嗚呼、こりゃあ駄目だあ~」となりました。特集「ラノベ日本書紀」のラノベの意味も分からず買ってしまったのですが、これは、どうやらライトノベルの略らしく、恐れ多くも畏くも天皇陛下の歴代記録をライトノベルにアレンジしてしまっていたのです。ライトとは若者向きの「軽い」読み物ということになるんでしょうけど、「軽妙」ならまだしも、「軽薄」気味で、2~3行読んですぐ嫌になりました。推測に過ぎませんけど、戦前なら不敬罪になりかねない、かもしれませんよ。とにかく、買って損しました(苦笑)。

 新潮社の編集者のレベルとまでは言いませんけど、センスが落ちた気がしました。いや、真相は、現代人である読者のレベルが落ちたのでしょう。岩のように堅くて難解な教養主義では、雑誌は売れないんですからね。

 これらはあくまでも個人的な見解ですが、もう一つ、この特集で波長が合わなかったのが編集者の質問に答える形で、「ここが知りたい!日本書紀」で「解説」を担当している遠藤慶太皇學館大学教授(1974~)です。 例えば、第26代継体天皇について。後継ぎのなかった武烈天皇が崩御したため、 大連(おおむらじ)の大伴金村と物部麁鹿火(もののべのあらかび)らによって、近江生まれで(母親の実家の)越前育ちの男大迹(おおど)王 が推挙されて即位したことから、学問研究が自由に解放された戦後になって、「それまでの王朝とは血縁関係のない新王朝」とか「越前王朝」といった新説が出ました。

 侃々諤々の論争が続いているのに(いまだ決着せず)、 遠藤教授は「(日本書記では継体天皇の)出自は応神天皇から5世の孫、彦主人王(ひこうしのおおきみ)の子とあるだけ。…それ以前の王朝とは血縁関係を否定する意見が多数派ですが、裏付けに乏しく、 私などは、あえて主張するほどの近さでもないのに、わざわざそう書くのだから、素直に5世の孫と受け止めていいのではと思っています」と、アッサリとまとめてしまっています。

 それなら、「5世の孫」とはいっても、系図が失われているので裏付けがなく、この論争は史料がみつからない限り、決着がつかないでしょう。でも、そこが古代史の面白さとも言えます。

 他にもありますが、長くなると、文句が百出して、読まれませんのでこの辺で(笑)。

 【後記】

 三浦佑之・千葉大名誉教授による「神話でくらべる古事記と日本書記」は大変勉強になる論考でした。この論文を読めるだけでこの雑誌の価値はありました。簡単に要約すると、古事記は、出雲の神々の滅びに対する哀悼や鎮魂を語ろうとしている印象を受けるのに対して、日本書記は、国家の正史として、王権の側の視点で出来事を叙述しようとする意図を強く感じるといいます。日本書記では、古事記で大きな分量を占めていた地上の王オオクニヌシの物語を意図的に削除したのが丸見えで、いびつな流れになっている、とまで指摘するのです。なるほど、そういうことだったのですか。「国譲りの物語」とは、やはり、大和朝廷が最後の強大な豪族「出雲」を征服する物語だったということなのでしょうね。

みすず書房を創った人、小尾俊人

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 岩波書店の岩波茂雄、筑摩書房の古田晃、三笠書房の押鐘富士雄、青春出版社の小澤和一、大和書房の大和岩雄…と、どういうわけか、出版社の創業者には長野県人が多いのです。長野県は、熱心な教育県で、真面目で忍耐強い人が多く、悪く言えば(笑)頭でっかちの教条主義者を多く輩出し、「日本のドイツ」の異名を取るぐらいですからね。

 忘れてはならない長野県出版人には、他にみずず書房を創業した小尾俊人がいました。私も学生時代から大変お世話になりました。当時の学生の間でよく読まれたバートランド・ラッセル、レヴィ=ストロース、メルロー=ポンティ、ロラン・バルトなど高くて買えず、背表紙を眺める怠惰な学生ではありましたが、図書館で借りて読んだものでした。

 また、長じでからは、ゾルゲ事件にはまり、みすず書房から出ている「現代史資料」は必需品でした。その編集・解説者として小尾俊人(1922~2011)の名前は自然と覚えましたが、この方の経歴にまで興味が及ぶことはありませんでした。

 それが、最近、この方の評伝が出て、「渓流斎はんや、この本、読まなきゃいかんぜよ」という土佐方面からのお薦めがあったものですから、早速手に取ることにしました。

 宮田昇著「小尾俊人の戦後 みすず書房出発の頃」(みすず書房、2016年4月25日初版)という本です。著者の宮田氏(1928〜2019)は早川書房などを経て、版権などを扱う日本ユニ・エージェンシーを創立し、翻訳関係の本を多く出版している方でした。生前から小尾俊人と長期に渡って接点があった人です。

 それでも、小尾俊人の人となりについてはわずかしか知らず、彼の生涯はどういうものだったのか、小尾俊人の生地である長野県諏訪郡豊平村上古田(かみふった)などを何度も訪れて、辿っていくのがこの本です。

 正直、大変失礼ながら、個人的に、著者の宮田氏の文章は、読みにくくて、すっと頭の中に入って来ず、難儀しています。悪文ではなく、私との相性が悪いというべきか(笑)、こちらの理解力が足りず、スラスラ読めないというのが真相でしょう。というわけで、まだ400超ページ中200ページぐらいしか読んでいないのに、拙速にも、この本を取り上げることをお許し頂きたい。何しろ、意外と知られていない「真実」が、この本では掘り起こされているからです。

 まず、取り上げなければならないことは、小尾俊人は、昭和15年に岡谷工業高校卒業後、18歳で上京し、同郷の岩波書店入社を希望したものの叶わず、創業者の岩波茂雄から紹介された羽田書店に入社したことです。

 この羽田書店とは、元首相の羽田孜(1935~2017)の父親の羽田武嗣郎(はた・ぶしろう、1903~79)が岩波茂雄の薦めで起こした出版社でした。この羽田武嗣郎という人は面白い人で、師範学校の校長を定年で辞めた後、バス会社「和田嶺自動車」を創業した貞義を父に長野県和田村で生まれ、東北帝大では漱石門下の阿部次郎に師事し、卒業後は東京朝日新聞の政治記者になり、その後、政治家に転身した人でした。

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小尾俊人の父栄は、島木赤彦に師事した歌人で、南信日日新聞や信陽新聞の歌壇の選者でした。

 こんな感じで、色んな著名人や関係者が出てきます。

 ロマン・ロラン全集などを世に出した創業当初は、みすず書房ではなく、信濃にかかる枕詞「美篶(みすず)刈る」から取った美篶書房だったことも初めて知りました。

 小尾俊人は、経営者というより、根っからの編集者で、日々の勉強を怠らず、あの丸山眞男からも一目置かれていたようです。小尾の目利きで、ロングセラーになったフランクルの「夜と霧」を出したことは知ってましたが、芥川賞を受賞した小島信夫「アメリカ・スクール」と庄野潤三「プールサイド小景」まで、みすず書房だったことをこの本で知りました。

 先に書いた通り、みすず書房=小尾俊人が海外から日本に紹介した学者、作家は、ロマン・ロラン、バートランド・ラッセル、レヴィ=ストロース、メルロー=ポンティ、ロラン・バルト、ミシェル・フーコー、ユング…と数知れず。今や死語になった教養主義の金字塔を打ち立てた人だったことは間違いありません。

 しかも、お金も学閥もない、長野県の田舎から出てきた一介の無名の青年が、「志」一つで、ここまで大きな仕事を成し遂げたことは、まさに奇跡に近い感じがしました。

今や、学生でさえ本を読まなくなり、金融工学が世界を支配してカネだけが全てになり、教養主義が蔑ろにされる時代になったことから、今後、採算を度外視し、志だけを信念に仕事をする小尾俊人のような人間が出ることはないでしょう。

明智光秀は謀反人か?忠義の人か?

倉敷

 今年の HKの大河ドラマは「麒麟がくる」 。1月19日の初回の視聴率は、19.1%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)とかで、「テレビ離れ」が声高に叫ばれる昨今にしては、まあまあの出だしではないでしょうか。

 主人公は、あの本能寺で主君織田信長を討った謀反人(裏切者)の明智光秀ですからね。 以前の大河ドラマでは、戦前に「逆賊」と呼ばれた足利尊氏を主人公にした「太平記」はありましたが、裏切者を主役にすることなどとても考えられませんでした。

 とはいえ、裏切者といっても、信長側から見てのことで、人間の性(さが)などそんな単純なものではありません。まして、戦国時代ですから、親子兄弟でも謀反やら裏切りが公然とあったわけですから、後世の人間が、安全地帯から断罪するのも如何なものか、というべきです。ドラマは、これから明智光秀から見た戦国時代が展開されることでしょうが、楽しみです。

 特に、明智光秀の資料は極端に少なく、40歳以降しか分からないそうですね。私もよく知りませんでしたが、この明智光秀のおかげで、歴史ドキュメントの番組や光秀を特集した雑誌が増え、色々と勉強になります。今から500年近くもの昔の人間なのに、当時の手紙や資料が発見され、歴史が塗り替えられたりする様は、確かに見ていてワクワクします。明智光秀は若き頃、越前朝倉家に仕えていて、医者か薬師ではなかったか、という説には大いに驚かされました。

 先ほどの「裏切者」の話ですが、1600年の関ヶ原の戦いで、東軍に寝返った小早川秀秋があまりにも有名ですが、歴史ドキュメント番組を見ていたら、結構たくさんいることを知りました。

 例えば、細川藤孝・忠興親子です。本能寺の変後、 備中高松城の攻城戦から急きょ引き返してきた(中国大返し)羽柴秀吉軍と、信長を討った明智光秀の軍勢が激突して天下分け目の戦いとなります(山崎の戦い)が、光秀の親戚に当たる細川親子は「喪に服す」と称して、明智軍に加勢しなかったのです。細川忠興の正室は、有名な光秀の三女細川ガラシャですからね。 まあ、この行動は、明智軍に勝ち目はないと見て、機を見て敏な細川一族が、その後、生き残り、平成の世になって子孫に総理大臣を輩出することになりますから、「裏切り」ではなく、「大功績」と言えるかもしれませんがね。

 もう一人は前田利家です。信長の最後の跡目争いとも言うべき賤ヶ岳の戦いで、利家は、最初は信長軍団最強と言われた柴田勝家軍に付きますが、合戦の途中で戦線を離脱して、羽柴秀吉を勝利に導いてしまうんですね。これを「裏切り」と見るか、後に「加賀百万石」の礎となる「功績」と見るべきか、見方を変えると180度違ってしまいます。これだから、歴史は面白いのです。

姫路城

【後記】

 今、山本祐司著「東京地検特捜部」(角川文庫)を読んでいますが、この中に出てくる平沼騏一郎には俄然と興味が湧きました。司法畑のトップである検事総長、大審院長などを歴任し、司法大臣、枢密院議長、総理大臣まで務めた近現代史の最重要人物の一人です。国粋主義団体「国本社」を創設し、戦後はA級戦犯となり、終身刑で獄死した人ですが、もともとは、津山藩士としてこの世に生を受けます。この津山藩は、関ヶ原の戦いで「功績」があった小早川秀秋が移封された藩(宇喜多秀家領の岡山55万石)だったんですね。

 また、津山は、昭和13年に30人もの大量の村人が殺害された「津山事件」が起きたところで、後に横溝正史がこの事件をモデルに「八つ墓村」を書き、何度もドラマ化、映画化されています。

 さらに、津山は美作(みまさか)国です。この美作国宮本村は、剣豪宮本武蔵の出身地だという説があり、地元では生誕地として碑を立てているそうです。

 まあ、色々と話に繋がりが出てきて、書いていても楽しいです(笑)。

引用と著作権で悩む今日この頃

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 先日、作家の溝口敦氏の公式ホームページを見ていたら、同氏は「ノンフィクションの『巨人』佐野眞一が殺したジャーナリズム  大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相」(宝島社、2013年) という本を出版されていることを初めて知りました。内容は「本書では、出版界内部からの自浄作用を促すことを目的に、佐野作品に発覚した140件以上の盗用・剽窃箇所(ネットメディアではまだ指摘されていない盗用を多数発掘)および、その疑惑をすべて公開するとともに、佐野氏の釈明がいかに欺瞞に満ちたものなのか、徹頭徹尾、指弾する。… 全出版人、マスコミ関係者、取次ぎ、書店関係者、そして何よりも『佐野文学ファン』必読の書!  」などと書かれていました。

 私は、溝口氏とは会ったことはありませんが、佐野氏とは一度だけお会いしたことがあります。彼の「巨怪伝」「阿片王」「甘粕正彦 乱心の曠野」などその濃密な取材力には圧倒され、大変お世話になった作家です。私も「佐野文学ファン」なので、ショックでしたね。

 この溝口氏の本を読まず、また両者の話も聞かずにあれこれ言うのは、フェアではないので、この辺でやめておきますが、「盗作」と「引用」の問題については深く考えさせられました。(人気作家だった故・立松和平氏の盗作問題も思い出しましたが、佐野氏の盗作問題は、裁判で既に和解が成立しているようでした)

 まず、引用についてですが、文化庁のホームページにある「著作物が自由に使える場合」の「引用」の定義としてこう書かれています。

  公正な慣行に合致すること,引用の目的上,正当な範囲内で行われることを条件とし,自分の著作物に他人の著作物を引用して利用することができる。同様の目的であれば,翻訳もできる。

 そりゃそうでしょうね。引用が許されなければ、学術論文さえ書けないでしょう。ただ、この「正当な範囲内」というのが微妙ですね。

 盗作は、英語で plagiarism と言いますが、どなたが言ったことか忘れてしまいましたが、「他人の書いたものを10行書けば『引用』になるが、100行書けば『盗作』になる」といった迷言がありました。うまいことを言ったものです。

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 さて、現在のようなネット全盛時代、SNSではニュースが拡散されてますが、これも厳密に言えば、著作権侵害に当たりますよね?

 著作権問題は、私のようなブログ書きにとっても、深刻な問題です。私の場合は、しょっちゅう、出典を明記して「引用」しているつもりなのですが、「著作権者に許諾を得ていない。盗作だ」と言われて訴えられれば、グウの音も出ません。

 ということで、こんな問題に頭が悩まされると、正直、ブログを書くのが馬鹿らしくなってきます。

 先ほどの「迷言」ではありませんが、「出典を明記すれば、10行以内ならオッケー」とでも不文律でも良いから言ってくれれば楽になれるんですが…。写真も頭が痛い。なるべく自撮りや確かなソースから拝借しておりますが、「自撮りでも、本の表紙なら駄目」という説を聞いたことがあり、「じゃあ、撮影者の著作権はどうしてくるんじゃ!」と突っ込みたくなります。

 ところで、この《渓流斎日乗》の著作権はどうなのか、と御下問があれば、著作物ですから勿論、著作権は主張します。とはいえ、ちゃんと、問い合わせて頂き、悪用ではなく、出典を明記さえしてくだされば、オッケーです。

 でも、面倒臭いんですよね、恐らく…。私も気持ちは分かりますから(笑)。また、どうも、紙の著作権とネット上の著作権も違うような気がします。詳しい方、御教授くだされば幸甚です。

日本の闇を牛耳った昭和の怪物120人=児玉誉士夫、笹川良一、小佐野賢治、田中角栄ら

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東京の調布先生に久しぶりにお会いしたら、「貴方も好きですねえ。真面目に仏教思想を勉強していたかと思ったら、最近またアンダーグラウンド関係に熱中していますね」と言われてしまいました。調布先生もしっかりと渓流斎ブログをお読みになっているんですね(笑)。

 アンダーグラウンド関係にのめり込むきっかけの一つが、何を隠そう、調布先生の影響でした。もう時効ですから明かしますが、もう四半世紀以上も昔のこと。当時会社があった東京・内幸町界隈にどでかい東武財閥系の富国生命ビルがあり、その地下は飲食街になっていて、よくランチに行っておりました。ある日、調布先生が、わざわざ弊社にお見えになり、昼時なので、その富国生命ビルにランチに行くことになりました。

 そこの1階には、入居しているテナントの会社のプレートがあり、調布先生は「この方を御存知ですか?」とニヤニヤしながら御下問するではありませんか。そこには「日本政治文化研究所 西山広喜」と書かれていました。当時の私はまだ紅顔の美青年ですから、世間のことは何も知りません。後で、その方は、その筋では知らない人はいない右翼活動家で総会屋の大物だということを知りました。

 その後、調布先生から、いきなり「滋賀県の大津に行きましょう」と言われ、連れて行かれたのが、義仲寺です。名前から分かる通り、源平時代の武将・木曽義仲の墓所でした。しかし、昭和初期には荒廃して壊滅寸前だったといいます。戦後、この寺の復興整備に尽力した著名人の墓もありました。一人は、「日本浪漫派」の文芸評論家保田与重郎(1910~81)。この人は私も知っています。しかし、調布先生が私に教えたかったのがもう一人の方でした。三浦義一(1898~1971)。大分県出身。戦前は虎屋事件、益田男爵事件などを起こし、戦後直後は、政財界の最大の黒幕と恐れられ、日本橋室町の三井ビルに事務所を構え、大物政治家や財界人が足繁く通ったことから、「室町将軍」の異名を取った人だというのです。

 私もナイーブでしたから、知るわけありませんよね。当時は、インターネット情報も充実していませんし、「知る人ぞ知る」人物に関する人名事典すら書籍として発行されていなかったので、その筋の情報は、一部の関係者の間で口コミで広がるぐらいでした。

 しかし、今は違います。ガセネタも多いですが、ネット情報があふれ、本もいっぱい出ています。前置きが随分長くなりましたが、21世紀の令和時代となり、昭和時代も歴史となった今、いい本が出ました。これもまた、調布先生が教えてくれた、というおまけ付きです(笑)。

 別冊宝島編集部編「昭和の怪物 日本の闇を牛耳った120人の生きざま」(宝島社、2019年12月25日初版)です。恐らく、色んなライターが別々に書いているようで、それぞれに出来不出来があり、明らかな間違いや校正ミスもありますが、全体的によくまとまっています。見開きページに一人、顔写真と経歴付きですから、小事典としても使えます。

 裏世界を何も知らなかった頃から30年近く経ち、あれから、普通の人よりもかなり多くのその筋の本を読み(笑)、重要人物からもお話を聴くなどかなりの情報を獲得しましたから、私もさすがにその方面には異様に詳しくなり、情報の目利きができるようになりました。

  この本の「日本の闇を牛耳った昭和の怪物120人 」をどういう基準で編集部が選んだのか、よく分かりませんが、欠かせない人物なのに落ちている人がいることが散見されます。例えば、フィクサー田中清玄(1906~93)、北星会会長岡村吾一(1907~2000)、 情報誌「現代産業情報」発行人石原俊介(1942~2013) はマストでしょう。山段芳春(1930~99)を取り上げるなら、「京都三山」の高山登久太郎(1928~2003)らも取り上げなければいけませんね。バブル期のリゾート王・高橋治則(1945~2005)や末野謙一氏、北浜の天才相場師・尾上縫(1930~2014)らも欲しいですが、彼らは別に黒幕でも何でもないですけどね(苦笑)。

 この本には、先程の三浦義一と西山広喜(1923~2005)はもちろんのこと、児玉誉士夫(1911~84)、笹川良一(1899~1995)、小佐野賢治(1917~86)、岸信介(1896~1987)、田中角栄(1918~93)ら、この手の本では必ず出てくる人物は漏れなく登場しますが、番外編として、玄洋社の頭山満(1855~1944)と杉山茂丸(1864~1935)や黒龍会の内田良平(1874~1937)らも取り上げているのが良い点です。また、私自身が取材経験のない弱点でである(笑)総会屋系の木島力也(1926~93)、芳賀龍臥(1929~2004)、小川薫(1937~2009)、正木龍樹(1941~2016)、小池隆一氏(1943~)らの略歴で、彼らの師弟関係も分かり勉強になりました。

 【後記】

 「昭和の120人」のせいなのか、1926年(大正15年、昭和元年)生まれが異様に多かったですね。安藤昇、渡辺恒雄、氏家斎一郎、木島力也、五味武、根本陸夫といった面々です。ちなみに、同年生まれには、梶山静六、森英恵、多胡輝、菅井きん、山岡久乃、佐田啓二、マリリン・モンロー、仏のジスカールデスタン、キューバのカストロ、中国の江沢民、米コルトレーン、チャック・ベリーら多彩な人を輩出しております。

大手メディア報道は政府情報と政府情報を足した情報?=「教養としてのヤクザ」

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 溝口敦/鈴木智彦「教養としてのヤクザ」(小学館新書、2019年10月8日初版)という大学の講義のような本を書店で見つけ購入しました。

 溝口氏は、日本の組織犯罪問題の第一人者と言われる著名なノンフィクション作家ですが、若い頃、あの「アサヒ芸能」(徳間書店)の記者だったことは自身のプロフィルには書かれていませんね。 私も「食肉の帝王」「暴力団」など多くの著書でお世話になっております。鈴木氏は「ヤクザと原発」「サカナとヤクザ」(安倍首相夫人がこの本に感動し、著者は『ご進講』をお願いされたことを本人が語っています)などで話題になったジャーナリストで、若い頃、その筋の「実話時代」などで腕を磨いた人です。

 この巨匠ともいうべき筋金入りの2人の対談集ですが、2人の記憶力には恐れ入るばかりです。「ヤクザと食品」「ヤクザと五輪」「ヤクザと選挙」など実に多岐にわたって発言されておりますが、私が一番興味深く読んだのは「ヤクザとメディア」です。鈴木氏は「新聞やテレビの暴力団担当記者は、実際には暴力団を取り締まる警察の担当で、その警察から暴力団の情報をもらって書いている。記者の大半は、警察発表と検察発表を整合させて、これを『裏を取る』と言っているわけです。当該暴力団にアテるわけじゃないんです。彼らの裏取りは政府情報と政府情報を足して、それで合わせるから暴力団に接触なんかしない。そもそも『接触するな』って言われているから」と発言しています。

 その通りでしょうね。大手メディアは、戦場の最前線にしろ、危ない所には行きませんからね。世間では暴力団存在そのものに対する疑義があり、それは当然です。しかし、何でもそうですが、メディアが政府情報のみの一方的な報道だけでは、官報と変わりがなく、情報の受け手である市民の方もバイアスをかけて見る必要がありますね。

 鈴木氏は、こんな逸話も紹介していました。抗争事件があって、テレビ局が現場取材にいくと、組員が掃除をしていたので、「撮らせてください」と頼むと、組員は「オッケー」と言いながらも、「ただし、こっちも体面があるから、俺が怒っているところを撮れ」と言って、「オリャア、コリャア」という場面を撮ったらしいのです(笑)。漫画の世界ですね。

  何しろ、「教養本」ですから、この本を読めば社会の仕組みから、政治の裏世界までよく分かります。原発の汚染水処理も、東京オリンピックも、かなり暴力団が関わっていることも明かしています。

 このほか、今、タピオカがブームになって、かなり儲かっていますが、暴力団がこれに目を付けてかなり進出していることもこの本で初めて知りました。何しろ、原価は30~40円なのに、売値は500円ぐらい。都心の超一等地でも5坪ぐらいあれば簡単に開業でき、1店舗に付き月80万~100万円の利益が出るそうです。

 ほかにも、たくさんありますが、「裏社会を知らずにジャーナリズムを語ること勿れ」ですね。

「諸悪莫作、諸善奉行」「世間虚仮、唯仏是真」=聖徳太子

 このブログは、ほぼ毎日更新しているため、恐らく、付いていけず脱落された方も多いと思います。私も脱落する自信があります(笑)。ただ、日々の知的好奇心が読書量に追い付いていない気がします。いや、その逆かもしれません。日々の読書量が知的好奇心に追い付いていない気がします。知りたいことがまだ沢山あります。

 今も2冊を平行して読んでいます。読み終わると1カ月も経てば忘れてしまうので、備忘録としてこのブログに書いているだけなのかもしれません。

 先週は、松濤弘道著「日本の仏様を知る事典」を読了したので、羅列したいと思います。

如意輪観音の「如意」とは、如意宝珠のことで、どんな願いでも叶えてくれる珠のこと。「輪」とは、法輪のことで、仏の教えを指し、この仏に祈るとすべての願いが叶う。右手の第1手は頬につけて思惟をしている姿で、地獄道の人々を救う。右手の第2手は如意宝珠を持ち、餓鬼道から人々を救う。右手の第3手は、立膝の上で数珠を持ち、畜生道から人々を救う。また、左手の第1手は蓮弁に触れて修羅道から人々を救い、第2手は脇の下から蓮華を持ち、人道から人々を救い、第3手は、肩の上に法輪を持ち上げて、天道から人々を救うという。

・観音菩薩は、仏弟子の舎利弗、勢至菩薩は、目連のそれぞれ神話化されたものという。

・華厳経によると、善財童子(菩薩)は、仏の教えてを求めて、文殊菩薩の薦めで、53人のあらゆる職業の師に教えを乞う旅に出て、最後に勢至菩薩と巡り会って、所期の目的を果たす。この故事から、東海道五十三次などが生まれた。

・「明王」は、インドの原住民ドラヴィダ族の神の化身で、外来のアーリア人からの支配を受けた関係で、奴婢や奴隷の姿をしている。不動明王大日如来が変身し、降三世(ごうさんぜ)明王は、阿閦如来が変身したものといわれる。また、軍荼利明王は、宝生如来の変身、大威徳明王は阿弥陀如来の変身と言われる。さらに、金剛夜叉明王は不空成就如来(釈迦)の変身、愛染明王は、金剛愛菩薩の化身といわれる。

・世界の中心に須弥山(しゅみせん)がそびえ、その周囲に九重の山脈と八つの海がめぐらされている。その海の東西南北に四つの島が浮かび、南のしまの閻浮提(えんぶだい)が我々の住む世界。

・須弥山世界の下から十層目にある天界(有頂天)に梵天(ヒンズー教の最高神ブラフマンが仏教化)が住み、須弥山の頂上の忉利天(とうりてん)の喜見城(きけんじょう)には、帝釈天(原名インドラ)が住む。梵天と帝釈天を釈迦の脇侍とする三尊像が、ガンダーラでつくられた。帝釈天は、音楽神の乾闥婆(けんだつば)の娘をめぐって、阿修羅(八部衆)と争い、その闘いは熾烈を極めたことから、修羅場という言葉が生まれた。

・東の持国天、南の増長天、西の広目天(シヴァ神の化身)、北の多聞天(ヴィシュヌ神の化身⇒単独では毘沙門天)は「四天王」と呼ばれ、帝釈天の家来に当たる。

吉祥天は、鬼子母神(訶梨帝母=日蓮宗に多くまつられている)の娘で、毘沙門天の妻。弁財天は、梵天の妃。

大黒天は、シヴァ神の化身で、梵天の子。また、毘盧遮那仏の化身。

荼吉尼(だきに)天は、インドの魔女ダーキニーの音訳。平安時代の頃に、稲荷と習合する。稲荷は、イネナリから稲の実りを意味する農耕の神。宇迦之御霊(うかのみたま)、保食神(うけもちのかみ)といわれる。伏見の稲荷大社は、真言宗東寺の鎮守神として崇められ、荼吉尼天を本地とする神仏混淆の神。

・七福神=毘沙門天は、災いから身を守る神、大黒天は食欲を、弁財天は性欲を、寿老人は長生きを、福禄寿は権力欲を、布袋は笑いを、恵比寿は金欲を満たす神。

聖徳太子は死に臨み、周囲には「諸悪莫作(しょあくまくさ)、諸善奉行」(もろもろの悪しきことはなさず、もろもろの善きことを行え)と告げ、妻には「世間虚仮(せけんこけ)、唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」(世の中のものは全てむなし、ただ仏の真実なり)と語ったという。