通訳団体、退会するしかないか?

 最近、プライベートで色々あったりして、テレビを見るどころか、落ち着いて本も読めません。机の上に「積ん読」状態です。死んだら持っていけないので、なるべく「モノ」は買わないようにしているんですが、どうも本や雑誌は買ってしまいます。

 もう一つ、落ち着かなかったのは、以前にもこのブログで書きましたが、私も会員になっている通訳団体内のいざこざです。(2021年3月1日「通訳団体で内紛勃発=世間は関心なく週刊誌ネタにもならず」)今の執行部が今月下旬に、問題のある3人の理事を解任する議案を中心にした臨時総会を開催するというので、私は、スターリンの粛清の臭いを感じ、「総会開催反対」の趣旨で、会員向け一斉同報メールに初めて投稿したのです。

 この会員向けメールには、ここ数カ月、執行部派と反執行部派との間で、暴言や口汚い罵り合いめいた紙爆弾が飛び交い、かなり閉口しました。最後は執行部が反対派のメールを遮断して終わりましたが、この点に関しては、私は言論封殺の何ものでもないと確信し、憲法が保障する言論の自由の侵害だと思ったので、執行部に対しては不信感を抱きました。

 それでいて、執行部派は「会長様が、無料で釈明会見を開いてくださり、大変大変お忙しい中、誠に誠に有難う御座いました。」と歯の浮くような賞賛、礼賛の言辞を並べ立てて、どこか独裁政権の報道か、朝鮮放送を聴いているようで、違和感といいいますか、はっきり言って、会員であることの居心地の悪さを感じました。

 イザコザの遠因は「パイの奪い合い」です。コロナ禍で通訳の仕事がなくなったことも要因です。執行部は、観光庁から依頼された講師派遣などの仕事を会員に通知せず、仲間うちだけで相談して決めてしまったとか、要するに経済戦争がバックグラウンドにあったわけです。

 私自身は、13年在籍するこの通訳団体から仕事を斡旋してもらったり、講師を頼まれたりしたことは一度もないし、期待もしていないので、中立的立場を取ることができますが、内部事情を知っている人にとっては、「現執行部は7年超も長期独裁政権が続き、執行部とその息のかかったものだけがいい思いをしてズルい」と考えるわけです。こちらの方が真っ当ではないでしょうか。

 今回、会員向けメールに自分の考えと不快感を表明したのですっきりしました。が、これで、ブラックリストに載ったも同然なので、私のメールアドレスも遮断されたり、冷や飯を食わされたりすることでしょう。退会するしかないのかもしれません。

早生まれか、遅生まれか、それが問題だ

Copyright par Keiryusai

 懲りないですねえ(笑)。皆さまお馴染みの釈正道老師から、またまた暗号が送られて来ました。

 懐具合は大丈夫?煉瓦亭に資生堂パーラー? 銀座の高級レストランばかり。青色申告で、経費で落とすのがマル分かりですね。(以下略)

 本当は(以下略)の所にいっぱい暗号が織り込まれていて理解不能の部分が多いのですが、理解できる前半部分については、何としてでも、反論を申し述べておきたいと存じます。

 まず、何と言っても、釈正道老師は、長年、超一流企業にお勤められて任期も全うされた方だと漏れ聞いております。ということは、生涯で一度も確定申告はやったことがないと思われます。つまり、帳簿の勘定科目だとか、あれだけ、面倒で、緊張を強いられ、複雑煩雑な確定申告とはどういうものか御存知ないと思われます。

 もし、一度でも青色の確定申告をやったことがある人なら、普段の食事代は、経費として落ちないことぐらい分かりきっているはずです。勘定科目として、個人事業の円滑な業務遂行のための「接待交際費」なら、税務署さんも渋々認めてくれるでしょうけど、個人の外食代は無理ですよ。

 釈正道老師は、残念ながら、まだまだ修行が足りませんねえ(笑)。

Copyright par Keiryusai

 ところで、全くプライベートな話ながら、このほど、私にとっては3人目の孫(娘)が生まれました。母子ともに健康で、神様、仏様、ご先祖様に感謝したいです。ブログなんかに書くような話ではないとは思いましたが、この孫娘に関して、ちょっと哲学的考察を強いられたので、そのことを記そうかと思っています。

◇to be or not to be

 孫娘が生まれたのは、4月2日午前7時37分でした。この日付が大変重要な分岐点になってしまったのです。

 日本では毎年4月から新学期が始まります。となると、3月生まれまでが、前年度で4月生まれから新年度だと思いきや、4月1日生まれまでが、早生まれとなり前年度、4月2日生まれ以降からが遅生まれで、新年度になるというのです。

 となると、私の孫娘は、4月2日生まれですから、新年度のトップバッターとなるわけです。でも、朝の7時37分生まれですから、もし、その7時間38分前に生まれていたら、4月1日午後11時59分生まれとなり、早生まれの前年度生になっていたわけです。

 極端に言えば、4月2日の深夜零時に生まれたら、遅生まれとなり、あと1分1秒でも早く生まれていたら、前年度生まれになるわけです。逆に、4月1日深夜11時59分に生まれたら、あと1分で遅生まれになることができたのです。

◇コロナで出産助成金も

 こういう微妙なケースの場合、困るのは両親です。早生まれにすれば、同学年と1年間近くも大差があり、体力的、知力的にかなり遅れが出てしまう。遅生まれだと、新学期になるとすぐに誕生日が来てしまい、入学式や新学期の前に年を取ってしまい、可哀そうだ…等々。

 しかも、今年度の場合は、コロナ禍で、ある都道府県では、4月1日生まれまでは、コロナ見舞い名目で10万円の「出産助成金」まで出るということで、微妙どころではない違いがありました。

 そしたら、情報に詳しい会社の人がいまして、出産届は2週間以内に役所に提出すればよく、その際、親の意向で、実際生まれた日とは違って、早生まれか遅生まれに変更する人もいるというのです。そう言えば、明治や大正の昔は、結構いい加減で、名前が間違って登録されたり、父親が酔っ払って、よく覚えていなくて適当な日にちを申請したりした話を聞いたことがあります。

 現在は厳格になって、産婦人科医の証明書がないと役所は受け付けてくれないのかもしれませんが…。

Copyright par Keiryusai

 そんな話を孫の母親である娘にしたら、「この子はきっと自分が生まれる日を自分で選んで生まれてきたに違いないと思う。学年のことは気にしてたけど、給付金の話はあってもなくても、生まれた日は正確に届けた方がいいと思う」と言うではありませんか。

 親の都合で、早生まれにしたり、遅生まれにしたりするケースがある話をしましたが、娘は親の都合ではなく、子どもの都合を優先にしたい、というわけですから、我が娘ながらアッパレと感じた次第です。

 またまた、実に個人的な話でしたので、この記事はあまり多くの人には読んでもらいたくないなあ、と正直思いました。どうか広めないでくださいね。

 

「会津のいとしき日々 」をYouTubeで発信

 私の友人のお嬢さんが「ユーチューバー」になりました。「AnnAIZUm」というハンドルネームで、「会津のいとしき日々 」というタイトルで、意欲的に発信していくようです。

 一本は、「磐越西線 郡山から猪苗代まで」というタイトルで、郡山駅発会津若松駅行下り電車の車窓から撮影したものです。

 約50分間、特に物語があるわけではなく、「鉄ちゃん」「鉄子」向きの電車の窓から見える景色と駅の映像ですが、しっかり字幕(しかも振り仮名付き!)が付いて、BGMなど効果音まで入れています。

凄い! 何処でこんな技を磨いたんでしょうか?

 時に、スマホの影が映るので、スマホで撮影したようですが、編集はセミプロ並みです。

 もう一本は、「めごいこらに会える、会津若松駅」。こちらは2分ぐらいです。

 会津名産、牛の赤べこさんもいますね。「赤べこ音頭」まであるとは。。。

 会津生まれのお嬢さんは、長年関東で暮らしてきましたが、最近になって会津で職を得て、「故郷」に錦を飾ることになったのです。

 ということで、これから会津の魅力をどんどん発信していくようです。ご興味のある方は応援してください。

 蒲生氏郷も喜ぶことでしょう。

私には相応しくなかった(?)銀座・資生堂パーラー

 4月1日はエイプリルフールで、嘘を付いても良い日なんですが、私はへそ曲がりなもんで、今日ぐらい真面目に真実を語ることに致します。

 とは言っても、語るべき真実がない! …ことはないのですが、いつもいつも悲惨なニュースや、しかつめらしい話題ばかりですので、本日は新機軸を打ち出さなければなりません。

 何と言っても、本日は新年度のスタートの日です。これから、コロナ禍で入学式、入社式は盛大に行われませんが、とにかく、新学期、新社会人生活がスタートします。

銀座7丁目

 さあ、新機軸、新機軸…。と考えましたが、またしても、単なるブログですから、そんなもんありません。まあ、仕方ないです。最近、話題もマンネリになったせいか、読者離れが進んでいます。それは、アクセス数を見ればすぐ分かります。このブログは、ソーシャルネットにもアップしていますけど、ほとんど効果がないみたいですね。もうアップするのはやめようかしら(苦笑)。

 となると、マンネリ批判を覚悟で、いつもの渓流斎節をベンベンと唸るしかありません。どうせ、同じことです。読んでくださる皆さんは、相変わらず読んでくださるわけですから、まあ、続く限り、続けてみましょう。

ということで、伝統を重んじ、過去記事を踏襲して、本日も銀座のランチ巡りです(笑)。

銀座・資生堂パーラー

 えー、また、銀座のランチですか!? と言われても、本日は特別です。まさに、清水の舞台から飛び降りる覚悟で挑戦したのですから。

 時代は昭和初期。銀座はモボ、モガが最新ファッションに身を包んで青春を謳歌して闊歩していた時代です。昭和5年には世界恐慌の煽りを受けて「昭和恐慌」となり、翌昭和6年には満洲事変が始まり、昭和7年は、五・一五事件、昭和11年は、二・二六事件と軍国主義まっしぐらになりますが、まだ米軍による空爆があったわけでもなし、庶民には庶民の、富裕層には富裕層のそれぞれの生活と楽しみがありました。

 いやあ、前置きが長いですね、我ながら(笑)。とくにかく、私は昭和初期という時代が大好きです。当時の銀座の風俗を描いた小説や映画などに必ず出てくるのが、「資生堂パーラー」です。私も、一生に一度でいいから行ってみたい、と若い頃から思っていたのですが、実現できず、やっと老境に入ったこの年で実現することができたのです。

カレーだけでなく、オムライスにも付くらっきょう等

 銀座の資生堂パーラーは、創業1902年(明治35年)。おお、日英同盟を結んだ年ですね。最初は、ソーダ―水やアイスクリームを製造販売していましたが、1928年(昭和3年)に本格的に西洋料理のレストランを開業します。

 まあ、本日は、食事をするだけでなく、そこに集う富裕層の人間観察をするのが主目的でした。何しろ、ビーフカレーライスが3300円、ミートクロケットが2860円、コースともなると、Aランチコースで7150円、Bランチコースで1万0780円というお値段ですからね。普通の人は入れませんよ。

オムライス 2860円

 他のレストランとどこが違うのかー? 本日の探訪の最大の課題でした。私が注文したのは、この店の名物と言われるオムライスでしたが、こちらも2860円。勿論、こんな高いオムライスを食したのは生まれて初めてでした。

 どこが違うかと言えば、卵の弾力が全く違いましたね。注文してから15分ぐらい待たされましたが、恐らく、卵を3~4個使っていると思われます。中の鶏肉、キノコ入りライスもマイルドで、洗練された味でした。

 周囲を見ると如何にも富裕層といった「客質」でした。隣りは4歳ぐらいの女の子を連れた30代ぐらいの若い夫婦でしたが、特に奥方様は、成瀬巳喜男か小津安二郎の映画に出てきそうな上流階級の雰囲気を醸し出しておりました。

 向こうのテーブルは、超一流企業に勤めていそうな20代後半から30代初めといった感じの若いスーツ姿の男性3人とその大学かどこかの恩師に見える70代の男性がビールを片手に談笑しています。えっ?そんな若い時分から、もう資生堂パーラーですか…。羨ましいわけではありませんが、これから残りの人生、何を楽しみに生きていくのかしら?

 私はと言えば、「証拠写真」を撮らなければならない、と必死になっていたら、ジャケットの右袖口にトマトソースを付けてしまっていたらしく、真っ白のテーブルクロスを汚してしまいました。

 私が隠れるようにして、ナプキンで袖口を拭いていたら、お店の人に見つかってしまい、代わりのおしぼりまで運んでくれました。

 いい年こいて、何やってんですか! 駄目ですねえ。こんな高級レストランは、悔しいですが、私の御誂え向きではなかったのかもしれません。