「1930-40年代の宣伝写真」と「戦前期日本の戦争とポスター」=久しぶりの「見学ツアー」の第51回諜報研究会

 6月17日(土)に開催された 第51回諜報研究会(インテリジェンス研究所主催)の第1部は久しぶりの「見学ツアー」ということで喜び勇んで参加して来ました。ツアー参加は、個人的にはコロナ禍前の2018年5月に開催された東京都千代田区の近衛歩兵連隊跡(現:北の丸公園)等見学会以来5年ぶりでした。時間が経つのは早いものです。

 今回は、東京・半蔵門駅近くにある日本カメラ財団フォトサロンで開催中の「日本の断面 1938-1944 内閣情報部の宣伝写真」展(無料)の見学でした。

 1937年9月に日中戦争が起きると、内閣情報部が発足し、写真による国策の広報・宣撫活動として翌1938年2月に政府広報誌「写真週報」が創刊されました。フォトサロンでは、その「写真週報」の表紙で使われた写真や、本文に掲載された国内での勤労奉仕、学徒動員、スポーツ大会などの写真が展示されていました。(国策宣伝なので、ヤラセ写真が多かったようです)

 対内外写真宣伝の官庁代行機関として1938年に設立された写真協会が遺したネガフィルムを再度焼き付けた写真が展示されていましたが、ピントが極めて精巧で、まるで昨日撮影されたような見事なプロの巧みな技術を感じさせる写真ばかりで驚くばかりでした。それもそのはず、撮影者は木村伊兵衛、土門拳といった現在でも名を残す超一流のカメラマンが採用されていたのです。しかも、1枚の表紙写真のために、何十カットも色んなアングルから撮影され、照明も色んな角度から当てたりしていました。(1942年12月2日号の表紙を飾った有名な東条英機の写真を撮影したのは、同盟通信カメラマンの内山林之助でした)

 このほか、展示写真の中で、同盟通信社(現:時事通信社、電通、共同通信)の社会部長、編集局次長を歴任し、戦後、東京タイムズを創立した岡村二一の肖像写真もあり、私も初めて見たので「へ~」と思ってしまいました。

 見学会の後、日本カメラ財団調査研究部長の白山眞理氏が解説してくれましたが、白山氏は午後の講演会でも再度登場しますので後述致します。

 この後、私はフォトサロンに隣接する日本カメラ博物館に足を運び、開催中の「一眼レフカメラ展」を観て来ました。(フォトサロンで100円割引券があり200円)

 見学ツアーには20人ぐらいの人が参加しておりましたが、どういうわけか、博物館にまで来た人は私ぐらいでした。もっとも、参加者の人とは面識がほとんどないので分かりませんが、その時間帯の見学者は私以外一人だけでした。

地下に入居している日本カメラ博物館のビルに出版社の「宝島社」ありました。ここにあったとは!

 ここは、カメラ好きの人ならたまらないと思います。明治時代の頃のアンティークから21世紀の現代まで、ないものがないといっていいくらいの一眼レフカメラが、ほぼ全て勢揃いしていました。私が目を見張ったのは、1937年製の超小型のミュゼットというカメラで、長さが5~6センチです。絶対にスパイ用だと思われます。1937年製なら、あのスパイ・ゾルゲも購入しそうです。でも、別に「スパイ用カメラ」のコーナーがあって、そこにはライターやタバコケースや拳銃型の中にカメラが仕込まれている007のようなカメラが30種類ぐらい展示されていました。

元英国大使館の敷地の一部が返還され、今は皇居外苑半蔵門園地に

 まだ時間があったので、カメラ博物館にほど近い所に「国民公園 皇居外苑半蔵門園地」なるものがあったので、覗いてみました。「国民公園」なんて、初めてです。

駐日英国大使館跡地

 公園内に看板があり、ここはもともと駐日英国大使館の敷地でしたが、一部返還されて公園になったようです。公園の隣は、今でも英国大使館がありますから、敷地があまりにも広大だったので、「2015年に敷地の5分の1が日本政府に返還された」と看板に書かれています。気温30度を超える炎天下だったので、早足で5分ぐらいで公園を1周しました。その程度の広さです。

半蔵門「朝霞」刀削麺と炒飯セット980円

 昼時になったので、どうしようか、と半蔵門駅周辺を散策したところ、意外にも中華料理店ばかり目に付きました。その中で、「刀削麺」なるものを売り物にしている「朝霞」という店に入りました。その刀削麺は、私自身、生まれて初めて食べましたが、何でしょうかね、この麺? ラーメンというより、武田信玄公で有名な甲府の「ほうとう」みたいな感じ(味)でした。豆腐とキャベツとキノコとサヤインゲンなどが入り、麺も太いうどんみたいです。「えっ?これ、中華なの?」と思ってしまいました。

早大 大隈重信像

 お腹を満たしたので、地下鉄半蔵門線と東西線を乗り継いで、早稲田大学に向かいました。ここで、第二部の講演会が開催されるからです。

早大 演劇博物餡

 またここでも、時間が余ったので、初めて早大演劇博物館を覗いてみました。室町時代の能、江戸時代の文楽、歌舞伎から現代演劇に至るまで関連資料が展示されていました。内容も充実していて、かつて私も演劇記者もやったことがありますから、「もっと、早くここに来ていればよかった」と思いました。

 午後2時から始まった第二部の講演会の最初の登壇者は、先程の日本カメラ財団調査研究部長の白山眞理氏で、演題は「1930ー40年代の宣伝写真 ―国策、写真家、ストックフォト―」でした。

 先程の「写真週報」や鉄道省などの写真ネガフィルムは戦後、紆余曲折の末、日本交通公社(JTB)に委託され、その後、国立公文書館で保管されましたが、ネガフィルムは可燃性があることから、2014年日本写真保存センターが設立されてそこで保管されるようになったといいます。しかし、9万点あるネガのほとんどがいまだ整理がついていないといった話をされていました。

 予算や人材の不足が理由と思われますが、貴重な文化遺産ですから、次世代に残すことが望ましいです。大企業や富裕層の皆さんにも関心を持ってもらいたいものです。

 続いて登壇されたのは、青梅市立美術館学芸員の田島奈都子氏で、演題は「戦前期日本の戦争とポスター」でした。

 戦前のプロパガンダだけでなくビールの広告など、明治から昭和にかけてのポスターの研究では、日本で第一人者と言われる田島氏だけあって、個人的には見るものが初めてのポスターばかりでした。スライドで紹介されたポスターの量と質には本当に圧倒されました。戦時中の宣伝ポスターですから、やはり、「志願兵募集」や「軍事記念祝日」などが多いのですが、田島氏によると、何と言っても一番多いのは戦時国債の募集や貯金などの呼びかけのポスターだといいます。

 ポスターの図案は公募されるものが多く、採用された1等賞は500円もの高額金だったそうです。ただし、支払いは国債だったので、やがて敗戦後はそれらは、ただの紙切れになってしまいますが。。。

 もう一つ、田島氏から教えられたことは、その一方で、高名な画家がポスターの原画を描いていたという事実です。私は、美術記者もやっておりましたから、藤田嗣治や宮本三郎はさすがに知っておりましたが、横山大観や竹内栖鳳、川端龍子や猪熊弦一郎(私も取材したことがありますが、戦後は三越百貨店の包装紙をデザインして有名になった人です。)まで描いていたとは知りませんでしたね。そうそう、漫画家の岡本一平や清水崑まで原画を描いていました。このように戦争に協力したりすると、小説家や詩人、歌人らは戦後になって「戦犯」として糾弾され、藤田嗣治も糾弾されて渡仏し、二度と日本に帰国しなかったこともありました。他の画家たちも糾弾されたのか気になりました。

 さて、ポスターは、用が済んだら、廃棄されるのが普通だったことでしょう。こうして、多くの歴史的価値がある貴重なポスターを収集された田島氏の努力には頭が下がるばかりでした。