自然淘汰で《渓流斎日乗》は要らない?

 ダーウィンの「種の起源」を読んでいると、妙に「自然淘汰」という言葉が頭にこびりついて離れなくなってしまいました。

 自然淘汰は、natural selection の訳で、「自然選択」と訳してもいいのですが、今読んでいる本の訳者である渡辺政隆氏は、選択ではなく淘汰にしたことについて、「生物の変異個体を篩(ふるい)にかけるという意味を強調したいという意図がある」と説明しています。

 やはり、「淘汰」の方が、何か、目に見えない何かが、故意的に働きかけて個体を変異させたり、絶滅させたりしている雰囲気が伝わります。「目に見えない何か」となると、学問的ジャンルが全く違いますが、どうもアダム・スミスの「国富論」で出て来る「見えざる手」を連想してしまいますね。

 また、サンテグジュペリの「星の王子さま」に出て来る「いちばん大切なことは目にみえない」という言葉も浮かんで来ます。そんな目に見えないものとは、山本七平さんに言わせれば、日本人なら忖度したがる「空気」というものかもしれません。

 街を歩いていて、シャッターを下ろして閉店した何十年も歴史のある老舗店に出食わすと、大変失礼ながら、「自然淘汰かな」と思ったりしてしまいます。

新富町「TRAM ST. CAFE」ガパオライス 今どき750円です!

 20世紀の終わりにソ連邦や東欧の共産主義国が崩壊しましたが、あれも、「自然淘汰」だったのかしら? 私自身の小さな経験では、ソ連時代はモスクワ空港にトランジットで行ったことしかないのでよく分かりませんが、薄暗くて活気がなく陰気な感じがしました。他に、社会主義国は、貧乏旅行をした際、旧ユーゴスラビアの首都ベオグラード駅の売店で、まだサンドイッチなど豊富にあるのに、「もう時間だ」と言って、目の前でカウンターをバタンと閉められてしまい、空腹を抱えたまま、また列車に乗り込んだ鮮烈な想い出があります。食べ物の恨みは恐ろしい。共産主義国なんかには住みたくないと思いましたよ。

 キューバに旅行した時もそうでした。平等をうたう社会主義国のはずなのに、首都ハバナでさえ、物乞いするストリート・チルドレンに溢れ、黒人ともなると特別な許可証がない限り、自分の住む区域の外には勝手に出られないことも知りました。理想と現実は別物だということを実感しました。

 そうそう、創刊101年と日本最古の歴史を誇る「週刊朝日」が本日発売号で、休刊になるというニュースには驚きました。週刊誌というメディアが、もう時代についていけなくなって「自然淘汰」されたのでしょうか?いえいえ、週刊誌には、新聞では書けないディープな情報が某筋から垂れ込んで来るので欠かせないはずです。昨日、更迭された岸田首相の御令息のスキャンダルも、報道したのは週刊誌メディアでした。 えっ? それでも週刊誌はいらない、ネット情報で十分ですか? でも、ネット情報はどこまで信用できますかねえ? 結局、ネット情報は、ニュースソース不明の「要らない情報」に溢れ、アクセスするだけ時間の無駄遣いではないんでしょうか。

 えっ?何々? 《渓流斎日乗》もネット情報だから、要らない情報ですか? う~ん、勘弁してくださいよ。そこんとこ、どーか、ひとつ!

研究者生活も裕福でなければ続かない?=ダーウィン「種の起源」を読みながら

 チャールズ・ダーウィン(1809~82年)の名著「種の起源」(1859年)の渡辺政隆氏による古典新訳(光文社文庫、2009年9月20日初版)を3月に購入(2021年6月20日第13刷)しましたが、色々と御座いまして、途中で中断し、法華経や密教などの仏教書を優先して読んでおりました。

 先日、仏教書に関しては一区切りを付けましたので、今再読しております。(何か日本語が変?)「種の起源」といえば、超有名な古典です。ちょっと身構えて読み始めたのですが、拍子抜けするほど常識的な当たり前のことが書かれているのです。

 と、いけしゃあしゃあと言えるのは、実は、我々がダーウィンから見て150年後の未来人だからなのです。 「生存競争」(この本では「生存闘争」)、「適者生存」、「自然淘汰」、「用不用説」…。現代社会では、極めて常識になっておりますが、ダーウィンが生きていた当時は、極めて異様な危険思想だったようです。特に、いまだにキリスト教会勢力が権勢を誇っていた当時は、天地やヒトは「神が創造したもうた」ことが真実で常識であり、進化などという世迷言はあり得なかったのです。高貴で叡智に富んだ人類があの野蛮な猿から進化したなど、当時の人々にはとても受け入れがたい「不都合な真実」だったのです。それに、21世紀の現代でさえも、キリスト教原理主義者の人々は、いまだに進化論を受け入れていませんからね。

 1960年代後半、極東の島国の中学生だった私は、生存競争や自然淘汰などについて理科の授業で習ったと思います。考えてみれば、「種の起源」が出版されてまだ100年しか経っていなかったのに、極東国では既に常識として教えられました。特に、使わなかったらなくなってしまうという「用不用」説に関しては、先生が「人間の尻尾だって、昔はあったのに、今はないだろう?尻尾の跡はあるけど」といった例を出されたことを覚えています。

 ついでに、「頭だって、使わないとバカになるぞ」と脅された気がしますが、それは、理科の先生ではなかったかもしれません(笑)。

 最初に、この本は「拍子抜けするほど常識的な当たり前のことが書かれている」と記述しましたが、そのせいか、読むのがしんどくない、と言えばウソになります。それに、翻訳者の渡辺氏の方針で、註釈もしくは訳注は、最小限に留めた、ということですので、例えば、「マディラ島の甲虫は、ウォラストン氏が観察したように風が吹き止んで日が差すまで隠れていることが多い」(238ページ)と書かれていても、「あれ? マディラ島って何処にある島だろう?」とか「ウォラストン氏って前に少し出てきたかもしれないけど、誰だっけ?」となってしまうのです。そんな細かいことに拘らず、どんどん読み進んでいけば、それで済んでしまう話ではありますが。

 私は変わった人間なのか、本書(文庫本上巻)で一番興味深く読んだのは、ダーウィンの文章ではなく、訳者の渡辺氏が巻末に書いた「本書を読むために」という解説でした。駄目ですね(笑)。私自身、ダーウィンについて知っていたことは、この「種の起源」と、若き頃、ビーグル号に乗船して、特に南米の知られざる動植物の標本を収集して、「ビーグル号航海記」などの本を出版したことぐらいで、ダーウィンの人となりについてはほとんど知らなかったので、「へー、そうだったの!?」と驚いてしまったわけです。つまるところ、英国人ダーウィンは、あの世界的に有名な陶磁器メーカー「ウエッジウッド」の創業者の孫に当たり、父親も開業医というかなり裕福な家庭に生まれ育ち、生涯、仕事をしなくても自分の好きな研究に没頭する余裕があったということでした。

 22歳でビーグル号に乗船できたのも、父親から500万円もの支度金を融通してもらったからでした。

 昨今、我が国では、世襲政治の弊害が叫ばれ、バカ息子が首相官邸でどんちゃん騒ぎパーティーを開いても、何のお咎めなしですが、我が国の学者の世界もやはり、世襲の趣がなきにしもあらずです。ある程度、裕福でなければ研究生活が続かないことをダーウィン先生は教えてくれているような気がします。

 目下視聴率ナンバーワンのNHK連続テレビ小説「らんまん」は、植物学者・牧野富太郎の人生をモデルにしたドラマですが、牧野も土佐の酒蔵の跡取りの息子という資産家出身で、生活費を稼ぐ必要もなく、子どものように天真「らんまん」に自分の好きな植物研究に没頭しています。

 牧野富太郎とダーウィンが重なって見えるのは私だけではないと思います。

【追記】

 あらまあ驚きです。このブログを書いた5月29日の夜になって、極東国の首相が、御令息の首相秘書官(政務担当)の職を更迭しました。まさか、首相はこのブログをお読みになったわけではないでしょうが、「バカ息子にお咎めなし」と書いたことはお詫びして訂正します。「御令息を解任」の誤りでした。

世の中には漫画が読めない人も

 「宗教は大衆の阿片である」と言ったのはマルクスだったか…。

 ここ数カ月、私自身は、宗教関係の書籍にはまっておりましたが、先日読了した松長有慶著「密教」(岩波新書)で、宗教書は一区切りにするつもりでした。そこで、今は、ダーウィンの「種の起源」を読んでおりますが、どうも心の片隅にぽっかり穴が開いたような気分で、もっと宗教書(特に仏教書、中でも禅関係)を読みたいなあ、と思ったりしております。

 一区切り付けるつもりだったのに、です。そこで、「宗教は阿片である」という言葉が浮かんできたわけです。

 人間はもともと裸で自分の意思に関わらず、この世に生まれてきたので、誰にも「不安」と「恐怖」は付き物です。700万年前に人類が誕生した頃のように、常に猛獣の捕食者によって襲われる「恐怖」はなくなりましたが、独裁者による戦争や地震、噴火、洪水などの天災、それに感染症、さらには最近頻発している強盗殺人の「恐怖」は21世紀になってもあります。また、生きている限り、「不安」に関しては、どうしてもなくなりません。だからこそ、日本人は、古代から神仏に縋ってきたのだと思います。どんな辺鄙な田舎に行っても、必ずと言っていいぐらい、寺社仏閣があります。そこまで豪勢ではなくても、ほんの小さな祠(ほこら)やお地蔵様や不動明王像ぐらいはあります。

 科学が進歩して色々な自然現象が解明されても、霊魂や神の存在などエビデンスで証明されないのに、いまだに人類は、目に見えない何かを信じるように出来ているのかもしれません。

 さて、話はガラリと変わりますが、会社の同僚のAさんから、急に脈絡もなく、「僕は漫画が読めないんですよ」と言われ、一瞬、ポカンとしてしまいました。漫画・アニメと言えば、今や日本の最大輸出産業のはずです。漫画を読んだことがない日本人なんていないはずです。アニメの聖地を訪れるために来日する外国人観光客も増えているとも聞きます。

 漫画が読めないって、どうゆうこと?

 よくよく話を聞くと、彼は子ども時代に漫画を読まなかったから、だと言うのです。だから、大人になっても漫画が読めないというのです。でも、子どもの時に「読まなかった」というより、「読めなかった」「読みたくても読むことが出来なかった」というのが正確です。貧困家庭だったからです。彼の父親は物心付く前に病死されていて母子家庭で育ったというのです。彼とは随分長い職場での仕事付き合いですが、初めて聞きました。子ども時代は狭い薄暗い長屋で福祉の援助を受けて生活し、着る物は同じ長屋の近所の人たちのお下がりです。当然、お小遣いもなく、漫画なんか買ってもらえるわけがありません。

 私は、中学生の頃まで漫画は結構読んでいましたが、高校生からほとんど読まなくなりました。そのうち、大人になると、活字の本はスラスラ読めますが、漫画は読むのが大変になりました。絵と「吹き出し」を交互に読む行為がはっきり言って面倒臭くてたまらないのです。それで、彼の言っている「漫画が読めない」ということが私には理解できました。

 つまり、子どもの時に漫画を読む習慣を身に付けないと、大人になってからでは「しんどい」のです。私自身は中学時代まで漫画を読んでいたので、今でも無理をすれば何とか読めますが、もし、小学生の時に読んでいなかったら、恐らく、今は読めないと思います。

 それにしても、彼が漫画が読めないほど大変な家庭に育ったことを全く知りませんでした。他にも大変な逸話を聞きましたが、もう茲では書かないことにします。

 その点、自分は、それほど裕福ではなくても両親が揃った中流家庭で育ち、大学まで行かせてもらいました。それが当たり前だと思っていた若き頃の自分を改めて恥じ入るばかりです。それと同時に、会社の現役時代は、左遷と塩漬けの連続で、人から足をすくわれたり、今でも多くの人から裏切られたりしたので、「自分は何て不幸な人生なんだ」とずっと思い続けて来ました。でも、彼に対して大変失礼ではありますが、自分は、随分マシな、いや相当幸せな人生だったことに気付かされたのです。

 ある意味で、漫画が読めることは一種の才能であり、幸福なことです。そして、自分の幸福は、ささやかだと気が付かないものです。

 生きていて、十のうち、二つか三つ幸運だったことがあれば、その人の人生は幸福なのです。プロ野球選手でさえ、打率3割も打てれば首位打者になれるくらいですから。

NHK「映像の世紀 バタフライエフェクト」の「独ソ戦 地獄の戦場」は必見です

 先日見たNHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」の「独ソ戦 地獄の戦場」は、かなり衝撃的な内容で、頭にこびりついてなかなか離れてくれません。(5月31日に再放送があるようですから、お見逃しの方はどうぞ)

 1941年6月から45年5月にかけて、ヒトラー率いるナチス・ドイツとスターリン率いる共産主義国ソ連との全面戦争で、両軍(民間人も含めて)合わせて3000万人以上の死者を出したという人類史上最悪・最大の戦争です。最初に仕掛けたのはドイツでしたが、復讐が復讐を呼ぶ殺戮・殲滅合戦となり、反転攻勢したソ連が、逆にドイツ軍の捕虜を虐殺したりして、想像もつかない程の犠牲者を生みました。(嗚呼、だからソ連軍はシベリア抑留した日本人捕虜を奴隷以下に扱っても平気だったんですね。日露戦争の復讐です!)

 「この世の地獄だった」という生存者の証言もありましたが、まさに、地獄はあの世にあるのではなく、この世にあると思わせました。

 諸説ありますが、第二次世界大戦では、ソ連(1939年の総人口1億8879万人)は、民間人も含めて2700万人が戦病死したと言われ、ドイツ(同6930万人)では800万人以上が犠牲となったと推計されています。日本(同約7138万人)は310万人の戦病死者が推計され、日本全国津々浦々、何処の家庭でも犠牲者を出していたので、あまりにも多過ぎると思っていましたが、独ソ戦を含め、戦場になった欧州での犠牲者の数は、日本人が想像も出来ないぐらい桁違いです。

牧野富太郎先生に何の花か聞きたい

 スターリンは、19世紀のナポレオン戦争の「祖国戦争」になぞらえて、特に独ソ戦を「大祖国戦争」と銘打ちました。勝利を収めたソ連ですが、その陰には2700万人の莫大な死者の犠牲があったということになります。そのソ連の血を引くロシアのプーチン大統領がウクライナ戦争を仕掛けたということは、この大祖国戦争の延長で思考しなければなりません。つまり、今のウクライナ戦争は、独ソ戦争に抜きにしては語れないということです。プーチンも演説の中で、ウクライナのことを「ネオナチ」と呼んだり、大祖国戦争のことを持ち出したりしていますから。

 ということは、ロシア人は2700万人だろうが、考えられないほどの大量の犠牲者を出しても戦争を完遂する民族であるということです。イデオロギーだろうが、領土的野心だろうが、正義だろうが、名目は何でも良いのです。「戦争犯罪」何のその。勝てば官軍、勝てば責任なんか問われない免罪符です。そして、この分だと、戦争は短期間で終わらず、あと数年は続きそうだということです。

 プーチン大統領をウクライナ侵略に駆り立てた独ソ戦から引き出せる教訓は、やはり、全人類がもう一度、学び直すべきです。その点、この番組は最適です。

嗚呼〜やっちまっただ=香川県の「四国新聞」

 旧聞には属しますが、「日付を間違えちゃった」という5月19日付の香川県の地元紙「四国新聞」(本社高松市)の現物を会社で見ることが出来ました。上の写真です。

 新聞枠上部の日付は、ちゃんと2023年(令和5年)5月19日(金曜日)となっているのに、右方の「四国新聞」の題字の左横の日付は、大きく「4月19日」となってます。一面トップは「G7サミットきょう開幕」ですから、「5月19日」の間違いであることは確かです。

 あれっ? こんな大間違いするんですかねえ。 大変なことなので整理部長のレベルではなく、編集局長の更迭もあり得るかもしれません。

 ライバルの全国紙の朝日新聞は早速取材して、「単純な作業ミス、チェックミスが原因だった」との言い訳を引き出し、まるで鬼の首を取ったかのように報道をしておりました。ちなみに、香川県での四国新聞の販売部数は約22万部、朝日は約6万部です。

 四国新聞は、明治22年(1889年)4月10日に創刊された立憲改進党系の「香川新報」の流れを汲むといいますから、かなりの歴史があります。

 もし、日付を間違えたのは今回が同社史上初めてだとしたら、案外、この新聞は「お宝」になって何年か経てば、高額で売れるかもしれませんね。(ただし、未使用、箱入り?)

 写真の現物は、会社のものなので、小生の手には入りません。残念!(笑)

 

現世利益を否定しない仏教=松長有慶著「密教」を読んで

 ここ何日もブログ更新出来ず、週末も、天気が良いのに、家に閉じこもって本ばかり読んでおりました。若者でなくても、「書を捨て街に出よ」ですから、あまり、健康的ではありませんよね…。

 松長有慶著「密教」(岩波新書)を読んでおりました。どうしても密教のことが知りたくなったからです。著者は有名な大家であり、入門書として手頃なのかなと思って、この本を選んだのですが、結構難解でした。密教そのものが、「秘密の教え」ということですから、修行するわけでもなく、灌頂を受けるわけでもなく、本を読んだだけで理解しようとするその心構えがまず間違っておりました。密教は「実践」を重視するからです。密教では、人はそれぞれ皆、仏性という宝を自らの内に秘めているのに、平常は煩悩という雲に覆われて自覚することは少ない。そのため「即身成仏」(行者が肉身を持ったまま現世において悟りを得て仏となる)するための最も有効な方法として瑜伽(ヨーガ)の観法を実践することなどを説いております。

 このほか、本書では「月輪観」や「阿字観」、「五字厳身観」や「五相成身観」、さらには護摩業や陀羅尼真言などの実践が紹介されていますが、素人が自分勝手にやっても効き目がないと思われますので、「師資相承」で正式に師匠から秘伝を授けられることが一番だと思います。

 さて、著名な著者の松長有慶氏は、高野山真言宗総本山金剛峯寺第412世座主で、高野山大学の学長まで務めましたが、先月4月に93歳で亡くなられました。(それなのに、5月の叙位叙勲で、中学、高校長レベルの「正五位」だったことは聊か意外でした。)日本の仏教には色々な宗派があり、空海が開いた同じ真言宗でも弟子が分派して古義真言宗系や真義真言宗系などがあり大変複雑ですが、この本は、その中でも「高野山真言宗」の教えが説かれているということは間違いないでしょう。ということで他宗派に対する批判や優越感? が本書では垣間見えたりします。例えば、60~61ページにはこんな記述が見られます。

 それは「華厳経」とか「法華経」という経典が、釈尊の生涯の中で最晩年のもので、内容がもっともすぐれているというひとりよがりの見解でもあった。

 「ひとりよがり」なんて、書かれたりすれば、サンスクリット語の「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ(妙法蓮華経)」を「白蓮華のように最も優れた正しい教えのお経」と大変苦労して翻訳された植木雅俊氏なんか怒るんじゃないかなあ、と思ったりしました。

 法華経だけかと思ったら、他力本願を主旨とする浄土真宗や親鸞に対する揶揄も117ページにあります。

 即身成仏は、行者の力だけによって達成できるものではない。といっても他力を説く仏教のように、如来の救済力だけに頼るわけではない。

 如来とは、阿弥陀如来のことだと思われます。素直に読めば、浄土真宗の念仏よりも真言密教の方が効果ありそうに見えます。

 また、禅宗に対する批判も120~121ページにあります。

 密教の観法は、…行者が仏と一体化するように組織されている。この点、禅宗系の禅定が、…具体性を持たぬ空間とか壁に向かって、一切の現象界の事物を否定し、捨離することによってなりたつのとは対照的である。

 うーん、これを読むと禅では駄目ですよ、と読めなくはありませんね。そう言えば、本書には空海や攪拌、最澄ら密教に関係した人の具体名は当然出てきますが、比較として、道元も栄西も、いや法然も親鸞も日蓮も一切出てきませんでした。なきが如くに。

 それでは、何よりも「一番良いのは密教だ」という話になるかと思ったら、128ページで少し密教批判も出て来たので驚きました。

 日本密教の修法の方法は、密教観法を形式化し、密教的な生命を弱体化させる方向に進まざるをえなかった。

 ここでは、金剛峯寺の座主としてではなく、学者としての中立的立場を通していたので安心しました。この本の初版は、1991年7月19日で、私が購入したこの本は2022年1月17日発行の第33刷なので、実に30年以上もの年月が経過していたことになります。つまり、1991年の記述ですから、その4年後に起きたオウム真理教事件などは一切触れていないので、ジャーナリスティックという意味で、内容が古びていますが、密教の根本思想は変わっていないということでロングセラーになっているのでしょう。

 密教は大乗仏教から5~6世紀頃に派生し(初期密教=雑密)、7~9世紀に隆盛期(中期密教)を迎え、9世紀以降は、特殊な後期密教が起こり、本国インドではイスラム教徒の侵入により13世紀初めに滅亡します。その間、中国にも密教が伝えられますが、9世紀中ごろ唐の18代皇帝武宗による廃仏政策で衰退し、10世紀後半に消滅します。日本には、最新研究では、密教は既に飛鳥時代には入り、平安時代に留学した空海が長安で恵果から直々両界曼荼羅の伝授と灌頂を受けて本格的に入り(東密)、その後、最澄の弟子の円仁(第3代天台座主)や園城寺の別当になった円珍(最近、彼が唐から持ち帰ったパスポート「過所」などが「世界の記憶」遺産に指定されました!)らも入唐し、密教(台密)を伝授され、現在に至ります。後期密教は中国や日本には伝わらず、チベット仏教として受け継がれ現在に至っています。

 ということは、密教は本国のインドと中国では消滅したのに、日本とチベットだけに残っているわけです。

 ただし、後期密教(左道密教という蔑称も)のタントラ(行者の思想、儀礼、生活習慣など)には、わびさびを愛好し、心の平安と清潔感を求める日本人にはそぐわないものがあります。行者たちは、人々が避ける墓場に集まり、禁断の人肉を食らい、人間の排泄物や〇〇(伏字)まで飲食し、女性の行者と交わることを修法と称して実践したりするのです。ここまでいくと、宗教か?という疑問が生まれ、まるでタチの悪い新興宗教のようにも見えます。これも仏教の一派だとしたら、仏教とは何と恐ろしい宗教だと私なんか思ってしまいます。

 著者は、このような非倫理的、反道徳的タントラ主義=タントリズムには、徹底して自己の本源に帰ろうとする、言い換えれば、有限の人間の中に無限の絶対を見つけ出そうとする神秘主義的な宗教の一つの極端な姿を示している(26ページ)とまで言います。インドの後期密教(チベット密教)には、呪術などを使って、人を殺す「呪殺法」や仲間割れを起こさせる「離間法(りげんほう)」も行われ、経典には6種以上の護摩法が記されているといいます。人を救済するのが宗教だとすれば、後期密教は本当に宗教なのか?という疑問も生まれます。

 呪殺なんて、オウム真理教の連中が使っていた「ポア」じゃありませんか。

 以上は、あくまでも極端な例なので、これで密教の習得から遠ざかってしまっては勿体ない気がします。驚くべきことに、密教は、欲望(煩悩)を否定しないといいます。密教では人間的な欲望もまた宇宙生命と繋がっているものなので、これらを全面的に否認せねばならぬと考えません。欲望を肯定することと、断ち切ることは矛盾しないとまでいうのです。つまり、我々の弱点を含んだこの現実世界を全面的に肯定し、その中に理想形態を見出し、現実世界の中に絶対の世界を実現することが密教の理想だというのです。(曼荼羅はまさに宇宙論です。曼荼羅では大日如来が中心で、仏教開祖の釈迦如来は、端っこに追いやられているか、多くの如来の中の一つとして影が薄くなっています。)

 ということで、密教は、現世利益の追求も否定しません。現世利益とは、資本主義的金儲けという意味だけでなく、病気治癒や健康長寿、受験合格、出世、名声、尊敬(「いいね!」ボタン)獲得、除災招福、家内安全といった実に日本人的願望も多く含まれています。

 もともと、密教に異様な興味と関心を抱くようになったのは、東京・新橋の奈良県物産館で、運慶作の「国宝 大日如来坐像」のモデルを購入し、色々と大日如来の意味や意義などを知りたいと思ったからでした。お蔭で金剛界の大日如来には「オン・バサラダト・バン」、胎蔵界の大日如来には「ノウマクサンマンダ・ボタナン・アビラウンケン」と唱えることも知り、毎日のように礼拝していたら、驚きべきことに、ある程度「霊験あらたかなり」の現象が起きたのでした。(この本には陀羅尼の呪文の例が出てきませんでしたが)

 仏教は、開祖の釈迦が真の自己に目覚める悟りを開くという修行の教えから始まり、釈尊を神格化して、出家した声聞、独覚の男性しか成仏できないという小乗仏教となり、そのアンチテーゼで出家在家問わず、そして男女の区別なくあらゆる衆生が覚りを開くことができるという大乗仏教が起こり、さらには、宇宙生命と繋がる自己の仏性に目覚める密教にまで行きついたことになります。その間、インドのバラモン教やヒンドゥー教や、ペルシャ(イラン)のゾロアスター教まで取り入れて、仏教が七色変化していった過程も少し分かりました。

 仏前で、供花したり香をたいたりする行為は、仏教の儀式ではなく、バラモン教から取り入れたものだったことは、この本で知りました。また、この本には書かれていませんでしたが、弥勒菩薩も阿弥陀如来も観音菩薩も、もともとはイランの神で、梵天や帝釈天や不動明王などは、ヒンドゥー教の神々を参考にして取り入れられたものだというので、仏教はうわばみのように周囲の宗教を飲み込んで、発展したいったことも分かります。

 そして、ついに反道徳的な後期密教となり、本国インドでは滅亡したことも何となくですが、薄っすらと分かる気がしました。

他者に依存せず、他者を支配せず=植木雅俊著「思想としての法華経」

 植木雅俊著「思想としての法華経」(岩波書店、2012年9月26日初版)を少しずつ読んでおります。個人的に必要に迫られて読んでいるだけですから、特に、他の皆様にお勧めするつもりはありません。宗教(書)となりますと、最近ではどうも⇒教団勧誘 ⇒多額の布施、寄付 ⇒家庭崩壊 ⇒宗教二世といった、人の弱みにつけ込む悪いイメージばかり、拡散されていますからね。

 でも、この本はどちらかと言いますと、宗教書ではありますが、哲学書、思想書に近いです。(だから、書名が「思想としての」となっています!)植木雅俊氏のはサンスクリット語と漢訳を参照して「法華経」や「維摩経」を平易な現代日本語に翻訳された仏教思想研究家で、「法華経」の翻訳本「サンスクリット版縮訳 法華経」(角川ソフィア文庫)に関しては、この《渓流斎ブログ》でも何度か取り上げさせて頂きました。(「老若男女、身分の差別なく覚りを啓くことが出来る思想」「心の安寧を求めて法華経に学ぶ」「観音さまは古代ペルシャの神様だったのか?」など)

 この本は、植木氏御本人が、悩める若き頃、九州大学で物理学を専攻しながら、何故、全く畑違いの法華経に惹かれていったのかといった経緯や、翻訳に際しての苦労話、そもそも釈迦が説法した仏教とは何なのか、そして仏教はどのように変遷していったのか、時系列に解説してくれているので入門書として丁度いいかもしれません。特に、植木氏は自然科学者ですから、良い意味で枝葉末節に非常に拘り、原本であるサンスクリット語を丹念に参照しないで、「推定」で論を進める東京大学出身などの権威者による先行研究に対する批判が度を超すほど妥協がなく、その舌鋒の鋭さは常軌を逸するほどです。サンスクリット語の複雑な文法や用例も例証して論破しているので、植木氏の方に軍配が上がると私も思います。

有楽町「バンゲラズ キッチン」

 特に、「法華経」というタイトルです。サンスクリット語で「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」と言います。「サッダルマ」は、「サット」(正しい)と「ダルマ」(法、教え)の複合語で「正しい教え」、「プンダリーカ」は「白蓮華」、「スートラ」は「経」を意味します。これを、月支系帰化人の末裔として敦煌に生まれた竺法護(じく・ほうご=239~316年)は「正法華経」と漢訳し、西域の亀茲(きじ)出身の鳩摩羅什(くま・らじゅう=350~409年)は「妙法蓮華経」(略して「法華経」)と漢訳しました。

 日本では、岩本裕博士によって「正しい教えの白蓮」と現代語訳され、長年、この訳が大半で採用されましたが、植木氏は異議を唱え、サンスクリット語の文法からも「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」と訳すのが正しいと主張されたのでした。詳細はこの本に譲りますが、確かに説得力があり、植木氏翻訳の方が良いと私も思います。ただし、新聞協会の用語では、「勝れた」は「常用漢字表にない音訓」ということで使えず、「優れた」を使います。ということで、法華経とは、「白蓮華のように最も優れた正しい教えのお経」ということになります。

 何故、数多あるお経の中で、法華経なのかに関しては、日本の歴史上の人物がかなり多く影響を受けていることを本書で取り上げています。例えば、「源氏物語」の紫式部、「更級日記」の菅原孝標の女、「梁塵秘抄」を編纂した後白河法皇、歌人藤原俊成、俳人松尾芭蕉、文楽の近松門左衛門、それに私も大好きな長谷川等伯や本阿弥光悦らもです。近代になると宮沢賢治や石原莞爾辺りになるでしょうか。また、法華経に影響を受けた宗教家として天台宗の最澄と日蓮宗の日蓮(それに「国柱会」の田中智学や血盟団事件の井上日召も入れますか?)はあまりにも有名ですが、曹洞宗の道元もそうだということで自らの不勉強を恥じました。主著「正法眼蔵」に引用された経典は「法華経」が最も多いというのです。

 このように、法華経は経典だとはいえ、特定の教団や宗教家の専有物ではなく、人類の知的遺産として誰のものでもある、というのが私の考えです。人間というものは、か弱く、生きているだけで、苦しみや悩みが尽きません。稀にみる平等思想を説いた法華経には、必要とする誰もが簡単にアクセスする権利があると思っております。

牧野富太郎先生に何の花か聞きたい

 物理学を専攻する学生だった植木氏は、中村元著「ブッダ最後の旅」の中で目を見開かされる文章に出合います。それは原始仏典の「自帰依」「法帰依」に書かれたもので、

 「この世で自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとせず、法を島とし、法を拠り所として、他のものを拠り所とせずにあれ」というフレーズです。植木氏はこれを読んで「虚栄心の塊で毀誉褒貶にとらわれ、他人の視線ばかり気にしていた自分が恥ずかしくなった」といいます。

 この「自帰依」「法帰依」は、釈尊亡き後に、誰を頼って生きていったらよいのか不安を抱く弟子のアーナンダ(阿難)に対して、釈迦が遺言のように説いたものだといいます。

 植木氏はこう言います。「これは、他者に依存しようとすることを戒めた言葉である。…一人の人間としての自立した生き方は、他者に迎合したり、隷属したり、依存したりするところから生まれてこない。自らの法(ダルマ、理法)に目覚め、それを拠り所とするところに一個の人間としての自立と尊厳が自覚される。それが仏法の目指したものである。」

 この本の中で、この箇所を私も大変感動して読みました。人はか弱いので、どうしても他者とつるんでしまいがちです。それが人間ですから。しかし、他者に迎合したり、隷属したり、依存したりせず、自らの法に目覚めること。それが覚りだとしたら、断食やら千日回峰やらの苦行をせずとも、在家でもできそうです。

 私がもう一つ付け加えるとしたら、「他者を支配しない」ことですね。国家を名分として他国を侵略することも含まれます。他者に依存しないということは、同時に他者を支配しないことであり、孤立無援を恐れないということにつながると思います。

 ということで、この本は必要に迫られた人が読む本であり、思想書としてよく考えさせられ、良書だと思います。

【追記】2023年5月18日

 やっと読了できました。正直、かなり難解な本でしたが、個人的には、大変信頼できる、これから仏教を学ぶ上での羅針盤のような本だと思いました。筆者の植木氏によると、法華経とは釈尊が多くの衆生に分け隔てなく分かってもらえるように比喩を多用して平易に述べた言葉(お経)だというのですから、斜に構えたりせず、そのまま純真に受け止めたいと存じます。

 補足したいことは釈迦(紀元前463~383年)入滅後の流れです。まず、原始仏教では、在家や女性も排除されていなかったのに、紀元前3世紀末頃、「部派仏教(小乗仏教)」が起き、釈尊が神格化されます。そして、苦しい修行を経た出家した男子だけしか覚りを開けないという思想となり、在家や女性を軽視するようになります。代表的なのが「声聞」と「独覚(縁覚)(辟支仏=びゃくしぶつ)」です。声聞は、声聞乗(シャラーヴァカ・ヤーナ)に乗り、目的地「阿羅漢果」を目指しますが、「仏陀」にまでは到達しません。独覚は、独覚乗(プラティエーカ・ブッダ・ヤーナ)に乗り、「独覚果」を目指しますが、やはり仏陀にまで到達しません。声聞と独覚を二乗と言います。紀元前2世紀頃、小乗の有力教団だった「説一切有部」などが菩薩という言葉を使い始めます。

 この後、紀元前後に「釈尊の原点に帰れ」という復興運動が始まり、「大乗仏教」が起こります。大乗は、菩薩の立場から、在家と出家の男女が覚りを開くことができますが、小乗仏教の声聞と独覚の二乗は除きました。菩薩は、菩薩乗(ボーディサトヴァ・ヤーナ)の乗って、仏陀を目指します。つまり、出家しようがしまいが、男だろうが女だろうがいずれも覚りを開くことができるという思想です。

 しかし、これでもまだ足りない。そこで、紀元1~3世紀初めに生まれたのが法華経です。植木氏が翻訳した「白蓮華のように最も優れた正しい教えのお経」です。大乗仏教が排除した声聞、独覚の二乗も含む一切衆生(出家、在家の男女)を「一仏乗」(ブッダ・ヤーナ)に乗せて覚りを開くことに止揚した、誰一人差別のない究極の思想(皆成仏道=かいじょうぶつどう)が法華経だったのでした。

 

経典とイソップ寓話とではどちらが古いでしょうか?=杉田敏著「英語の極意」

 杉田敏著「英語の極意」(集英社インターナショナル新書)を読了しました。この本は、英語ネイティブがよく使う、ことわざや成句を始め、ギリシャ神話や聖書やシェークスピア作品などから引用した文例をまとめたものですので、読了したとはいっても、何度も読み返して覚えなくてはなりません。

 英語のネイティブで少しは教養がある人なら誰でも、「書き言葉」としても「話し言葉」としてもよく使う例文や冗句などが並び、その語源や意味を解説してくれるのでとても重宝します。私は杉田先生の大ファンなので今でも、ネットアプリ配信の英語講座を聴いたりしております。この本には、その講座のテキストの中で登場する同じことわざや慣用句が出て来るので、復習になったりします。つまり、この本は、杉田先生のテキストのネタ本ですね(笑)。

 この本で、私自身が一番感心して笑ったフレーズは、Some are wise; others are otherwise.(世の中、賢い人もいれば、それなりの人もいる=杉田先生の訳ではなく、小生の意訳)です。シャレと言いますか、見事な韻を踏んでいるからです。

 英語の慣用句に関しては、結構知っているつもりでしたが、この本では、初めて目にするフレーズが頻出しておりました。It’s so 2019. (「実に2019年的な」「コロナ以前の時代の」)、put one’s best foot forward.(「他人に出来るだけ良い印象を与えようとする」)、paraskevidekatriaphobia(「13日の金曜日恐怖症」)、walk in the park (朝飯前のこと)などです。あまりにも多いので、これで寸止めしておきます(笑)。

 英語ネイティブが「いらいらさせられる決まり文句」の中に、like(てゆ~か)、awesome(いけてる=いずれも小生の意訳)、to be honest(正直に言えば)などがあったので、「へー」と思ってしまいました。awesomeなんて、いかす言葉なので、私自身もよく使っていましたが、likeも含めていわゆる「若者言葉」らしく、年長者が聞くとイライラするらしいですね。

新富町「中むら」

 西洋と東洋のことわざは全く違うと思いきや、同じ人間ですから、結構、似たようなものがります。Never speak ill of the dead.( 死んだ人の悪口は言わないこと)、Prevention is better than cure.(治療より予防⇒転ばぬ先の杖)などですが、今の日本で盛んに使われる「同調圧力」は、ちゃんとpeer pressure という英語がありました。個人主義に見える英語圏社会でも、結構、同調圧力があるということになりますね。

 「イソップ寓話」に出て来る cry wolf(オオカミが来た)、cry sour grapes(負け惜しみを言う)などは現在でも頻繁に使われますが、大変驚いたことに、この「イソップ寓話」は、紀元前6世紀ごろの古代ギリシャのアイソーポス(Aesop)という奴隷がつくったされる物語を集めたものだというのです。紀元前6世紀ですよ! あのお釈迦さまが紀元前5世紀の人と言われていますから、何と、お経よりも「イソップ寓話」の方が、歴史的に古いではありませんか!

 英語という言語は、こうしてギリシャ語、ラテン語、フランス語、スカンジナビア語、そして日本語(honcho や karousiなど)まで取り入れて発展していきますが、結構、簡単なようで大変難しい言語だと私は考えています。だって、例えば、doctor は「医師」とだけ覚えていたら残念です。このほか、「博士号」や「修理士」の意味もあり、「治療する」「修理する」という動詞としても使われます。それどころか「文書を改ざんする」という意味でも使われます。財務省を円満退官した佐川さんにも知ってほしいと思いました。

 

出来れば全部観たい=山本勉監修「運慶✕仏像の旅」

 山本勉監修「運慶✕仏像の旅」(JTBパブリッシング、2017年9月1日初版)は、もう直ぐ読了しますが、旅行の際には携帯して参照したい本です。

 この本を読んで、全国にある運慶作の仏像を全て、とまでは言わなくても、出来るだけ多く拝観したい誘惑に駆られてしまいました。私が現地で実物を観たのは、東大寺南大門の金剛力士立像と高野山金剛峰寺の八大童子立像ぐらいで、後はふだんは非公開だったりして、東京国立博物館などの特別展で、無著・世親菩薩立像(興福寺)や重源上人坐像(東大寺)などを拝観させて頂いたぐらいです。何と言っても、運慶20代のデビュー作と言われる奈良・円成寺の大日如来坐像(迂生が新橋の奈良県物産館で購入したあのモデル像です=下の写真)の実物には、まだお目にかかったことはありません。

 焼き物の世界で「備前に始まり、備前で終わる」と言われたりするように、彫刻の世界では「運慶に始まり、運慶で終わる」と言っても過言ではないんじゃないでしょうか。いや、彫刻の世界ではなく、日本の美術史上と言っても良いかもしれません。私自身は「印象派」を大学の卒論に選んだせいか、泰西美術については、かなり海外の美術館巡りもして観てきましたが、年を取ると日本に回帰してしまい、北斎、光琳、若冲、等伯、雪舟の方が技巧的に優れ、日本人の感性に合うことを認識するようになりました。さらに、平面画よりも立体の方が凄いと思うようになり、その天才と抜群の知名度から究極的には仏師運慶が日本美術を代表するナンバーワンではないかと思うようになったのです。

 この本は、何と言っても写真が凄い迫力です。写真提供として「文化庁」や「奈良県立博物館」などのクレジットもありますが、仏像の鼻先の数センチから接写したような、土門拳ばりのアップ写真もあり、圧倒されます。また、この本は、仏像研究の権威である山本勉先生の「監修」となっており、実際に寺院を参拝する監修者の山本勉氏の御尊顔が何度も登場されております。

 仏教美術の研究は21世紀になっても着実に進歩を遂げ、神奈川県称名寺光明院の大威徳明王像は1998年に体内から取り出された納入文書が2007年に開封され、初めて運慶作と判明されたことをこの本で知りました。先に少し触れた東大寺を再興した重源上人坐像も銘記も史料もないので、快慶作など諸説ありましたが、山本氏は「無著・世親像の作風の共通を見て、作者は運慶説が有力」としてます。

 そして、何よりも、新興宗教団体「真如苑」が2008年3月に、米ニューヨークで行われたオークションで、約14億円で落札した大日如来坐像(半蔵門ミュージアム)が、栃木県足利市の樺崎寺(廃寺)に安置されていた運慶作ではないかと推定されました。この像をX線撮影すると体内に五輪塔などが埋め込まれていることが分かり、足利市光徳寺蔵の運慶作大日如来像との共通点も見られ、重要文化財に指定されました。運慶作はほぼ間違いないことでしょう。これも、運慶作と推定する論文を発表した山本勉氏の功績のようです。その後、山本氏は、この像を所蔵する半蔵門ミュージアムの館長になられました。

 その一方で、京都・高山寺に移した運慶作の廬舎那(るしゃな)仏像や賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)像、鎌倉の源実朝持仏堂の釈迦如来像、大蔵薬師堂(北条義時が創建した覚園寺)の薬師如来像、北条政子発願の勝長寿院五仏堂の五大尊像などは、残念ながら現存していないといいます。

 先に、私は「運慶は日本美術史上ナンバーワンだ」と書きましたが、実際は、運慶一人だけで制作した仏像は少なく、運慶の父康慶を始祖とする奈良仏師の慶派(同僚の快慶や子息の湛慶、康勝ら)による共同制作が多いのです。運慶は、勿論、自ら鑿(のみ)を手にしますが、職人をまとめたり指示したりする棟梁か、依頼者と折衝する総合プロデューサーの役割を担っていたと思われます。鎌倉時代になり、時の権力者の源頼朝や北条時政、政子、和田義盛らからの依頼による仏像制作も多くなります。この本の71ページに京都・六波羅蜜寺の運慶坐像(伝湛慶作)の写真が掲載され、私も初めて運慶さんの御尊顔に接しましたが、河童みたいな顔で(失礼!)、妥協はしない意志の強さと自負心が表れていますが、何処か計算高い如才のない面も見え隠れします。人間的な、あまりにも人間的な…。

 ということで、余計に運慶が好きになり、800年経っても現存する運慶作の仏像を求めていつか巡礼したいと思います。

現場から実況見分します=銀座・高級腕時計店強盗事件

 昨日5月8日、私がシマにしている東京・銀座の高級腕時計店で強盗があり、NHKの7時のニュースでトップになるなど大きな話題になりました。

 銀座は私のシマですから(しつこい!)、本日昼休みに現場検証、いや単に見に行って参りました。そしたら、結構な人だかりです。店前の歩道にはテレビカメラ数台があり、リポーターさんたちもおりましたが、何の用もない野次馬も集っておりました。

 現場は、高級ブランドショップなどが並ぶ銀座の中でも超一等地の銀座通り(裏道ではなく、メーンストリート)の瀟洒な繁華街にあり、日本を代表する街とあって、治安は全く悪くありません。当日も多くの通行人が行き通っていたはずです。(そのせいか、通行人がスマホで映した写真や動画が拡散しました)

銀座8丁目

 事件は、アノニマスの仮面を被った3人組が店員を脅して、バールのようなものでガラスケースなどを壊して、100点以上の高級腕時計を強奪して白いワンボックスカーで逃走したというものでしたが、容疑者たちは、運転手役も含めて数時間後に赤坂で「確保」されました。蓋を開けたら、横浜の高校生を含む16~19歳の少年(18歳以上は成人ですが)だったというから驚きです。「お互い知らない」と言いますから、恐らく、ネットの闇アルバイトか何かで集合し、何の計画性もなく、誰か大きな広域犯罪組織の上からの指示で動いていただけでしょうが、何ともお粗末な事件です。

 冷静に考えれば逃げ場はなく、120%捕まることが分かるはずですから、何とも幼稚で浅はかな事件であり、もしそれを知りながら実行したとしたら、若者たちがそこまで追い込まれていることになり戦慄します。

 今年1月には東京都狛江市の住宅でそこに住む90歳の女性が殺害されて現金や高級腕時計などが盗まれる事件が発生するなど、最近はどうも、世の中不景気なのか、全国あちこちで強盗事件が多発しています。しかも、実行犯は10代や20代の若者が多く、見ず知らずの者がネットの闇バイトで集まったといわれていることも共通しています。

 それにしても分からん。人類学的に見て、人間が劣化したのか、前後見境なく善悪の判断が出来なくなったのか、楽をして金儲けをしようとしたのか、それとも自暴自棄になるほど追い込まれたのか、指南役が余程強権的だったのか、人を殺めなければ、数カ月でムショから出られると思ったのか(実は強盗罪は懲役5年以上)、そのいずれか、もしくは全部含まれるのかもしれません。

 昔の人は、よく「人を見たら泥棒と思え」と言ってましたが、現実的にそう考えざるを得なくなってしまいました。

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 5月8日から新型コロナが5類に移行したというのに、庶民の皆さんは、お上の言うことを信用していないのか、無視しているのか、いまだに街中や電車等ではマスクを着用しています。銀座では、日本人の75%ぐらいはマスクをしてます(電車内は9割以上)。5類になったとはいえ、ウイルスが消えたわけではないので、感染したら「自己責任」、治療費・薬剤費は「自己負担」に変わっただけ、ということになりますから余計に警戒してしまいますよね?

 そういう私も、防衛費が倍増したことだし、「自己防衛」でマスクをしております。