「最新研究でここまでわかった! 縄文と弥生」保存版特集=「歴史人」7月号

 「歴史人」7月号(ABCアーク)の「最新研究でここまでわかった! 縄文と弥生」保存版特集は、確かに、古い世代の人間にとっては「新発見」ばかりでした。

 なぜなら、私のような1970年代で学業を修了してしまったロートル世代にとって、古代遺跡として習ったのは、登呂遺跡(静岡県、1943年発見)ぐらいですからね(笑)。世界遺産に登録された巨大縄文集落、三内丸山遺跡が本格的に発掘調査が開始されたのは1992年、日本で一番有名な弥生遺跡である吉野ケ里遺跡の発掘調査が開始されたのは1986年のことですから無理もありません。教科書に載るわけが御座いません。

 しかも、現在、国宝に指定されている土偶のほとんどが1980年代以降に発掘されたものばかりです。例えば、棚畑遺跡(長野県茅野市)の「縄文のビーナス」は1986年、風張1遺跡(青森県八戸市)の「合掌土偶」は1989年、西ノ前遺跡(山形県最上郡)の「縄文の女神」は1992年、中ツ原遺跡(長野県茅野市)の「仮面の女神」は2000年にそれぞれ発掘されているのです。縄文文化については、岡本太郎さんが特別な関心を持って注目しておりましたが、土偶ブームになったのは1990年以降のことではないでしょうか。

 1970年代の古代知識では、全くお呼びでない、ということですね(苦笑)

 また、近代、年代測定技術が飛躍的に向上し、遺跡から出土した貝殻や獣骨などに含まれる放射性炭素14Cを測定すると、これまで縄文時代は1万2000年前に開始されたといわれておりましたが、実は1万5000年前に始まり、2400年前まで続いていたことが分かったといいます。つまり、縄文時代は1万2600年間続き、世界史的にもこれほど長い時代区分は存在しないというのです。これは驚きです。

 しかも、稲作は弥生時代になって初めて大陸から齎されたことになっていましたが、実は、縄文時代後期に既に稲作が伝わっていた、というのが新説です。

大聖寺 copyright par TY

 弥生時代の時代区分はいまだ確定していないものの、これまでの定説を500年遡り、紀元前10世紀に始まり、紀元3世紀まで続いたといいます。(それ以降から古墳時代が始まります)

 弥生時代ともなりますと、貧富や社会格差が出て来たほか、他の集落からの略奪などもあり、敵から身を守るために、集落に壕をめぐらしたり、物見櫓を建てたりしているので、もう環濠集落は、お城みたいなもんです。

 また、吉野ケ里遺跡からは、前漢と後漢との間に王莽が打ち立てた新朝(紀元8~23年)の貨幣「貨泉」が出土したといいますから、かなり大陸との交流があったということになります。まだまだ、知らなかったことがいっぱいあり、勉強になりました。

 実は、この本を買ったのは、特別付録として「土偶シール」が付いていたからでした。何処に貼っ付けようかなあ。。。