韓国モダンダンス「冬眠のノック」

フィレンツェ

 

作家の山崎朋子さんのお誘いを受けて、韓国のモダンダンスを見に行ってきました。場所は、目黒区の東大駒場前駅にある「こまばアゴラ劇場」。平田オリザが主宰する劇団青年団の本拠地です。

 

演目は「冬眠のノック」というタイトルで、韓国の伝統舞踊、モダンダンス、創作舞踊の3部作になっており、このうちのモダンダンスを見ました。演者は、カリムダ・ダンスカンパニーにです。平田オリザが総合プロデューサーで、舞台を見に来ていました。

 

まるっきり、予備知識も何もないまま、見たのですが、わずか50分の演技に色々と感慨深い要素がふんだんに織り込まれており、しばし、俗世間の柵(しがらみ)から逃避することができました。(カリムダ・カンパニーは、1980年に韓国の名門漢陽大学出身者を中心に結成されたそうです。)

 

パフォーマンスは、3幕仕立てになっており、第一幕は、若い男のダンサーを写したビデオ映像が、観客に向けて映し出され、ダンサーは、光を反射するギンラメの傘を振りかざして、椅子に座ったり、踊ったりしていました。第二幕には、若い二人の男性ダンサーが、オフィスと思しきフロアで、書類の束を狂言回しにしてじゃれあうようにして踊り、第三幕では、中年の男性と若い女性が、激しく愛を交歓するような感じで、スケートのアイスダンスのように、男が女を高く持ち上げたりして、舞台所狭しといった感じで踊りまくっていました。擬態音や笑い声はあっても、意味のある言葉は発しませんでした。最初、全く、予備知識がなかったので、日本人かと思ったのですが、顔付きなどで、どうやら違うようだと途中で分かったのです。言葉ではなく、体全体で感情や思想や哲学を表現するダンスという芸術の奥深さを感じた次第です。

 

観客は若い女性が多く、中高年の男性もちらほらいて、全部で70人くらいいたのではないでしょうか。「面白かった」という感想ではないですが、「こういう世界もあるんだなあ。ダンスだけでは食べていくのは大変なんだろうなあ。疲れるだろうなあ」といった愚直な感想しか思い浮かびませんでした。(失敬!)

 

帰り、渋谷駅のターミナルを通ったのですが、その人の多さには唖然を通り越して、笑いがこみ上げてきました。あれだけの混雑は、世界遺産ものです。そういえば、最近は銀座専門で、池袋、新宿、渋谷といった新都心のラッシュ時にはあまり足を踏み入れてなかったので、そのカオス状態の雑踏は久しぶりでした。あの雑踏の真っ只中にいれば、正常な人間も狂うでしょうね。「過疎」の帯広が懐かしくなりました。

 

インターネットも顔が見えないだけで、カオスの雑踏状態であるのかもしれませんね。最近のネット上の中傷合戦を見聞きするたびに、その思いを強くしました。

「聴いて得する日本の大衆芸」

襟裳岬

キングレコードの杉さんから「聴いて得する日本の大衆芸」のCDを送ってもらいました。全5枚あり、送って戴いたのはそのうちの一枚ですが、内容はこんな感じです。

●第一集「ストリート・パフォーマンス」

紙芝居「天狗剣士」(梅田佳声)、チンドン屋「真室川音頭」(小一堂宣伝社中)、物売り「がまの油売り」他

●第二集「艶笑よもやま噺」

艶笑噺「新婚箱根の一夜」(柳家三亀松)、江戸艶ばなし(三遊亭円龍)他

●第三集「ハイカラソングまるかじり」

鎌倉節、法界節、オッペケペー、デカンショ節、よさほい節他

●第四集「下町浅草・演芸の街」

チャップリンの消防夫(牧野周一=牧伸二の師匠)、ベアトリ姉ちゃん(田谷力三、榎本健一)他

●第五集「相撲甚句アラカルト」

相撲甚句「まくら唄」「大阪場所」「四十八手」(元栃桜他)等

…小沢昭一さんが泣いて喜びそうなものばかりですね。

送って戴いたの、このうちの第三集の「ハイカラソング」です。幕末から明治、大正にかけて大流行したヒットソングを集めたものです。当時は、本当に楽しみとして花柳界などで唄われたのでしょうが、今聴くと、あんまり、ピンと来なくて、学術研究の苦行に近いものになってしまうものなのですね。

当時は、もちろん、ラジオやテレビがない時代ですから、流行歌は、寄席や歌舞伎などの舞台から生まれ、花柳界などに広まったようです。

例えば、鎌倉節は、江戸で飴屋が「米山甚句」にして唄ったものが流行し、明治初年に歌舞伎役者の四代目・五代目菊五郎が取り入れて、飴屋に扮して踊って、一層流行したと解説にあります。

私は、「ぎっちょんちょん」「オッペケペー」「よさほい節」「デカンショ節」は辛うじて知っていましたが、あとは殆ど知りませんでした。「法界節」は、明治二十四年頃に長崎で歌われ、「長崎節」といわれていた。その後、若い娘の門づけ唄として流行した。と書いてありましたが、この「門づけ唄」という意味が分かりません。

何しろ、花柳界が亡んでしまい、これらの唄を披露する場が失われてしまいました。外での物売りも街から消えました。こうして、からうじてCDの中に生きるのみです。

「武士の一分」★★★★

今年は邦画の興行収入が21年ぶりに洋画を上回るそうですね。

数字は正直です。最近のハリウッド映画は続編や二番煎じが多く、ついに邦画のリメイク版が出る始末。全世界を席捲していたパワーも、グローバリズムのようにうまくいかず、枯渇してしまったのでしょうか。

その点、邦画は元気がいいですね。変な言い方ですが、世界のどこに出しても恥ずかしくない作品や若手監督が雨後の竹の子のように出てきています。

山田洋次監督の「武士の一分」もよかったですね。原作(藤沢周平)の力かもしれませんが、俳優陣も粒よりの役者が揃っていました。予告編でちらっと見たり、映画評で読んだりして、話の粗筋は大方分かって観たのですが、途中から涙が止まらなくて困ってしまいました。世に言う「サラリーマンの悲哀」は、現代でも全く変わらずに通じるので、自分の身に置き換えてしまったのかしら。いや、それだけではなく、現代日本人がとっくに失ってしまった健気さとか、律儀さとか、武士道精神とか、そんな真っ当な気持ちに対する郷愁の念にかられてしまったのかもしれません。

そもそも、「武士の一分」ってどうやって英訳したらいいのかなあ,と考えてしまいました。一緒に観たT君は思い浮かばず、私が「Gentlemanshipかなあ」と言って、勝手にそれで落ち着くことにしました。

この映画に主演した木村拓哉が、日本アカデミー大賞のエントリーを辞退したことで、色々な噂が飛んでいましたが、あまり興味ありませんね。「キムタクに時代劇は似合わない」とも言われてましたが、なかなか似合っていましたよ。それより、キムタクの御新造役の檀れいという宝塚出身の女優を初めて見ましたが、綺麗でしたね。 世界に誇れる女優さんです。

追悼萩原先生

演劇評論家で歌舞伎舞踊作家の萩原雪夫先生が20日に神奈川県藤沢市の病院で亡くなりました。享年91歳。既にご親族のみで葬儀は済まされておられ、先生らしい亡くなり方だなあと思いました。

先生は、歌舞伎の知識がほとんどなかった私にイチから本当に手取り足取り教えてくださった恩人です。歌舞伎の世界では、演劇記者や評論家は、いくら何十年の取材経験があっても「50歳、60歳は洟垂れ小僧」という言い伝えがあります。テレビのようなすぐ忘れ去られてしまう瞬間芸とは違って、歌舞伎の世界は伝統と継承が大事にされます。しかも、メディアを通さずに生の舞台を目の前で見るわけですから、観客もそれだけ鍛えられて目が肥えていくからです。

そんなわけですから、演劇評論家の中でも「六代目を見たことがある」というだけでも、もう別格扱いなのです。六代目というのは、昭和24年に亡くなった六代目尾上菊五郎のことです。今から57年前ですから、子供の時に観た人でも70歳近くなっているわけです。

萩原先生は、六代目のファンで、そのために歌舞伎記者になったという話や、疎開中の六代目に毎日会いたいがために神奈川県茅ヶ崎市に移り住んだ話などを聞きました。

記者から評論家になった人は数多いますが、舞踊作者にまでなった人は萩原先生くらいではないでしょうか。先生の代表作に奈良東大寺二月堂の行事「修二会(しゅにえ=通称お水取り)」http://www.kcn.ne.jp/~narayama/omizutori/shunie.html

を題材にした「達陀」(だったん)があります。「昭和42年に二代目尾上松緑の発案」とだけしか書いていない記事もありましたが、紛れもなく先生の作品です。この作品を書くために、何度も(年中行事なので、何年も)二月堂に通ったという話や、実際に松明の火の粉を浴びて構想を練った話などを直接聞いたことがあります。

こんな偉い先生なのに、少しも偉ぶったところがなく、「四代目は、『よんだいめ』じゃなくて『よだいめ』、音羽屋は『おとわや』ではなくて『おたあや』と言うのが通だよ」なんてそっと教えてくださるほど粋な人でした。

先生、本当にお世話になりました。合掌

モーツァルト生誕250周年

トムラウシ山

公開日時: 2006年12月18日

今年、2006年はモーツァルト生誕250周年でした。1月生まれなので、ほとんど1年近く過ぎてしまいましたが、日本でも各地で記念コンサートが開催されていたことでしょう。と、変な書き方をするのは、結局、今年は、いや、今年だけでもないのですが、一度もクラシックのコンサート会場に足を踏み入れることはなかったからです。専ら、CDを聴いていました。

もう15年前の1991年。モーツァルト没後200年の記念の年では、本当に足繁くコンサート会場に通ったものです。年間80回近く聴きました。この年を前後して発売されたCD190枚付きの「モーツァルト全集」(小学館)全16巻 https://www.mls.ad.jp/sanseidou/gokabon/mozart/ を45万円くらいの値段で買った覚えがあります。

でも、15年も経ち、これほどインターネットが普及するとは思いませんでしたね。今では、ネットでモーツァルトの楽譜600曲以上が無料で手に入るという記事を読みました。

http://dme.mozarteum.at/mambo/index.php?option=com_frontpage&Itemid=1&lang=en

早速、ホームページを覗いてみました。できれば、ドイツ語ができれば便利ですね。楽譜といっても、モーツァルトの手書きの直筆がPDFでアップされていました。学術研究者用に近いので、プロ中のプロしか読みこなすことができないでしょう。記事によると、公開直後の4日間で1200万件以上のアクセスがあったそうです。恐らく、このうち、ほとんどの人は楽譜を読みこなせないので、退散したことでしょう。

いずれにせよ、すごい時代になりました。

「戦場のアリア」★★★★★

仏・独・英合作映画「戦場のアリア」は本当に名作です。派手な宣伝をしていなかったので、見過ごした方も多いかと思いますが、DVDやレンタルで見られると思います。私は、今年見た映画のベスト5に挙げます。それくらい感動しました。

実話に基づいています。第一次世界大戦真っ只中の1914年のクリスマス・イブ。フランス北部のデルソーという村で、奇跡が起きるのです。フランス軍とドイツ軍と英国スコットランド軍が対峙している最前線で、ふとしたことがきっかけで、「クリスマス休戦」が生まれるのです。お互いに敵同士だというのに、友情さえ生まれます。その休戦に一役買ったのが、オペラ歌手のアナ(ダイアン・クルーガー)とテノール歌手でドイツの一兵卒として徴兵されたシュプリンク(ベンノ・フユルマン)です。

苦悩する指揮官として、フランス軍中尉のオードベール(ギョーム・カネ)とドイツ軍中尉のホルストマイヤー(ダニエル・ブリューム)がとてもはまり役でした。

戦争という極限状態の中で、人間らしさを失わなかった人たちの感動の記録です。この実話を掘り起こして映画化した監督のクリスチャン・カリオンもただものではないと思いました。

歌声が実に素晴らしいと思ったら、ソプラノのアナはナタリー・デッセー、テノールは、ロランド・ヴィラゾンと一流のオペラ歌手が歌っていたのですね。映画見ているときは気づかなかったのですが、これもネット時代の恩恵です。

「プラダを着た悪魔」

今日も映画の話題作を取り上げます。

メリル・ストリープ、アン・ハサウェー主演「プラダを着た悪魔」です。私は10月にイタリア旅行に行った帰りの飛行機の中で二回も見ました。目の大きいハサウェーがあまりにも可憐だったので、ついつい見てしまいました。ストリープがファッション雑誌のやり手編集長役で、なかなかはまっていました。

日本アカデミー賞会員のX氏も「面白い映画です。ジャーナリスト志望のやまだしの若い女の子が、遣り手の雑誌編集長に仕込まれて行く様は『丁稚ドンと番頭さん』みたいで良いです」とベタ誉めです。

私自身はわざわざお金を出してまで見ることはないと思っていたのですが、普段めったに誉めない辛口のX氏が太鼓判を押すくらいですから、特に女性が見ると何か発見するものがあるかもしれないと思い直しました。

「硫黄島からの手紙」

クリント・イーストウッド監督の硫黄島2部作の「硫黄島からの手紙」を丸の内ピカデリーで見ました。既にニューヨークの全米映画批評会議とロサンゼルスの映画批評家協会の最優秀賞を獲得し、来年のアカデミー賞の有力候補でもあります。

第一部の「父親たちの星条旗」より、人物描写がしっかりしていて断然、面白かったですね。日本人だからかもしれません。でも、この映画、アメリカ人の監督によるハリウッド映画であることをすっかり忘れさせてくれます。よくぞ、ここまで、日本と日本人について調べ上げて描いたものだという感嘆と、よく、あそこまで、アメリカ人の恥部ともいえるような描写をカットせずに上映したものだという驚嘆の2つがありました。

日本のことについては、台詞の中で「靖国で会おう」とか、「武運長久で」などと出てきます。英語でどう訳されているのか知りたいくらいです。弾避けのおまじないの「千本針」で縫った腹巻も登場しますが、アメリカ人の観衆は理解できたのかしら。

アメリカの恥部とは、戦場で、米兵が日本人の捕虜を持て余して射殺してしまうシーンです。普通、こんな卑劣な場面はわざわざ取り上げないか、隠してしまいますよね。一方で、日本側では、1932年のロス五輪馬術競技の金メダリスト「バロン西」こと西竹一中佐(伊原剛志)が、負傷したアメリカ兵を手厚く手当てさせて、優しく英語で話しかけるシーンを織り込みます。主人公の栗林忠道中将(渡辺謙)も米国経験があり、その言葉遣いからして、ジェントルマンシップの格好いいこと!無様な「やらせ」の旗揚げ兵士たちが主人公だった「父親たちの星条旗」と比べ、何か、日本の方を贔屓目に描いているような気がしてなりません。

こんなんでいいのかなあ、というのが正直な感想です。(もちろん、戦場でボロボロと無残に殺されたり、自決したりしている日本兵を見て、涙なしには見ることができませんでしたが)

これで、アカデミー賞でも受賞したらもっと株をあげるでしょう。色々批判されている超大国アメリカですが、何と言っても「自由の国」アメリカの懐の深さを痛感させてくれます。

 

「007 カジノ・ロワイヤル」

紫竹ガーデン

007の最新作を見てきました。これでも、私は、こと007に関しては年季が入っていて、初代のボンド役のショーン・コネリーから40年くらい見続けてきました。今回の6代目のボンド役のダニエル・クレイグが素晴らしいというので、半信半疑で見に行ったのですが、噂に違わず、合格点でした。撮影時には恐らく37歳くらいだったでしょうが、21世紀のボンドにうってつけでした。

「カジノ・ロワイヤル」は1953年の作品で、原作者のイアン・フレミングのシリーズ第一作です。従って「殺しのライセンス」00(ダブルオー)を持った秘密諜報員の誕生秘話が明かされています。

今まで、見てきたジェームズ・ボンドとは違って、精神的肉体的「弱さ」が全面的に出て、あまりにも人間的なので驚いてしまいました。これまでのボンドは、冷酷で不死身の超人的過ぎて、ちょっと面白みに欠けていました。今回の人間的なボンド役のダニエル・クレイグは、ぴったりはまっているのです。撮影では、なるべくCGを使わずに、生身でスタントマンを使わないところがすごかったです。

もちろん、ボンドガール、ヴェスパー役のフランス人女優エヴァ・グリーン(常緑という意味になるので可笑しい。芸名なのかしら?)の美しかったこと。非常に魅力的でした。と書いて、何と、つまらない感想しか書けないものか自分でも情けなくなりますが、あまり、内容を書いてしまうと、これから見る人にはつまらなくなってしまいますからやめておきます。

この映画には、いろんな製品が登場します。ソニーのパソコン「VAIO」とデジカメ「サイバーショット」、そして何と言ってもソニー・エリクソン社製の携帯電話が、これでもか、これでもかとさりげなく登場しますが、この映画は「ソニー映画」だったのですね。腕時計はスイスの「オメガ」でしたし、サングラスはイタリアの「ペルソル」、「ハイネケン」ビールも出てきましたね。

こういうのを、英語で product placement というそうです。「製品配置」もしくは「製品紹介」と訳せばいいのでしょうか。意訳すれば「商品宣伝」ということです。観客にそれとなく、見せて、買わせるという、絶大な効果をもたらすのです!こういうのって、サブリミナル効果ではないでしょうか?でも、ボンド車のアストン・マーティンは、欲しくても誰でも買える代物ではありませんけどね。

ジョン・レノンの命日

ヴェニス

公開日時: 2006年12月8日

今日は、どうも気持ちが不安定だなあと思ったら、ジョン・レノンの命日でした。彼が狂信的なファンにNYの自宅マンションの前で射殺されてもう26年の歳月が経ちました。早いものです。と、月並みな感想しか出てきません。

NYのセントラルパークの一角にある「ストロベリー・フィールズ」でファンによる追悼が行われるようですが、公園内なので、条例により、騒音を出すことが禁止されています。「でも、この日は特別な日なので、少しは緩和してほしい」というファンが当局に要望したという記事を数日前に見かけました。

ジョンは、奥さんが日本人だったせいか、日本にはかなり関心を持っていたようですね。歌舞伎や能や禅や書など、短期間で日本の文化をかなり吸収していたようです。「晩年」は毎夏のように軽井沢の万平ホテルを定宿にして訪れていました。私の大学時代の先輩の友人が当時、このホテル http://mampei.co.jp/で、ボーイのアルバイトをしていて、目の前を、ジョン・レノンが通り過ぎた時、思わず、直立不動して何も声が掛けられなかったという話を聞いたことがあります。

私もそんな感じになるでしょうね。

ビートルズ・フリークの私なので、幸運にもポールとジョージとリンゴの3人は来日公演で、彼らの勇姿を見ることができましたが、ジョンだけは、会うことができませんでした。それだけが心残りです。

今日は部屋でジョンのCDをかけまくることにします。