「バベル」★★★★

話題の映画「バベル」を見てきました。

うーん、何というか、フラストレーションの塊となって、映画館を出てきましたね。もちろん、後悔ではなく、見て本当によかった。今年のベスト5に入るのではないかと思っています。

監督のメキシコ人のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。監督の意図が透けて見えるようでしたね。この映画は観客にフラストレーションを巻き起こすためが目的なのだと。

モロッコと東京と、アメリカと国境に近いメキシコが舞台。別々に起こっている事件が、同時につながりがあるのですが、いずれも解決しないままで終わってしまう。そこにはヒーローもヒロインもいなく、勧善懲悪もカタルシスも何もない。これまでのハリウッド映画の王道とは正反対の道を行く作品なのではないでしょうか。

この映画を見た人は誰でも、深く深く、沈思黙考させられてしまいます。

イニャリトゥ監督は何で日本の若者をあのように、退廃的で絶望的に描かなくてはならないものかと思ってしまいました。菊池凛子の裸のシーンは必要なのかなあ、とも思いました。が、モロッコやメキシコの人たちと比べ、あまりにも自然のない、コンクリートジャングルの中で暮らしている東京人にとって、残っている自然は人間の裸くらいしかないのではないか、という監督の皮肉なメッセージが聞こえてきます。

全体的には、この映画の主題は「コミュニケーション・ブレイクダウン」にあるようですが、東京人が、一番精神的に病んでいるような扱い方ですね。東京でも、もっと静かな落ち着いたところがあるんですけどね。檜町公園、赤坂氷川神社がそうでした。

それにしても、俳優連中が皆素晴らしかった。まるで、ドキュメンタリーを見ているような感覚でした。ブラッド・ピットはいくつになったのか、随分老けましたね。役所公司も日本代表としてよく頑張っていました。

カタルシスがない、と書きましたが、ブラッド・ピット扮するリチャードがお世話になったモロッコ人の通訳兼ガイドに謝礼を払おうとすると、モロッコ人が最後まで受け取らなかったシーンです。それまで、モロッコ人を訳の分からないことしか話さない野蛮人のような描き方でしたが、そのシーンだけは救われる気分でした。

役所公司と菊池凛子の親娘関係は身につまされる感じでした。

このように、この映画は見る人の国籍、性別、職業、家庭環境によって、感想は様々でしょう。一つの意見はないと思います。

モネ展から東京ミッドタウン

乃木坂にできたばかりの「新国立美術館」に行ってきました。

「モネ 大回顧展」を見たかったからです。ゴールデン・ウイークとはいえ、連休の谷間の平日を選んで行ったのですが、人、人、人…。何と、日本は、いや東京はこう人が多いのでしょうね。多いところでは、人が五重の列になって1枚の絵の前に立ちはだかっていました。

私は日本人としては背が高い方なので、後方からでも見られましたが、絵を見るにはやはり、東京以外に限りますね。モネは、私の卒論のテーマであり、外国でも数多、見る機会がありましたが、スイスのチューリッヒ美術館の「睡蓮」の連作が忘れません。これでもか、これでもかというモネの執念のような睡蓮が壁一面に広がり、殆んど観客もいなかったので、何か、独り占めする幸福を感じたものです。

モネは「睡蓮」のほか、「積み藁」「ルーアン聖堂」など連作を数々と書いています。一つのテーマを見つけると、30枚も50枚も描いている感じです。作家のYさんも言っていました。「何かテーマを決めてしまえばいいんですよ」。その言葉に意を強くしました。

ついでに、同美術館2階の「異邦人たちのパリ 1900-2005年」展も覗いてきました。こちらは、モネ展ほど人が多くはなかったです。感動したのは、藤田嗣治、ピカソ、モジリアニ…。あまりにもごちゃまぜで、あまりにも散漫で、テーマが絞りきれず、企画展としては、大失敗ではないかと思いました。

3階は、高級フランス料理の「ポール・ボーキューズ」。3000円くらいのランチに人だかりで、「満員札止め」で、幸運にも最後の列に並ぶことができた母娘がテレビのインタビューを受けていました。

馬鹿らしい!

乃木坂から歩いて10分くらいで、六本木のミッドタウンに行きました。できたばかりの話題のスポットとということで、ここも人だかり。

ブランドショップだらけで、私は、ブランドには殆んど興味もないので、ウインドーショッピングさえもしませんでした。

ただ、ここには、素晴らしい庭園がありました。区立檜町公園です。人造池もあり、それにしては、よくできた公園だなあと思っていたら、ここは元々、長州藩の下屋敷で、つまりは、歴史のある長州藩のお庭だったわけです。昨日やそこらでできた公園ではなく、やはり、昔は、庶民は決して立ち入ることができなかったわけですから、散策するだけ感動してしまいました。

ところで、六本木ミッドタウンの前身は、何だったかというと防衛庁の跡地です。その前が、東京鎮台歩兵第一~三連隊が置かれた場所。

そして、乃木坂の新国立美術館の前身は、東大生産技術研究所ですが、その前の戦時中は、何と、陸軍第一師団が置かれた所だったのです。

奇遇とはいえ、平和の重みを感じた次第。

六本木ミッドタウンを北上すると、もう赤坂です。

氷川神社にお参りしました。

ここは、備後三次藩邸があったところで、忠臣蔵の浅野内匠頭の未亡人、瑤泉院が、松の廊下事件の後に引き取られた実家だったそうです。

氷川神社は、八代将軍吉宗が現在の赤坂小学校あたりにあったものを移築したもの。

神社の裏手の本氷川坂の下に住んでいたのが、勝海舟。「氷川清話」の著作で有名ですが、最近は、「氷川の大法螺吹き」として、話していることの大半は、大嘘で、自分を偉く見せるために虚飾に満ちたものだ、という本を続けざまに読んで、多少なりとも、彼に対する評価に疑問を持つようになりました。

歴史そのものではなくて、歴史観は難しい。

「ドレスデン、運命の日」★★★★

(続き)
「東京タワー」に続いて、日比谷シャンテ・シネで「ドレスデン、運命の日」(ローランド・リヒター監督作品)を見ました。戦争映画ですから、やはり目を背けたくなる場面もありましたが、評価としては「まあまあ」でした。
イギリス人の爆撃パイロットとドイツ人の看護婦が恋に陥るという話ですが、まず、そこからして「ありえない」と心の中で叫んでしまう自分がいました。何しろ、ドイツ人の看護婦アンナには、医者の婚約者アレクサンダーがいます。それなのに、病院のベッドで、敵国の人間(ロバート)と不貞を働いてしまうのですから、それだけでも「ありえない」と思ってしまうのです。

看護婦の父親は病院長で、ナチスの幹部と結託してモルヒネをしこたま隠し持って、スイスのバーゼルに家族で逃避しようとします。
そして、そのまさに逃避する当日の2月13日に、彼の歴史的に有名な悲劇「ドレスデン空襲」が始まるのです。この空爆で、街の85%が破壊され、3万人とも15万人ともいわれる市民が亡くなりました。
この作品は、アメリカ映画ではなく、ドイツ映画なので、台詞もドイツ語で、ドイツ側からの視点で描かれています。戦争映画の多くはアメリカ製で、いつも正義の味方のアメリカが悪いドイツ人をやっつけるシーンばかり見せ付けられて辟易していたので、新鮮な気持ちになりました。
とはいえ、この映画では、殊更に、「悪いアメリカ人やイギリス人」を描いているわけではありません。何しろ、主人公は、ドイツ人の看護婦ですが、相手は「不正を糾弾する」イギリス人なのですから。

とにもかくにも、この映画で初めて見ましたが、アンナ役のフェリシスタ・ヴォールが美しかったこと!

「東京タワー」★★★★

ローマ

話題の映画「東京タワー、僕とオカンと時々オトン」を見てきました。

当初は見るつもりは全くありませんでした。何しろ、リリー・フランキーの原作は200万部の大ベストセラーらしいですし、既にテレビドラマ化され、舞台にもかかっている(いずれも見てましぇん)というのですから、大体の粗筋も、新聞の広告等で知っていました。まあ、半分はやっかみ、半分は敬遠で、「このブームが過ぎれば忘れ去られるでしょう」と静観の構えだったのです。

ところが、何の風の吹き回しか、今日は映画の日で、普段より安く見られます。想定していた映画が、時間帯が合わなくて、「ま、いいか」といった軽い気持ちで見ることにしたのです。正直、流行に乗り遅れてしまうという危機感もありましたが…。

しかし、本編が始まった途端、私自身はもうスクリーンの中にいました。また、懐かしい昭和三十年代を舞台にした物語が始まったからです。私もスクリーンの中の子供と同時進行で成長して、オダギリジョーになっていました。見ていない人には分からないかもしれませんが、オダギリジョーは、主人公のマー君役です。

半ばから、涙、涙で、スクリーンが霞んでしようがなかったのです。「たかが三文芝居、騙されないぞ」と思っても駄目でした。俳優陣の自然の演技には脱帽しました。オカンの若い時代が、現在のオカン役の樹木希林にそっくりな女優で、「随分、スタッフは、そっくりさんを見つけてくるものだなあ」と関心していたのですが、若きオカン役は、樹木の実の娘の内田也哉子だったのですね。内田の父親はロックンローラー内田裕也ですから、「自由人」のオトンにそっくりです。本当にはまり役でした。

映画館は、いわゆるシネコンで、「スパイダーマン」だの「バベル」などは満員のようでしたが、「東京タワー」は結構空いていました。両隣に誰もいなかったので、思い切り泣くことができました。

何と言っても、九州弁がよかとですたい。

能六百年

今日は久しぶりに「おつなセミナー」。

ゲストは横浜能楽堂副館長の中村雅之氏。能の六百年の歴史の概要を伺いました。メモ書きしますと…

「能」というのは江戸末期から明治にかけて定着したもとので、本来は神事の際に行われた「猿楽」が正式名称でした。これに農耕の際に行われた「田楽」結びついたといいいます。

寺社などで興行を行っていた「大和猿楽四座」が歴史的な流派になります。「観世」「宝生」「金春」「金剛」です。これに、江戸時代になって「喜多」が加わって、五流派となります。猿楽はそもそも、「翁」を最初に演目にして「五番立て」にして上演していました。従って、翁専属役者が、今で言う主役と興行権を兼ねていましたが、足利義満が、翁役者以外にも上演を許可したため、四流派が確立したといいます。

能といえば、歴史的に織田信長が最も庇護していたように思っていたのですが、実際の最大の庇護者は豊臣秀吉。朝鮮出兵の際の名護屋城にも能舞台を作っていたそうです。

能は、江戸になって、古典的な教養が必要とされる政治サロンになります。諸国大名が競って庇護者になり、高価な能面や能装束が作られます。城が作れる程、莫大な資金が能関係に費やされたようです。これらの高価な能面や能装束は、明治になって大名が没落すると、海外に流出します。米ボストン美術館やドイツのライプチッヒ美術館などにかなりの数が収蔵されているそうです。

能は古典的教養が必要とされるので、明治になって、足軽から成り上がりの教養のない伊藤博文や井上馨らには入り込む隙間がなかったそうです。

能の合間に上演される狂言は、大蔵流が主流です。かつては、観世流の専属の鷺流があったのですが、明治になって消滅したそうです。

現在、「金剛流」は京都で東京では千駄ヶ谷の国立能楽堂が本拠地。「金春流」は奈良で、同じく東京は国立能楽堂。「観世流」は、渋谷の松涛、「宝生流」は東京・水道橋、「喜多流」は、東京・目黒、「観世鉄仙会」は東京・表参道。

銀座にある金春通りは、江戸幕府が金春流の能役者らに屋敷を与えたところからその名が残っています。毎年、8月の第一土日に「金春祭り」があります。金春通りの道路上で、能が上演されるそうです。一度見に行ってみようかと思います。中心舞台は「金春湯」辺りです。金春通りには有名な高級寿司店「九兵衛」がありますね。

いずれにせよ、最近、能を見る機会がめっきり減っていました。古典的素養がなければ、ついていけないことは確かです。「能は敷居が高い」と言われても、そもそも、大名クラスしか見ることができなかった舞台でした。今のように民主主義の時代になって、誰でも見られることになったことは有り難いことですが、やはり、古典的素養の失った現代人は敬遠するようになりました。ですから、「能は敷居が高くてもいい」という論理も成り立つわけです。しかし、現代は大名ほど財力を持ったパトロンは稀で、偶に成り上がりが出てきても、「金儲けして悪いですか」と居直ったり、「金で買えないものはない」と豪語する輩ばかりで、文化や教養に投資しようという奇特な人間も出なくなりました。

要するに、文化は時代を反映するわけです。

 

「不都合な真実」★★★★

ローマ

アル・ゴア米元副大統領の映画「不都合な真実」を観てきました。

地球温暖化による影響を詳細なデータと学術論文を土台にして、大衆に分かりやすくスクリーンでゴア氏が、地球の「危機」を世界中の講演(全世界で1000回以上)で説明している様をそのまま映画化したもので、非常に衝撃的といえば、衝撃的です。あのヘミングウエイの「キリマンジャロの雪」が、このわずか20年で、あんなに溶けてなくなっていたとは知りませんでした。吐き気さえ催しました。

このまま温暖化が進めば、北極や南極の氷が溶け、モルディブやオランダをはじめ、中国の北京、上海、インドのボンベイ、東京の江東、墨田区などのゼロメートル地帯は海面の下に沈むことでしょう。あの「9・11」の舞台だったNYマンハッタンの世界貿易センターの跡地でさえ、海面下です。テロ対策と同時に地球温暖化対策が必要だと、ゴア氏は何度も力説しています。

この他、洪水や旱魃、人口の増加や、伝染病の蔓延などによる人類の破滅に近い有様が、まるで他人事のように淡々と描写されています。「50年後」と言われれば、そこまで、生きていない人にとっては、関係のない話なのかもしれませんが…。

そもそも、この映画を観たいと思ったのは、バスの中で、60代後半か70代の紳士、恐らく、単なるサラリーマンではなく、この年で現役で働く中小企業かどこかの取締役と思われる人が、この映画の話をしていたからです。

「温暖化なんていうと、温かくなって、有り難いなんて雰囲気がありますが、そんなもんじゃない。アル・ゴアは、地球の危機という言葉を使っていましたよ」と、恐らく、50年も経たなくても、遅かれ早かれ鬼籍に入られてしまうような老人が心配そうに話していたのです。

あ、映画を観なければいけないな、と老取締役の会話を聴いて、使命感を感じたのです。

ゴア氏は、環境問題に関しては、学生時代から興味を持っていたようです。その辺りは、映画の中で明らかにされています。

この映画は、政治家ゴア氏が主人公ですが、政治家不信の人のために、ゴア氏の息子が6歳の時に交通事故で重症を負った話や、父親が煙草の大農園の領主だったのですが、ゴア氏の実姉が煙草の吸いすぎで、肺がんで亡くなり、煙草農家を辞めた話などを盛り込んで、ちゃんと伏線を張っています。つまり、ゴア氏がなぜ環境問題に取り組むようになったのかというエピソードも盛り込まれているのです。

CO2の排出をこのまま続けていけば、地球は破滅してしまう。というのが、この映画の主眼だと思われますが、笑ってしまうのは、その主人公のゴア氏が映画の中で平気でCO2を排出する車を運転しているのです。ゴア氏は「いや、この車は、環境にやさしいハイブリッドカーだよ」と反論するかもしれませんが。

そうです。映画の中で明らかにされているように、一番の問題の一つは、京都議定書に調印していないアメリカとオーストラリアの存在なのです。市場原理主義、経済最優先の国の国民たちの、地球温暖化抑止のための意識がもう少し高まると、宇宙船地球丸の将来に明るい展望が開けるのです。

CO2を世界一排出する悪玉国家がアメリカなら、こういう映画を製作できるのは、その正反対の良心を持ったアメリカでしかないという現実。

もう、宣伝臭いなどと学生のような言い分がまかり通る時代は終わりました。

このままいけば、地球は破滅し、人生がどうのこうのといったお遊びをなくなってしまうのです。

皆、覚悟してこの映画を観るべきです。記者や評論家もちゃんと自腹を切って。

もう特権意識しかない鼻持ちならないマスコミだけが発言する時代は終わりました。良心を持った市民が発信する時代なのです。

【後記】

●「不都合な真実」は、アカデミー賞の「長編ドキュメンタリー賞」を受賞

●アル・ゴア氏、自宅で電力を浪費していることが判明。1年間のガス、電気代は3万ドル(350万円)とか

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070301-00000029-mai-int

 

「仮名手本忠臣蔵」観劇記

 ローマ

東京・銀座の歌舞伎座で通し狂言「仮名手本忠臣蔵」(並木千柳、三好松洛、竹田出雲作)を見てきました。昼夜通しだったので、かなりの出費を強いられましたが、行ってよかったと思います。菊五郎の塩冶判官と勘平、幸四郎と吉右衛門の大星由良之助、富十郎の高師直、魁春の顔世御前、梅玉の石堂右馬之丞と勘平と斧定九郎、玉三郎のお軽、仁左衛門の寺岡平右衛門…これ以上ないといわれるくらい当代一の役者が出揃っていました。

最近読んだ本で、やたらと「忠臣蔵」が登場してきたのです。

岡本綺堂の「半七捕物帳」の「勘平の死」では、商家の素人芝居の忠臣蔵の六段目で、真剣が使われる殺人事件が起き、半七が、その事件を解決していきます。「忠臣蔵の六段目」と言われれば、当時、つまり昭和初期の読者は、ほとんどの人が、すぐピンときたことでしょう。何度も何度も芝居で見ていたに違いません。しかし、現代人は余程の通しか、ピンとこないでしょう。(そういえば、月刊誌「演劇界」が休刊したらしいですね)

広瀬隆著「持丸長者」には、「忠臣蔵の真実」として次のようなことが書かれていました。

●赤穂浪士全員の切腹を上申したとされるのが、将軍綱吉の側用人・柳沢吉保お抱えの陪臣で儒学者の荻生徂来。元禄16年2月4日、大石内蔵助ら赤穂義士46人が切腹させられた。四十七士と言われていたのに、一人足りないのは、寺坂吉右衛門だけが、内蔵助から「後世に討ち入りを正しく伝えるために生き延びよ」と命じられ、義士の血盟から離れたため。

●吉良上野之介は、上杉鷹山の直系の玄孫で、柳沢吉保は武田信玄の末裔。これではまるで、上杉謙信と武田信玄の戦いの再現?浅野内匠之頭は、甲斐二十二万石領主・浅野長政の四代後の子孫。長政は豊臣秀吉の義兄弟で、佐渡、甲斐、信濃の金山を管理支配した。赤穂浪士切腹の翌年、柳沢吉保が甲府城の藩主となる。

●赤穂は入浜式塩田の技術を生み出し、日本の製塩業に革命を起こした。この入浜式塩田技術を教えろと吉良が浅野に求めて断られ、吉良家が赤穂に放った間諜も殺されて失敗。そこで、わざと吉良が赤穂藩召し上げを工作して、浅野を挑発する…。

こんな話を読めば、どうしても「忠臣蔵」を見たくなる、と思いませんか?

しかし、チケットを買う際は、まさに清水の舞台から飛び降りる心境でした。ちなみに、今は、ネットで簡単にチケットが買えるのです。座席が分かるので便利です。

実は、新橋の安売りチケットで探してみたのですが、定価かそれ以上の値段が付いていました。そういえば、手に入りにくい有名なコンサートや演劇のチケットは、軒並み定価の5倍くらいの値段が付いているのです。需要と供給の世界なのでしょうが、これでは、まるでダフ屋じゃないかと思いました。

ちなみに、2007年2月の物価を後世に残したいので、歌舞伎座の金額を書いときましょう。

観劇料

1等席 15、000円  1階桟敷席 17,000円  2等席 11,000円 3等A席 4,200円 3等B席 2,500円

幕見席 600円ー1、300円

食事

吉兆松花堂弁当 6,300円 オリエンタルカレー 700円  サンドイッチ 700円

コーヒー 300円

筋書き 1,200円

賢者とは?


賢者とは?
すべての人から学びうる人
強者とは?
自己の熱情を統御しうる人
富者とは?
自らの運命に満足を感じうる人
尊い人とは?
人間を尊ぶ人

ベン・ゾーマ

久しぶりの落語


上野の鈴本演芸場に久しぶりに行ってきました。
出演者は13人。4時間たっぷり聴いて、たったの2800円でしたから、今時、こんな安い娯楽もないでしょう。
テレビにはあまり出ない芸人で私も一人も知りませんでしたが、舞台で10年、20年、30年と鍛え上げられた芸達者な人ばかりで、感心してしまいました。本当は、単なるお笑いですから、頭で考えてはいけないんですけどね。

落語(金原亭伯楽ら)や漫才(ホームランほか)だけでなく、マジック(花島世津子)や都々逸(柳家紫文)もあり、バラエティーに富んでいました。
一番いいところで居眠りしてしまいましたが、ひさしぶりに浮き世の憂さを晴らすことができました。

今、落語がブームとやらで、雑誌も特集を組んだりしてます。私も早速、「サライ」を買ってしまいました。付録にCDも付いていました。

「それでもボクはやっていない」★★★★

ポンペイ

今、話題の映画「それでもボクはやっていない」を見に行ってきました。新聞記者如き、映画評論家風情とは違って、ちゃんと自腹でお金を払って見てきたので、奴らよりは説得力はあると思います。平日の午前中に某所で見たのですが、やけに人が多くて並んでいて、チケットを買うのに10分も並びました。不思議だなあ、と分からなかったのですが、後で、その映画館は毎週水曜日は「レディースデイ」で、女性のみ1000円で見られることが分かりました。道理で…。これ以上書くと、女性から顰蹙を買うので、止めておきます。私も女装していけばよかったと後悔しています。

さて、映画の話です。エンターテインメントでもハッピーエンドでもないので、現実の辛さを忘れて気晴らしで見たい人は止めた方がいいと思います。全く、身につまされる話です。粗筋については、これだけ、マスコミ等で情報が氾濫しているので、「痴漢冤罪事件」を扱った裁判映画とだけに留めておきますね。

普通、映画はシンデレラ・ストーリーにしろ、SFにしろ、現実には「ありえない」ことをテーマに取り上げるものです。ところが、周防正行監督は、これを逆手にとって、映画ではありえない、現実では「ありえる」ことを映画化したのです。(かなり長い間、取材し、実話を元に脚色されています)

ですから、本当に身につまされてしまうのです。夢も希望も理想もないのです。要するに現実にありえてしまうのですから。

役者も随分自然な演技をしていたので、まるでドキュメンタリーを見ているようでした。さすがに瀬戸朝香は女弁護士には見えませんでしたが、主人公の加瀬亮も、裁判官役の正名僕蔵も、「この人は痴漢ではありません」とかばったOL役の唯野未歩子も、被害者の女子中学生役の柳生みゆも、まるで演技をしているのではないような名演技でした。脚本を担当した周防監督には、説明口調の台詞が少なく、裁判所で暴言を吐いたり、現実でありえてしまうことばかりなので、感服してしまいました。

男性陣には「転ばぬ先の杖」として見て頂ければいいのではないでしょうか。ただ、面白半分に「ガハハ」と笑って、内容もすっかり忘れてしまうものだけが映画ではありませんから。

私も満員電車に乗るときは、せめて両手を挙げて降参のポーズをすることにします。