茂木久平という男

 

再び 「甘粕正彦」の話。同書には、実に多数の有名無名の人物が登場します。それだけに、巻末に索引があればなあ、と思います。

この中で、著者の佐野眞一氏が最も、思わさせぶりな書き方をしている人物の一人に、茂木久平という人がいます。甘粕に取り入って、満洲映画協会東京支社長になる人物です。

佐野氏はこう書きます。

”満洲の甘粕”の周辺には、右翼とも左翼ともつかない正体不明の男たちが数多く出入りした。茂木はいかがわしさという点で、その筆頭格にあげられる人物だった。”阿片王”といわれた里見甫の生涯を追ったノンフィクションを書いたとき、最後まで正体がつかめなかった人物が茂木久平だった。

それくらい、胡散臭そうな男なのです。

この茂木は、早稲田大学時代、後に作家となる尾崎士郎の親友で、尾崎の代表作「人生劇場」に登場する高見剛平のモデルなんだそうです。

売文社に出入りして、大杉栄や伊藤野枝の最初の夫である辻潤らに頻繁に会っているんですね。それでいて、左翼ではなく、周囲は誰も茂木のことを「右翼だった」と証言しているのです。

甘粕が仮出獄後、フランスに逃亡する際に「ばいかる丸」の船内で、茂木と甘粕は知り合うのですが、その辺りの詳細は同書を読んでください(笑)。

茂木に関して、桁外れの超弩級のエピソードが、あのレーニンから「日本に革命を起こす軍資金だ」と偽って5万円を騙し取ったという話です。5万円というのは、今では、1億5千万円という価値があります。その後、この数字は一人歩きして、300万円だったという説も出ています。今の貨幣価値でいうと、90億円だというのです。

嘘か誠かよく分かりませんが、昔の人は随分スケールが大きかったんですね。

「甘粕正彦 乱心の曠野」

 

佐野眞一著「甘粕正彦 乱心の曠野」(新潮社)を今、読んでいます。嬉しくなるほど面白い。読んでいる時間の間だけ、幸福に浸ることができます。

一つには、時代といい、人物といい、私自身が一番興味がある対象のせいかもしれません。甘粕といえば、関東大震災のドサクサにまぎれて、無政府主義者の大杉榮と、内縁の妻伊藤野枝、そして大杉の甥に当たる橘宗一君6歳を惨殺したとして知られる憲兵大尉です。残忍非人。情のかけらもない軍国主義者として歴史に名を残していますが、よくよく調べると、甘粕は情愛が深く、頭脳明晰で律儀で、結局、時の軍部幹部に利用されただけで、実際には本人は自ら手をかけていなかったのではないか、という話になりそうなのです。

週刊誌に連載されていた頃から興味深く読んでいましたが、大幅に加筆修正されており、このまま、読み進むのが本当にもったいないくらいなのです。

甘粕といえば、後に映画化されたベルナル・ベルトリッチ監督の「ラスト・エンペラー」で、坂本竜一がその役を演じていましたが、満洲や上海などで、時の中国政権転覆を謀る秘密諜報員、工作員として暗躍したと言われます。実際、甘粕は、大杉ら「主義者殺し」の犯人として服役後、特赦で、2年10ヶ月で無罪放免になった後、フランスに逃亡し、最後は満洲映画の理事長として活躍するのですが、真相が闇に葬られてしまったので、よく分からない部分が多く、そのせいか、さまざな憶測や飛躍的伝説が生まれてしまいました。

そういう意味で、この本は、甘粕を知る人に多く直接取材しており、これまでの甘粕像を覆すと言う意味で、かなり、かなり面白いのです。

この本については、また折に触れてみたいのですが、今日は、今まで読んだ箇所で面白かったことを書いてみます。

例えば、大杉とともに、惨殺された甥の橘宗一君は、大杉の妹あやめの子供だったのですが、大杉事件が「国際問題」に発展したのは、この宗一少年が、米国生まれで、アメリカと日本の二重国籍を持っていたため、あやめが、我が子が虐殺されたことを知って、アメリカ大使館に駆け込んで真相解明を求めたからだった、というのです。へーと思ってしまいました。この宗一少年は、1917年生まれ。先日会った「125歳まで生きる!」渡辺弥栄司さんも1917年生まれなので、「大杉事件」というのは、歴史に書かれるような遠い事件なのではなく、まさしく現代史、昨日のことだったんですね!

甘粕は、大杉栄一家殺しの首謀者として懲役10年の実刑判決を受けますが、わずか2年10ヶ月で恩赦により仮出獄します。

出獄は、隠密秘密で、緘口令どころか、国家機密として厳重に秘匿されます。

しかし、国民新聞と報知新聞が、極秘裏に出獄した甘粕氏とのインタビューを大スクープするのです。大正十五年十月二十一日のことです。

しかし、これが、とんでもない大誤報。スクープどころか、でっちあげの架空の捏造記事だったのです。

私自身は、朝日新聞による「伊藤律インタビュー」の架空会見(1950年9月27日)のことは、ジャーナリズムの汚点として、知っていましたが、(この辺りは、今西光男氏の著書「占領期の朝日新聞と戦争責任」に詳しい)、それを遡る四半世紀前に、ジャーナリズムの世界で、ありもしない架空インタビューがあったということをこの本で初めて知りました。

実際に、出獄後の甘粕をスクープ・単独インタビューしたのは、1926(大正15)年10月30日、東京朝日新聞社会部の岡見齊という記者で、山形県の川渡(かわたび)温泉「高友旅館」に潜んでいた甘粕をほとんど偶然に近い形で遭遇して、会見に成功しています。岡見記者は自分の4歳になる長男を連れて、新聞記者とは怪しまれないように湯治客として滞在するあたり、そこら辺の探偵小説なんかと比べて、はるかによくできた物語に仕上がっています。この辺りのスクープ合戦の内幕は、手に汗を握るほど面白い。

しかも、著者の佐野氏は、この朝日新聞の岡見記者まで興味を持って、その後の岡見氏の足跡まで調べているのです。面白いことに、岡見氏は、後に朝日新聞の満洲支局に転勤になり、当地で甘粕と再会しているんですよね。というより、律儀な甘粕が岡見記者にわざわざ会いに行っているようです。岡見氏は、その後病気で休職し、大阪本社記事審査部付時代に、甲子園沖で海水浴中に不慮の事故で亡くなっています。昭和17年8月3日。享年50歳。

佐野氏は、そこまで、調べているんですからね。感服してしまいます。

渡辺弥栄司先生にお会いしてきました

公開日時: 2008年6月13日 @ 11:29

 

「125歳まで、私は生きる」http://www.sonymagazines.jp/book/details.php?disp=200305&hinban=012011の渡辺弥栄司さんにお会いしてきました。

 

1917年生まれですから、今年91歳。驚くほど矍鑠としておられ、前向きで、プラス志向で、周囲に知恵と勇気と元気を与えてくれて、明るくしてくれる人でした。

人間ですから、山あり谷ありの人生で、それこそ、辛いことも苦しいこともあったことでしょう。しかし、渡辺さんの著書にもありましたが、愚痴ひとつこぼさないのです。

口から出る言葉も、前向きな言葉ばかりなのです。

「やりたいことがいっぱい。人生楽しくてしょうがない」

「夢と希望にあふれ、楽しくてしょうがない」

さすがに、55歳で英語資格試験TOEICを考案したり、65歳で司法試験に合格したりするバイタリティがある人でした。

確かに、渡辺さんは、東京帝大ー商工省と進む超エリートコースを歩んだ方なのですが、戦争も経験されていますし、49歳で退官した直後は、当初は無報酬で、日中経済交流のために尽力したりします。私はまだ読んでいませんが、城山三郎の「官僚たちの夏」という小説に、渡辺さんのモデルが登場するそうです。義を通す熱血漢の官僚として。

しかし、苦労話ひとつされないんですね。これには驚きました。

しかも、大変腰が低く、全然威張らない。

「人間、威張ったらおしまい。威張っていては進歩しませんよ」

ということで、91歳になるというのに、黒塗りのハイヤーの送り迎えを拒否して、今でも、満員電車で法律事務所まで通勤されているそうです。「真向法」という柔軟運動を朝晩続けているため、今でも体が柔らかいのです。背筋もピンと伸び、60歳代と言われても分かりません。

いやあ、世の中、こんなに志の高い気高い方がおられるとは…。

こういう人に会うことができただけでも、私自身、幸せを感じてしまいました。

「125歳まで、私は生きる!」

 

 

 

またまた、個人的ながら、どうも毎日、充実感に浸っているわけではありません。友人と会おうとしても、何度も都合が悪いと言って断られるし、相変わらず仕事も家庭もうまくいっているわけではなく、見えない壁と闘っています。良心とも闘っています。今年は私の人生で一番良運に恵まれている年のはずなのに、もう半分近く過ぎてしまった。焦燥感もあります。

 

自分は何て不幸なんだ、とジャリジャル砂を噛むような味気なさを感じながら、図書館に入りました。完璧にマイナス思考で、軽い鬱状態に近かったと思います。

 

すると、目の前に偶然「125歳まで、私は生きる!」(ソニー・マガジンズ)という本が飛び込んできました。著者は、渡辺弥栄司(わたなべ・やえじ)さんという方です。初めて名前を聞く人です。五年前に出版された本でした。

 

パラパラとページを捲っているうちに、引き込まれてしまい、ついに2時間ほどで、完読してしまいた。

この方は、すごい方です。現在91歳。東京帝国大学法学部から商工省(今の経済産業省)の高級役人となり、49歳で公務員をやめて、日中交流の架け橋になる民間団体の理事となって、国交回復の一翼を担い、60歳で125歳まで生きる決心を固め、英語能力テストのTOEICを考案し、65歳で司法試験に合格し、75歳で、中高年に笑顔を取り戻そうとビューティフル・エイジング協会(BAA)を設立した人なのでした。

単に口だけで、125歳まで生きるというのは簡単です。しかし、渡辺氏は、そのために、真っ向法という柔軟運動を朝晩行い、毎日30分以上ウオーキングも欠かしません。剣道は7段の腕前で、ゴルフも玄人はだしで、エイジシューターを目指しています。まさに文武両道です。

125歳まで生きて、何をするのかー。その答えも明確です。「世のため、人のために尽くす」というのです。そのために、独立して生計を立てるために、65歳で弁護士の資格を得るのです。

こんなすごい人はいないでしょう?

是非、会いたくなりました。

そこで、通訳仲間のUさんが、TOEICに勤めていたことを思い出し、仲介を取ってもらいました。

最終的には明日会えることになったのですが、Uさんからはメールで、「我々スタッフには雲の上の存在です。
朋之介さんに今更申し上げる必要はありませんが、失礼のないようにご配慮をお願い申し上げます」と釘を刺されてしまいました。
「私はそんな無礼な人間なのかなあ。そこまで言われなければいけないのかなあ」と数日間、不愉快でムッとしてしまいました。Uさんはまだ若いし、恐らく、言葉の使い方を知らない人なのだと斟酌し、これからお会いする渡辺氏とは、一切関係ない話なのだと気を取り直すことにしました。

渡辺氏と会見した時の印象は、また次回で!

「日本の10大新宗教」

2008年5月26日

島田裕巳著「日本の10大新宗教」(幻冬舎新書)を読んでいます。

 

著者は、例のオウム事件でミソを付けて大学教授の職を失い、その後、紆余曲折があったようですが、最近、元の宗教学者として再び活躍されているようです。

 

まだ、途中なのですが、さすがにオウムは扱っていないようですね。天理教、大本教、生長の家、創価学会など、多くの資料・史料に当たって、わりと、公正中立に書かれていると思います。

 

著者は「はじめに」でこう言います。

「明治に入って、宗教という概念が欧米から導入され、神道と仏教とが二つの宗教に分離されたにもかかわらず、 日本人は、片方の宗教を選択できなかったため、自分たちを無宗教と考えるようになった。」

 

「そうだったなのかあー!」と思ってしまいました。そうでなければ、今の日本で、何千万人といる新宗教の信者を説明できませんからね。

もともと、日本人は、神仏習合で、神社にも仏閣にも区別なくお参りし、路傍のお地蔵さんにまで、手を合わせて「挨拶」する慈悲深い民族でした。それが、明治維新の革命政権が、「もう、おまえたちは、国家神道だけを信じろ」と言って、「廃仏毀釈」を断行しました。その一方で、庶民らは相変わらずお葬式だけは、仏式で挙行してきたわけで、感情的にどっちつかずになってしまったのは、致し方ないことかもしれません。

ただ、「無宗教」と考えながら、やはり、ご先祖さまの血から、神社に初詣に行ったり、葬式に参加したりするということは、現代人が思っているほど、日本人は無宗教ではないのかもしれません。

新宗教といえば、いつも、功罪の「罪」の方ばかり強調されてきましたが、ある程度の「功」がなければ、信者を獲得してこなかったでしょう。

 

私自身は、もう今さら特定の宗教団体に入るつもりはないのですが、安心立命を願う人々の気持ちはよく分かります。

でも、この本を読んで、失礼ながら、随分いい加減ないかがわしい宗教があるものだと分かりました。「鰯の頭も信心から」という諺があるくらいですから、他人がどうこう言う話ではないのですが、カラクリが分かってしまえば、団体に入会して「無我の境地」に達することは難しいということです。

「ほんとうの環境問題」

養老孟司氏との対談「ほんとうの環境問題」http://www.shinchosha.co.jp/books/html/423104.htmlを上梓した早稲田大学の池田清彦教授が昨晩、ラジオに出演していましたが、非常に興味深かったです。

残念ながら、メモをしないで、聞き流していたので、正確なことは書けませんが、今の「環境問題」にはかなり、政治的な恣意的な戦略がある、というのが氏の大方の見解でした。

例えば、石油に代わる代替エネルギーとして、トウモロコシなの穀物から取ったバイオエネルギーが注目されていますが、これは、アメリカの余った穀物の価格を維持し、相場を上げるという国家的戦略なのではないか、とか、地球温暖化の元凶として二酸化炭素(CO2)の排出ばかり問題にされているが、CO2の排出を下げるために投入する税金はそれほど効果があるとは思えず、例えば、ツバル諸島に堤防を作る費用に充てた方がいいのではないか、などといったことを提言していました。

同書によると、地球温暖化論というのは、1988年にジェームス・ハンソンという人が言い出したのがきっかけだそうです。

先頃、ホッキョクグマが絶滅危惧種に指定されましたが、それは、地球温暖化で、北極の氷が解けて、ホッキョクグマが溺れてしまい、食べ物もなくなってしまう、という説が背景にありますが、池田教授によると、今から12万年前にホッキョクグマの化石が見つかったそうで、12万年前も今より、4度ほど気温が高かったそうです。

ということは、騒がれている地球温暖化が起きて、環境が変化してもホッキョクグマは、ヒグマのように鮭を食べたりして、何とか生き延びるのではないか、というのが池田教授の主張でした。

CO2排出問題にしても、原発を推進するグループによる陰謀説すらあるぐらいです。「石油は駄目だ。原発ならCO2を出さないから安心ですよ」というわけです。

 

環境問題を声高に叫ぶ人々に限って、大量のエネルギーを消費し、タクシーやエレベーターは乗り放題。まるで、「省エネ、節電は庶民の仕事。我々は免罪符を持っています」と言いたげです。

いずれにせよ、一口に環境問題といっても、根が深い問題であることは確かなのです。

梅田望夫「ウエッブ時代をゆく」

 2008年5月10日

梅田望夫著「ウエッブ時代をゆくーいかに働き、いかに学ぶか」(ちくま新書)を読んでいます。

以前、作家の平野啓一郎氏と対談したものをまとめた彼の「ウエッブ人間論」については、私のブログで紹介したことがあります。目から鱗が落ちるような、コペルニクス的転回を味わされるような書物でした。

今や、梅田氏は、現代ネット界のメンター、もしくは教祖だと断言していいでしょう。

 

で、正直に告白しますと、4月29日付で書いた「性善説」は、実は、この梅田氏がお奨めになっていたソーシャルネットワークだったのです。私は、彼のことを本を通してだけなのですが、信頼していたので、早速登録してみました。

 

でも、途中でよく分からない部分があったので、彼に質問してみました。彼も当然、このネットワークに登録していたからです。

あれから10日以上経ちましたが、彼から何の返事もありませんね。

 

彼ほど有名になると、一日に数千通のメールが来ることでしょう。それらに一々に答える暇はないという状況は推測されます。

 

彼は非常にネットに関しては楽観的にとらえておられますが、下々は、もしくは彼の興味範疇以外は黙殺という大前提があるようです。

 

はた、と思ったのですが、「天下国家」を論じるような輩の人々は同じような傾向があります。普段は一般市民でも、いったん、愛国心や、国家観などに火がつくと、自分がまるで、オリンピック選手に選ばれたかのように錯覚して、国家の代表者のような顔になります。

 

しかし、そういう輩に限って、細部の詰めに甘いのですね。細心の注意に欠けるのです。「神は細部に宿りたもふ」という格言を知らないか、忘れているのです。

 

まさか、梅田氏は、私のような無名な人間が、あなたのことを堂々と書かれているとは思いも寄らないでしょうね。

 

彼(1960年生まれ)は、若い人に向かって、3つの教訓を訓示されておられます。

 

その中で、1つだけ、私が気に入ったので、ご紹介しますが、

●自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対に諦めない

 

という言葉がありました。

 

これだけは、(いや、他にもありましたが)心底同感する言葉なので、私のブログに再録させてもらいました。

 

●自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対に諦めない

 

これは、非常に大切です。どんなに、親友に裏切られようが、上司に理不尽なことを押し付けられようが、後輩に馬鹿にされて出し抜かれようが、家族に相手にされずに蔑まれようが、孤立して辛酸を嘗めようが、最期に残るのはこの言葉のみです。

 

まあ、私個人の体験からですが。

文明の行方

 

「世界」4月号と5月号に連載されていた松井孝典東大大学院教授と松本健一麗澤大教授による対談「維新か、革命か」は非常に刺激的で深く考えさせられる内容でした。ある意味で、昨日書いた靖国問題にも通底するような論考でした。このお二人は、現代日本を代表する科学者と思想家だと私は思っています。

 

ちょっと、自分のメモのためにまとめてみたいと思います。二人の意見は必ずしも全て一致していたわけではありませんが、一々区別することなく、あくまでも自分の備忘録として書くだけです。ですから、皆さんは直接、文献に当たられるのがいいと思います。

人間圏の文明は、大きく3つ分けられる。

1、西洋近代文明

・外に進出する駆動力を持ったストック依存型⇒蒸気船、大砲、電信機、国際法を持つ

・「石の文明」、牧畜⇒移動し、外に拡大してテリトリーを広げないと生きていけない

・近代科学が発達

・リベラルな民主主義、植民地・帝国主義

…環境問題で、やがて破綻

2、アジア文明

・内部に駆動力を持たないフロー依存型⇒貯蓄率が高い

・「泥の文明」(土壌の生産性が高い)、農耕⇒農地相続は長男だけなので、それ以外の子供は教育によって自立させるために教育水準が非常に高い

・本草学(何が毒で何が食用か区別する)が発達

・「なぜ人間は存在するのか」を問うインド哲学

・アジア文明が西洋近代文明に遅れていたわけではない。紙も火薬も活版印刷も中国で発明

3、イスラム文明

・外に進出せず、内に蓄積しないネットワーク型

・「砂の文明」、遊牧、交易

・天文学、数学が発達

【現状】

・竹中平蔵が、日本的会社資本主義を壊して、株主だけのための短期的利益をあげるアメリカ型株主資本主義を導入。

・規制緩和や法人税減税など、儲けられる人間がより儲けていくという新自由主義、市場原理主義を導入

⇒郵便局がなくなり、農村の小規模経営の小農は崩壊。混沌と無秩序

・コーヒー豆は、南米産でもアフリカ産でも、「ヤコブ」と「ネイキ」という2つの会社に支配され、価格も決定されている。

・コメの消費量は、日本は1960年代から40年で半分。韓国は70年代から30年で3分の1に減少し、農業が危機的状況に。

【今後】

・人間圏のユニットは国家(共同幻想で、擬制とはいえ、国土・国民・国家主権という要素を持ち、人々の帰属性をはっきりさせ、大きな求心力を持つ)だが、インターネットが発達したおかげで、個人をユニットとしたシステムが発達するようになる⇒国家主義の崩壊?

・自然と人間が共生するアジアの哲学や宗教で、右肩上がりではない循環系の文明を再構築できるのではないか?

何が「大人の見識」なのか?

公開日時: 2008年5月4日 

タイトルに魅かれて阿川弘之著「大人の見識」(新潮新書)を読み始めたのですが、結局、何が大人の見識なのか分からず仕舞いで読了してしまいました。

 

昨日の映画「フィクサー」に続いて、どうもしっくり来ない作品に遭ってしまいました。どんな作品にでも、大抵は、何か、面白いことや教訓をつかむことができて、その作品を選んだ自分の「鑑識眼」については大いに自信を持っていたのですが、ちょっと自信をなくしてしまいました。残り少ない人生なのですから、あまり時間を無駄にしたくないものです。

 

「大人の見識」の最初のところで、日本人の国民性について、「何かあるとわっと騒ぎ立ち、しばらくするときれいさっぱり忘れてしまう。熱しやすく、冷めやすい。」と書かれていて、「うーん、なるほど、その通りだなあ」と読みすすめていったのですが、著者の根幹なる見識がなかなか出てきません。東條の悪口を言ったり、海軍や英国のユーモアを褒めたり、共産主義の悪を盛んに強調したりしますが、「で、結局、今の時代に相応しい大人の見識とは何か」については、一つも答えてくれていないのです。

 

本人はもちろん、答えているつもりなのでしょうが、読者に伝わってこないんですね。これは、著者が原稿用紙に字を埋めたのではなく、「聞き書き」だったからなのかもしれません。

「あまり時間を無駄にしたくない」と書いておきながら、こんな駄文を読んでくださっている皆さんの時間を無駄にしているのかもしれませんね(苦笑)。

エリック・クラプトン その壮絶な人生

 

「エリック・クラプトン自伝」を読んでいます。

何という凄まじい、まさに壮絶な半生なのでしょう。栄光と挫折。これほど、天国と地獄を行ったり来たりしている人生を送っている人は、私は過分にして知りません。

色んな見方があるかもしれませんが、クラプトンはとんでもない人ですね。複雑な経緯でこの世に生を受けたことは以前に書きましたが、この事実がトラウマになっているのか、アダルトチルドレンになっているのか知りませんが、普通の人では考えられないジェット・コースターのような人生を自ら選んで生きています。

何しろ、若い頃は定住先さえなく、ボヘミアンのような生活で、音楽以外は、女性と関係を持っているか、薬物かアルコールに浸っているかのいずれかなんですからね。恋人、愛人、いきずりの女性は数知れず。周囲に気に入ったと思えば、女もスーパースターが相手なので、拒絶する者は一人もおらず、登場する女性も8人くらい数えていて、あまりにも多いので、途中で馬鹿らしくて数えるのをやめてしまいました。

色んな薬物に手を出して、有名なアルバム録音や公演の最中でもやっていたことを告白しています。薬物から立ち直ったと思えば、今度はアルコール中毒です。米国のミネアポリス州にある有名な更生施設に二度も入らなければ、回復できないほど問題を抱えていました。

今、読んでいるところははもう終盤ですが、イタリア人のファッションモデルの愛人が儲けた息子が、ニューヨークの高層ビルから転落死するという事故に遭遇して、意気消沈する場面です。

波乱万丈なんていう生易しい言葉では片付かない複雑怪奇な半生です。

 

ちなみに、私が一番興味をもっていた、ジョーズ・ハリスンの妻だったパティを奪う事件についてのプラプトンの当時の感慨が素直に表現されていました。

「私がパティを手に入れたかったのは、彼女が、立派な車から輝かしい経歴、美人の妻まで、欲しいものをすべて持っているように私が見える(ジョージ・ハリスンという)力のある男のものだったからでもあった。」(少し文章を変えました)

と言うのです。

クラプトンは結局、パティと結婚しますが、手に入った途端に醒めてしまい、相変わらず同時並行して複数の女性と付き合い、アルコール中毒は深刻化し、結婚生活もうまくいくわけがなく、ほどなくして破局してしまいます。(以前ゴシップ記事で、クラプトンがパティと別れたのは、クラプトンの激しいDVによるもの、と書かれていましたが、クラプトン自身は全く暴力問題については書いていませんでした。「自伝」の限界でしょう。)

「ギターの神様」「ロック界のスーパースター」という肩書きがなければ、単なるアル中か色情魔です。その辺りを包み隠さず、淡々と正直に告白しているところがすごいです。

私が、クラプトンを知ったのは、クリームのメンバーの一員として「ホワイトルーム」がヒットした頃ですから、1967年か68年の頃です。もう40年も昔のことです。その後の活躍について、ほとんど知っていますし、アルバムもかなり持っているので、あの曲を出した時にこういう精神状態だったのか、と手に取るように分かりますが、クラプトンを一曲も知らない人にはちょっと読んでも分かりずらいでしょうね。

それに、何度も言いますが訳文がひどすぎます。日本語になっていない箇所が何度もあり、これも途中で腹が立ってマークすることをやめました。

これは、単なる一人のミュージッシャンの自伝というだけではなく、当時の時代を反映した歴史的証言だと思います。それには、もう少し、訳注を増やしたり、日本語版用に中見出しをもうけたりして、クラプトンをそれ程知らない人でも、もっと読みやすくした方がいいのではないかと思いました。これは訳者というより、編集者の怠慢です。

こんな本では歴史的価値がある資料としては残らないのが、残念です。(原文は別ですが)

「随分高いなあ」と思いつつ、2940円も出して買った本なので、少しぐらい意見を言ってもいいと思い、私の真情を吐露しました。