エリック・クラプトン自伝

 

神田の神保町まで行ってきました。

「エリック・クラプトン自伝」(イースト・プレス)が欲しかったからです。最近、「街の本屋さん」がどんどん消えています。銀座の旭屋書店でさえ、創業42年で銀座の一等地から撤退して店をたたむそうで、悲しい限りです。とにかく、新刊でも欲しい本がある時は、大型書店にまで足を運ばなければならなくなってしまいました。

クラプトン自伝の話でした。まだ読み始めたばかりですが、「自伝」と称しながら、かなり、インテリジェンスの高いゴーストライターがいるようです。翻訳がもう少しこなれていたらなあ、と残念に思いますが、彼の言いたいことは十分伝わります。

クラプトンはよく知られているように、15歳の女の子と英国に駐留した妻子のあるカナダ人空軍兵士との間で私生児として、1945年3月30日にイギリス南部のリプリーという小さな町で生まれています。祖父と祖母を両親として呼ぶように育てられ、結婚した母親からは「おかあさん」と呼ぶことを拒否され、心に傷を負って多感な青春時代を過します。

その後、ヤードバーズ、クリーム等ロックの歴史に名を残す世紀のバンドに参加して世界的な名声を得るのですが、親友ジョージ・ハリスン夫人強奪事件、薬物・アルコール中毒事件、息子の転落死事故など、私生活では散々な辛酸を嘗めたことでも知られています。その度に「レイラ」や「ティアーズ・イン・ヘヴン」などの名曲も生み出しています。

56歳で再婚して今ややっと平穏の暮らしを送っているようですが、過去の事件に際して、彼がどのような気持ちだったのか、悪趣味ですが、ちょっと知りたいと思って、買ってしまいました。

ちなみに、私の好きなジョン・レノンに関しては「その後の人生でジョンのことが分かるようになってきたので、友人だとは思っているが、とんでもないことをやりかねない彼にはいつも目を光らせていた」と述懐していました。

この本のことについては、また次の機会で。

問題は解決しなくてもいい

 

 

 

最近、鋭いコメントが多く寄せられるので、そっちの方にお返事書いていると、本文に書く元気が少なくなっていてしまっています(笑)しかし、本当に有り難いことです。

 

壁にぶつかった時、自分の思い通りにならない時に、目を通すようにしている一冊の本が私にはあります。

津留晃一著「多くの人が、この本で変わった。」(英光舎)という変わったタイトルの本です。北海道に住んでいた頃に知り合った平里さんから紹介されました。市販されていないと思います。ご興味のある方はネットで検索すれば出てくると思います。(でも、このサイトは何でも売らんかな精神に満ち溢れ、商売商売しているところが好きになれませんが)著者の津留さんは、8年前に54歳で亡くなっています。

彼は宗教家でも何でもありません。社員300人を抱えるベンチャー企業の旗手として時代の寵児になったものの、バブル崩壊で会社が倒産して、その体験を機に内面世界の探求を始めた、と略歴にあります。

この本はどこのページから捲っても「金言」が出てきます。

例えば、

●人は自分が信じている世界を見ている。あなたの現実はあなたの選択の結果にすぎない。

●ある考え方が正しいか否かの判断には、どんな意味もありません。あなたの選択した考え方が、あなたの真実となっていきます。

●私も含めて人はみんな意地悪です。意地悪でもいいじゃないですか。どうぞ、意地悪な自分を許してあげてください。

●もう二度と誰かの犠牲になりたくないのであれば、ことは簡単です。あなたの周りで起こるすべてに責任を取ることです。

●あなたが承諾していないことは、決して起こりません。

●問題を解決しなくてもいい。「自分はどうありたいか」、ありたい自分でいればいい。

これらの言葉に励まされつつ、私は、他人様にご迷惑をお掛けしないよう、木偶の棒のように生き続けています。

「編集者 国木田独歩の時代」は本当に面白い

公開日時: 2008年4月11日

黒岩比佐子著「編集者 国木田独歩の時代」(角川選書)は、タイトルはダサい(失礼!)のですが、実に実に面白い。もう二週間もダラダラと読んでいますが、それは、あまりにも面白くて、読了したくないからなんです。下手な推理小説を読むより、ずっと、面白い。「え?そうだったの?」といった意外な事実が次々と明かされ、著者の力量には本当に感心してしまいます。

 

国木田独歩といえば、個人的には随分小さい頃から馴染みの作家でした。10歳くらいの頃、誕生日プレゼントか何かで親が、確かポプラ社が出ていた「武蔵野を」買ってくれたのです。でも、親は私のことを神童と思ったんですかね。いくら文学史に残る名文とはいえ、如何せん10歳の頭ではとても理解できませんでした。

 

それでも、その本の中にあった「牛肉と馬鈴薯」や「源叔父」「忘れえぬ人々」「画の悲しみ」などを何回も愛読したものです。実は、私のプロフィールにある「非凡なる凡人」は彼の作品のタイトルです。

 

ですから、国木田独歩については、彼はもともと新聞記者で、日清戦争の従軍記者だったことや、今も残る「婦人画報」の名編集長だったということぐらいは知っていました。

でも、この本を読むと実によく調べていますね。著者の黒岩さんは、「古本収集」が趣味らしく、これまでの学者や研究者が発表したことがない本当に驚きべき事実を、執拗な探偵の目になって調べ上げてしまうのです。本当に感服してしまいました。独歩は、小説家として食べていけず、むしろジャーナリストとして生計を立てていたという話も初めて知りました。

 

まず、自然主義作家の田山花袋や民俗学者の柳田国男とは大の親友だったことは知りませんでしたね。先輩の徳富蘇峰からは「国民之友」に招聘されて新聞記者となり、「経国美談」で知られる矢野龍渓からは彼が社長を務める出版社の編集長に採用されます。出版社はその後「独歩社」として独立し、最後は経営難で破綻しますが、最後まで独歩を見捨てずに残った編集者に、後に歌人として名をなす窪田空穂がいます。画家の小杉未醒がいます。独歩亡き後、「婦人画報」などの発行を受け継いだのは鷹見思水ですが、彼の曽祖父は、何と鷹見泉石だったのです。幕末の洋学者。渡辺崋山が描いた「鷹見泉石像」は国宝になっていますね。

意外にも22歳の若き永井荷風は、当時鎌倉に住んでいた独歩に会いに行っているんですね。

独歩の最初の妻の佐々木信子の従姉が相馬黒光(本名良)で、夫の愛蔵とともに新宿中村屋を創業した人です。多くの芸術家を支援し、亡命中のインド人革命家ラス・ビハリ・ボースを匿ったことでも有名です。そして、有島武郎の名作「或る女」のヒロイン葉子は何と、この信子がモデルだったのです!

こんな話は序の口です。独歩はわずか37年の生涯でしたが、これほど多くの友人知人に恵まれていたとは知りませんでした。

当時の文壇サロンというか、明治の雰囲気が手に取るように分かります。これは本当に面白い本です。

語学取得に近道なし

 

 

 

苫米地英人著「頭の回転が50倍速くなる脳の作り方」(フォレスト出版)を読んでみました。

資格試験、語学試験、就職試験、入学試験、昇格試験などに「短時間」「最速」で合格したり、目標を達成するテクニックを伝授しますーというのですから、読まずにいられませんでした。著者は1959年生まれで、米国のカーネギーメロン大学で博士号を取得した「ドクター」です。

 

それで、やはり、私見なのですが、「そんなものはない」ということを私自身が発見したということでしょうか。著者の思わせぶりな書き方で、できそうな錯覚にはなりますが、結局、その「科学的手法」についても、具体的にイメージさえ湧かないのです。要するに、残念ながら、著者は私のような読者を説得できていないんですね。あらゆる方向からの反論を予想して書いてくださいとまでは、言いませんが、その「科学的手法」の一歩手前の入り口で立ち往生させられたような読後感でした。

 

少し参考になったのは、頭を鍛えただけでは頭はよくならない。新しい脳をつくることが大切だという話です。例えば、語学なら、「古い」脳の中にインプットするのではなく、新しく「語学脳」を作ってしまい、そこに、朝から晩までDVDを原語で見て聴いて、叩き込んでしまう。そうすると、今まで何を言っているのか聞き取れなかったのに、ある日、フト、その語学がそのまま理解できるというのです。

よく「寝ながらにして」「聴くだけで」語学をマスターしてしまうというCDやテープを発売している広告を見ることがあります。私なんか、そんな簡単にできるかなあ、と思ってしまいます。語学修得にはやはり、毎日毎日、集中して愚直に、せっせと暗記するしかないんじゃないか、王道はないと自分の経験から思ってしまいます。苫米地氏は「丸暗記はダメ」と力説していますが…。

ただ新しく「語学脳」を作ってしまう、という「意見」には賛成です。私自身、学生時代にフランス語を専攻しましたが、当時は実験的な「クレディフ」という教育法で、学生に文字を見せず、スライドの映像を見せて、耳からフランス語を修得させるというやり方でした。細かい内容は忘れましたが、若いピエールとミレーユが出会い、色んなことに遭遇する話です。最初、二人は相手に対して Vous という他人行儀の言葉遣いでしたが、親しくなるうちに Tu という友人や恋人同士などが使う言葉に変化していく微妙な流れが分かるまでうまく作られていました。

 

その授業のクラスでは、学生は意味を取る前に赤ん坊のように口真似させられるだけです。どういうスペルになるのかも初めは見せません。文法も教えません。耳から、音からだけで、修得させるようにするのです。

大学生ともなると、生意気盛りですから、今さら赤ん坊のように口真似するのに抵抗感を持つ学友も多かったのですが、私自身はこのメソッドが一番良いと思います。おかげさまで、苫米地氏の言葉を借りれば、「フランス語脳」という基礎ができて、 ‘ Vous avez mal? ‘ (痛いですか?)とか ‘ Nous n’avons pas de la chance,  ce soir ‘(今晩はついてなかったなあ)といったフレーズは今でも忘れることがありません。

今、気付いたのですが、音は覚えているのですが、スペルについては自信がないんですよね。つまり、文字から入ってこなかったからです。これは、ネイティブと同じ語学取得法です。アメリカ人にしろ、フランス人にしろ、日本人から見て驚くほど、スペリングが苦手な人がいます。

 

翻って、日本語の場合は文字から入りますね。同音異義語が多いからです。ようこさん、と言っても「洋子」「陽子」「瑤子」「容子」「庸子」…と沢山いますから、「どういう漢字を書きますか?」と相手に聞き返します。

これが欧米語と日本語の大きな違いです。だから、日本人はなかなか語学をマスターできないのではないでしょうか。

男と女のたたずまい

 

 

 

昨日の「映画『靖国』が見たい」は意外にも反応がありましたね。

ただ、筆者としましては、この事件を「政争の具」にはしたくはないんですよね。

私は、どちらかと言えば、天邪鬼のミザントロープで、政治的人間ではないからです。

まあ、単なるディレッタントなだけなのです。高田純次さん扮する「テキトーないい加減な人間」(本人はかなり計算高くキャラクター作りをしているのでしょうが)に憧れています。

「無責任男」植木等は、実は住職の息子で本当はインテリのミュージッシャンなのに、「無責任男」を演じていていましたからね。

ただ、純粋に映画「靖国」が見たいと叫んでいるだけで、こんな小さな声が広がればいいと思っているのです。ということは、これは政治運動になるのかもしれません。いやあ、随分、矛盾していますが…。

さて、先日、友人の戸沢君から薦められた嵐山光三郎氏著「妻との修復」(講談社現代新書)を読んでいます。これまた、意外にも面白いですね。知らなかった逸話がたくさん出てきます。

例えば、「『いき』の構造」で知られる九鬼周造は、明治の美術界のドン岡倉天心と、アメリカ公使・九鬼隆一の妻初子との間にできた子供ではないかという疑惑が書かれています。驚きましたね。天心の奥さんの大岡もと子は、大岡越前の末裔だったそうですね。これも驚き。九鬼初子は、京都祇園の芸者だったようです。

作家武者小路実篤は、インタビューに来た大阪毎日新聞記者の真杉静枝と情交を結びますが、これは「喧嘩両成敗」。静枝の方が友人に「ムシャさんをものにしてみせる」と豪語していたというのですから。ムシャさんの方も一生懸命に励みながら「人の幸福のために役立とうとする女にならなければいけません」と人道主義を説くのを忘れなかったそうです。

 

嵐山氏は、【教訓】として、「不倫しつつも愛人に『人の道』を説く余裕がなくてはいけない。反省するのが一番健康によくない」と書いています。これには爆笑してしまいました。

 

このほか、野口英世が米国人の奥さんと結婚していたとは知りませんでした。もっとも、奥さんになったメリーさんは、はすっぱな酔っ払い女でニューヨークの下町で働いている時に、酒場で野口と知り合ったらしく、かなりの浪費家で野口の全財産を湯水のように浪費してしまったそうです。

 

一方の野口についても、偉人伝に書かれているような立派な人ではなく、友人や先輩らを利用するだけ利用して借金を踏み倒して米国に逃れ、うまく立ち回って、秀才にありがちな計算高い性格だった。メリーと結婚したことは野口英世、一世の大失敗だった、と書かれています。

 

ここには、有名無名を問わず、古今東西の男と女のたたずまいが描かれ、今トラブルを抱えている人にとっては、ある意味で精神安定剤になりますよ。

嵐山光三郎「妻との修復」

公開日時: 2008年3月31日

旧友の戸沢君は、奥さんと娘さん二人の四人家族なのですが、絵に描いたような不幸な家族です。もう何年も前から「家庭内別居」で、お互いの親戚の冠婚葬祭にも出席しない。高校生の娘さん二人はぐれて、出奔し、もはや崩壊状態。それでも、離婚しないんですから不思議です。

 

そんな彼と飲むといつも彼の家庭と仕事の愚痴を聞いてあげるのが私の役目になってしまいました。彼は、最近、「やっと、俺の真情を言葉にしてくれた人が出てきたよ。お前も読め」と奨められたのが、嵐山光三郎著「妻との修復」(講談社現代新書)です。どうやら、彼が私淑する作家のAさんから、急に講談社のPR誌「本」が送られてきて、そこには何の手紙も添えられず、黙って、嵐山氏の書いた「妻との修復」のエッセイに栞が挟まっていたらしいのです。

 

何気なく読むとそれがずば抜けて面白い。で、つい、本を買ってしまったというのです。

 

「妻との修復」には、古今東西の男と女が夫婦になったり、修羅場を迎えたり、別れたりして、どうやって先達がこれらの難局を切り抜けたか、「処方箋」が書かれているというのです。

「どれほどかわいらしい娘でも、結婚して7年経つとおばさんになる。14年経つと妖怪となり、21年経つと鬼婆になり、28年で超獣となって、それ以上経つと手の付けられない神様となり、これを俗にカミさんという。

結婚前はいじらしく、弱々しく、虫も殺さないようなお嬢様が、7年周期で化けていく。

死んでから財産や貯金を残さないおやじは貧乏神とバカにされて、線香の1本もあげて貰えず、墓参りにもされずに、やがて無縁仏になる」

 

「このフレーズは100%正しい。人生の真理だよ。おまえには分かるかなあ」と戸沢君。

「『戦争と平和』などを書いたトルストイはロシアの伯爵家に生まれた。私有財産の否定の考えに基づいて、土地や貯金の全財産を妻に譲り、著作権を放棄しようと考えたが妻に反対された。

妻との不和に苦しんだトルストイは、80歳を過ぎてから家出をして、田舎の寂しい駅で死んだ。

トルストイの死を知らされた妻ソーフィアは『48年間連れ添いましたが、夫がどういう人間だったのかは分からず仕舞いでした』と言った。

これはほとんどの妻が同じことを考えているはずで、どれほど長く暮らしていても、妻は夫を理解しない。妻は自分のことだけ考え、自分を補助するために夫を飼育する。妻の幸福に禍いをなす夫は排斥される」

「な、な、な、これ、俺のこと書いているんだよ。『所詮夫婦は赤の他人同士。薄皮一枚でつながっているだけ』というのも真理だなあ。嵐山光三郎なんて、あまり読んだことなかったけど、これは絶対名著だよ。彼はすごい。素晴らしい」とべた褒めの戸沢君。

このブログは、かなり多くの女性の方が読まれていると思いますので、お断りしておきますが、これは、あくまでも戸沢君の意見ですからね。

でも、私も興味をそそられましたので、読んでみようかなあと思っています(笑)。

「占領期の朝日新聞と戦争責任」を読んで

公開日時: 2008年3月25日 

今西光男著「占領期の朝日新聞と戦争責任」(朝日新聞社)を読了しました。同氏の「新聞 資本と経営の昭和史」の続編で、非常に微に入り細に入り、徹底的に資料に当たって調べ尽くされ、読むのに一週間もかかってしまいました。

朝日新聞という日本を代表する一新聞社の社史に近い話ではありますが、日本の歴史の中で空前、絶後がどうかは知りませんが激動の戦中、戦後の占領混乱期にスポットを当てられたノンフィクションで、そのあたりの歴史に興味がある人なら、面白くてたまらないでしょう。

「占領期の朝日新聞と戦争責任」では、GHQの政略で、はじめは軍国主義者、超国家主義者の戦争責任を追及するために、徳田球一を釈放するなど共産主義者を擁護して大きく左旋回したのに、労働運動が激しくなり、朝鮮戦争が勃発したりすると、大きく右に面舵をいっぱいに振り戻して、今度は左翼主義者のレッドパージを断行します。

大きく振り子が左から右に揺れる度に、時の権力者や財界人の顔ぶれが変わっていく様は、その時代に生きた人間にとって、価値観もイデオロギーも何もあったものではなく、とにかく、長いものには巻かれろ、泣く子とGHQには逆らえぬ、面従腹背の精神で生きてきたのかもしれませんね。

この本で、戦後インフレで、庶民が飢餓にあえいでいた頃、金持ちを狙い撃ちにした「財産税」もしくは「富裕税」の話が出てきます。1946年11月12日公布。1500万円以上の資産を持つ大地主、財閥、華族、天皇・皇族らに何と最高90%の税率が課せられたのです。

最大の納税者は天皇で、このおかげで、箱根離宮が神奈川県に、浜離宮が東京都へ、武庫離宮が神戸市に下賜されたほか、総額37億2000万円のうち、33億円が財産税として納入され、4億4900万円と算定された美術品も物納されたというのです。さらに、皇居、赤坂離宮、葉山などの御用邸、京都御所、桂離宮、陵墓関係なども皇室用財産として国有財産になり、天皇の手元には1500万円が残されただけだったというのです。

1947年10月14日には、秩父宮、高松宮、三笠宮の三宮家を除いた11宮家51人「皇室離脱」になります。この際に元皇室の旧邸は、プリンスホテルに買収されるのですね。このあたりの経緯については、猪瀬直樹著「ミカドの肖像」(小学館)に詳しいです。

個人的に面白かったのは、若い頃、折りに触れて名前を聞き及んでいた人が意外にも朝日新聞出身者だったということです。例えば、日本水泳連盟会長だった田畑政治氏は朝日新聞社取締役東京代表まで務めてした人だったのですね。浜松出身で、浜名湖で競泳選手としてならしたそうです。旧制一高時代からコーチとして活躍し、朝日に入社しても郷里の浜名湖に帰って後進を指導していたそうです。「フジヤマのトビウオ」と言われた後輩の古橋広之進らも弟子の一人です。

テレビ朝日社長だった三浦甲子二(きねじ)氏は、戦後の労働組合運動華やかりし頃、先頭に立って要求を貫徹した闘志だったとは知りませんでした。発送部員だったのが、その後、異例の抜擢で、編集局に異動し、政治部次長の肩書きで同部実権を握った、と今西氏は皮肉を込めて書いております。

三浦氏は、テレビ電波の許認可権をめぐって政界に隠然たる影響力を持ってテレビ朝日社長にまで登りつめるのですが、その「出自」が分かって、なるほどなあ、と思ってしまいました。

この本には、色んな人の話が出てくるので、一言では書けません。今西氏は、公正中立をモットーに筆を進めていますが、やはり、どうしてもどこかで中立の立場からはずれて、自身の見解を披瀝せざるをえない場面が出てきます。その辺りを見抜くのは難しいのですが、私の場合、その微妙な兼ね合いを見つけるのが楽しくて、大変興味深く読むことができました。

本は読むな?

 

衝撃的なインタビューの記事(毎日新聞3月21日付夕刊)を読みました。ここ数年で一番、印象に残った記事ではないかと思います。

84歳の評論家、外山滋比古(お茶の水女子大名誉教授)さんです。「75歳ぐらいから知的活力が湧いてきた。これは大変な発見でした」といから驚きです。

私は、読んでいなかったのですが、1983年に発表した「思考の整理学」(筑摩書房)がロングセラーを続けているという話です。86年に文庫化され、この一年だけで27万部も増刷され、44万部も売れているそうです。

執筆のきっかけは、優秀な学生ほど卒論の内容が面白くなく、不勉強の学生の方が発想が奇抜で興味深い卒論を書いてきたからだそうです。これがきっかけに、

知識と思考力は比例しない。極論すると、知識が増えると思考力が下がり、知識が少ないと思考力が活発になるのではないかーという仮説ができたというのです。

彼の発言を少し換骨奪胎して引用します。

「あまり本を読んじゃいけないと考えたんです。本を読みすぎると、どうしてもその知識を借りたくなる。知識がなく、頭が空っぽであれば、自分で考えざるをえなくなる。そのために、新しいことを本で知らないこと。どうせ読むなら賞味期限20年も過ぎた古い本か古典を読むことです」

「思考力を養うには、あまり役に立たない、むしろ有害な知識を忘れること。一番良いのは、体を動かして汗を流すこと。体操、散歩、風呂がいい。酒を飲んで忘れるのもいいが、急激すぎる。じわじわ忘れていくのがいい」

「人間を育てるということは、いい教育、いい環境を与えることではない。むしろ、劣悪な環境を乗り越える力を持たせることによって、能力は高まる。テストの点数を取るのは苦手でも、逆風に耐える力で、人間力は決まる」

ね、すごい意見でしょ?もう、仮説も、意見も超えて、定説に近いかもしれません。

私もそれこそ、本ばかり読んできた人間なので、深く考えさせられ、その逆転の発想で、目から鱗の落ちるような衝撃を受けたのです。あまり、本を読んでこなかった人には、全く、何の衝撃も受けることはないでしょうね(笑)。

75歳を過ぎて、知的な活力が湧いてきたというのは、「信長の棺」で75歳でデビューした作家の加藤廣さんの例でも明らかですが、加藤さんの読書量はそれこそ膨大です。

ただ目先のことに拘らず、「古典を読め」と私は解釈したのですが…。

人生、死ぬまでの暇つぶし

公開日時: 2008年3月20日

最近、山本夏彦さん(1915-2002年)のコラムを無性に読みたくなることがあります。

稀代の毒舌家でへそ曲がり。戦前礼賛者で、国家主義者、新しい教科書をつくる会賛同者…色々と人は言いますが、私自身は肩書きは気にしません。

熱心な読者ではないので、彼の本をすべて読んだわけではないのですが、時折、彼の書いたフレーズやタイトルがふと頭に浮かんできたりするのです。

 

・何用あって月世界へ

・愚図の大忙し

・茶の間の正義

・私はダメな人…

「新薬の出現によって、百年このかた人は死ななくなった。ほんとは死ぬべき人が生きてこの世を歩いている」

「マジメ人間というものは、自分のことは棚にあげ、正論を吐くものである」

なんていう迷言もありました。

凡人が言葉にできないことを、スパッと言ってくれるので痛快なのです。

今日は、彼の「人生、死ぬまでの暇つぶし」というのが、フト出てきました。

まあ、クヨクヨしても始まらないーという励ましの言葉として受け取っています。

 

ネットサーフィンしていたら、彼の怖ろしい言葉が出てきました。

 

「実社会は互いに矛盾し、複雑を極めている。それは他人を見るより自分を見れば分かる。

自己の内奥をのぞいてみれば、良心的だの純潔だのと言える道理がない」

 

 

「昭和維新の朝」

公開日;2008年2月25日

作家の加藤廣さんが「必読の書」だというので、読み始めたら面白すぎて、途中で何度、落涙したか分かりませんでした。

 

2・26事件を扱った工藤美代子さんの「昭和維新の朝」(日本経済新聞社)です。先日、やっと読了しました。

奇しくも、明日は「2・26事件」です。今からでも遅くはないので、是非この本を読んでみてください。

私は戦後民主主義教育を受けたので、「2・26」イコール「悪」という印象を受けてきました。血迷った青年将校たちの自分勝手な革命ごっこといった程度の認識が大半を占めていました。昭和天皇も彼らを「反乱軍」と決め付け、民間人である北一輝、西田税らも処刑されました。

しかし、なぜゆえに、彼ら青年将校たちが「昭和維新」を敢行しなければならなかったのか。そこまでに至る経緯を無視しては、何も語れません。この本にはそのあたりの経緯が実に事細かく描かれているのです。

正直、私は歌人の斎藤史さんのことは知っていましたが、この本の主人公である斎藤瀏氏のことは知りませんでした。日露戦争で活躍し、昭和3年の「済南事件」で「責任」を取らされて退役予備将校となった軍人で歌人としても名をなした人でした。

歴史というのは、その勝者、敗者から描き方が全く違ってしまうものなのですね。特に、この済南事件は、日本人のある学者でさえ「大した事件ではない」と見てきたような風に書いていますが、当事者である斎藤瀏氏にとっては、軍人として、誠意をもって、国際法の範囲で対処してきたので、忸怩たる思いがあったことでしょう。そのあたりの無念さを工藤さんは見事に代弁しています。

私は、「2・26事件」関係の本は、以前、学術書を読もうとして、あまりにも人物関係の複雑についていけず、途中で挫折した経験があります。(今は大分予備知識も増えたので読めますが)

でも、この、工藤さんの本は人間が、大河小説のように生き生きと描かれ、学術書では「悪人」のように描かれていた栗原安秀などは非常に魅力的に描かれていました。この本で、やっと、青年将校たちの「気持ち」が少しは分かった気がしました。