L’ automne deja

L’automne deja!- Mais pourquoi regretter un eternel soleil, si nous sommes engages a la decouverte de la clarte divine,- loin des gens qui meurent sur les saison.  – Arthur Rimbaud

素朴な疑問です。

ルネッサンスの三大巨匠といえば、ダ・ヴィンチとミケランジェロとラファエロです。そう、世界史に名前を残しています。でも、ミケランジェロとラファエロは苗字でなくて名前なんですよね。正確には、

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)

ミケランジェロ・ブオナローテ(1475-1564)

ラファエロ・サンツィオ(1483-1520)

です。ブオナローテやサンツィオでは誰のことか分かりませんよね。ボッティチェリでさえ苗字で、名前はサンドロ・ボッティチェリ(1444-1510)です。

(パブロ)ピカソでも、(クロード)モネでも、(ポール)セザンヌでも、(オーギュスト)ルノワールでも、苗字ですよね。

そういえば、「夜警」で知られるレンブラントがいました。確か名前だったはずです。

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン(1606-1669)がその正確な名前です。ファン・レインでは誰のことか分かりません。

本人がそういい残したのでしょうか?よく分かりません。

立花隆氏講演会

今日は、東京・池袋の立教大学で行われた立花隆氏http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%9A%86の講演会に行ってきました。1ヶ月ほど前に応募したら当選したからです。この手のものは良く当たります。

タイトルは「日本はどこへ向かうのか~大学と大学教育の未来~」というもので、会場のタッカーホールには1200人ぐらいの人が集まったのではないでしょうか。

講演は大学から招聘されたせいか、3分の1くらいは立教大学の宣伝みたいな話でしたが、さすが、立花さんらしい薀蓄のある話でした。

立教大学は、キリスト教の聖公会の大学です。そのカトリックとプロテスタントをプラスしたような聖公会の伝統の影響から、大学教育には、一つの立場だけを絶対視せず、対立する視点を合わせて飲み込む幅の広さを持つ、と立花さんは指摘していました。いい意味で「あいまいさ」で、大学出身OBを見ればそれが分かる。例えば、マスコミで目下活躍している徳光和夫http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%85%89%E5%92%8C%E5%A4%AB それに、みのもんたhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%81%AE%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%9F 古舘伊知郎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%88%98%E4%BC%8A%E7%9F%A5%E9%83%8E らは立教出身。彼らを見てみると、早稲田大学出身の田原総一郎、筑紫哲也、久米宏らと比べるとその違いに分かるでしょう。今の世界を悪くしているのは、原理主義です。テロを起こしているのも、正義を振りかざしているのも…。そういう意味で、自由とあいまいさを信奉する立教大学は素晴らしい、と持ち上げるわけです。

面白いことに、黒沢清、万田邦敏、青山真治、塩田明彦、周防正行といった今はときめく新進気鋭の映画監督は、全員立教大学出身で「立教ヌーベルバーグ」と呼ばれているそうです。彼らの共通点は、映画論の蓮見重彦教授の門下だったということです。

もちろん、安倍晋三さんに対する批判も忘れていません。安倍さんが尊敬崇拝する「お爺ちゃん」の岸信介http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8Bについて「安保世代」の立花さんが痛烈に批判するのです。立花さんは東大に1959年入学、ということですから、当然、「安保世代」そのもので、1960年安保騒動では、デモに出かけています。

立花さんは言います。5月19日を境に運動はまるっきり様変わる。5月19日までは、デモ隊は数千人から1万人規模だったが、19日以降は、連日連夜何十万人という人が「岸退陣」のデモを行う。安倍さんは、これまで出版した自著の中で祖父の業績ばかり褒め、安保騒動の時でも、自宅付近に来たデモ隊に対してたじろぎもしなかった、と書いておきながら、この5月19日のことをひと言も書いていない。!と立花さんは言うのです。

5月19日に何が起きたのか?子供だったので、よく覚えていない私などは、「樺美智子さんが殺された日かな」などと思ったのですが、その日は「岸がクーデター起こした日」だったというのです。

5月18日から19日にかけて、岸首相(当時)は、安保特別委員会の審議を打ち切って、議場の中に、警官500人と何と広域暴力団の松葉会http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E8%91%89%E4%BC%9Aの組員300人も入れて、反対派を排除して、わずか30分で議決したというのです。

「そんなことをやったのは、日本の歴史上、ほかに誰もいない」と立花さんは怒るのです。

「岸はやってはいけないことをやった。クーデターに近いことをやった。それで、5月19日を境に『民主主義を守れ』という運動に変わる。彼(安倍)は、安保反対者を馬鹿と力説しているが、この歴史的事実を全く認識していない」と言うのです。

当事者の発言なので、大変重みがありました。

一生に一度の展覧会

国宝「風神雷神図屏風」(俵屋宗達)

 

日比谷の出光美術館で開かれている「国宝 風神雷神図屏風 宗達・光琳・抱一 琳派芸術継承と創造」展に行ってきました。

 

俵屋宗達(国宝=京都・建仁寺蔵)、尾形光琳(重要文化財=東京国立博物館蔵)、酒井抱一(出光美術館蔵)の三者による同じテーマの「風神雷神図屏風」がそろって展示されるのは、昭和15年(1940年)以来、実に66年ぶりということですから、この機会を逃しては、もう一生無理でしょう。前回、幸運にも見ることが出来た方も、若くても、もう80歳近いでしょうし、また、この三者が66年後にしか一堂に会することがないとしたら、まさしく一生に一度の展覧会ということになります。「これは万難を排して、無理をしてでも行くしかない」ということで、皆さんを代表して行って参りました。

 

混むのが嫌だったので、平日の昼間を狙ったのですが、すごい混雑でした。特に宗達の国宝の前は、三重の人だかりです。幸運にも私は普通の人より頭一つ背が高いので、後ろからでも良く見えたのですが、やっぱり、人にぶつかっても謝りもしないし、日本人はエチケット知らずで嫌ですね。

 

宗達の作品は想像していたより、意外と小さかったです。(154.5×169.8cm)宗達は生没年不詳なので、いつごろ描かれたのか分かりませんが、恐らく江戸の初期(落款もないのです)。光琳(1658-1716年)は、およそその百年後、抱一(1761-1828年)は、またその百年後に模写したとされています。百年ごとに現れた天才絵師が琳派の伝統を継承してきたわけです。

 

今回の驚くべき発見は、「宗達狂い」の光琳が、原本の上に薄紙を載せてなぞった、ということが判明しています。まさしく模写というより複写そのものです。もちろん、その上に、光琳自身のオリジナリティーを加えています。姫路藩主の弟であった抱一は、宗達の存在を知らなかったらしく、光琳が宗達に思い入れした以上に光琳にのめり込んで、模写しています。面白いことに、雷神の指が5本ではなくて、わざと4本に描いているのです。

 

この展覧会では、この三者三様の違いを、「顔」「目」「手」「足」「角」などのアップの写真で並べて比較しているので、大変面白いです。私は一度見てから戻って、もう一度見てきました。1000円の入場料は、200円の割引券があったので安かったです。

 

もちろん図版(1500円)と絵葉書(1枚100円)も買ってきました。展示と同じ解説が載っていました。また、宗達の上に光琳の、光琳の作品の上に抱一の作品のセロファンが重なっているので違いが分かります。21世紀だからこそ、こんな図版が製作できたのでしょう。宝物になりそうです。

 

皇居前の出光美術館の休憩所の窓から皇居外苑が見え、急に、二重橋が見たくなって、その帰りに行ってきました。私と同じようなお上りさんと外人観光客が大勢いました。

 

今日も充実した一日を過すことができました。もう一日生き延びてみようと思います。

 

有難うございました。

大義名分の喪失


2003年3月にブッシュ米大統領が、イラク戦争を始めた理由がことごとく剥げ落ちてきました。


まず第一の「大量破壊兵器」WMDが見つからなかった。


そして、今日、米国上院情報委員会で、サダム・フセイン元イラク大統領とビン・ラディン率いる国際テロ組織アルカイダとは何の繋がりもなく、むしろ、フセイン大統領は、アルカイダは「脅威」だとみなしていたことが明らかになりました。


http://news.yahoo.com/s/ap/20060909/ap_on_go_co/iraq_report


それでも、いまだに戦争をやり続けているアメリカのブッシュ政権が何を考えているのかよく分かりません。


以前だったら、例えば、ヴェトナム戦争の頃だったら、すぐさま、反戦運動が広がり、遥か彼方の極東の僻地にでさえベ平連と略されるベトナム平和連合が結成されたのに、今の時代、イラク平和連合が創設されるどころか、極東の若い人は右傾化して、憲法改正を標榜する新首相に秋波さえ送っています。


このフセインーアルカイダ「無関係」説は、今日の東京新聞夕刊が一面トップで伝えたのをはじめ、読売、毎日、日経なども大々的に報道しているのに、天下の朝日新聞が一行も報道していない、ということが不思議です。


何かあったのでしょうか?


本国アメリカでも、9・11以降に拡大させたブッシュの戦争ーアフガン戦争、イラク戦争については無関心な人が多いようです。数日前のワシントン・ポスト紙が報じています。ざっと、戦争に関わっているのは、米国の全人口の5%、しかも、生活のために志願した底辺の貧困層ばかりで、95%のアメリカ人は、普段、戦争とは無関係な生活を送っているというのです。日本の、挙国一致、戦時体制とはえらい違いです。反戦運動も盛り上がらないはずです。


こんな時、ジョン・レノンが生きていたら、どんな発言するだろうかなあと夢想しましたが、やはり、夢想に過ぎない話であって、ジョンだったら、さっさとアメリカに見切りをつけて、今頃、日本に住んでいたかもしれませんね。

エリセーエフさん


ラジオで面白い話を聞きました。記憶を頼りに書くので、あやふやですが、いわゆる「日本学」を修めた著名なアメリカ人にドナルド・キーンさんや元駐日大使のライシャワーさんらがいますが、彼らがハーバード大学で日本語を学んだ教授がエリセーエフさんという亡命ロシア人だった、という話です。


エリセーエフさんという人は、ロシアでは代々続く有名な食料品店の御曹司でした。(この店はトルストイの小説にも登場します)


サンクトペテルブルク大学で日本語を学び、明治末の東京帝大に留学します。大金持ちですから、豪邸に住み、何人もの家庭教師を雇い、歌舞伎見物にも通い、日本語を完璧にマスターします。


夏目漱石、永井荷風、久保田万太郎といった文人だけでなく、明治天皇とも親交があったそうです。


4年間の留学生活を終えて、ロシアに帰国しますが、母国は革命の真っ只中。そこで、フィンランドを経由してパリに逃れ、そこで、米ハーバード大学の職を紹介されて、渡米したそうなのです。


そこで、前記の通り、キーンさんやライシャワーさんや「源氏物語」を翻訳したサイデンステッカーさんらを育てるわけです。


日本学の種子を蒔いたのがロシア人だったとは、意外でした。

終戦記念日


今日は終戦記念日。日本人が1年に1回、あの戦争について思いをはせる日です。


新聞各紙でも色々と特集していました。ざっと、目を通したのですが、一番興味深かったのは、作家・半藤一利さんの発言です。(朝日新聞)


「陸海軍人の死者は約240万人だったが、そのうち実に7割が餓死だった。食糧の補給がなされず見捨てられた、無残にして無念の死である。彼らを見捨てたのは誰か。軍中枢の大本営、つまり日本国家だ。その数、実に160万人以上。『英霊』のこうした悲惨な実態はほとんど知られていない」


「軍人の約240万の死者のうち、遺骨が戻ってきたのは124万5千人にとどまっている。残りは、今もジャングルで野ざらしになっている」


終戦間際になって、逸早く、激戦地からチャーターした飛行機で逃げ帰ったのは、軍の幹部、将校連中でありました。部下を見殺しにして、自分たちだけが戦後ぬくぬくと生き延びたのです。


組織の幹部の体たらくは、戦後、高度経済成長を遂げた企業という組織でも、結局、踏襲されました。


甘い蜜を吸うエリート連中は、とても信じられたものではありません。


日本人はそういうエリートを作るのが大好きなのです。


しかし、先の戦争で軍国主義者や一部エリートのみが責任があり、一般大衆は被害者で、何ら責任がなかったという歴史観が蔓延していましたが、ジャーナリストのむのたけじ氏は、「軍人や憲兵より怖かったのは、親兄弟や親戚や隣組などから『非国民』と言われることだった」と述べています。


戦後61年となり、戦争体験者がいなくなりつつあります。問題の奥深さがこの辺りにあるように思われます。


 

昭和天皇「太陽」

話題の映画「太陽」(アレクサンドル・ソクローフ監督)を見てきました。

銀座・三原橋にある小さな映画館。驚いたことに、平日の昼間だというのに大行列で、結局「立ち見」でした。昭和天皇の、靖国神社へのA級戦犯合祀で不快感を漏らされたメモが見つかり、今、タイムリーな話題になっているせいか、関心を呼んだのでしょう。

でも、東京は嫌ですね。人が多すぎて。映画を立ち見するなんて、30年ぶりくらいじゃないですかね。この映画、立って見るほど価値があったかと言えば、正直、それほどでもなかったでした。★

何で、この作品がベルリン映画祭で無冠に終わり、日本での公開が危ぶまれたのか、よく分かりません。天皇の「人間宣言」は歴史的事実で、どこの教科書にでも掲載されていますし、生物学者として、鯰や平家蟹などの研究に没頭されていたことなどよく知られていた話で、特に目新しい話は盛り込まれていません。

終戦間際からGHQのマッカーサー司令官会見までの昭和天皇の私生活と心の内面を辿った作品で、実に淡々として描かれているだけです。ただし、離れ離れに暮らす家族の写真に唇を寄せたり、天皇をあまりにも人間、人間的に描こうとしている作者の意図がみえみえで、職務を離れた個人の内面的苦悩を正確に描かれていたにせよ、皇国史観に染まった信奉主義者には我慢できなかったかもしれません。

それは、あくまでも、ロシア人から見た昭和天皇だったということです。ソクローフが演技指導したのかどうかわかりませんが、昭和天皇演じるイッセー尾形が、妙に口をモゾモゾとさせているのが気になりました。当時の昭和天皇は45歳くらいです。もっと若々しかったはずです。

マッカーサー役のロバート・ドーソンは少し似ている感じはしましたが、随分粗野な人間像に嵌められていました。本当のマッカーサーはあんな感じではない気がしました。昭和天皇が、通訳を介さずに英語で堂々と反駁して、「私はドイツ語もフランス語もスペイン語もできます」と伝えた時、日本人として胸がすく思いを隠せませんでした。天皇の写真を撮影に来たアメリカ人のカメラマンたちを猿回しか野蛮人のように描いたのも、ロシア人だからできたことでしょう。まず、アメリカ人はこんな映画は作りません。マッカーサーを大ヒーローにしたスペクタクルな大活劇にすることでしょう。

結局、フィクションとはいえ「現人神」をフィルムに焼き付けたことは、ソクーロフの歴史的功績と認めざるを得ません。

 

二重被爆


広島と長崎のことについて何か書かなければならないと思っているうちに、その時は過ぎてしまいました。


が、一昨日に読んだ記事が忘れません。そのことについて書こうと思います。


広島と長崎で実に二回も続けて被爆していた人々がいたという歴史的事実です。私は全く知りませんでした。不明を恥じます。


実態は不明です。国立広島原爆死没者追悼平和記念館の昨年の調査では、「二重被爆者」は約160人と言われますが、正確な数字かどうか…。


ドキュメンタリー番組の製作会社のタキシーズが、生存者にインタビューして、記録映画にしました。その中で登場する人は、当時、長崎の会社員で広島に出張中に被爆し、長崎に戻って、職場の上司に広島の惨状を報告している途中で、また被爆した山口彊(つとむ)さんという方がいます。現在90歳で長崎に住んでおられます。


広島市在住の賀屋美佐子さん(76)は、広島で被爆し、母親ら3人の親族を失い、父親の実家のある長崎に逃げ帰ったところ、残留放射能を浴びたということです。


生存者の多くは、その体験があまりにも恐ろしいので、また、差別も恐れて、長い間、その事実を伏せてきたそうです。私も同じ体験したら、そうするかもしれません。もしくは、絶望して、途中で命を投げ出してしまったかもしれません。


朝日新聞の地方版(東京)に出ていたので、この記事に目を触れた人はそれほど多くないかもしれません。


それにしても、人間には運命があるのでしょうか?人はよく「人生は、いいこともあれば、悪いこともある。プラスマイナスゼロだよ」と言いますが、これほどまでに不運が続くと、どこに怒りのエネルギーをぶつけていいのか分からないでしょうね。


彼らの話に耳を傾けることしか私にはできません。

藤波芙蓉さんの情報を集めています

昨日も書きましたが、藤波芙蓉さんの情報を集めています。


生年月日、出身地等、何かお分かりの方は、コメントをください。「ここで調べればいい」という情報でも結構です。


お願いします。


コメントの仕方は、この一番下にある Comment(0)の数字のところ(現在コメントがないのでゼロです)をクリックしてください。コメントを投書するサイトが出てきます。


よろしくお願い致します。


渓流斎

藤波芙蓉さんを知ってますか?


明治末から昭和初めにかけて一世を風靡した美容家、藤波芙蓉という人を調べています。


『新式化粧法』(明治43年、博文館)、『新美装法』(大正5年、婦人文庫刊行会)などの著書があり、東京の日暮里に化粧品製造工場を持ち、「婦人画報」とタイアップして通信販売を行ったりしていますが、生年月日や、出身地さえ分かりません。


藤波芙蓉さんのご親戚、遺族の方がいらっしゃて、このブログを読んでくだされば有り難いのですが、まあ、難しいでしょう。


どなたか、参考文献等ご存知の方、藤波芙蓉氏についてご存知の方は何でもいいですからはコメントして戴ければ、有り難いです。


ちなみに、ネットで検索しましたが、あまり収穫がありませんでした。


私のブログを読んでくださっている方は、我が国でも選ばれた稀に見る知性と教養の持ち主ばかりと聞いておりますので、大いに期待しております!