ブレイクスルー・スターショット計画 ナノクラフト ケンタウルス座α星 fifth edition

観客席までお出ましの美女 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 天文学の智識は、中高生程度しかありませんが、小さい頃から、宇宙の雄大さに畏敬の念を持っていました。

 太陽系、つまりは地球に寿命があるのと同じように、宇宙にも寿命があるとは小さい頃は思ってもみませんでした。

 最新の科学では、宇宙はビッグバンにより138億年前に誕生し、地球は46億年前に誕生。生命は38億年前に生まれ、単細胞、多細胞、爬虫類、哺乳類と進化して、人類の誕生が約600万年前で、猿人(アウステラロピテクス)、原人(ジャワ原人など)、旧人類(ネアンデルタール人)と進化し、約20万年前に現代人の流れを汲む新人類が誕生します。(他に色んな学説あり)

 世界最古の文明と言われるのが、メソポタミア文明で、その中で、紀元前9000年のシュメール文明が嚆矢とされ、そこで、農耕が始まり、恐らく、多少の言語も生まれて発達したのではないでしょか。

 となりますと、ヒトの文明や文化の発祥など1万年ちょっとしか経っておらず、宇宙の歴史から見ても、瞬き程度の時間と言えるでしょう。

 観客まで一緒になって Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 最近、注目される大ニュースがありました。(2016年4月12日)

 著名な宇宙物理学者のスティーブ・ホーキング博士が、太陽系はいずれ寿命が来るので、「人類が生き残るために他の星に住むしかない」と断言されまして、太陽系以外に移住できる星の探索計画を打ち上げたことです。

 太陽系に最も近い恒星系は、「ケンタウルス座α星」で、これは地球から4.39光年(約40兆キロメートル)離れていて、現在の技術ではロケットで、7万年以上から3万年もかかると言われます。えっ? 早くても3万年? 今から3万年前の人類は、まだ定住せず、言葉も満足に話せず、要するに猿と変わらぬ野人だったのではないでしょうか?(笑)

 3万年もかかってしまっては、人類が滅亡しまっているかもしれません。(「おいおい、根拠もないのにそんなこと言うなよ」との声!)

 そこで、ホーキング博士が考えたのは、光速の5分の1という超々々特急の小型探査機「ナノクラフト」。地上からこのナノクラフトに向かってレーザー光線を当て続け、推力で高速を維持することによって、約20年でケンタウルス座α座に到達できるといいます。

 ついにフィナーレとなりました Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 名付けて、Breakthrough Starshot計画。投資総額は、この20年で50億ドルから100億ドル。ナノクラフトは、超軽量薄型の光帆を組み合わせた探査機で、わずか数グラムだとか。切手サイズのチップスに小型カメラや通信機器も搭載できるそうです。

 取り敢えず、この壮大な計画の実現までの構想と研究費に、ポンと1億ドル(約108億円)を支払うのが、この計画チームの設立者の一人であるロシア人投資家の大富豪ユーリ・ミリネル氏(54)。まずは、地上から光線を発射するシステム「ライト・ビーマー」の建設から始めるようです。

 ただ、実現しても、ナノクラフトがケンタウロス座に到達するのに20年かかるので、詳細なデータが分かるのは、少なくとも44年後らしいですね。

 ちなみに、「ケンタウルス座α星」は、A星、B星、C星(プロキシマ)の三つの恒星からなる三重連星で、「宇宙戦艦ヤマト」や「アバター」などのSFアニメや映画などの舞台として使われたそうです。

 あまりにも壮大過ぎる計画で、目の前の悩み事や思想や政治や人間関係の複雑さなんぞは吹き飛んでしまいそうです。 

私は、44年先まで、生きていられる可能性は、極めて少ないですが、自分の生きている間に、地球外生物はいるのか?人類が移住できる地球以外の星があるのか?是非とも知りたいものです。

仁和寺の「御室の桜」

Copyright par M. Kyouraku-sensei
週末は、疲労が溜まって、やおいかんばいです。

先日、京の都にお住まいの京洛先生から、「醍醐の桜」の写真を送って頂きましたけれど、この桜は、豊臣秀吉が死の数カ月前に盛大な花見を催し、招待者は、おなごはんが1200人、おのこが数人だったそうですね。そんな逸話といいますか、羨ましい由緒がある桜花でした。

Copyright par M. Kyouraku-sensei

おやおや、今回は、違う桜が送られできたようですね。
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…都内の桜はほとんど散り落ちましたでしょう。京都も桜の下での宴も一区切りついたようですが、観光客は雲霞のように押し寄せ、このまま、今月末から5月初めまでの黄金週間に突入することになります。もはや古都・京都にはシーズンオフはありませんね。そんな中、低木で遅咲きの仁和寺の「御室の桜」が今、見どころです。…

雲霞の如くとは、凄い表現ですね。

Copyright par M. Kyouraku-sensei

…御室の桜は、背丈の低い桜です。仁和寺(真言宗御室派)の説明では、今まで、桜の下に硬い岩があるため、根が地中深くのばせないので、背丈が低くなったと見られていましたが、最近の調査で、岩盤ではなく、粘土質の土壌であることが判明したそうです。…

さすが、教養が高い。地質にまで詳しいとは、「ブラタモリ」のタモリさんみたいですね。

Copyright par M. Kyouraku-sensei

…また、京都では背丈の低い女性を「御室の桜」と隠語で言いますね(笑)。蕪村の「春に来て御室を出るや宵月夜」という句もあります。…

へえ、知りませんでした。よう知りはりますまんねんなあ。。。

Copyright par M. Kyouraku-sensei

…ところで、先日の新聞各紙に、この仁和寺の宿坊というか宿泊施設の「御室会館」の食堂で長時間労働があって料理長が鬱になった、という裁判の判決が出たことを報じています。
裁判所も「過酷だ」「4200万円払え」と認めたわけですね。仁和寺側は、この判決を不服として上告するのかどうかわかりませんが、弘法大師の教えを布教する宗教法人のレストランで、過酷な労働が行われていた、というのはにわかに信じがたいことです。…

ええ、勿論、愚生もその記事を読みました。確か、年間356日出勤、時間外労働が200時間を超えたとかいう話でしたね。普通の人なら死んでしまいますよ。過酷を通り越してます。

Copyright par M. Kyouraku-sensei

…また、京都市内は内外の観光客が激増して、ホテル、旅館が不足しています。それだけに、宿泊施設内も、人手が足りなくて、従業員の仕事も厳しくなっているのが想像できます。
他方、「もっとホテルを増やすべきだ」の大合唱が起きるのは間違いありません。そうすると、美観を損ねるということで、今、市内ではビルの高さ制限がありますが、この際、「超高層ビルのホテルをドンドン建てるべきだ!」と、安直な”金儲け主義”に走り、洛中に超高層ビルが乱立して、情緒も美観も何も考えないホテル・ラッシュになることも十分予想できますね。
数年後には、京都も都心、都内とさして変わらない街造りになっているのを予言しておきます。…

  Copyright par M. Kyouraku-sensei

うーん、随分悲観的な予言ですが、あり得ないことはありませんね。でもそうなると、京都の魅力も半減してしまいます。鎖国するしかありませんか?(笑)

大宰府「政庁跡」 Second edition

Copyright Par Ebifrya-sensei

名古屋の海老付羅江先生から久しぶりに便りがありました。

何やら、奮発して5泊6日の九州旅行を敢行されたということです。

Copyright Par Ebifrya-sensei

海老付羅江先生です。

…無事、5泊6日の愚生としては長旅を終えて帰宅しました。

とりあえず、桜のシーズンですので、大宰府の「政庁跡」で撮った、咲き始めたばかりの桜の写真を送ります。…

いつも有難う御座いました。

Copyright Par Ebifrya-sensei

…「政庁跡」と言っても超低俗な民放の地上波テレビを見ているようなノールスには全くチンプンカンプンで分からないでしょうが(笑)、7世紀後半に、九州、筑前に設けられた地方行政機関ですね。…

まあ、そんな放言しても大丈夫でしょうかね?(笑)

Copyright Par Ebifrya-sensei

…政庁は、当時の首都の奈良の出先です。794年からは、京都に首都が移りましたが、菅原道真のように中央の役人から見ると左遷先みたいな感じの出先機関で、今の霞が関の本省と出先の関係で、民間会社の本社と支店と同じようなものですね。

貴人も「本社!本社!」と一時、地方を軽く見るときらいがありましたが(笑)、地方機関、支店と言っても、大変な権力を持っていたのです。…

ここに、何で小生が出てこなければならないんでしょうかね?ま、いいですけど(笑)。

Copyright Par Ebifrya-sensei

…この跡地に立つとその辺の雰囲気が今でも伝わってきますよ。特に中国との貿易では、九州は大きな拠点ですから、本社にいて、”すし郎”評論家みたいに、首相の提灯持ちみたいな「寿司」だけ食べて昼寝ををしているような、中身のない人間と違って、権力そのものを行使したわけです。「地方」を軽く見てはだめなのです。…

評論家のすし郎さんって、どなたのことでしょうか?気になりますね。

Copyright Par Ebifrya-sensei

…時代が下り、後年、平清盛も、大宰府、博多を重視して、権力奪取に挑みました。…

ほう、そうでしたか。色んなことをご存知ですね。

Copyright Par Ebifrya-sensei

…まあ、そういう所ですが、「大宰府天満宮」には、みいちゃん、はーちゃんや○能の外国人は行きますが、建物、実物がない「政庁跡地」は想像力のない観光客は、まず来ませんね。ですから、じっくりと、あれこれ思索ができました。…

なあるほど。

小野小町でシンクロニシティ! Second Edition

 白梅 Par Duc Kyoraku-sensei

この渓流斎ブログを毎日、チェックされている皆々様方には失礼をば仕りました。2日間も休んでしまいました。

まあ、弁解はいっぱいあるんですが、更新できなかったのは、単なる、疲れてしまっただけです(苦笑)。

「小野梅園」Par Duc Kyoraku-sensei

さて、京都にお住まいの京洛先生から最新情報が送られてきました。
このブログは、古今東西同時多発的に展開されておりますから、久しぶりの西の情報です。

 「隋心院」Par Duc Kyoraku-sensei

…本日は、このブログの愛読者の皆様もよくご存知の支配人と宗匠さんの美女二人が1泊2日で上洛され、その「雇男」をしてまいりました(笑)。…

ホッホー、雇男とは、今で言うガイド、もしくは、アテンダーですかねえ。

 「小野小町 歌碑」Par Duc Kyoraku-sensei

…昼食は皆様もこれまた、ご存知、ご承知のガンテンの介、堀川三条西入る「三条商店会」の一角にある、洋食レストラン「力」にお導きしました。

遠来からのお客さんだけに、女将さんが歓待してくださり、ご両人はランチメニューの中で、うまずいめんくい村の赤羽彦作村長ご推薦の「洋食B」を注文され、愚生は「洋食弁当」をお願いしました。…

おお、世間は狭いですね。

 紅梅 Par Duc Kyoraku-sensei

…お二人とも店の雰囲気や料理の味に気に入られたようで、女将さんとも和まれて、あれこれ世相談議に花が咲いておりました(笑)。当然、貴人のお噂も出てました。坂東の一隅でくしゃみをされていたと思いますが(笑)。…

まあ、こんな自分でも、何かお酒のツマにでもなれば、何でもお使いください。別に大したことはないと思いますけどねえ(笑)。

 紅白梅 Par Duc Kyoraku-sensei
…「力」で昼食後は、京都市営地下鉄に乗って、梅の名所、山科の小野にある真言宗「隋心院」に出かけてきました。この渓流斎ブログに掲載して頂いている写真は満開の小野梅園です。「北野天満宮」の梅苑よりは、こじんまりとしていますが、門跡寺院だけに園内全体が和らかい雰囲気が漂って、美女ご両人とも満足気でした。…

確かに綺麗な梅がたくさん咲いておりますね。

 隋心院 Par Duc Kyoraku-sensei

…隋心院は小野小町のゆかりのお寺で、小野小町に恋慕する深草少将が”百日通い”をした、といわれるところです。また、この「小野」というこの地域一帯は「小野氏」の根拠地で、隋心院は正暦二年(991年)に仁海が創建した歴史のあるお寺です。この近くには、醍醐寺もあり、春は桜、秋は紅葉の名所です。…

 隋心院 Par Duc Kyoraku-sensei
えっ!?それは奇遇ですね。ちょうどその頃、つまり、京洛先生が美女に囲まれて、小野小町の所縁のお寺で、梅見をされているとき、小生は昼休みで、小野小町の有名な「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」(古今集)という歌が、ふと浮かんできて、ちょうど、過去の我が身を振り返って、何度も下の句を唱えていたのです。不思議ですねー。

偶然ですね。テレパシーですか?いや、気持ち悪いくらいですよ(笑)。

この歌の花は、研究者の間では、通常、桜の花のことを指しますが、梅の花の方が、色の移ろいがあるという意味で、ふさわしいかもしれません。桜は散るだけで、と言えば、語弊があるかもしれませんが、桜の花びらの色の移ろいに注目する人はあまりいないのではないか、と愚考しまして…。

 梅林
Par Duc Kyoraku-sensei
…ちょうど「力」の傍から地下鉄東西線が走っているので、電車に乗ると、この隋心院や醍醐寺まで、20分ほどで行けるので、今度、渓流斎さんが上洛されたおりは、「力」で昼食を食べて、腹ごなしに、これら名刹に出かけたいものですね。…

有難う御座います。早く、回復して、体調を整えていきたいと思っております。

4月18日、「it’s展」開幕、そして「京都三山」とは?

典型的な駅 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 皆様ご存知の恒例のグループ展「it’s展」が4月18日(月)から24日(日)まで、東京は銀座・渋谷画廊で開かれます。

 初日の18日は午後5時30分からオープニングパーティーが開かれ、銀座では最も古いトンカツ店と言われる老舗「梅林」の旨いカツサンドが「出品」されるそうですよ。

 あの片岡画伯も頑張って、最新作も出品されるそうです。裏を取っていませんが(笑)、恐らく米澤画伯も自信作を出品されることでしょう。

 お時間のある方は、覗いてみては如何でしょうか? 

 典型的な駅 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 扨て、先週金曜日の都内某所での秘密円卓会議には、20人近くの賢人が集まったそうです。

 そこで話されたことは極秘なので書けませんが(笑)、久しぶりに調布先生から電話がありましたので、序で、と言っては大変失礼ですが、当夜の様子を伺ってみました。

  「いやあ、渓流斎さん、あなたはすぐブログに書いちゃうでしょう。駄目ですよ。話せるわけないじゃありませんか(笑)。それより、伊藤博敏著『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった案内人』(小学館)は、もう読まれましたか?まだ?駄目ですねえ、必読書ですよ(笑)。その中に、今は某放送局の社長になっているXさんも出てきます。当時は、大手新聞社の記者として登場します。彼は、公務員から新聞社に入り、そこを辞めて、天下りではなく、表口、つまり試験で放送局に入社し、前社長のY氏の褌担ぎやスキャンダルのもみ消し役をやって出世したのです。こんなこと書いちゃいけませんよ」

 いや、口止めされましたが、書いてしまいましたね(笑)。

 まあ、普通の善良なる市民の皆さんは意味不明でしょうからね。。。

 典型的な駅 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 で、隠密会議の内容を察知できなかったため、「探訪者」としての渓流斎は、ここ1カ月、思い出せなくて、気になっていたことを、調布先生に質問してみました。

 渓流斎「いやあ、私がちょっと問診で通った東京・築地のクリニックの近くに『河庄双園』がありましてね。『河庄』と言えば、先生からこないだ本を貸して頂いたあの山段芳春さんが関係した料亭でしょう?そこで、『京都三山』のことを思い出して、すぐ、高山登久太郎さんのことは思い浮かんだんですが、最後の一人がどうしても思い出せないんですよ。辞書や百科事典には載っているわけありませんから、ネットで検索してみたら、京都三山とは、京都市街地を取り囲む東山・北山・西山の総称、なんて出てきて、お話になりません(笑)。もう一人はどなたでしか?」

 調布先生「あ、そりゃそうでしょう。電脳空間の知的レベルなんて、そんなもんですよ。出てくるわけありませんよ。だからこそ、渓流斎ブログがあるんじゃないですか(笑)。今度、『京都三山』を検索したら、『渓流斎日乗』が出てきますよ(爆笑)。それはともかく、もう一人は、西山正彦氏です」

 渓流斎「西山さんって、あの『創』の小早川茂氏のことですか?」

 調布先生「いや、別人です。小早川氏は『敬天新聞』と関係があります」

 渓流斎「ふーむ、今も室町将軍のような方が「いらっしゃるんですね」

 調布先生「ああた、そんなこと覚える前に、『日展三山』を知らなければ駄目ですよ」

 渓流斎「えへへへ、さすがにそれは知っておりまする。東山魁夷、杉山寧、高山辰雄の『三山』でしょ?杉山寧の娘婿が三島由紀夫ですね」

 調布先生「おっ!なかなか、順調に回復してますね。それは何よりです」

銀座は超高級腕時計街だった!Third Edition

ガガーリン像前の新婚さん Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 また、松岡総裁から送って頂いた貴重な写真を掲載させて頂いております。
 相変わらず、本文と写真は全く関係ないのです。怒る方もいらっしゃるかもしれませんけれど、写真と文章の二つも別々に楽しめると思ってくだされ(笑)。

 アムール河畔のコムソモール像 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur 

 今日は短めに書きます。とは言っても長くなるかもしれません(笑)。

 昼休み、本当に久しぶりに「銀ブラ」しております。8カ月ぶりぐらいですかね。銀ブラは、東京一、いや日本一の高級繁華街、銀座をブラブラするという意味ではなく、銀座の老舗珈琲店「パウリスタ」が明治末頃に、「銀座でブラジルコーヒーを飲もう」と宣伝し、これが短縮されて「銀ブラ」というようになった、とは以前にも書きましたが、最近では、銀座をブラブラすることを「銀ブラ」と呼んでもいいと思っています。

 「ヒトは自分の見たいものしか見ない」と言ったのは、カエサルでしたが、本当にそうですね。最近、渓流斎、高級腕時計を買った、と、このブログでも自慢しておりましたが、銀座にこれほど、海外(と言っても特にスイス)の高級腕時計代理店があったなんて知りませんでした。いや、今まで、それほど興味がなかったので、気がつかなかっただけでしょう。

コムソモリスク郊外の集合住宅 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 ヴィトン、アルマーニ、シャネル、ティファニー、エルメス、カルティエ、グッチといったよく知られたブランド時計は当然ながら、今ドーピングで話題のテニス選手シャラポラが契約していたタグ・ホイヤーや、パテック・フィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタンとともに「世界三大高級時計メーカー」の一つとして名を連ねるオーデマ・ピゲ、そして、勿論、通好みのウブロも、ロレックス正規代理店もありました。銀座は、4丁目に日本が世界に誇るセイコーを販売する和光がありますが、至る所、海外の超高級時計代理店だらけだったのです。

 並木通りにあるロレックス代理店は、ウインドウ・ショッピングができます。「お、恰好いいな」と思った時計は、約650万円の値札がついていました。

 そのまま、8丁目の方に向かい、昔懐かしい、今は工事中の日航ホテルの裏道を左折すると、超高級自動車の代理店がありました。

 世界中の男が「一生に一度でいいから、乗ってみたい」と憧れる超高級車です。Yさんが乗っていらっしゃるマセラッティではありません(笑)。ベンツやアウディみたいなありふれた高級車でもありません。アストン・マーチン?うーん、007ですね。フェラーリ?おっ、ちょっと近いですが、もっと玄人好みです(笑)。

 はい、もう答えを言ってしまいましょう。-それは、ポルシェです。異存ありませんよね?ショールームめいたところに、展示されていたポルシェの何という車種か知りませんが、格好いいスポーツカータイプの値札を見たら、何と約650万円と、ロレックス腕時計とほぼ一緒でした。

 なあんだ。これほど、ポルシェが安いと感じた瞬間はありませんでした(笑)。

これがそのポルシェ(証拠写真)

一条戻橋の早咲き桜

Copyright Par Kiandoukei Daizensi

桜の季節には、ちょっと早いのですが、京都にお住まいの京洛先生が、「京都の河津桜」との異名を持つかどうか分かりませんが、早咲きの「一条戻橋」の満開写真を送ってくださいました。

Copyright Par Kiandoukei Daizensi

…この場所は、京都市上京区の「一条戻橋」(堀川通一条)で、このように咲き誇っています。本場、本家の伊豆・河津町の「河津桜」は、1月末から咲き始め、おそらく今頃は花見客でごった返していることでしょう。京都も、この「一条戻橋」だけでなく、伏見の淀川沿いにも河津桜が植わっていて、ここも満開ということです。…

へえ、やはり、京都にも早咲きの「河津桜」があったんですね。

Copyright Par Kiandoukei Daizensi

…「一条戻橋」の立札に、言い伝えが書いてありますが、今から1000年以上昔の918年(延喜18年)に、当時、文章博士だった三善清行が亡くなり、その息子の浄蔵が熊野から駆け付けたところ、葬儀の列がこの一条橋の付近にまで来ていたそうです。…

Copyright Par Kiandoukei Daizensi

…息子は必死に棺に縋って「お父さん、生き返って欲しい」と祈念したら、不思議にも清行が一時的に蘇生したということから「戻橋」と言われるようになったということです。…

へー、そんな逸話があったのですかあ。

Copyright Par Kiandoukei Daizensi

…また、「太平記」では、源頼光の”四天王”の一人、渡邊綱が此処で鬼女に遭ったと、記されています。…

ほう、さすがに博学ですね。

Copyright Par Kiandoukei Daizensi

…さらに、戦争中は、出征の兵隊さんが、軍隊に入る前に、この橋を渡って、生きて帰れるように願ったそうです。

恐らく、「生きて帰るな!」の時代でもあり、大手を振って戻橋を渡ることはなかったでしょうがね。○○○○○さんに見つかったら「あなた何よ!御国に命を捧げる気持ちもないのね、非国民です!」と言って、自分は講演料をがっぽり稼ぐでしょうね(大笑)。現代の鬼女です。「外面如菩薩、内面如夜叉」とはこういうことを言うのです。…

Copyright Par Kiandoukei Daizensi

なるほど。御本人は絶対に前線に行くことはありませんからね。

デビッド・ボウイと八幡巻

北野天満大自在天神宮

うまいめんこい村の白羽へこ作村長です。

京洛先生が、昨日、デビッド・ボウイに関する記事が19日付の地元の京都新聞に掲載されていたというので、送ってくださました。

ただ、著作権の関係で、転載できないのが残念です。今、京都新聞のHPを検索してみましたが、もう既に、消えていました。恐らく、過去記事は、有料会員のみが読めることになっているのでしょう。

その記事によると、先月69歳で亡くなったロック歌手デビッド・ボウイさんは、宝酒造(伏見区)のテレビCM撮影(北区西加茂の臨済宗南禅寺派「正伝寺」)で京都を訪れ、その空いた時間に、東山区の古川町商店街のうなぎ店「野田屋」にぶらりと寄って、八幡巻を買ったところを、写真で撮影され、その写真を店頭に飾っていたら、ボウイさんの死後、往年のファンが次々と押し寄せてきたという話でした。

もっとも、店主の田中秀穎さん(76)さんは「当時は誰なのかも分からなかった。後でとても有名な歌手だと聞いて、いただいた写真を飾ったら、お客さんが増えた」と言うぐらいですから、ちょっとピンボケ。

新聞記事の写真には、ボウイさんに応対する若かりし頃の店主も写っていますが、キャプションがいけない。

「デビッ ト ボゥイ」と汚い手書きで書いているんですからね。猫に小判、豚に真珠です(笑)・

ついでながら(笑)、京洛先生の「解説」は以下の通りです。

…「古川町商店街」というのは、蹴上、岡崎方面から三条通りを西に向かって南側の疎水沿いに東山通りに抜ける古くからある商店街です。京都を舞台にしたテレビドラマのロケにも使われる場所です。

此処に生前、デビッド・ボウイがぶらりとやってきて、商店街にある、川魚屋さんで「八幡巻(やわたまき)」を買った、というわけです。その時の写真を店に飾ったらお客が増えた、というのですから、これも「あやかり」ですね。

八幡巻は京都の八幡村(現在の八幡市)で生まれた郷土料理です。

昔から八幡はゴボウの産地で、味付けしたゴボウの軸に、地元で採れたウナギ、ドジョウを巻いてタレをつけて作ります。関西特有で、関東、坂東地域ではないでしょう(笑)。京都市内の川魚屋の店先に行けば、何処でも売っています。ボウイはおそらく珍しいので興味を持ったのでしょうね。

ボウイさんがCM撮影された「正伝寺」には、愚生も行ったことがありますが、比叡山を借景にした眺めは、ボウイさんならずとも、誰しも感動すると思いますね。

このお寺の廊下の天井には、伏見城落城の時に、血痕が残った廊下の板を用いた「血天井」が残されています。このことを住職や関係者がボウイさんに教えたかどうか定かではありませんが、同記事によると、ボウイは庭園を眺めて涙を浮かべていたというのは、そのことを思い出したのかもしれませんね。…

なるほど、そういうことでしたか。

小生は八幡巻はいまだかつて食べたことも見たこともありませんので、また、京都に行く機会があれば、、挑戦したいと思っています。

京都は、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョッブズらがお忍びでしばしば訪れ、座禅を組んだりしていたと言われています。

最先端の荒波の中で、身体を張って勝負している人は、異人さんでも、古都京都に惹かれるのですね。

ちなみに、ジョブズらがお忍びで通っていた京都の寿司屋や蕎麦屋は、あまりにも高過ぎて店名は忘れてしまいました(笑)。

いや、悔しいから、調べたら、寿司屋は「すし岩」(下京区)、蕎麦屋は「晦庵 河道屋」(中京区)でした。いずれも、洛中にありますね(笑)。

京都ぎらい

 北野天満宮 par M. Khehurakusense

今、「京都ぎらい」(朝日新書)という本がベストセラーになっているそうですね。

 著者は、国際日本文化研究センター副所長の井上章一さん(61)。京都出身者として、有名ですが、何で…。

 実は、井上さんは、京都出身とは言っても、「洛外」の嵯峨出身。一部の「洛中」(上京区、中京区、下京苦)出身の方から、「上から目線」で「田舎者」扱いされてきたことが、執筆の原動力になったそうです。勿論、タイトルには皮肉を込めています。

 なるほどね。まだ、読んでいませんが、読んでみたくなりました。

北野天満宮 par M. Khehurakusense

 そう言えば、「洛中」出身の京洛先生から、写真付きの緊急電報がありましたので、ご紹介させて頂くことにします。

 京洛先生は、洛中にお住まいですから、馬耳東風、鷹揚としたものです。(笑)

  …最近、「渓流斎ブログ」を拝読すると、神社や神様にえらくご執心ですが(笑)、ランチを食べに立ち寄った三条商店会の名門洋食の店「ちから」の女将さんも「渓流斎さん、どないことどすか?六曜とか、祇園祭の牛頭天王とか、えらい神さんに、興味を持ったはりますなあ」と苦笑いしてましたよ。「新渓流斎ブログも引き続き読んでます、と、伝えとくりゃす」ということでした(笑)。…

 いやあ、女将さん、ご無沙汰しておりますが、お元気でしょうか?どないも、こないもないですたい。ただ、今まで、神さんのことについては、あんまりにも知らな過ぎていたため、反省込めて書いたまでなんねん。(少しなまってしまった)

 …こちら、洛中も、このところ、えらい、ぽかぽか陽気で、2月半ばにしては、気持ち悪いですね。ご存知、「北野天満宮」の梅も、この通り、ほぼ満開になってきています。

 渓流斎さんも、お見えになった境内の「梅苑」も、この通り、綺麗に、紅梅、白梅が綺麗に咲き、今週末はかなりの人出が見込まれます。…

 ええ、懐かしいですね。

北野天満宮 par M. Khehurakusense

 …「北野天満宮」はご存知のように、全国の約1万2千ある天満宮、天神社の総本社です。

 平安期の天暦元年(947年)に、菅原道真公を祀り、神殿をつくったのが始まりで、永延元年(987年)、一条天皇が「北野天満宮天神」と名づけられました。豊臣秀吉が「北野の大茶会」を開いたのは、その後、ずーとのちの、安土桃山時代の天正15年(1587年)です。…

 出ました。京洛先生の薀蓄花盛りですね(笑)。

北野天満宮 par M. Khehurakusense

 …ところで、この上記写真の、国宝に指定されている「拝殿」について、何か、気になることはありませんか? 「え!、別に?」、「なんか変わったことがあったのですか?」という反応が返ってきそうですね(笑)。

 実は、最近、ちょっとした変化があったのです。

 この「拝殿」はお詣りに来た人が、正面の鈴を鳴らして、それぞれの願い事を、叶えられるように、祈願をするのですが、これまで、一つしかなかった鈴の緒が、昨年11月から、長い行列を緩和するため、この通り6本に増えたのです。

 これまで、鈴の緒が一つしかなく、せっかくお詣りに来たのだから、鈴を鳴らしたいという人で、受験シーズンは長蛇の列でした。長い待ち時間に耐えられなくて、鈴を鳴らしたくても鳴らさず帰る人も多かったそうです。それが解消するというわけです。

 写真を撮った日は平日の昼間で、参詣する人もこの通り少ないのですが、毎月25日の「天神市」は骨董、古着、飲食など千軒以上の露店が並び、参拝者もごった返すので、鈴の緒が増えて、だいぶスムーズにお詣りできるようになったようです。…

 残念でした!このニュースは、坂東にも既に伝わっていましたよ!!北野天満宮なら全国の受験生がお参りに訪れるでしょうからね。

 …そうそう、渓流斎先生も以前、「天神市」で、格安の古着のジャケットを買われましたね(大笑い)。まだ、愛用されていますかね。…
 
 はい、愛用しております…。確か、2000円か3000円でしたか、忘れてしまいましたけど(苦笑)。

 …ちなみに、この国宝の「拝殿」は、秀吉の大茶会の後の、慶長7年(1607年)に建てられたそうです。

 京洛先生より…

 ということは、家康が建てたか、少なくとも家康の認可が降りたのでしょうね。またまた、勉強になりました。

祇園祭も知らずに…

Kyahuteaux

これでは、大恥をかいて、京洛先生に怒られてしまいそうですが、京都の「祇園祭」の山鉾巡行は、神輿の渡御・還御の前に悪疫を退散させるための「露払い」のような働きをするお祭りだったのですね。

メーンイベントは、神輿の渡御・還御なのに、祇園祭は、山鉾巡行が主体だと勘違いしておりました(苦笑)。

私も何度か、京都に足を運びましたが、混雑が嫌いなので、せめて「宵山」を見て、雰囲気に浸るだけで、本場の山鉾巡行を見るどころが、神輿なんか見たことがなかったので、勘違いしてしまったわけです。まさに、「生兵法は大怪我のもと」ですね。

基本的に、祇園社(八坂神社)の神事であるということを理解しておかなければなりません。山鉾の「山」は、依代で、そこに神様が降りて清める役割をします。「鉾」は武器の「矛」からきてまして、悪病神を鉾に集めて祓い清める役割をします。

祓い清められた神聖なところを、やっと神輿がまわるということだったんですね。

八坂神社も、もともと、牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りした社で、この牛頭天王は、インドの祇園精舎を守護する神だといわれます。日本人は何という寛容な民族といいますか、異国のインドの神様を長らく守護神として崇め奉っていたんですね。

唯一絶対神を信じる人々にとっては信じられないことでしょう。

その後、八坂神社には、出雲の神話に出てくる須佐之男命も牛頭天王と並行して祀られましたが、「国家神道」を施策とした明治新政府以降は、須佐之男命のみになったといいます。

「そんなことも知らなかったのですか!?」と京洛先生の怒る顔が浮かびます(笑)。