駅前食堂

小学校何年生か忘れてしまいましたが、国語の教科書に、今でも忘れられないエッセイが載っていました。

「今でも忘れられない」と書いておきながら、その作品のタイトルも作者の名前さえ忘れてしまっているのですが(笑)

話は単純です。

作者が、ある地方都市に旅かなんかに出て、ふっと駅近くの食堂に入り、メニューをながめながら、何を食べようか思案してしまいます。

「カツ丼にしようかなあ、親子丼にしようかなあ」

作者は注文に来た女の子に聞くとはなしに聞きます。

その少女は、純朴そのものの女の子で、赤い頬に飛びっきりの笑顔を浮かべて、

「カツ丼も親子丼も、どちらも美味しいですよ」と言うのです。

作者は、その清々しい明るい対応に、その日は一日中気分がよかった。という何ということはない。別にオチもない、何でもない話なのですが、私はこの話が妙に心に印象として残り、何十年経っても忘れられないのです。作者が、結局、何を食べたことまでは覚えていません。とにかく、注文を取りにきたお嬢さんが、満面に笑みを浮かべながら「どっちも美味しいですよ」と言ったことだけが、何か、一期一会の奇跡のようで、情景さえ浮かんできてしまうのです。

何で、こんなことを書いたのかと言いますと、つい先日、温泉近い駅で昼食をしようと入ったお店で、同じような体験をしたからです。

私は、ラーメンにしようか、蕎麦にしようか迷ってしまいました。

すると、お店の女性が「中華もお蕎麦もどちらも美味しいですよ」と言うではありませんか!

何か、デジャビュのような体験でした。

恐らく、私と同世代でしょうが、教科書で、このようなエッセイを覚えている方は、作者名と作品を教えてください。その他何でもコメントしてくださいね。

電子辞書を買いました

またまた、電子辞書を買ってしまいました。

買うまでに、随分悩みました。何と、4万1千円もするのです。

私はどうも優柔不断で、石橋を叩いても渡らない性格です。

しかも、1台、既に電子辞書は持っていたのです。

なぜ購入したかと言いますと、フランス語の電子辞書が欲しかったからです。前の1台は、英語専門で、その他の言語は入っていません。価格は忘れてしまいましたが、5,6年前に3万円ぐらいだったと思います。

今回も同じメーカーの機種で、大きさは前回より一回り大きくて分厚く、ブリタニカの百科事典まで入っています。フランス語だけではなく、英語も入っています。

価格は高めでしたが、何と、まるで小さなパソコンみたいな機能があり、他に気に入った辞書だけを別に購入してインストールできるのです。

もう一つ、重宝だったのが、「暗記カード」といって、自分で手書きで、単語帳を作ることができることです。これには驚きました。チェックして、記憶できた単語は削除できるようにもなっています。

こんな機械が昔あったら、私はとっくに語学の天才になっていたでしょうね(笑)。

しかしながら、この年齢で、いまだに、語学の勉強をし続けているというところが偉いと自分自身では思っています。

川島昭隠の「書」

公開日時: 2008年5月21日 @ 10:14

調布先生が年甲斐もなく(笑)子供のようにはしゃいでいます。

何やら、最近、オークションにはまって、「激戦」の末、川島昭隠老師の「書」を競り落としたというのです。

http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n65427048

川島老師は、岐阜県生まれの禅僧で、妙心寺派管長などを務め、大正13年(1924)に60歳で入寂されたそうですが、正直、私はよく知りませんでした。

この「書」には、正眼寺住職を務めた谷耕月老師の箱書が付き、調布先生によると、その価値を飛躍的に高めているということです。

またまた、谷老師についても私はよく知らなかったのですが、谷老師には、二階俊博や田中六助といった政界の大物が師事したという話です。戦国時代の安国寺恵瓊http://blog.goo.ne.jp/keiryusai/e/52483bbd78e7a1c4ba49017bd6ec97d3をはじめ、政治家と老師とはいつの時代でも密接な関係があるものなんですね。

つまり、いつの時代でも、老師は、精神的なメンターから政治的仲介交渉人の役割を果たしてきたという意味です。欧米やイスラム世界でも同じでしょうね。

さて、川島老師の「書」の話です。調布先生は「やっぱり、すごい。本物の迫力は違う。いつか見に来てくださいね」とウキウキされております。

世の中、「四川大地震」や「米大統領候補選挙」など色々とあるのに、私も、どうやら「半径500メートル以内」の狭い世界で生きているようです。

でも、いつか、この「書」の写真をアップできたらいいなあ、と思っています。

宿曜占星術は当たるかも

通訳仲間の酒田さんのブログを読んでいたら、面白い記事にぶつかりました。

「徳川幕府によって封印された占い」というタイトルです。

宿曜占星術と呼ばれるもので、自分の誕生日を入力すると、その人の性格が出てくるというのです。

私も半信半疑で挑戦してみました。

驚きました。すべては当たっていませんでしたが、こんな文句が出てきたのです。

「好奇心旺盛で、とりわけ裏の事情や情報に通じているタイプが多く、人間の心の裏側や物事の裏面を見通す洞察力が備わっています。」

ドキっですね。

ゴールデンウイークで退屈している皆さんもやってみますか?

サイトは、http://kosei-do.com/beginner/checktheyado.phpです。

エリック・クラプトン その壮絶な人生

 

「エリック・クラプトン自伝」を読んでいます。

何という凄まじい、まさに壮絶な半生なのでしょう。栄光と挫折。これほど、天国と地獄を行ったり来たりしている人生を送っている人は、私は過分にして知りません。

色んな見方があるかもしれませんが、クラプトンはとんでもない人ですね。複雑な経緯でこの世に生を受けたことは以前に書きましたが、この事実がトラウマになっているのか、アダルトチルドレンになっているのか知りませんが、普通の人では考えられないジェット・コースターのような人生を自ら選んで生きています。

何しろ、若い頃は定住先さえなく、ボヘミアンのような生活で、音楽以外は、女性と関係を持っているか、薬物かアルコールに浸っているかのいずれかなんですからね。恋人、愛人、いきずりの女性は数知れず。周囲に気に入ったと思えば、女もスーパースターが相手なので、拒絶する者は一人もおらず、登場する女性も8人くらい数えていて、あまりにも多いので、途中で馬鹿らしくて数えるのをやめてしまいました。

色んな薬物に手を出して、有名なアルバム録音や公演の最中でもやっていたことを告白しています。薬物から立ち直ったと思えば、今度はアルコール中毒です。米国のミネアポリス州にある有名な更生施設に二度も入らなければ、回復できないほど問題を抱えていました。

今、読んでいるところははもう終盤ですが、イタリア人のファッションモデルの愛人が儲けた息子が、ニューヨークの高層ビルから転落死するという事故に遭遇して、意気消沈する場面です。

波乱万丈なんていう生易しい言葉では片付かない複雑怪奇な半生です。

 

ちなみに、私が一番興味をもっていた、ジョーズ・ハリスンの妻だったパティを奪う事件についてのプラプトンの当時の感慨が素直に表現されていました。

「私がパティを手に入れたかったのは、彼女が、立派な車から輝かしい経歴、美人の妻まで、欲しいものをすべて持っているように私が見える(ジョージ・ハリスンという)力のある男のものだったからでもあった。」(少し文章を変えました)

と言うのです。

クラプトンは結局、パティと結婚しますが、手に入った途端に醒めてしまい、相変わらず同時並行して複数の女性と付き合い、アルコール中毒は深刻化し、結婚生活もうまくいくわけがなく、ほどなくして破局してしまいます。(以前ゴシップ記事で、クラプトンがパティと別れたのは、クラプトンの激しいDVによるもの、と書かれていましたが、クラプトン自身は全く暴力問題については書いていませんでした。「自伝」の限界でしょう。)

「ギターの神様」「ロック界のスーパースター」という肩書きがなければ、単なるアル中か色情魔です。その辺りを包み隠さず、淡々と正直に告白しているところがすごいです。

私が、クラプトンを知ったのは、クリームのメンバーの一員として「ホワイトルーム」がヒットした頃ですから、1967年か68年の頃です。もう40年も昔のことです。その後の活躍について、ほとんど知っていますし、アルバムもかなり持っているので、あの曲を出した時にこういう精神状態だったのか、と手に取るように分かりますが、クラプトンを一曲も知らない人にはちょっと読んでも分かりずらいでしょうね。

それに、何度も言いますが訳文がひどすぎます。日本語になっていない箇所が何度もあり、これも途中で腹が立ってマークすることをやめました。

これは、単なる一人のミュージッシャンの自伝というだけではなく、当時の時代を反映した歴史的証言だと思います。それには、もう少し、訳注を増やしたり、日本語版用に中見出しをもうけたりして、クラプトンをそれ程知らない人でも、もっと読みやすくした方がいいのではないかと思いました。これは訳者というより、編集者の怠慢です。

こんな本では歴史的価値がある資料としては残らないのが、残念です。(原文は別ですが)

「随分高いなあ」と思いつつ、2940円も出して買った本なので、少しぐらい意見を言ってもいいと思い、私の真情を吐露しました。

ホスピタリティが一番重要

 

 

 

今日は、JGA(日本観光通訳協会) http://www.jga21c.or.jp/ の研修会に初めて参加しました。

 

ゲストはJGA事務局長のNさん。もともと大手旅行会社に30年以上勤務され、57歳で資格を取得し、産業通訳・翻訳家を経て、現在に至る方です。

 

 

 

中心は、旅行会社勤務の頃の話で、「通訳案内士とCS」がテーマでした。

 

CSというと、普通、Customers’ Satisfaction (顧客満足度)とか  Customers’  Service(顧客サービス)などの略称として使われることが多いのですが、Nさんは、もう一つ   Complain Solution (クレーム処理)を挙げたのです。

 

パッケージツアーに関する苦情の要因として大きく分けて

 

1、パンフレットの表示(デメリットが最後に書かれたり、小さく読みにくく書かれたりする)

 

2、手配・斡旋(空港出迎えやホテルのチェックインなどの際の行き違い)

 

3、通訳案内士に関して

 

の3つがあるそうです。

 

その通訳案内士に関する苦情は、

 

1、L(language=言語)語学力

 

2、K(knowledge=知識) 説明不足で、同じ内容ばかり繰り返す

 

3、H(hospitarity=心配り)

 

の3つあるのですが、最後のホスピタリティに関する苦情が一番多く、内容も深刻だといいます。

 

 

 

Nさんの経験では、Aさんは、語学力と知識経験は非の打ち所がないほど、申し分がないのに、顧客から苦情が多い。どうしてなのか調べてみたら、やはり、最後の「心配り」がほとんどなく、アジア系の観光客が多いとあからさまに舌打ちしたり、相手は日本語が分からないだろうと見下して、「今日はこんなひどい」とか言ってしまったりするというのです。

 

Nさんは、Aさんに改めてもらうように説得したのですが、Aさんは「お客さんに迎合するのは嫌だ」と言うので、仕方なく辞めてもらったそうです。ただ、よくよく調べてみると、Aさんは、朝4時から起きて準備をして、夜9時まで働き、休みを取らず二週間も続けて働いてもらったこともあったそうで、雇用者側の責任もなきにしもあらずです。

 

 

 

Aさんとは逆にBさんは、語学力、知識経験には劣るものの、最後の気配りだけはよかったので、顧客からの苦情はこなかったそうです。Nさんは、「通訳ガイドは、相手の言葉を右から左に伝える単なる通訳とは違って、幅広い自分の知識が必要だ」と、通訳ガイドを持ち上げるような発言をしていましたが、通訳ガイドといっても、結局は接客業なんですね。

 

 

 

この仕事では、お客さんに色んな人がいたり、、事故や事件などアクシデントに遭わないとも限らない。ある程度「楽観的で小さいことにクヨクヨ気にしないことが大切」と話しておりました。

 

 

 

私はまだ、仕事ははじめていませんが、色々と参考になりました。

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外人用バスツアーを体験しました

 

今日は、通訳仲間の熊本さんのお導きで、はとバスの東京観光ツアー英語バージョンに参加しました。他に熊本さんの友人の酒田さんと今中さんと私で日本人は4人。バスの中で日本語をしゃべっていたら、ガイドさんから「仲間同士でしゃべらない!」といきなり日本語で怒られてしまいました。裏側の地図を見ていたら「それは、裏!」とぶっきら棒に言うんですよ。

これでも1万2千円も出して参加した「お客さん」なんですけどねえ。このはとバスのガイドさんはこの業界では大変有名な方だそうでした。最初、我々のことを冷やかしだと思ったらしいのですが、実は我々は「練習」のために参加していることが分かると実に親切丁寧に教えてくださいましたが…。(逆に、もっと外人さんのお相手をしてあげればよかったのに、と心配になりました)

 

さて、旅程は、浜松町を出発し、東京タワー展望台―白金台の八芳園(お茶会)―二重橋―目白の椿山荘(石焼バーベキューの昼食)―竹芝から遊覧船で隅田川下り浅草へー浅草寺―銀座ー浜松町という9時出発、17時過ぎ解散の1日コース。

英語でこうやって東京をガイドするのか、という意味で参考になりましたが、有名ガイドさんの発音がすごいJapanese English でちょっと聞き取りにくかったですね。お客さんは39人で、米国人が少なく、「何語をしゃべっているのかなあ」と思ったら、ボスニアのサラエボからの団体客でした。90年代に悲惨な「民族浄化」が行われた所です。「でも、今は、静かで安全な所よ。是非、遊びに来るべきよ」と言われてしまいました。この民族浄化が英語でなかなか思い出せませんでした。holocaust じゃありませんよ。 ethnic cleansing でした。

 

このほかニュージーランド、豪州の人が多かったでした。お名前は聞かなかったのですが、足が少しご不自由な高齢の母親を連れた親孝行のニュージーランドからいらした孝行息子さんもおりました。彼のニュージーランド英語の発音も聞き取りにくかったですが、オークランド近郊の小さな村から来られたようでした。職業も聞かなかったのですが、純朴な農民といった佇まいでした。

コースの場所のほとんどは、私は知り尽くした所ばかりだったので、大した感銘は受けなかったのですが、外国人観光客にとって、楽しめたのかなあと少し心配になってしまいました。もう少し日程的にも余裕があった方がよかったのではないかと思いました。それに、日本人の我々でさえ迷子になりそうになったくらいで、道案内にしても「あまり親切じゃないなあ」と感じてしまいました。

 

ちなみに、この有名ガイドさんに対してらしい「不満」のブログが今、ものすごい勢いでチェーンメールされていますので、お暇な時に覗いてみてください。

http://aquarian.cocolog-nifty.com/masaqua/2006/04/post_b81c.html

嵐山町桜祭り

母と兄と私という不思議なトリオで、埼玉県嵐山町の桜祭りに出かけてきました。

東京ではそろそろ桜も散り始めているのに、嵐山町は今が満開でした。

 

東京から高速に乗ると、わずか1時間半ほどの距離です。関越線に乗り、小松川ICで降りて、ほどなくして着きます。

都幾川沿いに2キロぐらい桜並木が続き圧巻でした。

町をあげてのフェスティバルなので、町の商工会や青年会が「屋台」を出していました。ビール、焼き鳥、お好み焼き、うどん、クッキー、ちょっとした小物まで売ってました。その筋の人たちじゃないので、とても安い。

和太鼓も披露してくれました。

ヴァラエティ日本版の発行人にお会いしました

 昨日は複数の会合に出席し、また帰宅が深更に及びました。そろそろ、肝臓の方も疲れてきました。

午後は、日比谷でおつな寿司セミナーの月例会。ゲストは、エンターテインメント雑誌「ヴァラエティ」日本版の編集発行人のHさん。同誌は1905年発行の世界で最も古いエンタメ誌で、現在、ロンドンの本社があるリード・ビジネス・インフォメーションから発行されているそうです。同社は世界最大の出版社らしく、250種類の雑誌を世界で出版し、1兆円の売り上げがあるそうです。

同誌は、主にハリウッド映画やブロードウエーで働く業界人のためのビジネス誌に近いもので、スタッフも同誌を参考にキャスティングしたり、プロデュースしたりするそうです。データに定評があり、興行収益も水増ししたりせず、厳格な数字を掲載しているので、例えば、ある映画を製作する際にファンドを公募した時に、同誌が運営するM社の裏書があると、その信用が絶大で、銀行からも簡単にお金が借りられるそうです。

ヴァラエティ日本版は、ネットでビジネスを展開していますが、広告収入はそれほど期待できず、データベースやアーカイブなどコンテンツ販売に力を入れるそうです。

ちょっとオフレコ発言が多かったので、普通の人は、ネットを見て楽しめればいいのではないかと思います。http://www.varietyjapan.com/

夜は銀座の「方舟」で、通訳案内士の皆さんとの会合。これから本格的に仕事をしようとする人ばかり9人も集まりました。わざわざ奈良県からお見えになった方もおり、初対面の方が多かったのですが、和気藹々とした雰囲気で何ということのない話でも大笑いしました。

 

ただ、通訳の仕事は「個人事業」なので、シビアな話もありました。リスクが発生した時に、どう対処したらいいかということです。エージェントからの依頼の仕事だったら、そのエージェントなりが賠償してくれたりするかもしれませんが、個人で直接仕事を請け負った時、例えば、お客さんが怪我をしたとか、お金やパスポートを落としたりするなど万が一の事態が起きた時に、ガイド個人がかなりの負担を背負わなければならないケースも発生するというのです。

ある通訳ガイドの人はそれが嫌で、個人で直接仕事は受けないそうです。いくらエージェントに上前をはねられても(失礼)、保険になるので、組織を通した方が安心感が違うというのです。

東田さんという福岡出身の人が、米国の大学では、教授連中は必ず保険に入るという話をしていました。それは、米国は訴訟社会ですから、例えば、成績にAをもらえなかった学生が逆恨みして、やってもいないのにセクハラで訴えたりするケースがあるそうなのです。

そういう世界から来る人たちをガイドするとなるとそれは大変ですね。

色々と勉強になりました。

本は読むな?

 

衝撃的なインタビューの記事(毎日新聞3月21日付夕刊)を読みました。ここ数年で一番、印象に残った記事ではないかと思います。

84歳の評論家、外山滋比古(お茶の水女子大名誉教授)さんです。「75歳ぐらいから知的活力が湧いてきた。これは大変な発見でした」といから驚きです。

私は、読んでいなかったのですが、1983年に発表した「思考の整理学」(筑摩書房)がロングセラーを続けているという話です。86年に文庫化され、この一年だけで27万部も増刷され、44万部も売れているそうです。

執筆のきっかけは、優秀な学生ほど卒論の内容が面白くなく、不勉強の学生の方が発想が奇抜で興味深い卒論を書いてきたからだそうです。これがきっかけに、

知識と思考力は比例しない。極論すると、知識が増えると思考力が下がり、知識が少ないと思考力が活発になるのではないかーという仮説ができたというのです。

彼の発言を少し換骨奪胎して引用します。

「あまり本を読んじゃいけないと考えたんです。本を読みすぎると、どうしてもその知識を借りたくなる。知識がなく、頭が空っぽであれば、自分で考えざるをえなくなる。そのために、新しいことを本で知らないこと。どうせ読むなら賞味期限20年も過ぎた古い本か古典を読むことです」

「思考力を養うには、あまり役に立たない、むしろ有害な知識を忘れること。一番良いのは、体を動かして汗を流すこと。体操、散歩、風呂がいい。酒を飲んで忘れるのもいいが、急激すぎる。じわじわ忘れていくのがいい」

「人間を育てるということは、いい教育、いい環境を与えることではない。むしろ、劣悪な環境を乗り越える力を持たせることによって、能力は高まる。テストの点数を取るのは苦手でも、逆風に耐える力で、人間力は決まる」

ね、すごい意見でしょ?もう、仮説も、意見も超えて、定説に近いかもしれません。

私もそれこそ、本ばかり読んできた人間なので、深く考えさせられ、その逆転の発想で、目から鱗の落ちるような衝撃を受けたのです。あまり、本を読んでこなかった人には、全く、何の衝撃も受けることはないでしょうね(笑)。

75歳を過ぎて、知的な活力が湧いてきたというのは、「信長の棺」で75歳でデビューした作家の加藤廣さんの例でも明らかですが、加藤さんの読書量はそれこそ膨大です。

ただ目先のことに拘らず、「古典を読め」と私は解釈したのですが…。