今夏は東北三大祭りに行くのだ!

 

 

 

夏休みのプランがやっと決まりました。

8月の初めしか休みが取れないので、調布先生からお誘いを受けたお盆の京都には行けず、残念でしたが、色々と試行錯誤を重ねて、「東北三大祭り」に行くことにしました。

8月6日から2泊3日。「秋田竿灯まつり」と「青森ねぶた祭」と「仙台七夕まつり」の実に欲張った旅行です。

当初は友人と行くつもりでしたが、予定が合わずキャンセル。結局、一人でも参加できるJTBのツアーに申し込むことにしました。

楽しみですね。いずれの祭りも、テレビのニュースでは見たことがありますが、生で見るのは初めてです。

私には、死ぬまでに、できるだけ多くの日本の全国のお祭をこの眼で見てみたいという壮大な野望があります。(大袈裟な!)

何かウキウキしてきて、生きる希望が湧いてきました(笑)。

このツアーは一人でも参加できますから、皆さんも参加しませんか?

http://www.jtb.co.jp/kokunai/pkg/detail.aspx?tourcd=13E26051999999999014&dept=TYO&ln=30&sod=&soc=&dmonth=&ddate=&areaAdd=&prefAdd=&fc=&clId=&brand=tourdom&Setplan=&SearchType=&area=A02&ck=&SetStart=&SetEnd=&days=&TourConFlg=X&SetFareFrom=&SetFareFrom2=&SetFareTo=&SetType=000000000000&Brand_BitFlg=00000&MinCstm=&SetKeyword=夏祭り&SetKeywordAdd=&Remove=&OnOff=&SetOrkeyWord=

ちょっと高いかもしれませんが、お祭りはショバ代です。大手旅行代理店なら「良い席」を確保してくれますからね。

山本モナ事件はサミットを超えた

久し振りに柔らかものの話です。天下国家を論じるより、人間の下部組織に属する方が案外、読まれ、注目されるものですから(笑)。

ここ数日、騒がれているフリーアナウンサーの山本モナさんと巨人軍の二岡智宏内野手との不倫騒動事件の話です。何しろ、何の収穫もなかったサミットよりも多くの日本人が注目したからです。

私は、普段は一般紙しか読まず、ニュース以外のテレビもほとんど見ないのですが、この騒動だけは、何となく耳に入ってきました。

何しろ、山本モナさんは、一昨年の民主党代議士との不倫に次ぎ、2度目です。この時、TBSの「ニュース23」のキャスターを降板しました。そして、今回は、変なスイカの被り物を被ったり涙ぐましいほど、自分を捨てて、バラエティー番組に出て、世間からみそぎを受け、ほとぼりも醒めた頃になって、やっと、フジテレビの情報番組「サキヨミ」のキャスターに復帰したかと思ったら、たった1回の出演で、降板の憂き目に遭うことになりました。

「誰かがモナをさした(失脚狙い)んじゃないか」と噂されてもおかしくないくらい、ドンピシャのタイミングでした。

一方の妻子ある二岡選手は、巨人軍の選手会長なのですか?よく分かりませんが、今季は調子悪く、二軍落ちしたところに、振って沸いたこの騒動です。頭を丸刈りにして反省の意を示しましたが、二軍の試合で、代走で出場したら「おーい、山本~」と野次が飛んだそうですね。

二人が泊まった9800円の五反田のホテルは有名になって、昼間から超満員なんだそうです。(腹が立ちますね)

ソフトバンクの王監督も、球界の盟主・読売巨人軍の選手が利用するにしては、あまりにも安すぎるということを言いたかったのか、「9800円のところに行くのは、いかんわな」と、よく分からない妙なコメントをしていますが、こんなコメントでさえ、日本中を駆け巡りました。

日本は平和ですね。

サミットに来なかったフランスのサルコジ大統領のカーラ・ブルーニさんの3枚目のCDアルバムが11日に発売されたそうです。

タイトルは、Comme si de rien n’etait

私の試訳では、「まるで、何事もなかったかのように」です。

山本さんと二岡選手の密会は女性誌によって、スクープされましたが、山本さんは「二人でお酒を飲んだだけで、何もなかった」と釈明しています。

二岡選手も、丸刈りなんかにしないで、「まるで、何事もなかったかのように」振舞えばよかったのに…。

あ、こんなことを書くと、非難轟々の嵐でしょうね。

いずれにせよ、カーラ・ブルーニさんCarla Bruni-Sarkozyのアルバムを聴いてみたいものです。

どなたか聴いた方は、感想をコメントしてください。

ややこしいことは考えない

陸上女子百メートルで、福島千里選手(帯広南商高出)が、女子短距離としては、1952年のヘルシンキ五輪以来実に56年ぶりにオリンピック代表に選ばれました。

確か、北海道に住んでいた頃、易経などを教えて頂いた角田先生も同校出身だったなあ、と思って久しぶりに電話したら、つい、長話になってしまいました。(地元では号外が出たそうです)

先生は、何と、フランス人の友人ができて、今、フランス語を勉強しているというのです。「いつか、プロバンスに行きたい」というので、かなり本気です。

私は自分でも笑ってしまいますが、この年になっても、まだ、将来がはっきりせず、右往左往というか、相変わらず、迷ってばかりいるのですが、先生は「悩まなければいいんだよ」と諭してくれました。

「悩みたい人は、悩みたいから悩んでいるのです。迷っているのは迷いたいからです。もうそろそろ、自分を許したらどうですか。ありのままの自分を受け入れたらどうですか。自分自身を信じることです。人は人、自分は自分なのです。人と比べたりするから、そこに嫉妬や自己嫌悪や劣等感が生まれるのです。他の誰よりも自分自身が頼りになれば、人生が変わります。外側に何かを求めなければ、内側からエネルギーが沸いてきます。だから、早く自立して、誰よりも自分のことを理解してあげてください」

そうですね。私も難しく考えすぎていました。

そういえば、調布先生の口癖に「あんまり、ごちゃごちゃ考えない方がいいですよ。ややこしいことを考えたりするからいけないんですよ」というのがありました。これを英語で何というか?それこそ、あまり、ややこしく考えない方がいいですよ。極めてシンプルに、

Don’t complicate things.

と言います。

三業地の大塚は穴場です

 

昨晩は、作家のAさんと大塚で痛飲しました。色々とお話を伺いましたが、この人は、只者ではない、とてつもない人だということが分かりました。お互いに共通に知っている知人の話をしたりしましたが、人脈の広さと深さはただならぬものがあり、電話1本で政界のリーダーや裏社会の人物と会ったりしているので、色んなことに通じています。

茲に書いてもいいのですが、やっぱり止めておきます(笑)。今度お会いした時、お話ししてあげます。Aさんは秋口に、岩波書店から本を出されるようなので、楽しみにしましょう。

大塚は、私にとって、大変思い出深い街です。もう大分昔ですが、1年間予備校に通った所です。まさか、浪人するとは思わなかったので、全く準備をしていなかったら、高校の目良先生が、「大塚に武蔵という親身で家庭的な予備校があるから、そこはどうだ」と教えてくれたのです。予備校ながら、入学試験がありました。確かにいい予備校でした。万葉集学者の中西進先生がバイトで国語を教えていました。毎週、試験があって、座席やクラスは成績順で決まるのです。牢獄のような予備校でしたが、亡くなった加納君や末岡君といった友人と知り合うこともできました。大学合格後、一度だけ、模擬試験の監督のアルバイトをさせてくれて、当時としてはかなり高額の1万円ぐらいもらった思い出があります。

「今は、どうなっているのだろう」と思って、Aさんに会う前に予備校に足を向けたのですが、街はすっかり変わっていて、見当もつきませんでした。昔は大塚の駅を降りたら、駅から建物の屋上に掲げた「武蔵」の看板が見えたものでした。しかし、もうなくなっていました。その跡地は、新興宗教の真如苑の大塚支部になっていたのには、驚いてしまいました。

博覧強記のAさんは、大塚の地理と歴史に異様に詳しかったです。それもそのはず、中学は大塚で、高校は巣鴨にある都立高校出身だったからです。北口に鎌倉時代創建の「天祖神社」があり、終戦時の総理大臣だった鈴木貫太郎も大塚に住んでいたそうです。鈴木は、2・26事件の際、侍従長で、青年将校らによって襲撃されましたが、奇跡的に一命を取り留めた人です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%B2%AB%E5%A4%AA%E9%83%8E

大塚は三業地(料亭、芸者置屋、待合)として有名で、戦前は隣りの池袋と比べ物にならないくらい歓楽街として賑わっていたそうです。駅前に白木屋百貨店があったという話は初めて聞きました。白木屋は江戸時代創業の老舗で、三越より繁盛していた時代もありました。ただし、ウイキペディアを検索してみたらhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9C%A8%E5%B1%8B_(%E3%83%87%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88)

大塚のことは触れていませんね。

Aさんによると、本当は、大塚が、地下鉄や私鉄駅のターミナルになる予定だったのが、地元商工会の反対でつぶれてしまい、みんな隣りの池袋にもっていかれてしまったそうなのです。当時の鉄道のイメージは、武蔵野鉄道(後の西武鉄道)にしろ、東武鉄道にしろ、石炭や、砂利やセメントなどを運ぶ貨物列車が主体で、これほど多くの通勤通学客を運ぶことは想像もできなかったそうなのです。

おかげで、戦後は池袋とは比べ物にならないくらい寂れてしまいましたが、猥雑さとかけ離れたしっとりと落ち着いた風情があり、いい街です。

最初、有名な居酒屋「こなから」http://hw001.gate01.com/izakayajunky/konakara.htmで飲み、この後、Aさんの案内で三業地を徘徊しました。何と、政治家の皆さんがこの辺りの料亭を利用するそうです。私は、赤坂か神楽坂かと思っていましたが、大塚は確かに隠れ家になりそうです。ただ、潰れてしまって更地になった料亭も散見されました。寿司屋の「高勢」http://www.01ch.com/gourmet/takase.htmlは知る人ぞ知る高級鮨屋で、有名な政治家と鉢合わせする機会もあるそうですよ。

大塚といえば、南口にある「江戸一」http://hw001.gate01.com/izakayajunky/edoiti_2003_aki.htmには何回か行ったことがあります。最初は、学生時代に恩師の朝倉先生に連れて行ってもらいました。もう何年も前ですが、ここで、劇団四季の浅利慶太代表が若いおねえちゃんと一緒に楽しそうに堂々と飲んでいるのを見かけました。その後、結婚か再婚のニュースを聞きましたが、相手がそのおねえちゃんだったかどうかは不明です。ここもいい店ですが、Aさんからは「串駒」http://www.kushikoma.com/という有名な老舗居酒屋も教えててもらいました。皆さん、今度ご一緒しましょうね。

「はん亭」は素晴らしいお店でした

 

昨晩は、Mさんと一緒に根津の串揚げ屋「はん亭」http://www.hantei.co.jp/nedu.htmlに行ってきました。美味しい串揚げを三人前くらい平らげ、二人で焼酎のボトルを一本空けてしまい、またまた痛飲してしまいました。どうやって帰ったのか覚えていません。

根津はいいですね。下町の情緒が残っていて、妙に落ち着きます。

この「はん亭」の建物は、明治時代に建てられた風格のある総ケヤキ造りの三階建てで、関東大震災も、昭和の戦災にも逃れて、明治ー大正ー昭和ー平成と生き残っているのですから、すごいの何のって…。文化庁の登録有形文化財にも指定されているということです。

Mさんは、出版社の編集者ですが、今月末で退社して、取り敢えず、フリーランスになるという話を聞かされ、ビックリしてしまいました。テレビ局にも勤めたことがあり、大変優秀な方なので、色々な所から引き手があったそうなのですが、ライフワークに専念したいという話でした。

いやあ、すごくヴァイタリティのある方です。私も今すぐ組織を辞めて、身を粉にして邁進するほどの仕事や使命感があるのか、と突きつけられれば、自信がないですからね。

でも、大変刺激を受けました。時が経つのは速いですから、ボヤボヤしていられません。

堀切菖蒲園

 日暮里から京成線で4駅9分180円

 

梅雨の合間を縫って、堀切菖蒲園にまで出かけ、花菖蒲を観賞してきました。

 

江戸の名所として有名で、安藤広重や歌川豊国らによって錦絵が描かれてきましたが、私は、何十年も人間をやっていますが、訪れるのは初めてです。

 

案内によると、江戸文化年間(1804-1871年)に堀切村の小高伊左衛門さんという人が自宅の庭に栽培したのが最初らしく、現在、約200種、6000株の花菖蒲があるそうです。

 

人ゴミを避けて、平日の昼間に出かけたのですが、シーズン(6月上旬~中旬)とあって、観光バスも何台か停まり、結構、込んでいました。ほとんどが、年配の方でしたが。

 

でも、これだけ沢山の花菖蒲を眺めることができたのは生まれて初めてで、実に壮観でした。

 

江戸の庶民になった感じで、一日中、気分が良かったです。

ついに、ラ・ベットラに


銀座一丁目のイタリアンレストラン「ラ・ベットラ」に行ってきました。
「日本一予約が取りにくいお店」ということなので、勿論、落合シェフがいる(とみられる)本店ではありませんが、この近くにある姉妹店の「ラ・ベットラ・ビス」の方です。でも、メニューはそれほど違うわけでもないということでした。
私は、1890円のBランチを注文しました。前菜とイカスミ・スパゲティをチョイスしました。

料理は、頭や講釈で食べるものなんですね。もし、予備知識がなかったら、それほど感動しなかったかもしれません。

でも、予備知識があったおかげで、そのまろやかな味に感激することができました。

とはいえ、一人でもくもくと食べたため、感動も半減してしまいました。今度、妙齢な方とご一緒しようかと思っています(笑)。

さて、昨日は東京・秋葉原で凄惨な事故がありました。25歳の通り魔によって、7人が死亡し、10人が重軽傷を負った大事件のことです。通り魔は、静岡県の沼津からレンタカーのトラックで秋葉原まで乗り付け、歩行者天国を歩いていた人を数人はねた後、車から降りて、サバイバルナイフを振り回したというのです。

丁度、7年前の同じ日に、大阪の池田小学校で8人の児童が殺害された日だったので、何かの因縁を感じます。

日本は、丁度、梅雨の真っ最中で、どうも、頭の中も空と同じように曇っている感じがします。

今回の加藤智大容疑者は「誰でもいいから、人を殺したかった」と供述していますが、鬱陶しい天候も影響していたかもしれません。

それにしても、誰でもいいから、人を殺したかったという人間とそういう人間を生み出した社会は、明らかに狂ってます。3月に土浦で起きた無差別殺人事件で逮捕された24歳の容疑者も同じようなことを言っていました。

こういうことは、連鎖反応が起きるのでしょうか?私には全く理解の範疇を超えるので、コメントすらできません。

ただ、加藤容疑者のように、自己の挫折や不満の責任を世間や他人のせいにすることは間違っています。
自分で責任取るしかありません。

何処に住んでいようと、善人が豹変して殺人者になりうる時代になりました。ただ、生きているだけでも覚悟が必要の世の中になったということでしょう。

今回、犠牲になられた方と遺族の方には本当にお気の毒で、ご冥福をお祈り申し上げます。

レコーディング・ダイエット

公開日時: 2008年6月6日 @ 09:28

 

「もうデブと呼ぶなよ」とか何とか言うキャッチコピーでベストセラーになっている評論家のダイエット本がありますが、実際、試して成功した人間が身近にいたので驚いてしまいました。

 

「レコーディング・ダイエット」とか呼ばれる減量法で、自分の食べた物をすべて記録してカロリー・コントロールするというものです。

 

身近の人間とは、私の同僚のことで、普段は無口で、誰とも話したがらないオタクみたいな奴なのですが、何を血迷ったのか、ウキウキして話が止まらないのです。

彼によると、半年で、何と、10キロも減量に成功したというのです。体重が67キロから57キロになったとか。胴周りも、85センチから72センチと、13センチも減少したんだそうです!

彼は身長170センチぐらいでしょうか。彼ぐらいの身長だと、一日、1500キロカロリーが目安だそうで、彼は、毎日、三食小まめに食べた食事のカロリーを記録して、制限をオーバーしそうだと、控えることにし、自ずと間食のケーキやおやつも控えるようになったせいか、件の成功に導いたということです。

でも、10キロも減量したとは、周囲の者は誰も気がつきませんでした。そんな、おじさんの風体など、本人以外、誰も気にも留めていないということなのかもしれません(笑)

そうです。本人以外、あなたのことなんか、誰も気にしていないんですよ。(きつい皮肉でした)

やたらとイタリア料理店が多い所…

 

 

 

書くことがないので、単なる個人的な絵日記になってしまいそうです。

最近、お昼は、東銀座の1丁目か2丁目辺りで取ることが多いです。

あるグルメの方から、おいしいお蕎麦屋さんを紹介されて行ってみたら、近辺に結構人が並んでいるイタリア料理店があり、空いた頃に入ってみたら、昼間からワインをサービスを出してくれて、値段もそこそこでした。

え?どこかって?

教えたら怒られてしまうかもしれませんが、お蕎麦屋さんは「Y」という店です。通りを1本入った狭い路地に風格のある木造の建物があり、店構えが昭和三十年代風で趣きがあります。店内は本当に狭く、カウンターと座席で、数えたら18人しか入れませんでした。

私は「地獄」という蕎麦を注文しました。これは何なんでしょうか。ほうれん草と生卵が乗った蕎麦。何で地獄なのか分かりません。味は飛びぬけて天にまで上る感じとまではいきませんでしたが、麺とダシは他店にないコクと深みがありました。950円。この店を出て、近くに立ち食い蕎麦屋があり、卵ソバ320円とありました。

この辺りにはやたらとイタリアンレストランが多いのです。店の前に大きなイタリアの三色旗を掲げているのですぐ分かります。「イル ビアンコ」「山岸食堂」「オステリア アズーロ」…半径500メートル以内に4,5軒あるので、不思議です。また、狭い路地の奥に「グラン ブールバール」というフランス料理店も見つけました。今度行ってみようかと思います。昼間からワインをサービスしてくれるのは「イル ビアンコ」です。いずれも、ランチは千円ぐらいです。近くにお越しの際は、是非お奨めです。

昨晩はまた痛飲してしまい、二日酔い。新橋の「手羅須」というスナックが開店25周年で、食べ放題、飲み放題で3500円ということで、会社の先輩の長野さんと一緒に覗いてみたのですが、結局、飲みすぎてしまいました。今週土曜日まで、やってます。

生老病死。

最近、私自身は「老」を感じる毎日ですが、先輩の長野さんは、先日、同期入社のNさんが亡くなったこともあり、「最近、死を身近に感じています」としみじみと話しておりました。

我輩の辞書…

 

 

 

ナポレオンの言葉に、「 我輩の辞書に不可能という文字はない」という名文句があります。どなたでもご存知でしょう。

 

でも、英語で何と言うかご存知ですか?

 

The word  “impossible” was not in Napoleon’s (                    ).

 

といいます。さて、括弧の中に何が入るでしょうか。

辞書だから、dictionary ? ・・・実は、私もそう思いました。

 

でも、答えは、 vocabulary  なんですね。

 

「歴史的事実」なので、was より is の方が良さそうだと私自身思ったのですが、とにかく、

The word  “impossible” was not in Napoleon’s vocabulary.

というそうです。

でも、ナポレオンはフランス人。原文のフランス語では何というのですかね?

調べたら

 

Impossible n’est pas francais.

 

と言いました。直訳すると、

 

不可能はフランス的はない。

 

たったそれだけでした。随分、簡単なんですね。

 

ナポレオンが部下を叱咤激励した際、「フランス人ならできないことはない」という意味で使ったそうです。

 

フランスの諺に

Ce qui n’est pas clair n’est pas francais.

というものがあります。

明晰ではないものは、フランス語ではない。

という意味です。

 

英語は、発音にしても意味解釈にしても結構、曖昧なところがあります。が、フランス語は文法が少し厄介ですが、確かに明晰で、曖昧なところが少ない。「L」と「R 」の発音も全く違うので簡単に区別できます。

 

日本人にとって、英語よりフランス語の方が学習しやすく、身に着きやすいと私は思っています。