ついに特賞当選!めでたいめでたい

◇笑いを求めて三千里

《渓流斎日乗》は、基本的に読者の皆様のお笑いを目標に毎日せっせと作成しております。

笑いにも色々ありまして、爆笑、苦笑、微苦笑、嘲笑、大笑、哄笑、談笑、一笑、冷笑、失笑、含笑…

笑いは、権力者に立ち向かう庶民の最後の砦ー。そう生真面目に捉えておりまする(笑)。

で、昨日の勤労感謝の日。天気が良いので散歩に出掛け、駅近くのお茶屋さんで、美味すぎると評判の海苔3帖×2を買ったところ、「『福引き』を引いてください」と美人の女将さんが仰るではありませんか。

私は、日頃の行いが悪いですから、クジ運も悪く、これまで大したものに当たったことはありません。なので、あんまし期待しないでガラガラを回したところ、何と、金玉の特賞が当たり、現金500円が当たったのです。

これは春から縁起が良い(笑)。

500円もあれば、文藝春秋の社長さんが図書館に猛然と抗議した文庫本が一冊買えますし、駄菓子屋さんに行けば、飴玉が何十個も買えますねえ。

嬉しい、嬉しいですね。

小躍りして、スキップして家路に着きました。

神保町で渓流斎日乗プラットフォーム完成記念祝賀会開催

東京・神保町「上海庭」飲み放題・食べ放題コース 3300円

読者の皆様方は、《渓流斎日乗》の表紙の写真が変わったので、さぞかし驚かれたことでしょう。前の「壺」の写真は、このサイトのソフト会社の「無料サンプル版」だったため、世界各国で、全く同じ壺の表紙写真を使ったサイトがあることが分かったからです(笑)。急遽、バチカン市国のサン・ピエトロ寺院の「屋上」から小生が撮影した写真を採用することに致しました。

昨晩は、《渓流斎日乗》独立復活プラットフォーム完成を記念して、お世話になった青年IT実業家の松長社長と、彼の事務所近くの東京・神保町の中華料理店「上海庭」で祝賀会を行いました。

松長社長の行きつけのお店らしく、飲み放題、食べ放題で一人たったの3300円!2人で、ビールジョッキ4杯と紹興酒のボトルを3本も日馬富士のように自由闊達に空けてしまい、すっかり酔って松長社長に御馳走になってしまい、どうやって家に帰ったのか覚えていません(笑)。

◇なぜ産経は「密偵」を批判しない?

祝賀会が始まる前に名古屋の篠田先生から電話があり、「さっき、渓流斎日乗が薦める韓国映画『密偵』を見ってい来たよ。酷いねえ。韓国では750万人が観たらしいけど、反日映画だねえ。何で、産経新聞は黙ってるのかねえ?あれだけ、慰安婦や竹島問題は批判しても、この映画は何の批判もしない。何か裏があるのかね?おっかしいねえ」と一気にまくし立てた後、「でも、それだけ日本人は、植民地時代、彼らに悪いことしたんだろうなあ」とも付け加えていました。

私は、別に「密偵」をお薦めしたわけでなはく、「荒唐無稽な場面があり、ガッカリした」とはっきりと書いてますけどね(笑)。

築地「唐がらし」 帯広豚丼定食コーヒー付 1080円

◇「途中解約事件」

「飲み放題・食べ放題」コースは2時間の制限でしたが、松長社長が顔が効くらしく、3時間以上も居座って色んな話をしました。

彼の本職には、IT関係のソフト開発やホームページの作成などがありますが、彼はかなり、昔気質の頑固な職人肌の人だということが今回、初めて知りました。

あまり詳しくは書けませんが、某企業から会社のホームページ作成を受注し、完成すればかなり高額な契約だったのですが、先方の対応があまりにも酷かったので、彼の方から違約金を支払って、途中で解約してしまったというのです。

その理由は、先方の担当者がコロコロと変わり、その度に前任者とは全く違うことを依頼してきて、収拾がつかなくなり、すっかり嫌気が差してしまったというのです。

しかし、それはそうだとしても、受注した側はクライアントの身勝手な要望はある程度聞かなくてはなりませんよね。つまり、普通なら妥協するもんです。

そんな妥協知らずの職人気質の彼が、私のような身勝手な人間の要望を色々と聞いてくれて、《渓流斎日乗》のプラットフォームをよくぞ完成させてくれたもんです。感謝の言葉しかありませんね。

彼からは「渓流斎さんの真面目な態度が気に入ったからですよ」と言ってもらえましたが、「途中解約事件」の話を聞いて、まさに奇跡的だと感じました。

リベラリズム再考

新富町「ブロッサム」 ハンバーグ定食750円

井上達夫の法哲学入門「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」(毎日新聞出版)。第1部の「リベラルの危機」では、憲法九条の解釈や慰安婦問題、靖国問題など、国論を二分するようなホットイッシューについて、井上教授は火を吹くように話していましたが、第2部の「正義の行方」になると、ガラリと変わって、法哲学とは何なのか、井上教授がなぜ法哲学者の道に進むことになったのか、今、法哲学では何が問題になっているのか、分かりやすく、冷静に講義の形で述べています。

その法哲学ですが、ソクラテスやプラトンに始まり、英国経験論の父ジョン・ロックや「リヴァイアサン」のトマス・ホッブスらの哲学思想も易しく解説され、現代のリベラリズムに多大な影響を与えたジョン・ロールズによる「政治的リアリズム」に対する批判、共同体論者からリベラリストに変容した「ハーバード白熱教室」でブームになったマイケル・サンデルに対する賛意と所見などが述べられています。

◇悪法でも法は法

法哲学は難しいですが、最終的には「正義概念」に行きつくようです。

(引用)社会の政治的決定と、その産物である法が、自分の正義の構想から見たら間違っているにもかかわらず、自分たちの社会の公共的決定の産物として尊重することがいかにして可能なのか。この問いが悪法問題です。

…ここで法を自分たちの社会の公共的決定の産物として尊重するとき、法の正しさを見ている。これは正当性(ライトネス)ではなく正統性(レジティマシー)を問うている。

…「法の支配」、つまり法が「勝者の正義」であってはいけない。政治闘争で勝ったやつが、自分たちの決定を「法」として押しつける。それだけのことであれば、、その法に正統性がない。

正統性というのは、負けた方から見て間違っているけれど、自分たちは次の闘争で勝てるまでは尊重できる。そういう法には正統性があると言える。つまり、敗者の視点から見なければならない。(引用終わり)

という感じて、お話が進むわけです。

このほかに、毎年、1800万人が貧困死し、それを減らすのに年間60億ドルしかかからないのに、米国はイラク戦争で、月間50億ドルもの戦費を使っていたなどと批判したりして、大変、知的好奇心を満足させてくれる記述をあちこちで読むことができます。

ただ、惜しむらくは、159ページで「マハティールのインドネシア」と間違って語ったことをそのまま活字にしてしまっていることです。明らかにマレーシアの間違いであり、編集者も校正者も気が付くべきでした。そうでないと、著者はASEAN(東南アジア諸国連合)にほとんど関心も知識もないのではないかと勘ぐられたり、この本全体の信頼性、というか、井上先生の仰る正統性に欠けてしまう嫌いがあるからです。

永源寺 滋賀紅葉狩りの旅

滋賀・永源寺 ©️Ohtsu–tsushinin

滋賀の大津農林水産通信員です。

最近、奈良の西大寺先生や京都の京洛先生が世界的にも有名になられ、盛んに紅葉狩りのレポートを投稿されております。

わたしも同じ関西の人間として、これは負けじと、日本の歴史の故郷の魅力は、奈良や京都だけではない。滋賀にこそある、と孤軍奮闘でこれまで頑張ってきたわけです。

滋賀・永源寺 ©️Ohtsu–tsushinin

西大寺先生や京洛先生だけに、”紅葉便り”を任せるわけにはいきませんからね(笑)。

◇意外に知られていない湖東古刹の紅葉

関西で意外に知られていないのが、湖東(琵琶湖の東側)の古刹の紅葉です。
東近江市には、「永源寺(えいげんじ、臨済宗永源寺派大本山)」や「西明寺(さいみょうじ)」「金剛輪寺(こんごうりんじ)」「百濟寺(ひゃくさいじ)」といった本堂が「国宝」で、千五百年前に建てられた古刹があります。今の時季、紅葉、楓の色合いが、実に鮮やか、綺麗ですね。

滋賀・永源寺 ©️Ohtsu–tsushinin

また、湖東あたりに来ると、京都、奈良、大阪のような「インバウンド」なんて、無粋で、俗臭ぷんぷんな行儀の悪い異国の観光客は、まだ訪れていませんね(笑)。

しかも、どのお寺も、「本堂」に上がるまでの、静寂で、石段の数がそれなりにあり、足腰の鍛錬にもなります。
今回は、”乗合バスツアー”で、急いで、ぐるっと一巡してきましたので、《渓流斎日乗》農林水産通信員として、まず、「永源寺」の紅葉を御報せ致します。 

滋賀・永源寺 ©️Ohtsu–tsushinin

永源寺は紅葉、楓の樹木が多く、総門から山門に向かって、頭の上に広がる紅葉は実に見事です。また、この界隈は、水が豊かで、豆腐、こんにやくなどが名産品で、水は信仰にも深くかかわっています。

◇近江守護職佐々木六角が創建

永源寺の専門道場(僧堂)に参禅する禅僧も多く、こうした地下から湧き出る水を使って修行に勤しんでいる、という事です。
同寺の歴史は興安元年(1361年)、近江の守護職、佐々木六角が入唐求法の寂室元光禅師に帰依して、創建されました。
応仁の乱では、京都の兵火から避けた洛中の有名な僧侶が永源寺にも続々やって来て修行に打ち込み、寺勢は活気づいたそうです。

◇別峰紹印禅師が尽力
しかし、その後の相次ぐ戦乱は、永源寺にも及び、同寺も荒廃しました。江戸時代中期になりようやく、妙心寺から来た別峰紹印禅師が尽力し、後水尾天皇はじめ、東福門院、彦根藩(井伊家)ら有力者のバックアップを得て、興隆してきました。
明治になり、それまでの「臨済宗東福寺派」から離れて、新たに「永源寺派」として独立し、臨済宗の総本山の一つになり、今では末寺が全国に100カ寺もあるそうです。

滋賀・永源寺 ©️Ohtsu–tsushinin

◇臨済宗の総本山はいくつ?

ところで、《渓流斎日乗》御愛読の皆さんに質問ですが、日本に伝えられた「臨済宗」の総本山は今いくつあると思いますか?

答えは、下記の通りで14です。たくさんありますね。

(1)臨済宗妙心寺派 大本山妙心寺(京都市右京区)
(2)臨済宗建長寺派 大本山建長寺(鎌倉市)
(3)臨済宗円覚寺派 大本山円覚寺(鎌倉市)
(4)臨済宗南禅寺派 大本山南禅寺(京都市左京区)
(5)臨済宗方広寺派 大本山方広寺(静岡県浜松市引佐町)
(6)臨済宗永源寺派 大本山永源寺(滋賀県東近江市)
(7)臨済宗佛通寺派 大本山佛通寺(広島県三原市)
(8)臨済宗東福寺派 大本山東福寺(京都市東山区)
(9)臨済宗相国寺派 大本山相国寺(京都市上京区)
(10)臨済宗建仁寺派 大本山建仁寺(京都市東山区)
(11)臨済宗天龍寺派 大本山天龍寺(京都市右京区)
(12)臨済宗向嶽寺派 大本山向嶽寺(山梨県甲州市)
(13)臨済宗大徳寺派 大本山大徳寺(京都市北区)
(14)臨済宗國泰寺派 大本山國泰寺(富山県高岡市)

打つべきか、打たぬべきか、それが問題だーインフルエンザ考

築地・仏料理「蜂の子」A定食880円

あら、いつの間にか、「食通」さんや「通りがかりの人」さんからコメントをお寄せいただいております。どなた様か分かりませんが、どうも有り難う御座います。

◇インフルエンザのワクチンがない?

会社内での話。以前のようなアナログ時代でしたら、毎年、この時期に「インフルエンザ注射のお知らせ」が回覧板で回ってきて、よく手書きで申し込んでいたものですが、21世紀になってすっかりデジタル化されて、社内の事務事項に関しては、全て、社内LANを通じてネットで申し込むようなシステムになってしまいました。

私のような「終わった人」は、もう社内政治には全く関係ないので、以前のように社内LANの連絡事項を読む機会がめっきり減ったところ、その「インフルエンザ注射申し込み」の期限がいつの間にか過ぎており、当日に会場に行くと、「今年はインフルエンザのワクチンが少ないので申し込んだ人しか駄目です」と拒否されてしまいました。

そして、「それほど予防接種を受けたい方は、外部の病院に行って打ってください。全額出ませんが、一部補助金が出ます」と言われてしまいました。

「オーマーガー」ですね(笑)。

もう20年ぐらい前に酷いインフルエンザに罹ったことがあり、1週間近く高熱が続き、フラフラになってしまったことがありました。それに懲りて、毎年、インフルエンザの予防接種を打つように心掛けていたのですが、今年はどうしようかと、なってしまいました。

過日、ネットに「予約不要」と書いてあったので、会社の近くの行きつけの病院に行くと、やはりそこでも「今年はインフルエンザのワクチンが不足していて、いつ入荷するか分からないので、来週また電話で連絡してください」と言われてしまい、スゴスゴと引き下がりました。

そして、その来週に当たる先週月曜日。運の悪いことに風邪を引いてしまい、インフルエンザどころではなくなってしまったのです。風邪引いているのに注射はまずいでしょう?

で、そうこうするうちに、新聞等を読んでいたら、文藝春秋御用達の著名医師近藤誠さんが、週刊誌でも単行本でも「インフルエンザの予防接種はするな!」と提言しているではありませんか。

ありゃあ、どうしたらいいんしょかねえ?

確かに予防接種を受けても型が違ったりすると、別の型のインフルエンザに罹った人もいました。要するに免疫が効かないということなんでしょうけど、そうなると、効くか効かないかは、運、不運もあって、まるで丁半博打のような気がしてきました。

うーん、インフルエンザの注射を打つべきか、打たないべきか、ハムレットのように悩んでしまいます。

亡父十三回忌で久しぶりの親戚の顔合わせ

平林寺「たけ山」会席料理

今日11月18日(土)は父親の命日で、ちょうど13回忌に当たるということで、身内の親戚だけで墓前で法要を営みました。雨が心配されましたが、法事の午前中だけはもってくれて、無事に済ますことができました。

当初は、母親と3人のきょうだいだけでこじんまりとやるはずだったのですが、あれよあれよという間に、孫と曽孫まで参加することになり、幼い子供たちはジッとしていられるわけがなく、法事といっても、途中で抜け出したり、走り回ったり、まるで「学級崩壊」状態でした(笑)。

平林寺「たけ山」名物の饂飩

私の母親から見ると、現在、子供が3人、孫が6人、曽孫が7人恵まれたことになります。

単純計算でいきますと、子供3人、孫6人、曽孫12人、玄孫(やしゃご)24人…と幾何学級数的に増えていくことになるんでしょうけど、だんだん分からなくなってきますね(笑)。

私から見た場合も、甥っ子や姪っ子がもう子育て世代になりましたから、名前を覚えるのが大変です。それに、甥や姪の子供を何と呼ぶのか、分からなくなってしまい、調べたところ、姪孫(てっそん)、もしくは又甥、又姪と呼ぶんですね。

逆に、日本も超高齢社会になりましたから、祖父母の親は曽祖父か曽祖母、曽祖父母の父は高祖父、その母は高祖母と言うそうな。ひいじいちゃんから、ひいひいじいちゃんが普通になってきたわけですね(笑)。

(私の祖父は、父方=高田正喜、享年41も母方=岡本五八、享年45も、二人ともまだ40歳そこそこで病気で亡くなっておりますから、今の時代なら医学も発達していて、良い薬もあることでしょうから、身内ながら大変気の毒に思っています。)

お隣の中国では、長い間、「一人っ子政策」をとってきたので、兄弟姉妹がいないどころか、伯父、叔父、伯母、叔母も絶滅(?)してしまったと聞きます。中国人なのに、「伯夷叔斉」の故事を知らない人がいるかもしれません(笑)。

私の親戚が集まるのは、法事や結婚式程度ですから、本当に何年かぶりに皆んなで会ったわけですが、何となく、不思議な感じがしました。今回、幼い又甥、又姪諸君の殆どとは初めて会いましたが、まだ2歳のあどけない又姪とも血の繋がりがあるわけで、やはり、当たり前の話ながら、奇跡的なことを感じてしまいました。

人生、生きていると、裏切られたり、騙されたり、辛いことも多いですけど、「生きてあれよかし」ですね。長生きさえすれば、神様は、こうして曽孫に会わせてくれるような掛け替えのないプレゼントをしてくれますから。

南禅寺「天授庵」 京都紅葉狩りの旅

京都・天授庵 ©️par kyoraku sensei

京都にお住まいの京洛先生から「紅葉狩り」便りが届きました。

この「渓流斎日乗」で、よく読まれる人気サイトの上位だけが、パソコンだと右手に、スマホだと一番下に掲載されておりますが、第1位が京洛先生の記事、第2位が西大寺先生の記事なんですからね。

嫌になっちゃいますよお(笑)。

京都・天授庵 ©️par kyoraku sensei

(京洛先生のお手紙)

…今日は昼過ぎからデジカメをぶら下げ、南禅寺境内の塔頭「天授庵」に出かけて、綺麗な紅葉を写してきました。
この「天授庵」のあった南禅寺の場所は、大昔の文永元年(1264年)に、亀山上皇の離宮(禅林寺殿)があったところです。
その後、正応4年(1291年)、禅寺になり、それが、南禅寺のルーツです。その後、1339年(暦応2)光厳天皇の勅許により、虎関師錬が、南禅寺の開山に関わった無関普門(大明国師)の塔所として、この天授庵を建立、南禅寺の塔頭の中でも、由緒正しい塔頭という事です。…

知りませんでしたね。それにしても、よくご存知だこと。

京都・天授庵 ©️par kyoraku sensei

…しかし、この天授庵も、文安4年(1447年)の「南禅寺の大火」で類焼、さらに、今話題になっている「応仁の乱」でも兵火に見舞われ、およそ130年間、荒廃したままになっていたそうです。
ようやく、1602年(慶長7)細川幽斎が再興、境内には、池泉を主にした庭や枯山水の二つも作られました。
京都の寺社は、何処も、時の権力者の手によって焼失されたり、時代が変わると、新しい権力者によって、再興されたり、栄枯盛衰が激しいことがよく分かります。…

なおるほど。栄枯盛衰、諸行無常ですね。

京都・天授庵 ©️par kyoraku sensei

…この時期は、色艶やかな、紅葉を見ようと、昼間は勿論、夜はライトアップで、「天授庵」も、大勢の観光客でごった返しています。
小生も拝観料500円を払って紅葉を愛でましたが、本堂前の庭や書院南庭での紅葉が特に見事でした。…

いやあ、ご苦労様のことでありました。

電気自動車は羊の夢を見るのか?

築地「青龍 」四川風ピリ辛焼飯 890円

◇日本の産業構造を変える大変革

朝方、NHKラジオを聴いていたら、技術コンサルタントの湯之上隆氏が「社会の見方・私の視点」のコーナーの中で、今後、自動車がガソリン車から電気自動車に世界的に移行しつつあり、そうなると日本の産業構造を根本から変えるほど大変革が起きる、と忠告してました。(「電気自動車シフトが日本の自動車産業に与えるインパクト」=今なら検索すれば「聞き逃し」で聴けます)

湯之上氏によると、今のガソリン車が電気自動車に移行すると、現在、自動車産業に従事している日本の労働者81万人のうち、半分の40万人以上が失業するのではないかというシミュレーションを予測してました。

自動車産業は確かに幅広い。所謂、車屋さんは要のエンジンを開発して、設計デザインや組み立てをしていても、その「素材」となる鉄鋼やガラス、半導体、プラスチック、シートベルト、ハロゲンランプなど殆どが他のメーカーからの「借り物」です。

しかも、鉄板やら何やら作るときには、それに合った鋳型が必要で、成型などを作る企業も必要です。これら複雑に用途が絡み合っている産業は一口に裾野産業と呼ばれますが、今ガソリン車から、電気自動車になるとガソリン車用のエンジンだのタンクだのマフラーだのが要らなくなる。そうなると、今の自動車の下請けの部品メーカーの40%は要らなくなるというのです。

となると、生き残るためには、電気自動車用部品を作る企業に転身するか、最悪の場合は、全く業態を変更しなくてはならないケースも出てくるようです。

また、電気自動車になると、今のスマホのように、簡単に組み立てられるようになるそうですね。

◇サウジアラビアで粛清

そうなると、石油の需要も減っていくのかしら?

ここ数年、原油安が続き、世界最大の石油大国であるサウジアラビアで石油産業一本槍からの脱却を図る皇太子による「粛清」が世界の注目を浴びています。

確かに、昨年の日本での電気自動車の売り上げは全体の0.5%で影響は少ないのですが、湯之上氏は「まだガソリン車の売り上げが伸びているので、経営者に危機感がない。手遅れにならなければいいのですが」と警告してました。

英仏は2040年までにガソリン車とディーゼル車の製造を禁止し、インドは30年までに禁止。中国も30年までに禁止する方向で調整が進んでいるそうです。

湯之上氏によると、電気自動車化の流れは、どうやら環境対策というより、世界的な自動車産業の主導権争いが背景にあるといいます。

日本もこの大きな産業構造の変革についていかなければ、乗り遅れてしまうと、湯之上氏は警告してました。

日馬富士事件をズバリ推測

銀座「和らん」旬菜盛定食 1500円

◇場外乱闘事件

今、角界は土俵外で大騒動が巻き起こってます。

横綱日馬富士(33)=伊勢ヶ濱部屋=による東前頭八枚目貴ノ岩(27)=貴乃花部屋=への暴行事件のことです。

現在進行形で今後どんな展開になるのか分かりませんし、私のようなインサイダー情報を持たない輩が予想しても、多分外れると思いますが(笑)、恐らく、日馬富士は引退か、廃業に追い込まれることでしょうね。

しかしながら、この事件はあまりにも不可解なことが多過ぎます。

トラブルがあったのは、巡業先の鳥取市内の飲食店で、10月25日深夜から26日未明にかけてのこと。貴ノ岩の貴乃花親方が鳥取県警に被害届を提出したのが29日。それでも、貴乃花親方が日本相撲協会に被害届を提出したのが事件から3週間も経った11月14日だったということです。

その14日に貴乃花親方が専属評論家契約を結んでいるスポニチが事件をスクープして発覚したことから様々な憶測を呼びました。

例えば、日本相撲協会の八角理事長に対する意趣返し。つまり、貴乃花親方は2年前の理事長選で惨敗したことから、現執行部体制に対する不満があり、態と場所中にトラブルを表面化させたのではないかという疑惑です。

私は、そこまではないと思います。モンゴル人同士のトラブルだったので穏便に済ませたかっただけかもしれませんが、貴乃花親方の行動の不可解さは否定できませんね。

◇八百長なければ日馬富士が一番強い?

トラブルから発生したのは、モンゴル出身力士による宴席で、日馬富士は、日頃から貴ノ岩の生意気な態度が気に食わなかったという伏線があった上に、その場で貴ノ岩が「もうあなたたちの時代じゃない」と挑発して、日馬富士が説教したところに、電話がかかってきたか、もしくは、スマホを弄って黙殺したかのように見えたため、激昂して貴ノ岩をビール瓶で殴って重傷を負わせたということです。

普段は穏やかな日馬富士は酒癖が悪く、「酔うと何をしでかすか分からない」という報道もありました。何しろ、三升も呑んでしまうそうな。

日馬富士は30発も殴り続け、止めに入った横綱白鵬まで投げ飛ばしたといいますから、八百長がなければ、日馬富士が今の角界で一番強いことが証明されてしまいました。

あれっ?何か変なこと書いてしまったかな?(笑)

 

井上達夫著「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」は、今の時代、是非とも読むべきです

井上達夫著「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」(毎日新聞出版)の初版は2015年6月20日発行で、ちょうどその頃の私は事情があってこの世の人でなく、異界を彷徨っておりましたので、もちろん、読んでおりませんでした。

最近、遅ればせながら、この本と、昨年3月15日に発行された同書の続編「憲法の涙」を合わせて読んでいます。

いずれも、法哲学者の井上東大大学院教授が編集者のインタビューに応える形で、話し言葉を書き言葉の活字に起こされ、平易と言えば平易ですが、やはり難解と言えば難解で、色々と賛同したり、反発したりして考えさせられたことは確かです。

◇極右の歴史修正主義も極左の自虐史観も批判

井上教授は、極右の歴史修正主義も極左の自虐史観も両方ともバッサリと袈裟懸けしており、その様は鮮やかで爽快感すらあります。

井上教授は、あの右翼の巨頭と言われる百田尚樹氏を相手に一歩も譲らず、反駁罵倒して、あろうことか、あの百田氏が口ごもってしまうほどの怪力の持ち主で、何と言っても、髭を生やした鬼のような形相や関西弁風でのまくし立て方があまりにも恐ろしいほど強烈です(失礼!)。

https://m.youtube.com/watch?t=12s&v=8Oc0fH96Zq8

ですから、この本の批判をしようものなら、生命が脅かされるのではないかという危機感がありますが(苦笑)、いや、むしろ共鳴する部分が多く、今のような戦前回帰のようなキナ臭い時代では必読書ではないかと確信し、取り上げることにしました。

今、保守もリベラルも色んな定義が飛び交い、若い人は共産党が保守で、自民党がリベラルだと確信して、訳が分からなくなってますが、井上教授によると、リベラリズムとは「啓蒙」と「寛容」という二つの歴史的起源があるといいます。

啓蒙主義とは18世紀にフランスを中心に起こった思想運動のことです。因習や迷信を理性で打破し、抑圧から人間を解放しようとするというものです。寛容は16世紀の宗教改革後に、欧州ではすさまじい宗教戦争が起き、荒廃の中でウエストファリア条約が結ばれ、その経験から出てきたものです。

私は、法哲学という学問がこの世に存在することを知りませんでしたが、井上教授は、御専門ですから、カントからヒューム、カール・ポパー、ジョン・グレイ、ジョン・ロールズといった色んな著名学者の学説を引用したり、批判したりしておりますので、まずは手に取って読まれるといいかもしれません。

◇ドイツの「戦後処理」は日本ほど立派ではなかった?

この本で、無学の私が瞠目したことは、「ドイツは、自分たちの戦争責任の追及を日本よりずっと立派に行った」という「神話」を多くの日本人が信じ切っているという指摘です。

まず、特筆しなければならないことは、ドイツは自分たちの戦争責任を二重の意味で限定していることです。一つは、責任の主体はドイツ国民ではなく、ナチスであること(ドイツ国民もナチスの被害者となる)。

そして、責任の対象は、ドイツがやった侵略戦争の相手ではなく、ユダヤ人だということ。つまり、ホロコーストなどは謝罪しても、チェコ侵略やポーランド侵攻などの戦争責任を認めてきたわけではないといいます。

有名な例として、1970年に西独のブラント首相(当時)がポ-ランドを訪問して、ユダヤ人の犠牲者の慰霊碑にひざまずきました。しかし、ユダヤ人ではない一般のポーランド人が蜂起して犠牲になった慰霊碑には行っていなかったというのです。

また、東西ドイツ統一後は、ナショナリズムが高まり、あの戦争は、あくまでもナチスの犯罪でドイツ国民と国防軍は犠牲者だったという歴史修正主義が起こったといいます。

(この本については、これから折を見て何度か取り上げます)