賄賂

 帯広動物園

お中元の季節ですね。

私は、基本的に中元も歳暮も賄賂だと思っています。ですから、親しい人には贈りません。いや、親しくない人にもあまり贈りません。一応、サラリーマンなのですが、会社に入って20年以上、贈ったことがありませんでした。

 

それが、あることがきっかけで、贈ることになったのです。Xさんからのアドバイスでした。「贈ってごらんなさい。その人の意外な一面が分かって面白いですよ」というのです。

 

それで、試してみました。黙って受け取る人。贈られたら、すかさず贈り返してくる人。「もう、こういうことはやめてください」という人。本当にさまざまでした。しかも、そういうことを言いそうな人が、黙って受け取り、どう見ても悪っぽい人が意外と潔癖で、「こんなことやめようよ」と言ってきたりしました。

確かに意外な一面が分かりました。

加藤廣著「秀吉の枷」(日本経済新聞社)には、羽柴秀吉の桁違いの「お歳暮」のことが事細かに明らかにされています。もちろん、贈答先は織田信長です。

天正九年十二月二十二日のことです。

信長への献上品は、御太刀一振、銀子一千枚、御小袖百、鞍置物十疋、播州杉原紙三百束、なめし革二百枚、明石干し鯛一千枚、クモだこ三千連。これに織田家の女房衆に進呈する小袖が二百点。(中略)これらが秀吉の安土城外の外屋敷を出発して安土城に向かったのが夜明けである。(中略)しかし、先頭が門をくぐったのに、末尾の荷駄はまだ秀吉の外屋敷を出ていなかった。これだけでも秀吉の歳暮戦略は天下に鳴り響いた。

やはり、百戦錬磨の歴史上の人物は桁違いです。

ロバート・ジョセフという人

 帯広動物園

 

アメリカ人のロバート・ジョセフという人が「原爆の使用が終戦をもたらし、連合国側の万単位の人命だけでなく、文字通り、何百万人もの日本人の命を救ったという点では、ほとんどの歴史家の見解は一致する」と発言しました。2007年7月3日、ワシントンでの公式の記者会見の場なので、伊達や酔狂ではなく、信念として発言されたのでしょう。

 

まず、事の重大性は、日本で、久間防衛大臣が「原爆投下はしょうがない」と発言して辞職に追い込まれたちょうどその時期に、アメリカでまるで援護射撃のように発言したことです。

ジョセフさんという人は1949年、ノースダコダ州ウィリストン生まれ。米政府核不拡散問題特使で、ブッシュ政権内ではボルトン前国連大使に連なるネオコンの一人だそうです。イラク戦争を推進した強硬派です。そういう思想の持ち主が政権の中枢にいるとはいえ、アメリカ人の一部(いやほとんどかもしれません)の意見を反映していることは、日本人として注目しなければいけないと思っています。

「ほとんどの歴史家の見解が一致する”most historians would agree” 」歴史家とは、どういう人を指すのでしょうか。政治家に都合のいいような御用学者を侍らしているだけではないかと勘ぐりたくなります。

何と言っても「何百万人もの日本人の命を救った the atomic bombings ended a war that would have cost millions more lives.」というのはどういう意味なのでしょうか?原爆を落とさなければ、連合国側はさらに何百万人の日本人を殺戮していたということなのでしょうか。広島、長崎の原爆で殺された人は20万人と言われています。そのほとんどの人は、非戦闘員であり、無辜の民です。簡単に何百万なんという数字を出さないでほしいですね。人間の顔を被った鬼ですよ、そんなことを言うのは。

「林住期」

 幕別町

 

五木寛之著「林住期」(幻冬舎)を読了。2時間くらいで読めてしまいます。繰り返しが多く、同じことが書いてあったりするので、「随分、粗雑に作っているなあ」と思ったら、書き下ろしの単行本ではなく、新聞、週刊誌に書かれたものを寄せ集めしたようでした。五木氏は、昨年1年間で11冊も本を出したとおっしゃっていたので、あの年(現在74歳)で、すごいパワーだなあ、と思ったのですが、対談集や、こうした連載をまとめたものもありますし、やはり、それ相応だったということで安心しました。

 

ちょっと、最初からケチを付けてしまいましたが、五木氏が、現在、最も影響力の持つ作家の一人であることは間違いないでしょう。

 

この「林住期」も大いに納得してしまいました。古代インドで、人生を「学生(がくしょう)期」「家住(かじゅう)期」「林住(りんじゅう)期」「遊行(ゆぎょう)期」の4つの時期に区切って考える哲学が生まれたといいます。簡単に現在の「人生百年」をもとにして、言いますと、

「学生期」(0歳から25歳の青年)は、いわゆる青少年時代で、心身を鍛え、学習、体験を積む。

「家住期」(25歳から50歳の壮年)は、就職し、結婚し、家庭を作り、子供を育てる。

そして、50歳から始まる「林住期」(75歳までの初老)に人生の黄金時代と考え、自分の本来やりたいことを成し遂げる。

「遊行期」は、75歳から100歳の老年期。

というわけです。

 

ここでは、今まで、あまり省みられなかった「林住期」にスポットを当て、この時期にこそ、人生で最大のピークに持っていこうという発想なのです。もちろん、長年の使用で体にガタがくる時期ではありますが、開き直って「オマケの人生」であると認識せよ、と五木氏は言うのです。

 

「会社や組織に属している人間は、50歳で定年退職するのが理想だと思う。60歳では遅いのだ。人体の各部が50年をめどに作られているのなら、その辺で働くのはやめにしたい。あとは好きで仕事をするか、自由に生きる。働きたい人は働く。しかし、それは暮らしのためではない。生きる楽しみとして働くのだ。楽しみとは趣味であり、道楽である」

 

うーん、ここまで言われたら、私も早速、仕事をやめて、家出をして、放浪でもしますか。中年の皆さんには、随分、心励まされます。しかし、この本も大ベストセラーですから、一番得したのは五木氏と単行本化を熱心に奨めた幻冬舎の見城徹氏かもしれませんが…。あ、また、斜に構えてしまいました。

自分に起きることは自分が起こしたこと

  幕別町(間違いない)

 

渡邉美樹著「使う!『論語』」(三笠書房)を読んでいたら、ドキッとする言葉が飛び込んできました。

 

子夏曰く、小人の過つや、必ず文(かざ)る。(子張)

ー孔子の弟子の子夏は言った。「くだらない人間は過ち犯すと、必ず言い訳をする」

 

「この言葉を一言で表現するなら『言い訳をするな』ということです。営業成績が悪いのは、誠意と知識が足りなかったから。試験の結果が悪かったのは、自分の努力が足りなかったから。遅刻したのは、気持ちがたるんでいるから。フラれたのは、自分に魅力が足りなかったから。子どもが言うことを聞かないのは、家庭を顧みなかったから」

 

さらに…

 

「人のせいにするのは簡単です。でも、それはちっぽけな人がすることです。あなたに起こることは、あなたが起こしていることなのです。常に自分自身と向き合い、人の評価を窺うようなことをせず、自己修養に努めてください」

結婚とは

 帯広(かもしれない)

 

「明解国語辞典」の現代用例版の辞書が8万部も売れるヒットになっているそうです。

例えば「結婚」とは、

「してもしなくても後悔する」といった具合。

すごい辞書が現れたものです。

長らえば 生き恥かくとひとの言うらむ 重きに泣きて 三歩あゆまず

負の連鎖

 旭山動物園

 

肉卸業者が雨水で「消毒」した偽装ミンチ肉を出荷したかと思えば、元公安調査庁のトップが詐欺事件を起こしたり、軍事行政トップの人間が、アメリカの原爆投下を「しょうがない」と発言したりして、最近、何がなんだかわからない世の中になって、息苦しさを感じています。

 

新聞の投書でも、母子家庭の母親が、子供を大学に行かせるようなら、生活保護を打ち切る旨を通告され、「これでは格差は再生産される」と訴えていました。

 

何か、負の連鎖が襲い掛かってくるような気分です。

 

肉体的に疲れてくると、精神的にも落ち込みますね。これでは、いけないのですが、偶には、流れに任せたくなります。

嬉しい驚き

 中札内村美術館

 

今度、京都に行くことは、以前、このブログに書きましたが、いよいよ再来週ということになりました。

 

調布先生の奥さんのお墓参りが主目的なのですが、驚いたことに、偶然にも、私がいつか行きたかったお寺さんだったということが分かったのです。以前は、京都五山の第一位の名刹としか書かなかったのですが、知る人ぞ知る、それは、建仁寺なのです。そこには、以前から拝見したかった小泉淳作さんの「双龍図」があるのです。二年前の私のブログでも紹介しています。

 

http://blog.goo.ne.jp/keiryusai/e/141c9cc9661eef6c36b5e075fc6bc3c2

 

何と言う偶然の一致なのでしょうか。本当に驚いてしまいました。

 

それにしても、ブログは、過去のデータベースになっていて、キーワードで検索できるので、便利ですね。自分の書いたことなど、すぐすっかり忘れてしまうので、大いに助かっています。

 

今のところ、昨日書いたことに対して、反論も、炎上もなく、大いに助かっています。(まだ、分かりませんが)

いやあな感じ

 中札内村

公開日時: 2007年6月29日 @ 08:35

昨日の毎日新聞「記者の目」によると、匿名による誹謗中傷問題を取り上げた同紙社会部の岩佐淳士記者が、ネット上で、中傷やうそを交えて同記者を非難する書き込みがあふれたことを書いています。取材先に渡した名刺を元に名前や電話番号が晒され、記者の写真が載ったホームページが探され、「電凸」(電話による突撃)を受け、そのやり取りがブログに書かれたそうです。中には「岩佐記者を退職に追い込もう」なんというサイトもあるようです。

 

いやあな感じです。私も他人事ではありませんから。

 

岩佐記者も「匿名の悪意」を黙って見過ごすわけにはいかない、とはっきり書いています。

 

ただでさえ、日本人は無責任なのに、匿名という安全地帯の免罪符を獲得すれば、誰でも好き勝手に発言できます。匿名は隠れ蓑なので、正体がバレルことはないからです。

 

でも卑劣ですね。ネット先進国の韓国では、匿名による悪意な書き込み「アクプル」が横行し、それによって傷ついた人が自殺する事件が相次いでいるそうです。そこで、韓国では、実名で登録しないとネットで情報発信できない「実名登録制」が7月から始まるといいます。自由なネット社会が政府国家に統制されるわけです。

 

悪意の書き込みをする連中は発信元もばれないように、不特定多数が利用するネットカフェから発信する「確信犯」なのでしょう。同記者らに送られたメールの中で「2chをブログに否定的に書くと攻撃される」「2ちゃんねんらー(2ch利用者)から袋だたきに遭うので内容は公開しないでほしい」という意見が目立ったそうです。悪意を持って誹謗中傷する人たちは、自分では気が付かないでしょうが、いつかは、自分も同じような目に晒されます。因果応報。天に唾を吐けば、自分に降りかかってくる真理を理解していないだけなのです。

 

それでも、私はそういった連中ばかりではないことを信じています。自分の任を弁えた良識を持った人の方が遥かに多いという性善説を取りたいと思います。

 

そうでなければ、こんなブログを続けてなんかいられません。

無財の七施

 

お金や財産がなくても、いつでも誰でもできる施し「無財の七施(しちせ)」

 

1、捨身施(しゃしんせ)…身体でできることを喜んでやる。(老人の手を引く。荷物を持つ)

 

2、心慮施(しんりょせ)…他人のために心を配る。ともに、喜び、悲しみ、幸せを願う。

 

3、和顔施(わげんせ)…いつも和やかな顔で、人に接する。

 

4、慈眼施(じがんせ)…悲しみの眼(まなこ)ですべてを見る。

 

5、愛語施(あいごせ)…人の心を知って、和やかな喜びを感ずるような言葉で話す。

 

6、房舎施(ぼうしゃせ)…風や雨をしのぐ所を譲る。

 

7、床座施(しょうざせ)…電車などで席を譲る。

 

以上、「情けは人のためならず」「明日は我が身」「いつか来た道、いつか行く道」

常識について

 上士幌町

 

1969年夏、甲子園球場での高校野球決勝戦。延長18回引き分けで、翌日も投げぬいた三沢高校(青森)のエース太田幸司さんは、当時は「マッサージも酸素カプセルもない。肩は冷やすな、水は飲むな。今は正反対」だったと告白しています。

 

当時は、漫画「巨人の星」が全盛期。私もよく覚えています。とにかく、スポーツしている間、決して水は飲むなという指導でした。肩も冷やしてはいけない。まさしく、今のスポーツ指導法とは正反対です。今のスポーツ選手は、野球でもサッカーでもマラソンでも、選手が途中でガブガブと水を飲むシーンが大写しにされます。投手も投げ終わると、分厚いアイシングの姿です。

 

「水は飲むな」にしても、当時は当時で、それが、常識として正しいやり方として、蔓延していたわけです。しかし、現在では、否定されて、百八十度、逆のやり方が「常識」として通用しているわけです。

 

「物の見方」というのも、そんなもんじゃないかと思います。誤解を恐れずに言えば、今の靖国問題も、従軍慰安婦問題も、さまざまな政治的な歴史問題も、今だから常識として言えるのであって、また、時代が変われば、百八十度違った常識が蔓延するのではないかという危惧を持っています。

 

物事の見方は多面的であって、ある時代は常識であっても、別の時代は非常識になることは大いにありえるわけです。

 

ですから、テレビのような大衆的なメディアに顔を出して、堂々と「自分」の意見を公言している人たちの勇気には大変恐れ多く感じてしまいます。「自信家なんだなあ」と思ってしまいます。

 

私なんか、いつも迷って、思考もコロコロ変わります。それに天邪鬼です。今日、アメリカの下院外交委員会で決議された従軍慰安婦問題も、「確かに悪徳非業で、当事者の中国や韓国に言われるのは分かるが、原爆を投下し、東京、大阪など全国の諸都市の無辜の市民を無差別空爆して殺戮した国の人間に言われたくないなあ」と、つい右翼的言動を振りかざしたくなります。

 

この決議案を提出したホンダ議員という人も名前から分かるとおり、日系の人ですが、華僑から多額の政治献金を得ているという話です。何か、裏があるような気がしてしょうがありません。

 

とはいえ、私はあくまでも、従軍慰安婦は当時の軍当局が直接関与していた申し開きのできない所業だったというスタンスです。捏造だったという説は否定します。