桂前冶の会 

  ローマ

 

「笑いも百薬の長」などの著書もある医療ジャーナリストの松井寿一さんから、葉書を頂き、昨晩、東京・三宅坂の国立演芸場の「桂前治の会」(木戸銭2500円)に行ってきました。

 

桂前治さんの本職は、高崎市にある中央群馬脳神経外科病院の院長さん(高木さん)のようで、松井さんの説明では「医者もできる噺家です」という注釈がありました。 会場には、高木さんのファンというか、お世話になった人がたくさん駆けつけ、どこか「内輪の会」のような雰囲気できでしたが、行ってよかったと思います。女優の小山明子さんも来ていました。脳梗塞で倒れたご主人の大島渚監督との関係かもしれませんが、よく知りません。

 

ロカビリーのミッキー・カーチスは立川流に入門してミッキー亭カーチスの噺家名を持っていますが、この日は本職のロカビリーをやってくれました。「ビーバッパルーラ」など、間近で聴けました。今年70歳で、63歳から始めたというブルースハープ、つまりハーモニカが抜群にうまかったですね。ミュージッシャンとしての方がギャラが高いのに、今日は落語家として出演したので、ギャラが安い、なんてギャグを飛ばしていました。

 

落語は立川談幸が抜群に面白かったですね。初めて聴いたのですが、一番、脂に乗った年頃ではないでしょうか。師匠の立川談志が食道がんで倒れた時、「神も仏もあるものなんだ、と思った」と師匠に負けないくらいのひどい毒舌を撒き散らしていました。今は、便利な時代で、ネットで検索したら、彼のホームページが出てきて、日程もあったので、早速、おっかけでもやってみようかなあ、と思っています。次の出演は5月14日、日暮里サニーホールで18時半からです。

 

落語以外に、あやつり人形のニューマリオネットというおじさんの演技は、この道60年以上らしく、さすがにうまかった。林家正楽さんの「紙切り」では、お客さんの要望で、「亀戸の藤」や「鯉幟」などほんの5、6分で切り上げて作品に仕立ててました。これは、本当にすごい芸でした。

 

桂前冶さんは、どうやら桂文治さんのお弟子らしいですね。文治さんは、数年前に亡くなりましたが、ひばりが丘に住んでいたらしく、西武池袋線の電車内で見かけたことがあります。もう20年以上昔の話ですが。この日出演した弟子の桂平治も「落語家は車に乗らず、電車で通勤して体力を維持しています」なんて話していました。

 

やはり「笑い」はいいですね。健康との因果関係は確かにあると思います。

 

帰りに銀座の「三州屋」で、一人で一杯やったのですが、もう9時過ぎで、周囲は粗方、出来上がっており、後ろの中年夫婦は、喧嘩ばかりやってるし、隣りの20代のサラリーマンは関西出身らしく、「東京の水はまずい」とか、東京の悪口ばかり言っていたので、どうも不愉快で、30分で出てきてしまいました。せっかく、笑いで、健康になったのに、元に戻ってしまいました。

鳥居民著『近衛文麿「黙」して死す』

 ローマ

公開日時: 2007年5月11日 @ 09:37

 

 鳥居民著『近衛文麿「黙」して死す』(草思社)を読みました。

 この本を読むと「何が真実なのか」という疑問にかられない人は、まずいないと思います。同時に、「何を信じたらいいのか」という非常に個人としても混迷の極地に突き落とされます。

 

 同書は、昭和二十年十二月に巣鴨プリズンへの出頭を前に自決した元首相の近衛文麿の「自殺の真相」に迫ったものです。近衛自身は、最期まで黙して語らなかったため、真相は闇の中なのですが、著者は、ずばり、近衛を自殺に追い込んだ犯人を言い当てています。

 

 犯人は、近衛の学習院時代から大の親友でもあった元内大臣の木戸幸一、カナダの外交官出身で、GHQ調査分析課長のハーバート・ノーマン、そして、後に一橋大学の学長も務める経済学者の都留重人です。

 

 木戸幸一は、明治の元勲木戸孝允の養子孝正(孝允の妹治子の息子)の長男に当たります。終戦工作に邁進し、「木戸幸一日記」を残し、昭和史を語るのに欠かせない人物なのですが、終戦後、日記は自分の都合の良いように改竄したとも言われています。

 

 都留重人は木戸幸一の義理の甥に当たります。つまり、妻正子の父親和田小六は東工大学長を務めた航空工学者で、木戸幸一の弟に当たります。都留は、戦争中、この内大臣木戸幸一のコネを利用して、兵役を逃れます。この本の中で、東條英機首相の赤松秘書官が、政財官の大物の子息の兵役免除のリスト作りに立ち回っていた秘話も暴露されています。

 

 ハーバート・ノーマンは、昭和史に興味を持つ人にとって、知らない人はいない第一級の日本研究家です。「忘れられた日本人」として江戸時代の思想家で医者でもある安藤昌益を発掘し、彼の著書を羽仁五郎、丸山真男らが大絶賛しています。全集が出ているのも世界でも日本ぐらいではないかということです。

 

 私は、いずれの3人も終戦工作に尽力したり、戦後の処理をしたりした「正義の味方」だと思っていたのですが、鳥居氏の調査では、彼らは悪党の中の悪党なのです。

 

 要するに内大臣木戸幸一は、戦犯容疑者のリストを作成したノーマンと手を結んで、戦争の全責任、開戦の責任のすべて近衛文麿に押し付けた、というのです。

 

 ノーマンが作成した戦犯容疑者リストは、かなりかなりいい加減で、すでに他界した内田良平(黒竜会創設者)や中野正剛(国家主義者)らが含まれ、欧米のジャーナリズムで有名だった「死のバターン行進」の責任者の本間雅晴中将を真っ先に血祭りに上げろと指示したりしたことなどが、本書で暴露されています。

 

 戦後教育を受けた者にとって、内大臣の権限についてさっぱり分からず、本来なら首相の方が格上なので、内大臣の木戸が首相の近衛に責任を押し付けることができるわけがないと思っていたのですが、むしろ内大臣の方が尋常ならざる権限を持っていた、と本書では説明されています。

 

 内閣と統帥部、陸軍と海軍は、権限は同等同格だったというのです。つまり、首相も内大臣も投票権は同じ一票で同格なのです。しかし、もし、対立や抗争があった時に、解決できる力を持っていたのは、むしろ内大臣の方で、天皇に助言できるのは内大臣ただ一人だったというのです。

 

 この事実は、戦後処理をしたノーマンさえ知らなかったと思われます。内大臣木戸は、「総理大臣に言われて仕方なく従った」と言えば、GHQの連中は皆信じたことでしょう。

 話は最初に戻ります。「一体、何が真実なのか?」

上流人の仕組み

 ローマ

公開日時: 2007年5月10日 @ 10:4

最近、気になったニュース…

●憲法改正の手続きを定める国民投票法案が成立へ

●カナダの経済情報社トムソンと英国ロイター通信が経営統合

●豪州のメディア王マードック氏によるウォール・ストリート・ジャーナル紙買収計画

●トヨタ自動車の営業利益が日本企業で初めて2兆円突破

●マヨネーズ17年ぶりの値上げ

 

一見、無関係な記事が並んでいるようですが、何か、底流に、共通している何かが流れているような気がします。全く抽象的ですが、地下水脈のように。

 

「下流社会」の三浦展氏が、下流人の典型は、経済的な困窮以上に、消費意欲の低下やコミュニケーション意欲の低下が深刻だということを指摘した、ということを数日前の「意欲の低下」で紹介しましたが、上記のニュースは、その正反対に「上流人」の特徴を如実に現しています。

 

つまり、2兆円を儲けるような企業が陸続と出現すると→金余りの上流人が発生し、彼らのお金は投資ファンドに流れ→投資ファンドは確実な収益が見込めるメディア産業に集中し→投資ファンドに支配されたメディアは、ますます上流人に都合の良い情報しか流さなくなるーといった具合です。

 

上流人はますます、消費意欲が肥大し、人を出し抜く儲け情報を得ようとますますコミュニケーション意欲も肥大していく仕組みです。

 

最後のマヨネーズ値上げについては、今日の朝日新聞が図解でうまく解説していましたね。バイオ燃料ブームで、トウモロコシの作付けが増加し、これに代わって大豆の作付けが大幅に減少する。大豆を使った食用油の価格が上昇するため、これによって、食用油を原料とするマヨネーズも値上がるといった具合。食料用のトウモロコシも、バイオ燃料のエタノールに回されてしまうと、トウモロコシの飼料が値上がりし、同様に、ビールや牛肉の価格も上昇するというのです。

 

最初の憲法改正云々は、要するに、上流人が、戦争をしたいということでしょう。どうせ、戦場に行くのは下流人ですし、戦争が一番儲かる正当な経済行為ですからね。

日高屋で痛飲

スペイン広場

昨晩は、作家の天田和行さんと「金融情報」の小島編集長、「トップコンフィデンシャル」の都築編集長の四人で、銀座の「日高屋」で痛飲してしまいました。

偶然、この店の実質的なオーナーである日高毎朝新聞の森繁光社長も北海道からみえていて、久しぶりに再会しました。ワインのボトル4本くらいあけてしまったのではないでしょうか?

他愛のない話しかしていませんが、今や新聞社は無料のインターネットのニュースに押されて、斜陽産業になり、将来、先行き、怪しくなってきたという話は、かなり深刻でした。河内孝著「新聞社ー破綻したビジネスモデル」(新潮新書)と吉原勇著「特命転勤ー毎日新聞を救え」(文藝春秋)は、実名入りで、新聞業界の裏が暴露されていて特に面白いそうです。未読なので、今度読んでみようと思います。

何しろ、今では、パソコンで、小学生でも簡単に新聞が作れてしまうんですね。中央大学総合政策学部の松野良一教授とブログ・ソフトウエア会社「シックス・アパート」が共同開発した「新聞ブログ」は、文字や写真を入力すれば、自動的に題字のある新聞が組みあがるそうなのです。動画やコメントにも対応して、A3判での印刷も可能だそうです。

考えてみれば、今の新聞はコンピューターで作られているわけですから、個人で作れないこともないわけです。ニューヨークタイムズの社長も「5年後に新聞はどうなっているのか…」と意味深な発言をしていました。

本当に将来の新聞はどうなってしまうのでしょうか。

「幕末 維新の暗号」

加治将一著「幕末 維新の暗号」(祥伝社)を一気に2日で読了しました。神田の神保町の三省堂書店で「売り上げ第2位」ということで、手に取ってみたら、驚きの連続。

古ぼけた幕末の頃の写真に写っているのは、何と、坂本竜馬、西郷隆盛、桂小五郎、岩倉具視、高杉晋作、伊藤博文、勝海舟、大久保利通…といった幕末維新で活躍する超一級の面々。まず「ありえない!」というのが正直の感想で、この集合写真(中央に鎮座する外国人宣教師の名前を取って「フルベッキ写真」というらしい)はなぜ撮られたのか、そもそも、後世の人間にはほとんど知られることはなく闇に葬られたのは、何か理由があるのかー?など、次々と疑問が押し寄せてきて、迷うことなく、購入していました。

もし、これから、この本を読んでみようという人は、この先は読まない方がいいかもしれませんよ。何しろ、話は、サスペンスかミステリー仕立てで進んでいくからです。種明かしを先に読んでしまうことになります。

この話がどこまで本当かどうか、わかりませんが、もし真実なら、日本の歴史というか近代史を根底から書き直さなければなりません。歴史のタブーに挑戦したため、この本の中で、真相を知った研究者が次々と殺されていきます。

もう、最初にこの本の筋の要を書いてしまいますよ。

何と、明治天皇がすげ替わっていた!というのです。本来なら、北朝系統の孝明天皇の実子である睦仁親王が皇位を継承するはずだったのが、明治維新を遂行した「元勲」連中によって、本物の睦仁親王は暗殺され、南朝の血を引く大室寅之祐という長州の若武者が、明治天皇の座に収まったというのです。この集合写真は、その秘密を知る連中の証拠写真のようなもの、ということになります。キーパーソンは、横井小楠です。

まさに、荒唐無稽、驚天動地、俄かに信じがたい話です。しかし、読み始めると止まらなくなりますが、作者の取材力がものをいうせいか、「もしかしたら」と思わせてしまうのです。集合写真の中の人物と、一般に出回っている写真を比較したものが、何点が掲載されていますが、どう見ても、大隈重信は、本人に見えるし、坂本竜馬にしても似ていないことはない。「うーん、何か、隠されている」と思わざるをえなくなってしまうのです。

いずれにせよ、我々は、明治維新を評価しすぎています。坂本竜馬も大久保利通も皆々、「悪しき」徳川幕府を倒したヒーローです。しかし、彼らは、そこまで、偉大だったかどうか。後世の歴史家や小説家が書いた受けおりだけなのかもしれないのです。革命を起こして権力の座に収まった連中が、自分たちに都合の悪い資料や証拠は抹殺します。よくある話です。佐賀の乱を起こした(と言われる)江藤新平の扱いが象徴的な話です。

作者は、フリーメイソンの内幕を暴いた「石の扉」を書いており、私も随分、衝撃を持って読んだものです。しかし、この本では、加治氏は、読者の「また、陰謀説か」といった反駁を警戒して、わざと相対する早稲田大学の教授らを登場させて、陰謀説を徹底的に否定して、中和させています。

つまり、フィクションの形にして、真実を織り込もうとしたのです。

私も、坂本竜馬や勝海舟らが偉いと思ったのも、司馬遼太郎や子母澤寛らの小説を読んだからです。

しかし、最近では、この本のような「見直し」が出てくると、物事は複眼的に見なければならない、と思ったりするのです。

意欲の低下

ローマにて

評論家の宮崎哲弥氏の作品は一冊も読んだことはないのですが、彼は一日、7冊の本を読んでいるそうです。「わあ、これはすごいや」と思いました。私は一日3冊が限界でした。数ヶ月、いや2ヶ月ももたなかったと思います。若い頃なので、体力(視力)があったおかげでできましたが、今はとてもできません。

それでも、最近、数冊を並行して読んでいます。先月末に鳥居民「近衛文麿 『黙』して死す」(草思社)を読んだばかりです。

今、面白く読んでいるのは、ドナルド・キーン「渡辺崋山」(新潮社)、原信田実「謎解き 広重『江戸百』」(集英社新書)、田中優子「江戸を歩く」(集英社新書)、浜田和幸「ハゲタカが嗤った日」(集英社)、吉野裕子「ダルマの民俗学」(岩波新書)、そして、昨日、偶然、神保町の三省堂書店で平積みされていたのを見つけた加治将一「幕末 維新の暗号」(祥伝社)の6冊。これを一日で読むことはとてもできませんね。1ヶ月以上かかるでしょう。ともかく、感想についてはまた書きます。

「下流社会」などの著作がある三浦展氏は、最近の「下流」階級は、経済的な「下流」ではなくて、精神的な「下流」であると指摘しています。つまり、主体的に何かを達成しようという意欲が弱いというのです。下流意識のある人ほど、家に引きこもって、ゲームに耽溺し、友人も少ない。学習意欲どころか、コミュニケーション意欲、消費意欲、つまり、人生への意欲が乏しいというのです。

私にも古い友人がおりましたが、最近、「もう僕のことは構わないでくれ」と通告されました。彼は、人生に対して大変前向きで、何か事を成し遂げてやろうという意欲満々の男でしたが、大病をきっかけに、まさに、下流意識の塊になってしまいました。まさしく、コミュニケーション意欲も、生活意欲も、消費意欲もなくなってしまったのです。俗世間との交際を断ち切って、仙人のような生活を目指しているのかもしれません。

私のように、見たい映画があるわけではなく、読みたい本があるわけではなく、それまでは、渋々、人の話に調子を合わせていたのかもしれません。疲れてしまったのでしょう。

それにしても、残念な話です。

「バベル」★★★★

話題の映画「バベル」を見てきました。

うーん、何というか、フラストレーションの塊となって、映画館を出てきましたね。もちろん、後悔ではなく、見て本当によかった。今年のベスト5に入るのではないかと思っています。

監督のメキシコ人のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。監督の意図が透けて見えるようでしたね。この映画は観客にフラストレーションを巻き起こすためが目的なのだと。

モロッコと東京と、アメリカと国境に近いメキシコが舞台。別々に起こっている事件が、同時につながりがあるのですが、いずれも解決しないままで終わってしまう。そこにはヒーローもヒロインもいなく、勧善懲悪もカタルシスも何もない。これまでのハリウッド映画の王道とは正反対の道を行く作品なのではないでしょうか。

この映画を見た人は誰でも、深く深く、沈思黙考させられてしまいます。

イニャリトゥ監督は何で日本の若者をあのように、退廃的で絶望的に描かなくてはならないものかと思ってしまいました。菊池凛子の裸のシーンは必要なのかなあ、とも思いました。が、モロッコやメキシコの人たちと比べ、あまりにも自然のない、コンクリートジャングルの中で暮らしている東京人にとって、残っている自然は人間の裸くらいしかないのではないか、という監督の皮肉なメッセージが聞こえてきます。

全体的には、この映画の主題は「コミュニケーション・ブレイクダウン」にあるようですが、東京人が、一番精神的に病んでいるような扱い方ですね。東京でも、もっと静かな落ち着いたところがあるんですけどね。檜町公園、赤坂氷川神社がそうでした。

それにしても、俳優連中が皆素晴らしかった。まるで、ドキュメンタリーを見ているような感覚でした。ブラッド・ピットはいくつになったのか、随分老けましたね。役所公司も日本代表としてよく頑張っていました。

カタルシスがない、と書きましたが、ブラッド・ピット扮するリチャードがお世話になったモロッコ人の通訳兼ガイドに謝礼を払おうとすると、モロッコ人が最後まで受け取らなかったシーンです。それまで、モロッコ人を訳の分からないことしか話さない野蛮人のような描き方でしたが、そのシーンだけは救われる気分でした。

役所公司と菊池凛子の親娘関係は身につまされる感じでした。

このように、この映画は見る人の国籍、性別、職業、家庭環境によって、感想は様々でしょう。一つの意見はないと思います。

亀戸天神の藤まつり

上野のぼたん宛で、亀戸天神の「藤まつり」のポスターがありました。ぼたん宛と同じ時期で、5月6日までです。これは、行くしかありませんね。ひどい陽射しで暑かったので、アメ横で帽子を買って、都バスで、行きました。池の端1丁目~亀戸天神前(約40分) 200円。途中、湯島、根津、谷中、根岸、浅草を通るちょっとした下町見学コースなので、この路線は最高ですよ。バス旅行が好きだった田中小実昌さんを思い出しました。

ポスターは、誰でしたっけ?歌川広重か誰かの有名な浮世絵と上のような写真が並列されていました。

もちろん、江戸時代は木橋ですが、江戸時代の情緒は、ほんの幽かに残っているのです。

藤まつりは、無料です。ただし、人の多さは半端ではありませんでした。

藤の花は、やはり、少し、盛りを過ぎていました。4月下旬が見ごろなのでしょう。

藤の花を見て、花札を思い出してしまいました。

地元の伝統保存会が邦楽を演奏していました。

やはり、初めて亀戸天神も訪れました。こんな機会がないと行かないと思います。

行ってよかったと思います。

上野ぼたん宛

上野・東照宮の「ぼたん宛」(入園料600円)に行ってきました。

宛内には、500株くらいの色んな種類のぼたんが咲き乱れていました。

長らく東京近辺に住んでいましたが、ぼたん宛は初めてです。

「麒麟司」「白妙」「八千代椿」「花王」…色んな種類のぼたんがあるものでした。

ぼたん宛は5月6日まで。私が行った頃はちょっとピークを過ぎていた感じだったので、4月下旬がお奨めです。

東照宮(200円)もお参りしました。家康様が祭られています。

国宝の何とか門(残念メモしてくるの忘れた!)

これでも、拝観料など、いくら払ったのか忘れてしまったので、いちいちこのブログのために、電話で確認したりしたのです。

宮内には、藤堂高虎が寄進した石灯篭などがありましたが、そもそも上野は藤堂家の敷地で、藤堂の故郷の伊賀上野から命名したものです。三重県の上野の方が本家本元なわけです。

中国現代事情 

虎ノ門・金毘羅宮

(続き)

赤坂から虎ノ門に行く途中、「健康足裏マッサージ」店があり、「GW期間中 特別2割引」という看板に魅かれて入ってしまいました。普段45分4200円のところが、3360円でした。

足裏に何かクリームを塗りこんで、マッサージするもので、随分歩いたので、いい道中の休息ができました。施っしてくれたのが、中国人でした。病院でもないのに、私の名前を聞かれたので、正直に答えましたが、今度は、私が「あなたの名前は王さんでしょう?」と言ったら、相手から飛び上がらんばかりに驚かれてしまいました。

何で知っていたのかというのも、最近、新聞の記事で、中国で一番多い姓は「王」さんということを知っていたので、当てずっぽうで言っただけでした。(確か二位は李さん)

これが、きっかけで、王さんと色々話をしました。以下に箇条書きするとー。

●中国では、結婚しても妻の姓は変わらない。子供は、父親の姓を受け継ぐ。かつては、お墓はほとんどなく、遺骨は海や河に流したりしたり、自宅に保管したりした。今では、お墓も増え、夫と妻の姓を連名の墓を建てることがある。

●北京五輪を間近に控えて、北京市内は開発だらけ。歴史的な胡同(フートン)も消えつつある。金持ちと貧乏人の格差が激しくなった。選挙のない共産党独裁政権はよくない。昔は、政治批判をすると、すぐ逮捕されていたが、現在では随分緩和された。特に、文化大革命時代は最悪だった。

ちなみに、王さんは、北京出身で、1987年に来日したので、もう20年以上滞在している。(それにしては、日本語はあまりうまくなかった)

チベットから内モンゴルまで、中国中を旅行したことがあるが、日本は街が綺麗だし、とてもいい国だということでした。

この後、東銀座の「秩父錦」で、仲本さんと西町さんの3人で飲み会。痛飲して、どうやって帰ったのか記憶がなく、どこかで転んだらしく手の平に大きな内出血の痣ができてました。