ロック・カルトクイズ

 旭山動物園

公開日時: 2007年8月8日

夏休みということで、「ロック・カルトクイズ」をお楽しみください。全問正解できた人は、何かプレゼントしたいのですが、その手段も方法もないので、返す返す残念です(笑)

 

1、スモール・フェイセズにいた通好みのスティーヴ・マリオットが在籍した1960年代の英国のロック・グループは何でしょうか?ヒントは、1970年代半ばにソロとしてスーパースターとなったピーター・フランプトンも在籍していました。

 

2、ヴォーカルのオージー・オズボーンを中心に60年代後半に英国バーミンガム郊外の小さな町で結成され、「パラノイド」などのヒット曲があり、その後「メタル・ロックの元祖」とも呼ばれたグループは?

 

3、伝説の三人グループ「クリーム」のメンバーは、エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーですが、彼らを育てたプロデューサー、フェリックス・パパラルディは、自らも巨漢のギタリスト、レスリー・ウエストとロックグループを結成し、「ミシシッピー・クイーン」などのヒット曲もありました。そのグループ名は?ちなみに、フェリックスは1983年に妻により射殺されたそうです。

 

4、米国シアトル出身のジミ・ヘンドリックスの才能を見出して、英国に連れて来て、世界的なスターになるきっかけをつくったチャス・チャンドラーは、あるグループに在籍していました。何でしょうか?ヒントは「朝日のあたる家」です。

 

5、「青い影」が代表曲のプロコル・ハルムは、ゲイリー・ブルッカーとキース・リードの二人が、あることをして、メンバーを集めてグループを結成しました。さて、どういうことをしたのでしょうか?

以上

これが分かる人はすごいです。答えは明日。

阿久悠さん、世襲、印税…

 軽井沢

公開日時: 2007年8月3日

ある民放の調査によると、安倍総理の支持率が22%になったようですね。支持率は30%を下回ると「危険水域」と言われているので、もう瀕死状態なのかもしれません。

 

所詮、政治も人気商売の側面があります。その点、芸能界と極めて近いのです。世襲制という点でも、似ていますね。養子縁組などで血のつながりは、あれなんですが、市川団十郎は12代目、尾上菊五郎は7代目、松本幸四郎は9代目を名乗っています。安倍晋三さんも小泉純一郎さんも3代目、小沢一郎さんは2代目。あの絆創膏大臣の赤城さんも3代目。奇しくも彼のお爺さんが安倍総理の祖父の岸内閣の農水大臣だったというのですから、ポッと出は皆無なのです。支持者やファンが先代の面影を追うからなのでしょうかね。この「人気」というわけの分からない運勢の綾みたいなものに左右されて、生きていくってことは本当に大変なことなのでしょう。

 

ところで、1日に作詞家の阿久悠さんが亡くなりましたね。享年70歳。何しろ、5000曲以上も作詞したということですから、まさしく超人です。1967年「朝まで待てない」(ザ・モップス)、69年「白いサンゴ礁」(ズー・ニー・ブー)、70年「笑って許して」(和田アキ子)、71年「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、72年「どうにもとまらない」(山本リンダ)、73年「ジョニーへの伝言」(ペドロ&カプリシャス)、76年「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり)、77年「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「UFO」(ピンク・レディー)、81年「もしもピアノが弾けたなら」(西田敏行)、85年「熱き心に」(小林旭)…いやあ、もう書くのが嫌になった。というより、私がよく聞いていたのは、この辺りまでの曲で、それにしても、「えー、これも、そうだったの?」と驚いてしまう曲ばかりでした。一流歌手で、阿久悠さんにお世話にならなかった人は一人もいないのではないでしょうか?

 

作詞家は、残念ながら世襲ができないので一代限りです。そういう意味で彼は、本当に不世出の作詞家でしたね。ヒット曲を飛ばすと、カラオケの印税も馬鹿にできません。中には1曲、印税だけで年間で2000万円という話も聞いたことがあります。阿久さんの場合、ヒット曲は数百曲あるので、その遺産は莫大です。私はとても計算できません。

ドドンパを知っていますか?

 上士幌町

公開日時: 2007年6月24日

今朝は日曜日だというのに(仕事ですが)、4時過ぎに目が覚めてしまい、ラジオを付けたら「深夜便」をやっており、作家の五木寛之さんが「昭和の歌語り」とかいうタイトルで、出演していました。五木氏はよく知られているように、34歳で直木賞を取る前は、放送作家、CM作家、歌謡曲、童謡作詞家として活躍されていたので、音楽に関しては、非常に詳しく、一家言を持っている人なので、面白かったです。

 

何回か続いている番組らしく、今朝は、昭和37年のヒット曲がたくさん掛かり、本当に懐かしかったです。吉永小百合、和田弘とマヒナスターズの「寒い朝」、倍賞智恵子の「下町の太陽」、北原謙二(2005年1月26日死去、65歳)の「若いふたり」などがかかっていました。こんな曲を懐かしがるなんて、あなたも相等お年ですね。

 

この「若いふたり」は、いわゆるドンドンパ調で、五木さんは「日本で生まれた」と発言していましたので、早速調べてみたら、日本の都都逸とルンバが合成されてできたらしく、一説では、京都でフィリピンのバンドが演奏していた独特のマンボがドドンパの起源らしい。1961年の渡辺マリの「東京ドドンパ娘」が100万枚のヒットとなり、一般に認知されたといいます。

 

へーと思ってしまいました。

 

今のJ-POPは確かにリズム感に溢れ、踊れるかもしれませんが、唄えませんね。昔の歌はよかったなあ、今でも歌えると私は、はっきり書きます。

 

そういえば、私にとって、一番印象深いドドンパはやっぱり、和田弘とマヒナスターズ・松尾和子の「お座敷小唄」ですね。よく、学校の行き帰りに唄っていたので、随分ませたガキでした。

「聴いて得する日本の大衆芸」

襟裳岬

キングレコードの杉さんから「聴いて得する日本の大衆芸」のCDを送ってもらいました。全5枚あり、送って戴いたのはそのうちの一枚ですが、内容はこんな感じです。

●第一集「ストリート・パフォーマンス」

紙芝居「天狗剣士」(梅田佳声)、チンドン屋「真室川音頭」(小一堂宣伝社中)、物売り「がまの油売り」他

●第二集「艶笑よもやま噺」

艶笑噺「新婚箱根の一夜」(柳家三亀松)、江戸艶ばなし(三遊亭円龍)他

●第三集「ハイカラソングまるかじり」

鎌倉節、法界節、オッペケペー、デカンショ節、よさほい節他

●第四集「下町浅草・演芸の街」

チャップリンの消防夫(牧野周一=牧伸二の師匠)、ベアトリ姉ちゃん(田谷力三、榎本健一)他

●第五集「相撲甚句アラカルト」

相撲甚句「まくら唄」「大阪場所」「四十八手」(元栃桜他)等

…小沢昭一さんが泣いて喜びそうなものばかりですね。

送って戴いたの、このうちの第三集の「ハイカラソング」です。幕末から明治、大正にかけて大流行したヒットソングを集めたものです。当時は、本当に楽しみとして花柳界などで唄われたのでしょうが、今聴くと、あんまり、ピンと来なくて、学術研究の苦行に近いものになってしまうものなのですね。

当時は、もちろん、ラジオやテレビがない時代ですから、流行歌は、寄席や歌舞伎などの舞台から生まれ、花柳界などに広まったようです。

例えば、鎌倉節は、江戸で飴屋が「米山甚句」にして唄ったものが流行し、明治初年に歌舞伎役者の四代目・五代目菊五郎が取り入れて、飴屋に扮して踊って、一層流行したと解説にあります。

私は、「ぎっちょんちょん」「オッペケペー」「よさほい節」「デカンショ節」は辛うじて知っていましたが、あとは殆ど知りませんでした。「法界節」は、明治二十四年頃に長崎で歌われ、「長崎節」といわれていた。その後、若い娘の門づけ唄として流行した。と書いてありましたが、この「門づけ唄」という意味が分かりません。

何しろ、花柳界が亡んでしまい、これらの唄を披露する場が失われてしまいました。外での物売りも街から消えました。こうして、からうじてCDの中に生きるのみです。

モーツァルト生誕250周年

トムラウシ山

公開日時: 2006年12月18日

今年、2006年はモーツァルト生誕250周年でした。1月生まれなので、ほとんど1年近く過ぎてしまいましたが、日本でも各地で記念コンサートが開催されていたことでしょう。と、変な書き方をするのは、結局、今年は、いや、今年だけでもないのですが、一度もクラシックのコンサート会場に足を踏み入れることはなかったからです。専ら、CDを聴いていました。

もう15年前の1991年。モーツァルト没後200年の記念の年では、本当に足繁くコンサート会場に通ったものです。年間80回近く聴きました。この年を前後して発売されたCD190枚付きの「モーツァルト全集」(小学館)全16巻 https://www.mls.ad.jp/sanseidou/gokabon/mozart/ を45万円くらいの値段で買った覚えがあります。

でも、15年も経ち、これほどインターネットが普及するとは思いませんでしたね。今では、ネットでモーツァルトの楽譜600曲以上が無料で手に入るという記事を読みました。

http://dme.mozarteum.at/mambo/index.php?option=com_frontpage&Itemid=1&lang=en

早速、ホームページを覗いてみました。できれば、ドイツ語ができれば便利ですね。楽譜といっても、モーツァルトの手書きの直筆がPDFでアップされていました。学術研究者用に近いので、プロ中のプロしか読みこなすことができないでしょう。記事によると、公開直後の4日間で1200万件以上のアクセスがあったそうです。恐らく、このうち、ほとんどの人は楽譜を読みこなせないので、退散したことでしょう。

いずれにせよ、すごい時代になりました。

ジョン・レノンの命日

ヴェニス

公開日時: 2006年12月8日

今日は、どうも気持ちが不安定だなあと思ったら、ジョン・レノンの命日でした。彼が狂信的なファンにNYの自宅マンションの前で射殺されてもう26年の歳月が経ちました。早いものです。と、月並みな感想しか出てきません。

NYのセントラルパークの一角にある「ストロベリー・フィールズ」でファンによる追悼が行われるようですが、公園内なので、条例により、騒音を出すことが禁止されています。「でも、この日は特別な日なので、少しは緩和してほしい」というファンが当局に要望したという記事を数日前に見かけました。

ジョンは、奥さんが日本人だったせいか、日本にはかなり関心を持っていたようですね。歌舞伎や能や禅や書など、短期間で日本の文化をかなり吸収していたようです。「晩年」は毎夏のように軽井沢の万平ホテルを定宿にして訪れていました。私の大学時代の先輩の友人が当時、このホテル http://mampei.co.jp/で、ボーイのアルバイトをしていて、目の前を、ジョン・レノンが通り過ぎた時、思わず、直立不動して何も声が掛けられなかったという話を聞いたことがあります。

私もそんな感じになるでしょうね。

ビートルズ・フリークの私なので、幸運にもポールとジョージとリンゴの3人は来日公演で、彼らの勇姿を見ることができましたが、ジョンだけは、会うことができませんでした。それだけが心残りです。

今日は部屋でジョンのCDをかけまくることにします。

 

ビートルズ無料視聴

公開日時: 2006年11月13日 

どなたか奇特な方が面白いサイトをリンクしてくれました。

ビートルズの無料視聴です。ユーチューブとリンクして、ビデオの「アンソロジー」中の「サムシング」や「ペニーレイン」、映画「レッド・イット・ビー」の「ドント・レット・ミー・ダウン」などが見られます。著作権はどうなっているのでしょうかね?でもこのサイトが充実すれば、今持っている、ビートルズのビデオやDVDはいらなくなります。「なるべく私物は持たない」精神に合いますかね?

この中で、ビートルズ本人以外のマニアの人の投稿があって「ビートルズの曲でジャッグリングするおじさん」が異様に面白かったです。「アビイ・ロード」のB面の「ゴールデン・スランバーズ」から「ジ・エンド」までをBGMにして恐らくプロのジャッグラーが3つの玉を自由に操っているのです。ご興味のある方は、下のURLをクリックしてご覧ください。

http://beatlesvideo.seesaa.net/archives/200606.html

目に見えない悪霊の悪戯

ミラノ・ドゥオモ広場

公開日時: 2006年11月13日

昨日は、「私物はほとんど持たない」吉田太一さんのことを書きましたが、私の友人の刀根君もまさしくその典型です。何しろ、イタリア旅行から帰ってきて、そのまま成田空港からボストンバック一つで東京に定住してしまったのですから。

定住先では、家財道具は、K氏の涙ぐましい素晴らしい計らいで冷蔵庫、洗濯機、電子レンジなど最低限の設備は整っていましたが、「それ以外」の物は、一切ありませんでした。見かねた私は、もう中古なのですが、自分のラジカセを取り敢えず、持っていってあげることにしました。

でも、今度は自分の音楽再生機がなくなってしまいました。私は、テレビがなくても生きていける人間ですが(佐藤さん、すみません)、ラジオや音楽がなければ、人生が退屈しすぎて耐えられません。

そこで、昨日、有楽町のビックカメラにまで行って、安い小型のラジカセを買ってきました。(もうカセットテープは付いていなくて、MDとCDなので、「ラジカセ」とは言わないでしょうが)

深夜遅く、ラジオを同調させて「登録」する作業をしたところ、どうしても、AMのNHK第2(教育放送)とFMのJ-WAVEが入りません。J-WAVEの方は何とか幽かにチューニングすることができましたが、NHK第2は、どうしてもチューニングしないのです。

「どうしたものか?悪霊にでも取り付かれているの?」と本気で、思いました。何しろ、他に数多に放送局があるとはいえ、私は普段、日々、ほとんど、J-WAVEかNHK第2しか聴いていないのです。NHK第2は語学の勉強のためです。何か、目に見えない悪霊が悪戯しているとしか思えなかったのです。

私は不貞寝しました。

翌朝起きて、ハッと気がついて、笑ってしまいました。

NHK第2がチューニングしないはずです。日曜日の深夜(月曜日の未明)だったので、放送が終わっていたのでした。今朝はJ-WAVEもはっきり聴こえます。

お騒がせしました。

ビートルズ「LOVE」はおかしい

上士幌町

公開日時: 2006年11月12日

ビートルズの「ニューアルバム」、『LOVE』がもうすぐ発売されるようですね。

私は、自称ビートルズ・フリークなので黙ってはいられません。

ニューアルバムといっても、ビートルズは、もう36年前に解散したグループですし、メンバーの半分の二人も鬼籍に入ったので、新曲ではありません。しかし、新曲紛いの曲が収録されています。

FMでちらっと聴いただけなのですが、例えば、「ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー」は、最初、ジョン・レノンのアコースティック版で始まり、最後に、「サージェント・ペパーズ」や「イン・マイ・ライフ」「ペニー・レイン」「ピッギーズ」「ハロー・グッドバイ」のフレーズが此処彼処に登場します。「レディ・マドンナ」も最後に「ヘイ・ブルドッグ」に代わります。ビートルズ・ファンにとっては、「隠された曲」がどんな曲なのか、探すのも楽しみの一つになります。

ビートルズの曲をよく知らない人にとっては何のことか分からないかもしれませんが、いずれにせよ、賛否両論になることは確かです。

ここまで「アレンジ」したのは、プロデューサーのジョージ・マーティンとその息子のジャイルズ・マーティンです。彼らだからこそ許されたことでしょうし、ポールもリンゴも喜んでいるということですが、もしジョンが生きていたらこんな「企画」には絶対反対していたと思います。

私もおかしいと思います。「お遊び」としては許されるでしょうが、単なる儲け主義、商魂丸出しと見られても仕方ないと思います。

ビートルズ関係のCDはほぼすべて持っている私ですが、このCDを買おうかどうか迷っています。

そんな時、面白い記事を目にしました。吉田太一さん(42)という人が書いたブログが本になったという話です。タイトルは「遺品整理屋は見た!」。そう、彼の仕事は、遺品整理です。この4年間で約4000件の遺品を扱ってきたそうです。高齢者や仕事が忙しい人の依頼人が多いそうですが、誰も引き取りに来ないという大家さんからの依頼も多いそうです。その9割は「孤独死」だということです。

吉田さんは「明日は我が身」ということを身に染みて感じて、「私物はほとんど持たない」そうなのです。

これには、すっかり感服してしまいました。

目下、私物は、本が300冊くらい、CDが1000枚くらいあります。(もっとかな?)

私も、吉田さんの言葉が身に染みます。

吉野大地「インド讃美歌集」

上士幌町

 公開日時: 2006年11月11日

最近、暇な時、吉野大地さんの「インド讃美歌集~バジャン~」のCD(ブロッサム・ミュージック)を聴いています。

アジア民族造形ネットワークの金子所長の言を俟たなくても、日本人の聴く音楽は、J-POPか歌謡曲、はたまた欧米のロック、ジャズ、クラシックに偏って、アジアの民族音楽を聴く人はあまりいません。

私もその一人ですが、吉野さんのように、インド伝統の讃美歌であるバジャンを習得して、自ら作詞作曲までしてしまう人がいたとは本当に驚きです。CDには歌詞も付いているのですが、残念ながら意味が分からないので、専ら、BGMとして聴いていますが、何か心の穢れが落とされるような感じです。デニッシュ・チャンドラ・ディヨンディさんの歌声にアコーディオンとタブラーというシンプルな楽器編成ですが、曲から湧き上がってくるイメージは深遠です。

上士幌町バルーンフェスティバル

CDのライナーノーツによると、吉野さんは函館市出身で、1995年にインド讃美歌「バジャン」に出会い、現在、帯広市で音楽活動中とあります。

「ああ、帯広で会えていたのかもしれない」と思うと、また懐かしさがこみ上げてきました。