奇跡の人 

大病して奇跡的に一命を取り留めた友人と久しぶりに電話で話をしました。現在、リハビリを兼ねて、中部地方の片田舎で平日はほとんど一人で暮らしているので、30分ほど、彼一人がしゃべっていました。

困難を実体験し、自力で切り抜けた者でしか語れない話だったので、ここに再録したいと思います。

●これまで、「世の中が悪い」だの「誰それが悪い」だの、何かのせいばかりにして生きてきたような気がする。また、「こうしなければいけない」とか「安逸な生活はしてはいけない」といったような考え方で生きてきた気がする。しかし、「こうしなければならない」ということはないんだよね。本当にないんだね。

●同様に「人生はこうあるべきだ」というモデルも、もうどうでもいいことなんだよ。自分は自分だし、何も拘る必要はないんだよ。僕はもう何も拘らなくなったよ。例えば、今まで、料理や味付けに非常に拘っていたけど、今ではニンジンなんか、生で、何も付けないで齧って食べているぐらいだからね。

●確かにここは山奥だけど、何処に住んでも一緒だと思っている。ニューヨークでもサンパウロでも何処に行っても同じなんだよ。今ここで何かをやらない限り、どこに住んでも同じなんだよ。山奥だからといって、世の中の動きが分からないとか、時代に取り残されているという感覚は全くないんだ。週末にまとめて新聞に目を通すくらいで、テレビは見ないけど、ラジオで2、3分、ニュースを聞けば、それで十分、世の中のことは分かるよ。

●もう、考え方の問題じゃないんだ。人は「家族がいるから」とか「仕事があるから」とか、色々と理由を作って、やらないけど、皆、口実に過ぎないんだよ。「やる」か「やらない」かのどちらかなんだよ。すべて御破産になっても、ゼロからでも、何でも始められるんだよ。今の僕のように。誰でも何歳になってもできるんだよ。やらないのは、ただ、やりたくないから、口実を作っているだけなんだよ。

彼は、最近、小説を書いて、ある文学賞の最終選考会まで残ったそうです。彼の文壇デビューする日は近いかもしれません。その時、思いっきり、彼の本名を明かしてみたいと思います。