アッシジの聖フランシスコの祈りから

神よ わたしを あなたの平和のために用いてください

憎しみのあるところに 愛を
争いのあるところに  和解を
分裂のあるところに  一致を
疑いのあるところに  真実を
絶望のあるところに  希望を
悲しみのあるところに 喜びを
暗闇のあるところに  光を

もたらすことができますように
助け導いてください

松井守男画伯

最近、気になっている画家がいます。
日本人でありながら、フランスに定住し、ついにレジョンヌ・ド・ヌール勲章までも受章した松井守男画伯です。

たまたま、テレビで彼の活躍を知りました。(今年5月に放送されたNHK教育「課外授業 ようこそ先輩」と11月に放送されたNTV系「金のA様×銀のB様」)

現在、フランスのコルシカ島に住み、最も有名な日本人らしいのです。アラブの大富豪がわざわざ自家用のジェット旅客機で、彼の絵を買いにコルシカ島までやってくるというから只者ではありません。

レジョンヌ・ド・ヌール章とはナポレオン・ボナパルトによって1802年に創設されたもので、軍人や文化・科学・産業・商業・クリエーション等の分野における民間人の「卓越した功績」を表彰する事を目的とした勲章です。

日本人画家では、1932年の鹿子木孟郎、1956年の荻須高徳、1957年の藤田嗣治、1996年の平山郁夫に続き、松井守男画伯(2003年)は5人目です。

それほどすごい画家なのに、今年5月まで、全く知りませんでした。

松井画伯は、類稀な才能ゆえに、周囲の妬み、反感をかって、12年間も引き篭もって、新境地を開いた経験があります。

彼の作品を見たい人は、検索エンジンで彼のホームページを探してください。
非常に立派なHPがあります。
あまり立派すぎて、何も付け足すことはありません。
ちょっと白けちゃいますが…。

女児遺棄事件

公開日時: 2005年11月28日 @ 19:45

22日に広島市で起きた女児殺人遺棄事件。一週間近く経つというのに、まだ何一つ解決の糸口が見つかっていません。本当に残念です。

北海道から遠く離れた広島の事件でしたが、地元紙が、亡くなった木下あいりちゃん(7歳)が、昨年3月まで、帯広市に住んでいたと報じていたので、この事件が急に身近に感じてしまいました。

あいりちゃんのお父さんの健一氏(38)が、陸上自衛隊員で、当時、帯広市の第5師団(現在、旅団)に勤務していたのです。もしかしたら、スーパーかどこかで、あいりちゃん一家とすれ違ったことがあったのかもしれません。

あいりちゃんは、当時、帯広市内の幼稚園の年少と年中組に通っていたそうです。写真で見る限り、とてもかわいく愛らしい。広島に住んで1年半ですから、犯人は、誘拐目的ではなく、まさしく、通りすがりの、いきずりの、犯行ということになります。

もう少し帯広に住んでいれば、あんな事件に巻き込まれずにすんだかもしれないと考えると、本当に、哀れでかわいそうです。早く犯人が捕まってほしい、と当たり前のことしか思い浮かんできません。

フォーカシング

臨床心理学の用語の一つに「フォーカシング」なるものがあることを初めて知りました。

北海道新聞の編集委員が、フォーカシングの創始者ユージン・ジェンドリンさん(78)にインタビューしている記事を読みました。(27日朝刊)

その記事によると、フォーカシングとは、自分の体の喉からお腹にかけての中心部分に注意を集中して「今、気になっていることは何か」を自分自身に問いかけることから始まります。例えば、仕事や恋愛や夫婦関係や病気や子供の問題などが浮かぶとします。

その中で、何が一番強く感じるのか、を問い直し、それにぴたりと合う言葉やイメージを思い浮かべます。すると、一番重い問題は「仕事」で、「失敗するのが怖い」と出たとします。再度、自問自答して、過去の失敗例を思い出し、「そうか、そういうことを繰り返すのが怖いのか…」などと納得します。すると、自然と体が楽になって、具体的にどう対処していったらいいのか、自ずから分かってくる…。

こういった調子で、フォーカシングは、問題解決や意思決定、様々な創造性、心理療法など個人的成長に広く役立つというのです。

心理学者でカウンセラーでもある創始者のジェンドリンさんは、インタビューに対して「話を聞いてくれる人がいることが大切です。相手は耳を傾け、よくわからないことを聞き返してくれるだけでいい。それによって、あなたは、何もひっかかることなく、押し付けられずに、人と相互作用できます」と応えています。

フォーカシングをもっと知りたい人は、以下のホームページを参照してください。

「フォーカシング研究所」 http://www.focusing.org
「日本フォーカシング協会」 http://www.ne.jp/asahi/focusing/jfa/j-focusing

鶴の恩返し

Mさんから葉書が来ました。

「我々『有遊会』には著作権はありません。どこにでもお使いください」

そうです。Mさんから聞いた小話を、「私のブログに引用してもいいですか?」と許可の葉書を出していたのです。

そこで一つだけ、引用させて戴きます。

有名な「鶴の恩返し」の別バージョンです。

昔むかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。

おじいさんとおばあさんが、そろそろ今晩は寝ることにしようか、と戸締りを確かめに玄関に行くと「どうか、一晩だけ泊めてください」とか細い声で、若い娘が訪ねてきました。
「ははあ、さては、この間の鶴さんの親戚かな」とおじいさんは、知らないふりをして「さ、どうぞ、どうぞ」と、その娘を一番良い部屋に通すことにしました。

しかし、夜中になると、どうもおかしい。ガラガラ、ドンドンと大きな音が鳴り止みませんでした。

「随分派手に織物を織っているなあ」と、おじいさんとおばあさんは顔を見合わせました。

そのうち、娘の部屋はシーンと静まり返り、物音一つしなくなりました。

「さすがに疲れて寝いいったのだろう」と、おじいさんとおばあさんは、そのまま寝込んでしまいました。

翌朝。娘の部屋を覗くと、もぬけの殻です。それどころか、箪笥から書棚まで家財道具が一切消えて無くなっていました。

そうです。娘は鶴かと思ったら、鷺だったのです。

放火容疑のNHK記者 

放火容疑で逮捕されたNHK大津放送局の24歳の記者は、容疑事実を認めた上で、その理由については、

「仕事や私生活の悩みのために、気を紛らわすためにやった」
と供述したそうです。

報道によれば、件の記者は、取材方法や原稿の書き方などで、先輩記者やデスクから、記者クラブなど、人前で罵倒されたことがあるようです。最近、彼女と別れたという噂もありました。

「貧乏自慢」するわけではありませんが、今の私は、彼の何百倍、いや何百万倍の仕事や私生活での悩みを抱えていますが、気を紛らわすために、放火という大罪を犯すつもりは全くありません。

要するに、彼が犯した罪に関する供述は、全く理由にならない、と言いたいのです。どの時代に、彼のような日本人がいたのでしょうか。

彼はマスコミ記者ということで、恐らく世間で注文されたのですが、職業は関係ありません。

広島での女児殺害、死体遺棄事件。一級建築士による設計構造計算書の偽造事件など、最近、またまた事件に事欠きません。

ストレス発散のために、大罪を犯しても平気な人間が増えたことに唖然としてしまいます。

深い悲しみ 

深い悲しみに襲われた時、胸の奥に小さな空洞ができることがわかりました。

「胸にぽっかり穴があいた」というのは、単なる比喩で典型的な文学的な表現だと思っていたのですが、深い悲しみに襲われると、本当に胸にぽっかりと穴があくようです。

それが、半仮睡状態で起きると、その開いた穴から魂が抜け出てしまうような感覚になり、そのまま深い深い暗い暗い闇の中に吸い込まれてしまう気がします。

その感覚は、恐怖感とは少し違うのです。
その感覚を我慢すれば、そのまま、すんなりとあちらの世界―つまり、彼岸に到達してしまうのではないかという感覚に近いのです。

その時、ハッとして正気を取り戻します。

そうでもしないと、本当にあの世に行ってしまう気がするのです。

154兆円

気になる数字があります。

154兆円。

もし、ゼロ金利が続かなかったら、1993年から10年間で家計の受け取り利子が累計154兆円に達していたという数字だそうです。

不良債権処理で、これだけ、国民に負担を強いられたということです。

逆に言うと、銀行などの金融会社は、「ドブ」と彼らが呼んでいる客からタダ(金利ゼロ)で金を仕入れて、利子を付けて、金を貸して、154兆円の利益を生み出したということでしょう。本来なら、この154兆円は、金利として、預けてくださった顧客に返却すべき数字だったのです!

しかし、どこの世界に、タダで仕入れてきて利益を生む社会システムが存在するのでしょうか?

今、映画化もされた、つげ義春の漫画「無能の人」を思い出してしまいました。
この作品は、河原からタダで石を「仕入れて」きて、売っている「無能の人」の物語でした。

現実は漫画化されている、というのが今回の結論です。

バレンタイン監督の箴言 

今年、プロ野球ロッテを日本一に導いた名将ボビー・バレンタイン監督の名言中の名言―。

人を落ち込ませることは、すべて過去に起きたこと。

自分がコントロールできるのは、これから起きること。

矢沢永吉 再び

20日にMBS系で放送された「情熱大陸」。

矢沢永吉
1949年、広島生まれ。
3歳で、母親が家出。
小学校2年生の時、父死去。
祖母に育てられ、高校に進学。「いつか見返してやる」と心に誓う。
20歳で上京。横浜で、バンド「ヤマト」でプロデビュー。鳴かず飛ばずで、自信喪失。

矢沢「このままチャンスが来ないで、消えてしまうんじゃないかと、不安で不安でしょうがなかった」

しかし、バンド「キャロル」で大成功。「ファンキー・モンキー・ベイビー」などのヒットを飛ばす。
その後、ソロに転向。

矢沢「『おまえならできる』『おまえならやれる』『おまえなら星をつかむことができる』と常に自己暗示をかけてきた」

1998年、マネージャーが豪州で不動産投機に失敗して、35億円の負債を抱える。
時に、49歳。
矢沢「めげそうになった。真っ暗な雲が塞がっている状態で、『この雲はいつか晴れますか?』って問い掛けていた」
「ヨメさんが『矢沢なら返せる』って言うんだ。それからは、もう敵を取ってやるって感じだね。目的を作ればいい。目の前にニンジンをぶらさげればいい。要するにシンプルな方がいい。ガタガタ考えても、駄目なものは駄目なんだから…」

…35億円の借金は、6年で完済する!

2005年、56歳。
日本武道館公演を封印して、全国の小さなライブハウス公演を決行する。原点に帰る意味を込めて、このツアーを「ルーツ」と名付ける。

この番組。とても勇気付けられました。