取材余話

実に15年6ヶ月ぶりにスポーツの取材をしています。

もう大昔のことなので、現場に来ているスポーツ記者で知っている人はほとんどいませんでした。そういえば、辞めてフリーになった人もいれば、地方のテレビ局の社長になった人もいます。

プレスセンターに来て驚いたのは、各座席に光ケーブルが配備していたことです。皆、黙々とパソコンに向かって、原稿や写真を送っています。ラリーの世界選手権なので外人記者が多く、当然、自国に送稿しているのでしょう。

本当に世界は狭くなりました。

昔は、FAXでしたから、皆、せっせと「手書き」で書いて、FAXで原稿を送っていました。そのまた昔は「電話送り」といって、電話でそのまま、原稿を読んで、部内にいる者に書き取らせていたのです。私も新人の頃、ほとんど「電話取り」が仕事で、先輩記者の原稿をよく取らされました。
それが、最初はよく分からないのです。急に「ワンマン吉田…」「加える下がり藤」「よみするの嘉」などと言われても分かるわけがありません。
戸惑っていると、「馬鹿野郎、代われ!」と怒鳴られたものです。

懐かしい思い出です。

アメリカのCM

日本に居ながらにして、いとも容易くアメリカのテレビのCMが見られるとは思いませんでした。ニューヨーク在住のSさんのブログで教えられました。
インターネットで、アメリカのCMのランキングのサイトがあったのです。
Sさんは、自動車保険会社「ガイコ」に日本のアニメ「マッハゴーゴー」(米国ではスピード・レーサー)が使われていたので、思わずはまってしまったそうです。

Sさんは、「子供の頃、よく見ていた」と書いていましたが、「あれ?」と思いました。あのアニメは、私が子供の頃に流行ったもので、その当時住んでいた東京都下のK町で、「マッハゴーゴー」の原画制作の「竜の子プロダクション」があり、小学校の帰り道によく窓越しに覗いて、スタッフが失敗したあまったセル(アニメ用の色付けした下絵)をくれないかなあ、と口からよだれをたらして眺めていたことをよく覚えています。
ちなみに、Sさんは私より10歳近く若いので、「見た」としても再放送だったのでしょう。

あの頃、-1960年代半ばですが、子供たちの間でレーシングカーのブームでした。ちょうど、富士スピードウェーができた頃で、「トヨタ7」や「ニッサンR-301」などが憧れの的でした。今でいうゲームセンターでは、レーシングカーを走らせるコースがあって、友達同士で競走させたものです。

無邪気な時代でした。本当に懐かしいです。過ぎ去りし日々…

ちなみに、アメリカのCMのネットのサイトは以下の通りです。
http://www.advertisementave.com/tv/ad.asp?adid=609