アジア美術最新事情

長年の友人である美術雑誌「月刊ギャラリー」の編集長である本多隆彦氏と久しぶりに会い、新宿の「北海道」という居酒屋で痛飲しました。金曜の夜ということで、立錐の余地もないほど満員で、テーブルの隣は、フィリピン系の30代初めの女性と60歳くらいの中小企業の社長さんタイプの男性のカップル。ここに辿り着くまでに街ですれ違った若い女の子で、胸の谷間を露にしたビキニで闊歩していたのには驚きましたね。新宿は相変わらずカオス状態です。

本多編集長から面白い話を聞きました。彼は、東京、ソウル、北京、上海、台北を結んだ東アジアの美術市場を結んだ美術情報誌を発行し、中国、韓国を飛び回っていますが、それぞれの「お国柄」が表れていて面白いというのです。

やはり、パワーがあるのが中国だそうです。オークションが盛んで、日本では、代表的なシンワ・オークションが年間売り上げ70億円規模なのに、北京のあるオークションは既に300億円を超えているそうです。

美術市場は、当然、その国の経済事情を反映しています。日本ではあのバブル期が最盛期でした。大昭和製紙名誉会長の斉藤了英氏がゴッホの「ガシェ博士の肖像」を125億円で落札して、世界中をアッと言わせました。この記録は、1枚の絵に対する価格としてはいまだに破られていないのではないでしょう。

要するに日本の場合、バブル紳士は、既に評価の定まった印象派などの名画に金をつぎこんで、日本の若い芸術家に目もくれなかったのです。

これに対して、現在の中国人のお金持ちたちはどんな絵に投資するかというと、ファン・リジュンといった自国の若い芸術家なのです。リジュンは数年前までは1枚数十万円だったのが、今では1億円近いというのです。韓国でも事情は同じです。経済新興国と注目されているインドでも、自国の若い芸術家の作品を買い集めています。

中国の場合、美術の教科書はロシアのものを使っているので、日本人なら誰でも知っている「印象派」などの作品を知らないというというのも背景にあるそうですが、それにしても、「西欧追随型」の日本とはえらい違いです。

日本の場合、20世紀末のバブル期に、19世紀のパリ、20世紀前半のニューヨークに続いて、芸術の都、美術市場の中心地になるチャンスだったのですが、逃してしまいました。パトロンたちが自国の芸術家を育てなかったからです。125億円もあれば、一体何人の若い日本人の芸術家をデビューさせることが出来たことでしょう。今頃、その日本人の画家は「世界の巨匠」として君臨していたはずです。

つまり、美術と経済的繁栄は密接に結びついています。19世紀から20世紀初頭にかけてのパリのパトロンたちは「印象派」を育て、世界的マーケットして買い支えました。第二次大戦で戦勝国となり、世界一の大国となったアメリカは、ジャスパー・ジョーンズやアンディ・ウォホールのような漫画のようなつまらない軽いものに芸術的価値を与えて、世界に通用するマーケットを作りました。

日本は駄目でしたが、中国、韓国、インドは違います。自国の芸術家を育てたおかげで、サザビーズやクリスティーズもマーケットに参加せざるを得なくなりました。

はっきり言って、日本画は世界では全く通用しません。これは、芸術的価値がないという意味ではありません。もっと下衆い話です。世界中の金持ちたちの食指が動かないということです。

それに、日本人の金持ちたちには、絵を買うようなセンスも慣習もないようです。第一、いい絵を買ったりしたら、世間の僻みややっかみに遭うことを怖れて、作品を隠してしまいますからね。それに、歴史的、美術的に評価の定まった有名な絵画しか買おうとしません。若い芸術家を育てようという勇気も気概もありません。

それが、中国や韓国との大きな違いかもしれませんね。