在ることの奇跡

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「私」とは、自我(エゴ)の部分です。

一方で、真我とは神の部分です。

そこに恐れはないし、この世で、愛以外はすべて幻なのです。

それを最近、たくさんの人が自覚しはじめています。

自分の中の神に気づき始めています。

 

神か恐れか…。

人の行動はこの二つの動機だけで生きています。

一瞬、一瞬選択して。

この世では、地位も権力も権威も不確かなものなのに、皆「私」を守ろうと必死になっています。

自我を守ろうと必死になっています。

 

そんな幻を掴むために、人は人を傷つけ、競い、闘っているのです。

愛だけが確かなもの。リアルな存在そのものだというのに…。

 

自然は、私たちに思い出させてくれます。鏡となって人間の中にある神聖さを。

自然に美を感じたとしたら、それが自分の中にあるということが分かります。

だから、自然から離れると人は心を病むのです。

命が希薄になるのです。

雄大な自然でなくてもいいのです。

道端の雑草にもしっかり向き合えば神を感じられるのです。

アイヌの人のように全ての命の中に神を感じられる人は本当に幸せだと思うのです。

自分たちが守られ、生かされているという実感がいつもあるからです。

 

本当は、人間は何一つ自分一人で生きていない。

人間が、自ら水を作れないように、太陽や雨が降なければ、食物が育たないように、何一つ「私」の力などないのです。

自然によって生命を与えられ、生かされている真実がそこにあるだけなのです。

 

まさしく在ることが奇跡なのです。

 

(SHさんのメールより)