成瀬巳喜男~古き東京市の思ひ出

旧航空写真地図 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 年末年始は、あまり読書が進みませんでした。正直(笑)。

 どうも、iPad で古い映画や70年代のロックを見てしまって、遊んでしまったわけです。

 古い映画とは、もちろん、成瀬巳喜男監督作品です。特に、戦前の、しかも、昭和11年(1936年)の2・26事件より古い映画は、サイレント(無声映画)ながら、あまりにも質が高いので、驚いてしまいました。

岡田嘉子

 列挙しますと、昭和6年の「腰弁頑張れ!」(成瀬の実質的一本立ち監督デビュー作、山口勇、浪花友子主演。腰弁とは今のサラリーマンのことで、主役の山口は、保険外交員役)とか、昭和7年の「生(な)さぬ仲」(いわゆる継母物語。ハリウッド女優として大成功して一時帰国した日本人女優の珠江役が岡田嘉子。ご存知、彼女自身は昭和13年1月3日に演出家の杉本良吉と樺太国境を越えてソ連に亡命します=杉本は、後にスパイ容疑の濡衣で粛清)、昭和8年の「夜ごとの夢」(当時の大女優栗島すみ子が主演。甲斐性のない駄目夫役が斎藤達雄)、昭和9年の「限りなき舗道」(銀座の喫茶店に勤める杉子=忍節子と袈裟子=香取千代子の恋愛物語。杉子は女優にスカウトされるほどの美人。途中で、新聞記事が写され、そこには「人気女優「東山すみ子引退」とあり、どうやら、この東山すみ子は、「夜ごとの夢」に主演した栗島すみ子のパロディらしい)

栗島すみ子

 私のような戦後生まれは、戦前は、軍国主義一辺倒で、何の娯楽もない暗黒時代だったと想像しがちですが、これらサイレント映画を観ただけでも、当時の生活水準の高さ(もちろん、富裕層とはいえ)は、半端じゃなかったですね。
 
 銀座の華やかさも今とそれほど変わりがありません。

 何しろ、昭和7年だというのに、もう日本人のハリウッド女優が登場するんですからね。驚きですよ。

 旧航空写真地図 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 70年代のロックで感動したのは、イーグルスでした。

 特に「ホテル・カリフォルニア」が大好きで、有名なツインギターのフレーズをどうやって弾いていたのか、生まれて初めて見ることができました。

ドン・フェルダー(左)とジョー・ウォリシュ

 いろんな解説書を読みますと、この曲をメインで作ったのが、ドン・フェルダーで主にリードギターを演奏しています。これに後からかぶさるように名演奏するのがジョー・ウォリシュでした。(ウォリシュは「テイク・イット・イージー」でピアノを弾いていたので多才な人だなあ、と思いました。)ボーカルは、ドン・ヘンリーでドラムを叩きながら歌っていましたから、ザ・バンドのレボン・ヘルムを思い起こさせました。

 知らなかったのは、イーグルスのリーダーは、昨年亡くなったグレン・フライ(「テイク・イット・イージー」などを作曲し、ボーカルも担当)だったんですね。イーグルスは80年代に解散しますが、その解散の理由が、ギャラの配分を巡るもので、ギャラのほとんどをグレン・フライとドン・ヘンリーが独占していた、とドン・フェルダーが後に内幕本を出版して暴露しています。

 旧総理公邸 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 年末年始に読んだ本は

 ◆国重惇史著「住友銀行秘史」=やはり、暴露本で読後感は最悪。東大経済部卒の著者のエリート臭が鼻につく。メモだらけの怪文書で、唯一、意味が分かって読めたのは、引用された日経や読売や毎日などの新聞記事。暴露本を書いて本人は清々したことでしょうが、周囲は逃げますね。

 ◆藤田孝典著「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃」=とにかく、暗い。我が言いたいことを言いたいがための資料の引用の仕方が、どこか、我田引水に見えてきたのは、読者の僻目か? 途中で投げ出した。

 ◆佐藤愛子著「人間の煩悩」=派手な宣伝をするので、書き下ろしかとばかり思っていたら、古い著作を集めたアンソロジー。御年93歳ということですから仕方ないかも。中には半世紀も昔に書かれたものもあるとか。「この世は不平等にできている」「人間も死んだらゴミ」「苦難の中にも救いがある」…などなど。若い人向きだったかもしれません。ある程度、年を経るとこの本から頭を垂れて学べることはほとんどなし。

 ◆永井龍男著「東京の横丁」=この本には、昔の東京の風俗がちりばめられ、教えられるところ大でした。著者は、東京市神田区猿楽町生まれ。父親が病気がちで長兄、次兄が家計を支えていたため、高等小学校卒。しかし、文才が菊池寛らに認められ、作家となり、文芸春秋にも勤務し、直木賞と芥川賞の選考委員にも。芸術院賞会員。

 以下、換骨奪胎で引用し、注も付記します。

 ●山の手、下町は東京市の地形による呼び名であって、住人の貧富には何ら関係がない。(山の手にも、貸し間が多くあり、貧困層が住み、下町にも大豪邸があったそうな)

 ●靖国神社の境内の奥に、「遊就館」という建物があって、日清・日露戦争の戦利品の展示をしていた。(明治時代は、靖国神社の大祭がかなり賑やかだったそうで、多くの屋台が並び、永井少年も楽しみだったそうな。2日の新年一般参賀の後、渓流斎も靖国神社に立ち寄りし、その大祭の模様を明治時代の絵巻で見ました。大村益次郎=村田蔵六の銅像も明治時代の絵巻にしっかりと描かれていました)

 ●私が奉公した日本橋区蠣殻町の米穀取引所仲買店「林松次郎商店」の並びに、同業の谷崎商店があり、後に、谷崎潤一郎・精二の生家であることを知った。(蛎殻町は、今の人形町、水天宮前辺りです)

 ●夏目漱石も通った錦華尋常小学校の同級生に波多野完治がいた。彼は、巌松堂という大きな古書籍商の息子で、淡路町の開成中学から第一高等学校、東大を卒業して、心理学者として大成した。(巖松堂は、戦時中は満洲の新京に支店を出すほど繁盛しましたが、戦後は戦犯扱いを受けて倒産。その後、出版社として再建し、現在も飯田橋で巖松堂出版として営業しています)

 (つづく)