漢字の不思議

皇居

私は、全く中国語が出来ないのですが、漢字には「一文字一発音」の原則があるらしいですね。

例えば、「高」なら「がお」といった調子です。

(以下も含めて、間違っていたら、コメントで修正お願いします。)

それなのに、日本では、色んな読み方があります。

例えば、「明」なら、「みょう」「めい」「みん」といった感じです。

これは、実は、日本に漢字が輸入された際の発音そのまま、という説があります。

古い順に、「呉音」(飛鳥時代)、「漢音」(平安時代)、「宋(唐)音」(鎌倉時代)と呼ばれ、「明」を例に取れば、「みょう」が呉音、「めい」が漢音、「みん」が宋音となるわけです。

記紀によると、日本に漢字を伝えたのは、渡来人の王仁で、6世紀のことと言われています。

この頃、同時に仏教も入ってきましたので、文字という書き言葉は、お経が原点だったのでしょう。

そのせいか、「利益」は呉音で「りやく」と読み、漢音で初めて「りえき」と読むようになります。

宋音は、鎌倉時代の禅宗の留学僧が持ち帰ったと言われ、「行脚」(あんぎゃ)とか、「普請」(ふしん)などといった読み方をするようになります。

「行」は、呉音で「ぎょう」、漢音で「こう」でしたから、「あん」などと読むこの飛躍に当時の日本人の頭の良さには感心します。「行灯」(あんどん)もそうだったのでしょうね。

「和尚」は、呉音で「わじょう」、漢音で「かしょう」、宋音になって、やっと「おしょう」となります。

乾門

そこで、中国では「一文字一発音」ではなかったのではないかという疑問が生じます。

しかし、それは、地方によって、同じ漢字でも全く読み方が違っていた、ということで説明がつくことでしょう。

それに、中国には56もの民族が住んでいますから、中国4000年の歴史を見ても、漢民族以外に、モンゴル族や女真族など、漢民族から見ての異民族が支配した時代も長かったわけですから、それはそれは、色んな発音が飛び交ったことでしょう。

あれだけ広大な大陸ですから、地方同士では同じ中国語でも、言葉が通じなかったと言われます。実際、現代の中国人に聞きますと、北京語と広東語は、フランス語とドイツ語以上に言葉が違うといいますからね。

まあ、我国でも江戸時代は、薩摩藩と津軽藩の人は、全く言葉が通じなかったものと思われます。文字なら通じたでしょうが、現代人の私も、聞いただけでは分かりません。

漢字と言えば、日本人は優等生です。

中国に千年間も植民地支配されたベトナムは、独立後、漢字を捨てました。韓国朝鮮も漢字表記することは稀です。

それに対して、日本人は明治になって、「哲学」「科学」「経済」など考案し、中国が逆輸入するほどでした。

皮肉にも、「民主主義」も、「領土」も「領海」も日本人が欧米の書物から苦心してつくった言葉なんですね。ヒトは、概念から言葉をつくりますから、中国人にはない発想だったのかもしれません。