日本会議の関連本が続々

New Orleans Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
毎日、毎日、糠に釘を刺すような作業を行っているので、「自分でも、あにやってんだか」といった気分になることもあります。

でも、結構、このブログを読んでくださっている方もいらっしゃるんですね。半年ぶりでも…(笑)。

色々、コメント頂き、感謝申し上げます。

困ったことに、コメントは、毎回「もう、疲れたから、やめようかなあ…」と思った矢先に来ますので、こうしてコメントを頂きますと、「ま少し続けてみるか」という気にもなります。もしかして、戦略にはまってしまっているのかもしれませんが(笑)。

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さて、せっかく19世紀のパリに住んでいたのに、また現代日本に引き戻されてしまいました。

菅野完著「日本会議の研究」(扶桑社新書)を読了しまして、今、青木理著「日本会議の正体」(平凡社新書)を読んでいます。

すっかり、日本会議にやられてしまっております。確かに、日本会議関係の本は、柳の下のどぜうの如く、2匹も3匹も、いや10匹も現れだしました。「ジャーナリストの飯のタネ」と大阪にお住まいの堂島先生は喝破しておりましたが、私もうまく乗せられているのかもしれません。

日本会議の関連本で嚆矢となった菅野氏の著書「日本会議の研究」の最後の「むすびにかえて」の中で、彼は、実に冷静にこの極右団体を分析しております。

菅野氏が、日本会議の本を執筆することを決めたきっかけは、これだけ、安倍政権に深く食い込み、影響力が天文学的に絶大なのに、どこのメディアも解明しようとも、取り上げようともしない。それなら、自分でやるしかない、という憤りで始めたらしいのです。

毎日図書館に通い、古書を漁り、現場に行き、人に会い、取材ノートが7冊を超え、集めた資料は段ボール12箱程度に及んだそうです。

そして、分かったことは、当初の「巨大組織」というイメージが、取材を重ねていくにつれて、意外にもその組織の小ささと弱さが目につくようになったといいます。ずばり、潤沢な運動資金があるわけではなく、財界に強力なスポンサーがいるわけでもない。かつてなら数ある「圧力団体」の一つとして無視される程度のものだったというのです。それが、なぜ、これほどの莫大な影響力を持つことになったのか?

それは、「日本の社会が寄ってたかってさんざんバカにし、嘲笑し、足蹴にしてきたデモ・陳情・署名・抗議集会・勉強会といった『民主的な市民運動』をやり続けてきた極めて非民主的な思想を持つ人々だった」からと著者は分析します。

菅野氏は「運動は確実に効果を生み、安倍政権を支えるまでに成長し、国憲を改変するまでの勢力となった。このままいけば、『民主的な市民運動』は日本の民主主義を殺すだろう。なんたる皮肉」とまで結論づけております。

著者は1974年生まれ、と略歴に書いてありましたので、60年安保どころか70年安保も知らず、浅間山荘事件等は生まれる前の出来事です。そうした世代がこのような冷静な分析力があることには本当に感服してしまいました。

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「日本会議の研究」はもう1年前に出版されたので、気が早いネット社会の住人たちは、色々と賛否両論を繰り広げているようです。

私は最近、幾何学級数的に記憶力が劣化しているため、この本のあらすじをまとめたいと思っておりましたが、疲れてしまいました。(パソコンが古くなったせいか、もう10回以上も電源が落ちて、最初から書き直しております!)

そこで、この本の概要をうまくまとめたサイトがありましたので、勝手ながらリンクさせて頂きます。

安倍政権を支える生長の家原理主義者たち ←ここをクリック

菅野氏は同書の中で、こう書いております(敬称略のまま、一部肩書等加筆)。

運動の流れから、ヘイトスピーチの在特会の桜井誠や山本優美子らにとって、「チャンネル桜」の西村修平・水島総は親であり、外務省と菅官房長官が推奨する教育学者の高橋史朗や安倍政権の政策ブレーンナンバーワンの「日本政策研究センター」代表の伊藤哲夫たちは祖父母だといえる。

「日本会議」は大きく分けて、(1)日本会議総長で、その実働部隊である日本青年協議会会長を兼務する椛島有三(1945~)グループと(2)伊藤哲夫(1947~)グループと(3)1983年に政治運動から撤退した生長の家教団に反旗を翻して「生長の家原理主義」運動を「谷口雅春先生を学ぶ会」という形で展開した中島省治、百地章らのグループがある。(この他、「日本会議国会議員懇談会」安倍首相補佐官の衛藤晟一(1947~)や稲田朋美防衛相(1959~)らも)

これら代表的な人物の根幹となる紐帯が宗教団体「生長の家」だ。(繰り返しながら、1983年から生長の家教団は、日本会議とは真逆に距離を置く左派エコロジーに方向転換)
その原点となったのが、1966年の長崎大学での左翼過激派打倒を掲げた右派の「生長の家学生運動」で、その中心人物で、現在これら3グループをまとめて頂点に立つのが、「神の子」と言われた安東巌・生長の家千葉教区教化部長(1939~)だ。

以上引用で、他にまだまだ沢山おりますが、これぐらい書いておけば、これから自民党が憲法改正の発議をした時に、また彼らのお名前が登場することでしょうから、備忘録として役立つのではないかと思ってます。

草花の名前を覚えた方が健康的

陽朔近辺および陽朔市内 Copyright par Duc de MatsuokaSousumu kaqua

5・15事件で、時の首相犬養毅は「話せば分かる」と言って、反乱軍士官に向って説き伏せようとしました。

しかし、暴力装置を持った相手は聞く耳を持ちませんでした。

人間は、残念ながら「話せば分かる」ことはないのです。人間はお互い理解しえない動物なのです。

最高権力者の安倍首相に群がる誰もが勝ち馬に乗りたがる人間です。豊田議員のように他人を支配しようとしますから、間接的に彼ら彼女らの所業を聞いただけでも嫌になります。

彼らは、生まれつき良心の呵責がないので、嘘をつこうが、人を貶めようが、反省しません。だから、何を言われても馬耳東風、批判されても他人事です。無知な大衆はそのうち忘れるという信念だけはあります。

それでいて、自己の利益のためなら耳をダンボにして、何処にぞうまい話がないものか、と鵜の目鷹の目です。そういう人間は、偉そうな肩書を隠れ蓑にします。

皆さん…。
陽朔近辺および陽朔市内 Copyright par Duc de MatsuokaSousumu kaqua

例えば、表の看板は、大学教授ながら、実態は、人買い人足集めの低賃金雇用斡旋のブラック企業の役員。こういう輩は、大学教授の肩書で政府の国家戦略特区審議委員とかに収まって、「規制緩和」と称して、自分の企業がうまく商売ができるように誘導します。

こういった類の輩が一番タチが悪いですね。本当に腹が立ちます。

しかし、腹を立て、血圧を上げ、身体を壊してしまっては、本当に馬鹿らしい限りです。

陽朔近辺および陽朔市内 Copyright par Duc de MatsuokaSousumu kaqua

皆さん、こういった極悪非道の利権屋や政商の名前を覚えるより、草花の名前を覚えることをお勧めします。

今は、ネットで立派な「植物図鑑」が見られるのですね。これでは、出版社もあがったりでしょうが、ネットで無料で公開しているのが、出版社だったりして、「何で自分で自分の首を締めているんだろう」と不思議な気持ちで図鑑を参照させて頂いております(笑)。

最近気に入っているのが、天下のNHK出版の「みんなの趣味の園芸」のサイトです。読者の投稿写真も展示されて、最新の情報がいつも更新されております。

吐き気が出る利権屋どもの名前を知ることよりも、「ゲンペイカズラ」や「ランタナ」、またの名を「シチヘンゲ」の花を知って、名前を覚えた方が実に健康的です(笑)。

詩人の中原中也が、太宰治に「おめえは一体、何の花が好きなんだよ!」とからみます。
太宰は、下を俯きながら「も、も、桃の花…」と小声で告白します。

すると、それを聞いた中也は「何?桃の花だと!? だから、おめえは軟弱だと言われるだよ」と怒りをぶつけたという逸話があります。

私は、実は、あまりこの桃の花をみたことがなかったので、この「みんなの趣味の園芸」の植物図鑑で、じっくりと読者投稿の色んな桃の花の写真をみることができました。

また、中原中也が、小林秀雄と一緒に、鎌倉の比企谷妙本寺で眺めた海棠も具に見ることができます。中也は、海棠の花弁が散る様を見て、「もう帰ろう」と言い、居酒屋に入って、麦酒を呑みながら、「ボーヨー、ボーヨー」と呟き、小林が「それは何だ?」と聞いたら、「前途茫洋だよ」と言ったあのエピソードがある花です。

これでも、あたしゃ、昔は、夢見る文学少年だったですよ(笑)。花を見ると懐かしくこうした逸話が思い出されます。

だから、薄汚い政治家や、腹黒い利権屋どもの名前を覚えるよりも、草花の名前を覚えた方がいい。声を大にして私は言いたい!これで、私の選挙演説と代えさせて頂きます。(笑)