菅野完著「日本会議の研究」を読んで

今年3月15日、自宅前でインタビューに応じる菅野完氏。あたしが撮影したので著作権は大丈夫です(笑)。

私は2015年5月頃からほぼ1年間、病気のため黄泉の国を彷徨っておりましたが、閻魔大王様から「お前は修行が足りんから、もう少し娑婆で苦しんでおれ!」と言われて、下界に戻ってきてしまいました。

ある程度意識が回復した頃、周りの世間を改めて眺めてみると、黄泉の国に行く前と比べるとすっかり変わってしまっていることに気がつきました。

リップ・ヴァン・ウィンクルか、浦島太郎さんになった気分です。

特定秘密保護法、集団的自衛権の閣内決定、安保法制、そして先の共謀罪成立です。憲法改正論議も喧しい。このまま、「戦前」に突入する雰囲気です。

超国家主義者や国粋主義者の皆様は万々歳なんでしょうけど、あたしのような日本の伝統を重んじる保守的な西洋かぶれの個人主義者にとっては窮屈な閉塞感しか感じません。

安倍一強独裁政権については、何度もこのブログで批判してきましたが、単なる蟷螂の斧で、何の突っ張りにもならないことは分かりきっておりますが、閻魔大王様からあれだけ「娑婆世界を見て反省して来い」と言われたものですから、こうして懲りもなく、ブログってるわけです(笑)。

で、今、あのかなりの物議を醸し出した菅野完著「日本会議の研究」(扶桑社新書)を今ごろになって読んでおりますが、「ははあ、なるほど、そういうことだったのか」と、一人で相槌を打ちながら読んでいるわけです。

この本が話題になった頃、私は黄泉の国におりましたので、知りませんでした。

意識を回復した頃、例の森友学園問題が怒涛の如く、あらゆるマスコミで報じられ、その中で、籠池理事長(当時)が記者会見に臨んでいる場面がありました。ある記者らしき人物が食い下がるように質問して、自分の名前を明かすと、それまで眠たそうな顔をしていた籠池理事長が急に目を輝かせて、「そうか、君が菅野君か、そうか、君があの菅野君かあ」と実に感動的に、そして嬉しそうに話している場面がありました。

「日本会議の研究」の中で、恐らく新聞雑誌や一般書籍では初めて森友学園のことを取り上げられていたので、これまた恐らく籠池理事長も読んでいたのでしょう。

籠池理事長にとって天敵だった菅野氏が、その後、籠池氏からその実力を買われて、逆に、菅野氏が森友学園問題の機密文書を託されるようになるとは、全く娑婆世界は不思議に溢れています。

私も本当に偶然に、フランス大使館で用があった時に、この菅野氏がマスコミの記者やカメラマンが沢山群がってインタビューされている場面に遭遇したことを今年3月15日のブログに書いたことがあります。(当時は、菅野氏が何者なのか、全く知りませんでした)

で、肝心の「日本会議の研究」ですが、今になっては、建前主義の新聞がやっと重い腰をあげて報道したので、かなりオープンになった事実があります。でも、出版された当時は、ほとんど報道されていなかったので、実に画期的な労作と言っていいでしょう。大宅壮一ノンフィクション賞読者賞を獲得したことは妙にうなづけます。

今、稲田朋美防衛相が、都議選の応援演説で「自衛隊としても宜しくお願いしたい」などと発言(後に撤回)し、「自衛隊の私物化」「自衛隊の政治利用」として問題になっています。稲田さんは弁護士なのに、憲法や自衛隊法や公職選挙法などについての知識には欠けていたようです。

安倍首相は、稲田防衛相は罷免しない、とはっきり宣言し、菅官房長官も「地位に恋々としがみついていた」などと発言するわけがありません。

彼らは、「日本会議国会議員懇談会」のメンバーとして堅い血より濃い結束があることが本書を読んで分かりました。第3次安倍内閣の8割がこの日本会議国会議員懇談会のメンバーであることもこの本には書かれています。

稲田氏は祖母以来、宗教法人「生長の家」の信者で、戦前に発行された谷口雅春教祖が書いた経典「生命の實相」をボロボロになるまで読んでいたことが本書の中に出てきます。

日本会議の原点となった生長の家は、今では方向転換して、左翼的エコロジー運動に重点を置き、日本会議とは一切関係を絶っているともこの本には書かれています。

いやあ、確かにこの本は読み応えがあります。ノンフィクションというより、身体を張った突撃取材によるルポルタージュと言った方がいいでしょう。

大好きだった叔父の死


中朝国境:長白山・天池 Copyright par Duc MatsuokaSousumu kaqua

昨日は一日中、悲しみのどん底におりました。

一応、これでも会社に行って仕事をしているため、個人的な事情を仕事に持ち込むわけにはいきません。

周囲には誰一人、心を打ち明けることができる人はおりませんので、一人で、じっと心痛を我慢するしかありませんでした。

昨日深夜、九州唐津市の叔父が亡くなってしまったのです。長い長い、本当に長い闘病生活の末でした。いつかは、という覚悟はありましたが、やはりつらいものです。

叔父は推理小説を何冊か出しているので、「公人」かもしれません。何本かの小説はテレビドラマ化されています。

ネットで検索しますと、略歴も出てきます。http://sekifusha.com/6605
中朝国境:長白山・天池 Copyright par Duc MatsuokaSousumu kaqua

吉村幸夫(よしむら ・ゆきお)1945年佐賀県生まれ。明治大学商学部卒業。
1985年、『ロープ殺人事件』が福岡放送2時間ドラマストーリー特賞に入選、テレビドラマ化される。
1987年、『唐津火もよう殺人事件』が日本テレビ系「火曜サスペンス劇場」でテレビ放映される。

これは、福岡市にある地方出版社石風社のホームページから拝借したものです。

叔父はこの出版社から、最後の著作「北山湖殺人事件」を出版しました。

ついでながら、石風社のホームページには、この本の紹介文としてー。

庶民の街・福岡西新にある居酒屋「ひょうたん」の女将・容子。ある日夢に出てきた高校時代の剣道のライバル・桜子の、北山湖での不審な死を知った容子は、彼女の死の真相を探るべく奔走するが……。福岡、佐賀を舞台に居酒屋の美人女将が活躍する表題作ほか、結婚詐欺の嫌疑をかけられ女将・容子が身の潔白をはらすべく奮闘する「トリプルシャドー」のミステリー2作を収録。

ーとあります。

入退院を繰り返していた叔父ですが、一応、ミステリー作家ということになります。かなり真面目な人で、食事も節制していたらしいですが、文才があったということでしょう。

ウチの御先祖様の家系には、有名ではありませんが、何人か文筆で生計を立てていた人がいたようです。

ブラジルに渡って、邦字紙の記者になった者もいますし、戦前戦中、東京・新宿にあった「ムーランルージュ」の座付劇作家になった大叔父もいます。

この大叔父は、音楽教師だった私の父方の祖父の弟で、名前は高田茂期といいますが、先の大戦で召集され、フィリピンのレイテ島で戦死しました。(昔、この大叔父の消息を求めたことがありますが、詳細は分かりませんでした)

中朝国境:長白山・天池 Copyright par Duc MatsuokaSousumu kaqua

幸夫叔父の一週間前に、佐賀の禎子叔母(父の弟一馬叔父の妻)さんが亡くなったばかりでした。

今年はどうしたことでしょう…。

幸夫叔父の死で、父方の兄妹弟四人は全員いなくなってしまいました。

合掌

「『天皇機関説』事件」を読んで

 中国・四川省黄龍溝 Copyright par Duc MatsuokaSousumu sousai

山崎雅弘著「『天皇機関説』事件」(集英社新書)を読了しました。

せっかく、19世紀フランスのパリをふらついていたのに、一気に戦前の日本に戻ってきてしまいました。

 本書では、昭和10年(1935年)2月18日、今の東京・霞が関の経産省辺りにあった帝国議会仮議事堂(翌年に今の国会議事堂が完成)での貴族院本会議で、菊池武夫議員(男爵、元陸軍中将)による憲法学者美濃部達吉への排撃演説をきっかけに半年にわたって続いた政治的弾圧事件を詳細に描いております。(天皇機関説事件とほぼ同時進行で起きた「国体明徴運動」も)

 美濃部攻撃の陰の仕掛け人として、「京大滝川事件」で名を馳せた国粋主義者蓑田胸喜(みのだ・むねき=戦後自殺)が挙げられています。蓑田は、美濃部の論敵上杉慎吉東京帝大教授らが立ち上げた右翼団体「興国同志会」に参加し、同会が発行する雑誌「原理日本」で、盛んに美濃部批判を展開しておりました。

 もう一人の陰の仕掛け人は、後に首相となる平沼騏一郎・枢密院副議長で、美濃部が天皇機関説を信奉するきっかけとなった東京帝大の師であった憲法学者の一木喜徳郎(いちき・きとくろう)枢密院議長が平沼にとっては憎きライバル関係にあったため、平沼の目的は、一木~美濃部ラインの追い落としと抹殺にあったようです。

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 天皇機関説とは、簡単に言いますと、「国家を法人とみなし、君主(天皇)はその法人の最高機関と位置付け」、「君主(天皇)の権力(主権)は、憲法の制約を受ける」というものです。これに対する言葉は「天皇主権説」で、天皇の主権は絶対で、憲法の制約を受けないという考え方です。提唱者は、穂積八束、上杉慎吉東京帝大教授らがその代表です。

 天皇機関説は、美濃部達吉博士の発明かと、思っていましたら、実は、事件が起きる半世紀も昔の明治19年(1886年)、ドイツなどに留学して帰国して帝大教授となった末岡精一の講義が最初だと言われています。
 
 つまり、菊池元中将が美濃部を弾劾するまで半世紀近く、その中でも特に明治時代前半は「天皇を絶対的な『神』と同一視する風潮はなかった」(69ページ)と言います。なぜならその当時、天皇という存在は、国民の大多数を占める一般大衆(公家や武士以外の身分)には縁のない存在で、国の支配層が望んだような天皇に対する敬意や親近感が浸透していなかったからだといいます。

 昭和天皇自身も、美濃部排撃が高まっている最中の昭和10年3月29日、本庄繁侍従武官長に対して、「(大日本帝国)憲法第4条の、天皇は『国家の元首』云々は、すなわち機関説である。これの改正を要求するとすれば、憲法を改正しなくてはならなくなる」などと述べられ、天皇機関説を排撃する必要性を認めていなかったといいます。

軍部からの執拗な美濃部攻撃の背景には、それを遡る5年前の昭和5年のロンドン軍縮条約締結後に巻き起こった「統帥権干犯問題」事件がありました。

この時、美濃部達吉は、徹底的に陸軍を批判して、軍人の面子を失わせるほどの反論を試みました。これが軍部の「美濃部憎し」の怨念に繋がったようです。

昭和に入ると、富国強兵の下、日清日露の戦役等を経て、教育勅語の効果もあり、天皇を現人神として絶対視する主権論が漸く一般大衆にも浸透してきた頃でもありました。

天皇機関説=美濃部排撃運動に加わった軍部、在郷軍人会、右翼、国粋主義者らは同時に「国体明徴運動」も進め、それらは皇道派による昭和10年の相沢事件や翌年の「二・二六事件」の思想的バックボーンにもなるのです。

二・二六事件で、惨殺された渡辺錠太郎教育総監(昨年亡くなった「置かれたところで咲きなさい」の著者渡辺和子氏の実父)は、天皇機関説については訓示などで一定の理解を示していたため、皇道派らに睨まれていたのですね。不勉強で、この本で教えられました。

中国・四川省黄龍溝 Copyright par Duc MatsuokaSousumu sousai

美濃部排撃運動が開始された昭和10年と言えば、治安維持法が施行(1925年)されて、ちょうど10年後のことです。

森友学園問題、加計学園問題疑惑が解明される前に、数に物を言わせた安倍独裁政権がこのほど共謀罪を成立させましたが、今から10年後の2027年はどういう時代になっているでしょうかね。

悪い西洋的な個人主義、自由主義の否定と超国家主義の復活。朝な夕なの教育勅語と軍人勅諭の朗唱。反政府主義者弾圧事件でも起きるのでしょうか?

あたしゃ、早めにタイムマシンに乗って、18世紀のウィーンか、19世紀のパリ、もしくは1960年代のロンドンに戻るつもりです。

藤井四段、29連勝の凄さ

オニユリ

史上最年少棋士の藤井聡太四段が、デビュー戦以来無敗、歴代単独1位となる29連勝を昨晩達成したということで、日本の社会は大フィーバーです。皆んなアース・ウインド&ファイアーの曲をかけてデスコで踊ってます。

神谷広志八段(56)が1987年に達成した公式戦連勝記録の28を30年ぶりに塗り替たということで、藤井四段の出身地、愛知県瀬戸市では大手紙が号外まで出したそうな。

何と言っても、藤井四段はまだ14歳。2002年7月19日生まれということですから、平成どころか、21世紀生まれじゃありませんか。20世紀の昭和生まれの人間から見ると、何ともまあ、別世界の異次元の人間に見えます(笑)。

私は、囲碁将棋はやらず、全くの素人なのですが、将棋の「四段」というのは途轍もなく強いんだそうですね。藤井四段は、デビュー戦の加藤一二三「九段」を破るぐらいですからね。

私は将棋を知らないので、ついつい下世話なことに疑問を持ってしまいます。

母親は、ちょくちょくマスコミに出てきますが、父親は殆ど出てこない。一体どういう方なんでしょう?とか、どういう教育で、このような天才が生まれたのだろうか、とか、極めてレベルの低い疑問です(笑)。

藤井四段は、5歳頃に祖母から将棋の並べ方を教えてもらってから興味を持ち、メキメキ実力をつけて小学四年で、プロの登竜門「奨励会」に入会しました。

現在、名古屋大学附属中学の3年生。いわゆるひとつの偏差値が非常に高い学校で、相当地頭も良いようです。

大変な負けず嫌いの性格で、通った地元の幼稚園は「モンテッソーリ教育」と言われるユニークな教育法を取り入れることで知られ、藤井四段は、3歳にして早くも単純作業でも飽きずに繰り返し、最後までやり遂げる不屈の忍耐力を身につけたようです。

これは、同じ愛知県出身の天才イチローが、小さい頃から毎日毎日、バッテイングセンターに通って同じ動作を繰り返して忍耐力を身につけてやり遂げてきたことに共通点があるように思えました。

藤井四段の父親は、大手住宅設備機器会社(どこなんでしょうかなえ?)の会社員なんだそうで、40歳代だと思われます。両親とも将棋はアマチュアレベルだそうですから、藤井四段は天才とはいえ、後天的な要素がかなり強いことが分かります。

これだけ、有名になれば、広告代理店も黙ってません。既に大手学習塾やチョコレート会社が名乗りを挙げているそうです。

村下ファンドなら既に株を買い占めているかもしれません。あ、駄目ですよ。皆さんが行動を起こす頃は、売り抜けられてますから(笑)。

シーカーズ「ジョージー・ガール」

桂林から陽朔までの、漓江川下り Copyright par MatsuokaSousumu@Kaqua

ネット社会になると、ヒトは自分の好みの我田引水のニュースしか読まなくなるので、右翼のヒトはますます極右に、左翼のヒトはますます極左になる傾向がある、としたり顔で解説してくれる評論家さんがおります。

へー、そうでしたか。

と態とらしく驚いてみせましょう(笑)。

その伝でいきますと、ヒトはますます自分の好みの音楽しか聴かない傾向にあるということですね。

私事ながら、1960年代~70年代の音楽は今でも好んで聴きますが、最新流行のラップやJ?POPはご遠慮させて頂いております。

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斯く言う私にも、少年時代がありまして、唯一の楽しみと言えば、安いトランジスタラジオから流れてくる海外からのポップスでした。

海外ポップスは、異様な興奮とその真逆の安らぎを与えてくれました。

当時は、情報なんて全くといっていいくらいなく、雑誌も「ミュージックライフ」か「ヤングギター」ぐらいでしたから、スターは顔写真が見られる程度で、動画なんて夢のまた夢。グループ名が分かるくらいで、ビートルズやローリング・ストーンズなど超有名バンド以外は、メンバーの名前なんか知るよしもありませんでした。

しかし、今はネット社会のお陰で、昔の情報不足をカバーしてくれるだけでなく、YouTubeなどで、動く演奏、歌唱姿まで見ることができるので、これでは夜更かししてしまいます。

先日も1960年代から70年代の全米チャートトップ30の動画を見ていたら止まらなくなってしまいました(笑)。この知ったかぶりの私でさえ知らない今では全く忘れ去られたスターがいたとは!それとも、あくまでも米国のチャートなので、日本では紹介されなかったのかもしれませんが…。

やはり、ロネッツやシュープリームスらガールズバンドやペトラ・クラークが良かったですね。

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昨晩ハマってしまったのは、シーカーズです。ジャンルで言えばフォークソングなんでしょうか。(嗚呼、昔はよくブラザーズフォーやPPMを聴いたものです!)1965年に「ジョージー・ガール」という曲を世界的に大ヒットさせて一躍有名になりました。

彼らは、イギリスのグループかと思ったら、オーストラリア出身だったんですね。そして、紅一点のヴォーカルが、ジューディス・ダーラムという名前だということも今回初めて知りました(苦笑)。

いまだかつて、私は、古今東西、色んなヴォーカリストを聴いてきましたが、彼女、ジューディスの声質が大好きですね。オペラやロック歌手のように技巧的であったり、無理してはり叫んだりしていない。ごくごく自然で、天使が地上に舞い降りてきたような声を聴かせてくれます。

まさに天賦の才能です。神様から与えられたような声です。大地の草原に囲まれた牧歌的な穏やかな気持ちにさせてくれます。

1943年生まれ説が有力なジューディスは、今は70歳代半ばになりましたが、テレビのインタビュー番組に出演している動画も見られ、とても良い顔で歳を重ねた感じです。

交通事故で瀕死の重傷に遭ったり、夫をゲーリック病で亡くしたりして、かなりの苦労を重ねたようですが、全てを乗り越えて最高の笑顔で唄を歌ってくれております。

これでは、ますます極右か極左になってしまいそうです。あれっ?何の話だったけ?…。

「パリを燃ゆ」を読んでいたら今とここを忘れました

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ここ最近、大佛次郎の大長編ノンフィクション「パリ燃ゆ」を遅ればせながら読んでいましたら、自分がまるで19世紀に生きるフランス人になったような錯覚に陥ってしまい、眼前に見える光景も3年前に一人で放浪したパリの景色と重なってしまいました。

もう、共謀罪も加計学園問題も語弊を恐れずに言えば、矮小にさえ見えてきてしまいます(苦笑)。

そしてまた、語弊を恐れずに言えば、今のような戦後民主主義の時代は、どんな暴言を吐こうが、どんな反政府的言論を誇示しようが、逮捕されたり、殺害されたりは、そう簡単にはされませんよね?多分…。

しかし、ここに描かれる1951年12月2日のルイ・ナポレオンによるクーデターから普仏戦争を経て、パリ・コミューン、第三共和政に至る壮大な歴史絵巻には、虐殺と膨大な数の戦死者と殺戮が溢れています。まるで、日常茶飯事かのような出来事です。

「パリ燃ゆ」は、1961年10月から1963年9月にかけて「朝日ジャーナル」(休刊、朝日新聞社)に、1964年3月から11月にかけて「世界」(岩波書店)に、丸3年かけて連載されて発表されました。その後、単行本化され全3巻、第1巻613ページ、第2巻576ページ、第3巻506ページという長さです。

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思うに、昔の読書人は偉かった。当時は娯楽が少なかったせいかもしれませんが、極めて真面目な人が多かったんですね。正直、こんな本を読もうとする人や能力的に読める人がかなり多かったということでしょう。逆に言えば、今の時代の読書人の能力が劣化したということなんでしょう。

私から言わせれば、この本は、そう簡単に読める代物ではありません。第一、注釈がないので、恐らく、10人中7人は途中で挫折するか脱落することでしょう。

まるで修行僧のような苦行を強いられます。

大佛次郎の書き方も書き方です。再出にせよ、急にファーブル(昆虫学者ではない!)だの、フルーランスだのドレクリュウズだのミリエールだのと肩書もなく出てくると、「えっ?この人誰だっけ?」とついていけなくなります。(小説のように、最初に主な登場人物が列挙されていたら別ですが)

当時の読書人の教養では、登場人物は一回出てきただけですぐ覚えて、注釈がなくてもさして困らなかったということが分かります。

しかし、最近1ページ前に書かれたことまで忘れてしまう私には武器がありました(笑)。分からない、もしくは忘れてしまった人物や地名が登場すると、スマホでチェックします。例えば、国防政府のエルネスト・ピカール蔵相が、相場の下落を恐れて、ジュール・ファーブル外相と鉄血宰相ビスマルクとの秘密会談を「エレクトゥール・リーブル」紙にリークします。何でそんなことできるのかと思ったら、このエレクトゥール・リーブル紙は、ピカール蔵相自身が発行していた新聞だったんですね。

大仏次郎は、そこまで書いてくれないので、武器のスマホが大いに役立ちます(笑)。

しかし、実に面倒臭い!

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3年前に一人でパリを放浪した際、ペール・ラシェーズ墓地(銃殺されたコミューン兵士の墓もあり)のエディット・ピアフの墓をお参りしました。そこの最寄りのメトロ駅は、ガンベッタでしたが、それは国防政府で内相、第三共和政でも一時首相を務めたレオン・ガンベッタから付けたんですね。

また、オペラ座近くに「九月四日」という変わった名前のメトロ駅がありましたが、これも第二帝政を打倒してパリ市庁舎で共和国政府樹立宣言した記念すべき日(1870年)から取ったのです。

このほか、「パリ燃ゆ」に細民の住む労働者街「ベルヴィル」が何度も出てきますが、 これも同名の地下鉄駅があり、私も何度もこの駅は通過しましたが、なるほど、パリの山谷(東京都台東区)はここだったのか、と思った次第。

こんなことは、フランス人なら小学生でも誰でも知っているありふれた知識だというのに、3年前はそんなことも知らずにほっつき歩いていたとは我ながら情けない。

これではまた、パリに行くしかありませんね(笑)。

「家族はつらいよ 2」は★★

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梨園の妻でタレントさんが長い闘病生活の末、34歳の若さで亡くなったということで、大手全国紙の夕刊でも一面に掲載され、天下のNHKのゴールデンアワーの夜の7時のニュースでもトップで長時間に渡って放送され、海外諸国でも報道されたらしいですね。

亡くなられたのは6月22日の夜だったということで、ちょうどその同じ日の同じ時間帯に、私の九州の叔母も亡くなったという報せを受け、人の死は、月の満ち干と関係があるという話を昔、聞いたことがあるので、それを思い出しました。

人の生も死も自然の一部なのでしょうか。

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京都にお住まいの京洛先生から「面白いので是非ご覧になったらいいですよ」と勧められた映画「家族はつらいよ 2」を見てきましたが、ちょっとグロテスクでしたね。

喜劇なので、ただ笑って過ごせばいいのですが、棺桶の中に銀杏を入れてバチバチ燃やしてしまうシーンは、ちょっといただけないなあ。ブラックジョークも過ぎている感じでした。

巨匠山田洋次監督は完全無欠で、ご注進できる周囲の人間がいなくなったということでしょう。

息子が不祥事を起こしてしまった橋爪功演じる主人公は、まるで寅さんのようで、他の家族が彼の悪口を言い合って盛り上がっているところで、実は階段の影で立ち聞きしたりしていて、それに気づいた家族があっと驚くといった場面は、ワンパターン化していて様式美さえ感じました。

高齢者ドライバーの免許返上問題や、孤独死など、実に時宜を得た今現在の時事問題を取り入れている風合いでしたが、ちょっと背伸びし過ぎだったのでは?

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映画館を出る時、知らないおばハンたちが「(家族はつらいよ)1の方が良かったわね」と話していました。

同感でした。

豊田真由美議員、激白「何か、問題でも?」

豊田真由美です。

えっ? あたしのこと知らない?

まあ、あの有名になった方とは一字違いますけど、今、雲隠れしてます。

はい、はい、秘書への暴行、暴言?やりましたよ、やりました。あれだけ、ICレコーダーで証拠を取られて「週刊新潮」に暴露されちゃあ、もう無理でしょう。

「このハゲー!」とか、「この野郎~」とか、「交通事故でグチャグチャになって死ね」とか言いましたよ。
だから、自民党に離党届出したじゃないですか。それとも、何か問題でも?

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ええ、確かにあたしはエリートですよ。女子御三家の桜蔭から東大法学部。国家公務員上級試験に合格して、厚生省に配属されましたけど、あたしの希望する役所じゃなかったの。何処が志望だったのか、別に言う必要ありませんけどね。

だから、上司に掛け合って米ハーバード大学に留学させてもらったの。今は「学歴ロンダリング」が流行ってるでしょ?東大なんて、世界ランキングでは39位。北京大学(29位)より劣るのよ!

ハーバード大学の学費と滞在費?勿論、税金よ。決まってるでしょ。何か問題でも?

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でも、あたしの野望は、こわっぱ役人で終わることじゃないの。天下国家のために国際的な仕事をしたかったの。だから、阿保な民主党が自分でこけて、国民の信頼を失ったから、そのチャンスを逃さず、さっと高級官僚は辞めて、安部チルドレンになる覚悟を決めたのよ。何か、問題でも?

えっ?暴行、暴言の話?

ええ、週刊新潮に書かれたことは、間違いもあるけど、まあ、幹は合ってたわね。あのボケカス、あつ、失礼、あの55歳の娘もいる秘書がトロいもんだから、支援者の配送先を間違えたんですよ。心を痛めたのはこっちなんですからね。あいつの運転中に、後ろの座席から殴ろうが、蹴りを入れようが、自業自得でしょ?

議員は辞めませんよ。マスコミは、盛んに、女のスキャンダルで離党したり辞めたりした不祥事が続く当選二回生議員を非難してるけど、お門違い。あたしは、そんじょそこらの二回生とは違うのよ。

何か問題でも?

えっ?あたしのカモメのような太い眉毛が気に食わないって?

何?怖いって?

ほっといてよ!

【追記】
どうやら、この人は、埼玉県選出の豊田真由子衆院議員とは別人のようです。

「いきなり!ステーキ」に行って参りました。

「いきなり!ステーキ」銀座店

行動の人、渓流斎ですから、今日のランチは早速、「いきなり!ステーキ」銀座店に行ってきました。

場所は、調布先生が言うところの「寿司界の東大」こと二葉鮨のお隣です(笑)。

別に世界中に愛読者がいる人気ブログ「渓流斎日乗」で宣伝する必要ないんですけどね(笑)。

ステーキ定食200グラム 1188円

大先生がお召し上がりになったのは、ステーキ定食200グラム 1188円。ライスとスープとサラダも付きます。注文を聞いて焼きますから、15分は待たされます。

狭い空間の中で、24人が立ちながら黙々と食べる光景は異様です。何か、ブロイラーの鶏になった気がして、落ち着きませんでしたね。

味は二の次でしたし、私は「ははあ、これが例の原価率55%か!」と考えながら食べていましたので、美味しい食事とはいきませんでした(笑)。

ついでながら、例のソフトバンクの元副社長のアローラ氏の退職金が88億円だったということを書きましたが、今朝の日経を読んだら、ソフトバンクがアローラ氏に支払った報酬は、退職金と諸経費も含めて、総額348億円なんだそうです。

唖然、呆然…です。

しがない普通のサラリーマンの生涯収入は、3億円と聞いたことがありますからね。

もう一度、唖然、呆然。

会計のお勉強で世の中が違って見えてきた!

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もう2週間以上も前に発売された古い週刊誌を新刊として正規の価格(740円)で買ってしまいました。えっ?(笑)。

「週刊ダイヤモンド」6月10日号の特集「これからの必須スキル 会計&ファイナンス まるごと一冊 超理解」が読みたかったからです。バックナンバーとして書店で購入しました。

私もかつて、すめらまじきことは宮仕えなりをしておりましたが、仕事がスポーツ観戦だったり、映画や演劇鑑賞だったりしたものですから、ついに最後までとうとう、会社の経理会計関係を勉強せずに中退してしまいました(笑)。

要するに、決算書も貸借対照表も読み解くことができないのです。単なる数字の羅列しか見えず、見ただけで頭が痛くなりました(苦笑)。

しかし、自己責任、都民ファーストの時代になると、そんなこと言ってはられません。この週刊誌を読んだ私は、声を大にして言いたい。「人間は二種類しかいない。決算書が読める人間と読めない人間の二種類だ!」

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さて、例によって、特集の内容をほんの少しメモってみます。

●経理専門でないのなら、まず、小難しい簿記や仕訳の知識は必要ない。「財務3表」がざっくり読めればそれで良い。

●「財務3表」とは、(1)損益計算書(PL)(2)貸借対照表(BS)(3)キャッシュフロー計算書(CF)のこと。

●損益計算書(PL)は、(1)売上総利益(2)営業利益(3)経常利益(4)税引き前当期利益(5)当期純利益ーの五つの利益を抑えれば良い。

●貸借対照表(BS)は、(1)流動資産(2)固定資産=以上「資産」(3)流動負債(4)固定負債=以上「負債」(5)純資産ーの五つの箱で考える。

●貸借対照表のBSは、balance sheet(バランスシート)のこと。このbalanceは、均衡という意味ではなく、残高という意味で使われている。よって、バランスシートの正確な和訳は「残高一覧表」となる。(知らなかった!)

●キャッシュフロー計算書(CF)は、(1)「営業活動によるキャッシュフロー」(本業で現金がどれだけ増減したか)(2)「投資活動によるキャッシュフロー」(投資でどれだけ現金が増減したか)(3)財務活動によるキャッシュフロー」(借金や返済でどれだけ現金が増減したか)ーの三つの袋を見れば良い。

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★2016年度決算で、ソフトバンクは日本企業としてはトヨタに次ぎ2番目となる純利益1兆円を達成した。しかし、その一方で、ソフトバンクには有利子負債が実に14.9兆円もある。有利子負債率は60.3%。
有利子負債とは、いわば銀行などからの借金。ちなみに帝国ホテルの同期の有利子負債はゼロ、つまり無借金経営だ。
戦後最大の大型倒産は、2000年10月の協栄生命保険で、負債総額が4.5兆円だから、14.9兆円の借金がいかにも桁違いだということが分かりますねえ。(あたしなら、枕を高くして眠れない)

★ついでながら、ソフトバンクの孫社長は、後継者に一旦指名しながら、やっぱりやーめたインド系の副社長だったニケシュ・アローラさんに88億円もの退職金を支払ってお引き取りを願いました。

88億円でっせ!!

他人事ながら、そして、本当はどうでもいいことですが、孫さんの金銭感覚は人智を超えてます。

★外食産業には、原価である食材費が30%、人件費が30%、家賃や諸経費が30%、残りの10%が利益となるようにする「黄金比率」がある。経営者は、原価率と人件費を抑えて収益を確保しようとする。
ところが、今、サラリーマンの間で爆発的に人気になっているのが「いきなり!ステーキ」。ここの原価率は破格の55%なのだ。1000円のメニューならそのうち550円が原価となる計算。「いきなり!ステーキ」は、店を立ち食いにして回転率を高くして、人件費を抑えて販管費率を極力下げて、利益を確保している。

ふーん、なるほどね。目から鱗が落ちます。

専門家に限って、「二流の経営者は数字ばかり見てる」と貶し、「夢と希望がなければ勝ち残れない」なぞと宣いますけど、やはり、世の中、数字で動いてます。

13連敗(読売軍)とか、28連勝(藤井四段)とかね。