乗馬セラピー

夏休みを利用して趣味の乗馬に出掛けました。

偉そうなことを言って、これが2回目です。

3時間で6000円。事情に詳しい人は実に安いと思われることでしょう。

ですから、某日、某所で、ということで留めさせて戴きます。

参加したのは、私と牧場主の川原さんと平さんと畜大出の斉藤さんと学生風の遠藤君。

私が騎乗したのは、コータロー。男みたいな名前ですが、雌で、17歳。人間でいうと70歳くらいだそうです。

「この馬が一番従順」ということで素人の私が乗ることになったのですが、いきなり、しょっぱなから落馬してしまいました。もちろん、落馬というのは大袈裟で、コータローは、ゆっくり膝を曲げて、「あれ、何をするつもりなのかなあ?」と思ったら、ゴロンと横になってしまいました。牧場主の川原さんによると、背中がかゆかったらしく、上にのっている人間には、まだお構いなし。ちょっと、調教の意味で、もう少し、しっかり手綱を持たなければならない、とアドバイスされました。

それ以降は、何ともありませんでした。まさしく、快適なドライブでした。

川原さんの牧場は、どれくらいの広さか見当がつきません。山あり谷あり、小川ありで、トレッキングコースは国有地に差し掛かっていますが、途中、熊や鹿が出てきたり、100頭以上の馬が放し飼いになっていたりするので、その広さは十分、予想できるでしょう。

まあ、観光客向けにしっかり調教されている馬に乗るので、問題はありませんが、下り坂などで、馬がちょっと、走ったりすると、怖くなります。

平さんの乗ったタカラ号は、数々の修羅場でキャプテンとして、行動しているので、遠くで放し飼いの馬をみると、思いっきり、いななきます。このまま、野性に帰って、暴走したらどうなるか、と頭をかすめましたが、無事、3時間余のトレッキングは終了しました。

何とも言えない爽快感です。馬によって癒されます。これは確かです。

馬さん、ありがとう!

 

世界で一番美味しいお酒

これでも飲酒歴30年になります。

若い頃は、お金がないので安酒ばかりで、目こそつぶれませんでしたが、翌朝の二日酔いはひどいものでした。頭痛が激しく、翌日は何もできず、仕事もずる休みしたものです。そうです。私は、二日酔いのおかげで、普通の人の半分しか生きていないのです。年は食っているのに若いはずです。

まあ、酔うために飲んでいたものですからね。

さて、やっと、この世とは思えぬうまい酒に出会うことができました。

それが、酒ではありません。焼酎なのです。しかし、とても、焼酎とは思えません。浄水のような、まろやかで、お酒のようにくどくなく、それでいて、ほろ酔い気分になれる。しかも、翌日はまったく持ち越さない。つまり、二日酔いがないのです。

百点満点で150点は付けられます。合格、大合格です。

その焼酎の名前は、皆さんだけにお教えしましょう。

宮崎の京屋酒造の「甕雫」です。

こんな旨い酒は今まで飲んだことがありません。

天保5年(1834年)創業。代々受け継がれてきた大甕で仕込まれ、外部より熱を加えない自然環境の中で発酵させているそうです。原料の甘藷、米などは有機栽培に拘っています。保存料等が入っていないのでで、開封後はなるべく早く飲まなければなりません。

京屋酒造は、宮崎県日南市油津2-3-2 です。

もちろん宣伝料をもらっているわけではありませんが、私が保証します。

でも、量が少ないので、手に入らないと思われます。

そのあたりは、私は保証しません。

サバを読む

世の中、知らなかったことだらけです。

サバを読む、という成句は、昔からよく知っていましたが、それは

鯖の数を水増しして読むという意味から来たとは知りませんでした。

鯖は痛みやすく、その数を数えている間にでも、すぐ腐ってしまうそうです。

ですから、かつて、鯖は、獲れるとすぐに、塩漬けにしたり、糠漬け(へしこ)や、なれずしにして、若狭から京の都に運んだそうです。その道を「サバ街道」と呼んだそうです。

羽田空港で「若狭の浜焼き鯖寿司」というのも偶然に見つけて、食したことがあります。美味快感。生きていてよかった、といえるほどの味でした。

「寿司談義」が盛んですが、決して、サバを読んだわけではありません。

悪しからず。

新富寿司

宮内庁御用達。銀座の老舗の「新富寿司」に行ってきました。

やはりこわいお店でした。40代後半の親方と20代後半の若手の二人で、客を品定めしてねめ回し、席はガラガラに空いているのに「そこに詰めて座って」などと指図されました。「あー、まずったなあ」というのが第一印象でした。

昼飯時。先客は金持ち風の親子3人連れ。娘さんは20代前半の感じでした。中小企業の3代目といった感じの旦那さんは、銚子のピッチがあがって、バカバカ注文してましたが、恐らく3人で10万円くらいいったんじゃないでしょうか。

親方は「お飲み物は!」と客の顔を見ないで言うので、最初、私に聞かれたかどうかわからなかったのですが、どうもそうらしいので、小さな声で「お、お茶でいいです…」というのが精一杯。「あがり」などと業界用語を使えば、どやされる雰囲気でした。

「何にしましょう!」と言うので、「い、い、いちにんまえで…」と俯き加減で注文しました。10分くらい待たされて出てきたのが、鮪とスミイカと鰹と穴子と縞鯛とイクラと玉子と河童巻きの8カンだけ。茶碗蒸しも汁物もなし。

お金を払おうと、席を立ったら「そこに座ってて」と命令されてしまいました。

締めて2,625円。

味は?

わかりませんでした。

とても池波正太郎にはなれませんね。

 

モーツァルトの奥方

写真の左の女性が、今年生誕250年を迎えたモーツァルトの奥さん、コンスタンツェだそうです。

驚きました。

AFP通信が全世界に配信したもので、写真は1840年10月に撮影されたもので、コンスタンツェは当時78歳。この2年後の1842年に他界したそうです。

コンスタンツェは、夫のアマデウス・ヴォルフガンクが1791年に35歳の若さで死去した後、デンマークの外交官と再婚し、写真の右隣のスイス人の作曲家のマックス・ケラーの自宅(ドイツ南部のアルトエッティング)を度々訪れていたそうです。

それにしても、写真で見ると、随分身近に感じてしまいますね。

コンスタンツェは、若い時から病気がちでしょっちゅうバーデンバーデンまで湯治に出かけ、悪妻ということで後世に伝えられていましたが、当時としては長生きした方でしょう。29歳で寡婦になったとはいえ、再婚していたことまでは知りませんでした。確か、モーツァルトとの間の子供はすべて夭折したはずです。

生誕250年祭の商業主義に踊らされているようで、嫌だったのですが、またモーツァルトをガンガン聴きたくなりました。

あこがれの神楽坂

東京に戻って、もう随分前から行きたかった神楽坂に行ってきました。もう三十年も昔ですが、フランス語の勉強のために通った思い出の街です。

お付き合い戴いたのは作家の山崎朋子さんです。

「先生のような偉い方にご一緒して戴いて、大変光栄です」と言ったら、山崎さんは「私は『先生』と言われるのは嫌いだし、『光栄』と言われるのも大嫌いなんですね。意地悪ね」と真顔で言われてしまいました。

本当は、山崎さんにはたくさんの人に会ってもらいたかったので、「私の友人に声をかけてもいいですか?」と許可を取ったところ、

「わたし、あまり、大袈裟なことが嫌いなんです。それに、大勢の前でお話するということになれば、責任感を感じてしまうので、どうか、堪忍してください」と言われてしまい。二人だけで再会することにしたのです。

実は、山崎さんから仕立て用のバーバリーのワイシャツをプレゼントされたのです。私が帯広に住んでいた頃、手紙で「(帯広は)お菓子がおいしいところですよね」とあったので、六花亭や柳月のお菓子を送ったことがあります。ワイシャツはその御礼だったようです。が、目の玉が飛び出るほど高価なシャツでした。

そこで、山崎さんに御礼がしたく、場所は以前から行きたかった神楽坂にしたわけです。もちろん、バーバリーのシャツを着ていきました。

「SHUN」という店に行きました。神楽坂には「本家」と「分家」と「旬」の3店舗もあるのに、電話したら、すべて予約で満員で席がない、と断られてしまいました。

焦りましたね。大先生に恥をかかせてはいけません。電話では埒があかないので、駄目でもともとと思い、開店前の店のドアをたたき、ようやく、カウンターの2席を確保することができました。

前触れが長すぎましたが、山崎さんとは色んな話をしました。山崎さんは「サンダカン八番娼館」で大宅賞を取ったノンフィクション作家ですが、女性史研究家としてスタートしました。もう40年前です。その頃、まだ、平塚雷鳥さんや、神近市子さんや、山川菊枝さんらいわゆる歴史的な女性運動家が存命中で、山崎さんは彼女たちに直接お会いして、いろんな話を伺っているのです。

来月号の月刊誌「世界」(岩波書店)でそういった人たちの評伝を連載するそうです。2年くらい長期にわたるそうです。皆さんも是非注目してください。

待ち合わせの「上島珈琲店」では、ジャズがかかっていました。「SHUN本家」にもジャズがかかっていました。

山崎さんが「日本で一番、ジャズの音がいい店を知っていますか」と聞かれるので、私は「六本木?あ、新宿?ピットインですか」などと答えましたが、「いえいえ違います」となかなか答えを教えてくれません。やっと、

「岩手県の一関にある『ベイシー』という店です。そこのマスター菅原正二さんが、早稲田のジャズ研か何かのご出身で、カウント・ベイシーとお友達で、ベイシー本人も来たことがあるのですよ。私は、写真家の秋山庄太郎さんに連れて行ってもらいましたが、そこで紹介されたのが、タモリさんだったですよ」といったエピソードを披露してくれました。

神楽坂にして本当によかったです。

ルピナス、ルピナス、ルルル

ルピナス

目下、毎日新聞で連載されている社会面の大型企画「ふるさと探し」は、つい食い入るように読んでいます。

北海道が舞台だからです。定年を迎える団塊の世代の「その後」が、テーマの柱のようで、記者の早坂さんが沖縄にしようか、北海道にしようか散々悩んだ末、北海道にしたそうです。

第一回は、北海道の上士幌町。つい3月まで住んでいた帯広とは目と鼻の先で、町長の竹中貢さんは、私を友人のようにもてなしてくれました。今でも葉書くらいやりとりしてます。連載が始まったので、早速、電話すると、明るい声で「偶然、取材に来てくれたんですよ」と明かしてくれました。私は「上士幌町が全国的に注目されてよかったですね」と激励しておきました。

第一回は、名古屋市に住む団塊の世代の夫婦が、定年を繰り上げて上士幌に定住するという話です。奥さんが30年間、花粉症に悩まされ、町が一昨年に募集した「スギ花粉リトリート(疎開)ツアー」に参加したところ、すっかり気に入って、永住を決意するという話です。この企画は、私が帯広にいた2年前に記事にしていたので、なじみのある話でしたので懐かしくなりました。

第二回は、東京に住む福島さんという会社経営者が、上士幌の中心街から車で1時間かかる故郷の「三股」に戻り、子供の頃を回想する話です。当時は木材切り出しの中継基地として、鉄道(士幌線十勝三股駅)が通るほどにぎわいを見せていた三股も「過疎化」の波をもろにかぶり、鉄道も廃線となり、今ではほとんど人も住んでいない曠野の化している。そこには、ルピナスが咲いていた…といった感傷的な話です。

え?ルピナス!

そう聞いただけで、私は大粒の涙を流してしまいました。

帯広に住んでいた時に、十勝の周辺で、色んなところでみかけた野草です。

Hさんが「ルピナス、ルピナス、ルルル…」と歌っていたことが昨日のように思い出します。

今日は珍しく、写真と一致した文章です。この青い実をつけたような花がルピナスです。

ルピナス、ルピナス、ルルル…

ああ、また泣けてきました。

 

寿司界の東大 アラカルト

 

会社が築地に近いので、さすがに寿司屋さんが多い。30メートルごとにあると言っても過言ではありません。

 

私はお寿司が大好きなので、毎日食べても飽きません。有り難いことです。とはいっても、専らお昼の安いランチに限っていますが…。

 

4月に東京に戻ってきて先輩に連れて行ってもらったのが「すし好」(★★)という店です。850円のランチで、ボリュームがあり、安くてうまい!迷った時は、この店に入ります。チェーン店なので、築地を歩けば「すし好」は見つかりますよ。

 

歌舞伎座の裏通りで見つけたのが「宮澤」()という小さな店です。看板は小さく、地下なので、場所はわかりずらいでしょう。親父は歌舞伎役者のような顔をしてます。「(しょうゆ)づけ」が得意らしく、この店の売りになってます。わさびがちょっときついかな?3度目くらいに11時半に行って、店内はガラガラだったのに、「席つめてください」というので、それからあまり行っていません。

 

芥川・直木賞の選考委員会が開かれる「新喜楽」の近くに「すし鮮」(★★)があります。小さな茶碗蒸しとエビのお吸い物が付いたランチが1050円。さよりの軍艦巻きかと思ったら、白魚らしく、板さんは大変正直な人で、「魚はみんな養殖ですよ。天然はこんな安い値段では出せませんよ」と話してました。

 

築地の「寿司岩」(★)もチェーン店で、あちこちに見かけます。茶碗蒸しと赤だしのなめこ汁が付いたランチが1050円。とにかく貝が好きな人にはお奨めです。

 

松竹ビルの1階にある「樹太老」(★★)は、期待していなかったのですが、1000円のランチで十分楽しめました。創作料理っぽかったですが、親方の心意気を感じました。

 

銀座の「びっくり寿司」(★)は、客を馬鹿にしている名前ですが、合格点でした。場所柄、外国人観光客向けなのでしょう。表通りの目立つ所にありますが、奥まった2階で、雰囲気が良く、若い二人のデート向きかもしれません。

 

そして、そして、「寿司界の東大」というのがあるそうですね。後藤さんに承認を得ないで紹介してしまいます。

 

三原橋にある「二葉寿司」です。昭和初期に建てられたような風情のある仕舞屋で、ちょっと暖簾をくぐるには勇気がいる店です。私はまだ行ってません。ここで、修行すると、この業界では一人前と認められ、どこでも独立できるそうです。まさに「寿司界の東大」。

 

あづま通りの「新富寿司」も宮内庁御用達の店で、味、値段ともに超高級だそうですが、まだ行ったことがありません。

 

もう20年近く昔に岳父らと銀座の「次郎」(★★★★)に行ったことがありますが、そこの寿司は本当にネタがとろけるようで、口いっぱいに幸福感が漂いました。釣が趣味だった今は亡き岳父も、「あそこの寿司はうまかった」と1年近く言い続けていました。
ちなみにお値段はそれなりでした。

金持ち喧嘩せず

世界第二位の富豪で、著名な投資家ウォーレン・バフェット氏(75)が、保有資産の大半を、世界一の大富豪ビル・ゲイツ会長が運営する慈善団体に寄付するというニュースを聞いた時、その額のあまりにもの大きさにのけぞってしまいました。

総額は約370億ドル。日本円にして約4兆3000億円だそうです。

その「オマハの賢人」バフェット氏との昼食ができる権利をオークションにかけたところ、米カリフォルニア州在住の投資家ヨンピン・デュアン氏(45)が62万100ドル(約7100万円)で落札したそうです。

食事をするのに、おねえちゃんに3万円払ったという話はよく聞いたことがありますが、7100万円ですよ!(下品な引用ですみません)

デュアン氏は、「バフェット氏と彼の哲学から多くのことを学び、感謝の意を伝える機会を見つけたかった」というのが大金を払う理由だそうです。よっぽど、バフェット哲学で大儲けしたのですね。おっと、凡人が真似しても、成功するとは限りませんから、その気ならないように!

デュアン氏は、バフェット氏に「手元にお金があり過ぎて、あまり良い目標が見つからないときはどうしたらいいか」といったことを食事会の席で聞くそうです。

「勝手にしたら」と言ったのは、あなたですよ。

私はこのニュースを読んで、古代からの格言を身に染みて思い出しました。

やっぱり、金持ちは喧嘩しないんですね。

五つの心

秋葉原の居酒屋「赤津加」に貼ってあった張り紙

五つの心

一、『ありがとう』と云う感謝の心

二、『はい』と云う素直な心

三、『すみません』と云う反省の心

四、『おかげさまでした』と云う謙虚な心

五、『させていただきます』と云う奉仕の心