「月のつぶやき」

 

脳に障害を持って生まれた日木流奈(ひき・るな)君の著作「月のつぶやき」を読んでいます。

 

10歳になるかならないかの若さで人生を悟ってしまった感じで、末恐ろしい才能を感じます。まさに、ジャン・コクトーの言うアンファン・テリブルです。

 

この本の中に次のような一節があります。

 

「あなたはまず、自分自身の今の状態が全て完璧であることを知るのです。

 

たくさんの出来事、たくさんの思いを経て今のあなたができたのですから。

 

そこに言い訳や正当化や評価を持たせず、ただすべてを受け入れるのです。

 

すべてはそこから始まる気がします。

 

自分が特別だと思ったり、何か役割があるという使命感に燃えたりしても、何の役にも立たない自己満足であることを知らなければなりません。

 

使命感なども持たなくても、みんなその役目を十分に果たしているのですから」

 

うーん、どこかで聞いたような話でした。。。

因果応報 

人は自分の思い通りには動きません。だから、他人をどうこう説得しても無駄です。それがたとえ家族であっても。

「話し合えばわかる」ことなど万に一つしかありません。

人を動かしたかったら、自分が変わるしかありません。見方や考え方を変えるだけでもいいのです。

すると、不思議と相手も変わるのです。

しかし、実は相手が変わったというのは、そう見えるだけなのです。頑固な相手は何一つ変わっていません。

でも、それでいいのです。自分の考え方を変えることによって、相手に対する思いやりも生まれ、相手に対する不満も怒りもどうでもよくなってしまうのです。

だから、人を怨めば、7倍になって跳ね返ってきます。人は自分のことをよく思っていない人に対して、どうして無償の愛を注ぐことができるでしょうか。

人を呪えば、相手からも数倍の力で呪われるのです。あなたが正当だと思っている恨みでさえも、相手にとっては、単なる嫌がらせか独りよがりな言いがかりとしか捉えないわけですから、その卑劣さに対して、相手も応酬する権利があるからです。

嫌な相手でも、1つくらい長所があるはずです。

そのたった1つの長所に神経を集中して好意を持ってください。

すると、不思議と相手からも好意が100倍になって返ってきます。

然別湖

然別湖に氷の館「コタン村」が今できています。

まさしく氷でできたお店です。バーがあったり、シアターがあったり、なかなかよくできていました。

 

 

見方を変えると問題がなくなる

解剖学者というより今やベストセラー作家の養老孟司さんがNHKのスタジオパークに出ていました。

私も先日読んだ「超バカの壁」に書かれていたことと同じようなことを話していたので可笑しかったのですが、印象に残ったことを書きます。

それはひと言「見方を変えると、問題が問題でなくなる」ということでした。

養老さんによると、仕事とは、世の中のため、世間様のため。だからお勤めという。彼も解剖が仕事だったが、正直、辛かったそうです。「誰が好きでやりますか?」。最初は自分に合った仕事ではない、と思っていたそうですが、そのうち、「自分が変わればいい」「折り合いがつけばいい」と考え方、見方を変えたそうです。

解剖という自分のしている仕事は何の役に立つのかー。「ああでもない、こうでもない」と自分自身に問いかけていくしかなかったそうです。

そのうち、「仕事はこっち(自分)のためにあるのではなく、向こう(世間)のためにある」。そう見方を変えることによって、「自分に合っていない仕事を続けるべきかどうか」という迷いを克服したそうです。

「見方を変えると問題が問題でなくなる」

皆さんの抱えている色んな問題も、見方を変えれば、問題でなくなるかもしれませんね。

思考パターン

あなたはネガティブな思考パターンに陥っています。

苦しみや辛いことに目を向ける癖が習慣的についています。

ジャーナリストという職業柄、身につけてしまった思考パターンかもしれません。

苦しみや辛いことにフォーカスしているから、人生が辛い悲しいものになってしまっているのです。それは、被害者意識からきています。
被害者意識でいると、更なる苦しみを招きます。
自分自身を許していないからです。

人生の中で、人は何かを選択して生きています。
テレビのチャンネルを選んでいるようなものです。いい悪いの話ではありません。

人生は一瞬なのに、そんな辛い過去だけにしがみついていることはないのです。

しかし、人生はそれほど長くないのです。

例えば、コップの中に大好きなお酒が半分入っているとします。
これを「もう半分しかない」と悔しがるか、「まだ半分もあるのか」と喜ぶか。その程度の違いです。

つまり、どういう観念を持つかなのです。

だから「苦労しなければ幸せにならない」と思っているのも間違いなのです。
楽をしながら幸せになった人もいっぱいいます。
好きなことをしているから、どんなことでも辛いとは思わないからです。

「人生は辛い苦しいものだ」という思考パターンが、その人の人生を作ってしまうのです。「生きることは苦しいものだ」「人生は苦とみつけたり」といった思考パターンから抜け出さない限り、負の連鎖から抜け出すことはできません。

そうでなければ、10代や20代の若さで何の苦労もなく、成功してしまう人がいることをとても説明できません。10代や20代の苦労など、40代、50代の苦労と比べれば高が知れています。

ユリウス・カエサルの言う通り「人は見たいものしか見ない」のです。

これを援用すれば、人はなりたいものしかなれないのです。

如是我聞⑩

あなたは、被害者になりたがっているだけです。
被害者でいたいだけなのです。
そう望んでいるから、今のような状態が続いているのです。

そもそも被害者も加害者もいないのです。

人は自分を幸せにすることだけに責任があるのです。
なぜなら自分が幸せでなければ、人を幸せにすることができないからです。

人を幸せにしようと思うのではなく、自分が幸せであれば、愛が溢れ、周りを幸せにすることができるのです。

自分を許していない人は、いい人になろうとして補償行為をしたり、被害者であろうとしたりしてしまうのです。「おまえのせいで俺はこうなったのだ」という被害者になることで、人を怨み、復讐を遂げようとするのです。

いい人間であろうという証明のためだけにエネルギーが使われ、結局、疲れ果ててしまうのです。

人を許していないということは、深いところで自分自身を許していないのです。自分自身を許していないと、周囲のせいにします。世間が悪いとか、会社が悪いとか、学校が悪いとか、親が悪いとか、大人が悪いとか、子供が悪いとか、いろいろ理由をつけて、責任を転嫁します。

自分が幸せなら、池に投げた小石の波紋が広がるように、周囲に幸せが広がっていきます。エネルギーの奪い合いにはならないのです。賞賛されたいとか認めてもらいたいとか、自分の外の世界に目を向けることなく、自分の内面を見つめることになるのです。

自分は一体、何をやりたいのか。
自分は一体、何のために生まれてきたのか。

―自ずと分かってきます。

自分を満たすということは何のか。そこから始まります。
それは、実に単純です。
自分のしたいことをすることです。
自分のしたいことをすることを許すことです。
自分自身を喜ばしてあげることです。
そうすれば、世の中のせいだとか、社会のせいだとか思わなくなります。

だからこそ、人は自分を幸せにすること以外に責任はないのです。

網走番外地

急に流氷が見たくて、網走に行ってきました。

残念ながら流氷は見られませんでしたが、「オホーツク流氷館」と「網走監獄」に行ってきました。

流氷館では、クリオネというかわいい生き物を見ることができました。これは言葉では説明できません。長さ5~6センチのプランクトンのような生き物で、イカのようなクラゲのような白いふにゃふにゃした生き物で、「海の妖精」と言われていますから、女子高生が「わっ、かわいい」と飛びつきたくなるような愛くるしい生き物です。

網走監獄は、とても懐かしかった、というのはウソです。
現実は、厳しい労働に明け暮れて、変死する囚人もいた過酷な監獄でした。

その帰り、星があまりにも綺麗だったので、陸別の「銀河の森天文台」に寄って行きました。土星がとてもはっきりとよく見えました。ホントに星が降るようでした。我々が住んでいる天の川銀河からアンドロメダ星雲まで、250万光年。気が遠くなる話どころではない話です。
もう少し、星の基礎的な知識を詰め込みたいと思いました。

しばらく熱中して見ていたので、帰りは午前様になってしまいました。

鬱症状の方へ

鬱症状というのは同じことを悩んで、なかなか抜け出させないスパイラルにはまりこんでしまっている状態のこと指します。

「自分は幸せになれない」「うまくいかない」「自分は駄目な人間なんだ」「自分は生きる資格がない」というひとつの思考パターンにはまってしまっているのです。

ポジティブに考えられる人は、どんなことがあろうと、希望的な明るい現実を作ることができるのです。

しかし、否定的に考える人は、過去から来るものにいつも影響されます。不安も心配も過去から引っ張ってくるのです。過去の失敗体験から自分で勝手に想像して、現実を作ってしまうのです。

だからこそ「自分を信頼する」「自分は大丈夫なんだ」という観念が大事です。

日々の生活の中で、自分が何を発信するかにかかっています。

「こういう人に出会いたい」「こういう体験したい」という観念の発信がそういう人や体験を引き寄せます。

すべての人には愛と調和が、個々の心の中にもうすでに備わっています。その事実は、エゴがいくら反発しても魂は知っています。

要するに「自分の人生は、自分の思う通りになる」ということを信じるべきなのです。百パーセント、自分自身が自分の人生に責任を持つということなのです。

朝起きて、「嫌だなあ」「面白くないなあ」と思った瞬間、その観念は宇宙に発信されます。そして、その日は、つまらない、面白くない一日で終わってしまいます。

落ち込む人は、マイナス観念を想像して、「そうなってしまうのではないか」といことを引き寄せて、現実を創造していることになるのです。

周りの人は「そんなことできるわけがない」というのに、実際に不可能を可能にしてしまう人がいます。それは、「できる」ということを信じきっているからなのです。

例えば、かつて、陸上競技の男子100メートルで、10秒の壁を破ることは不可能だと思われていました。マラソンだって、2時間10分の壁を破ることはまず無理だと思われていました。しかし、どうでしょう。

現在の陸上の男子100メートルの世界記録は、アサファ・パウエル(ジャマイカ)の9秒77。マラソンの世界記録は、1999年にK・ハヌーシ(モロッコ)が出した2時間5分42秒です。

どうですか。人間に不可能はないのです。壁を作っているのは、そういう風に考えている人なのです。「世界記録を破ってやるぞ」と挑戦する人間だけが、壁を打ち破るのです。

幸せになる人というのは、「自分は幸せになるんだ」とい信じる心が強い人のことです。夢を実現する人は、「自分ならできる」と信じる力が強い人のことです。

信じる力のことを「念」と言ったりします。念とはエネルギーなのです。

不安や恐れは外から来ると信じている人が多いのですが、実際は、自分の内なる感情が創造しているのです。それは自分がつかんでいる過去のパターンからそうなってしまうのです。

結局は自分が引き寄せているのです。

真理は本当はシンプルなのです。発信したものを受信しているだけなのです。

交通事故でさえ、自分で引き寄せているのです。

「過去はこうだった」というのも同じです。
今しかないのに、過去にしがみついているだけなのです。

物事はシンプルです。

与えたものが返ってくるのです。

人を憎めば、憎しみが返ってきます。

人を愛すれば、愛が返ってきます。

結果を求めてはいけません。

人は与えることによって、安心を得られるのです。

過程が大切

 

杉田敏先生のNHKラジオ「ビジネス英会話」をここ数年聴いています。しかし、少しも進歩の跡が見られません。

 

テキストは一読しただけでは、辞書なしではまず分かりません。「最初はビニェットは見ないように」という指示なのですが、耳で聴いただけでは、さっぱり分かりません。文字を見ても分からないくらいですからね。

例えば以下の文章はすぐ分かりますか?

①Way back when, a lot of  companies tried to ban office romance.  That would go over like a lead baloon nowadays.

 

②There’s something to be said for a shoulder to cry on.

 

それほど難しい単語はないのですが、いざ訳すとなると、腕を組みます。一度聴いただけでは、つまり相手からこんなことを急に言われても理解できないでしょう。

 

答えは明日。

 

その代わり、「宝島」のロバート・ルイス・スティーブンソンの格言を。

 

Don’t judge each day by the harvest you reap, but by the seeds you plant.

 

毎日を刈り取った収穫物で判断するのではなく、どれだけ種を蒔いたかで判断せよ。

 

ー結果がすべてではない。その過程が大切だ、ということでしょうか。肝に銘じます。

カレー屋「東印度会社」

久しぶりに帯広市東1南5にあるカレー屋さん「東印度会社」に行ってきました。

カレーを食べるだけでなく、ここのマスター村井さんと止め処もない話をすることが楽しみになっています。

初めて行ってからもう2年以上経ちますが、最初は渋いブルースがかかっていたので、音楽談義をしたのがきっかけで彼と親密になりました。そこで、ライトニング・ホプキンスやバディ・ガイといったブルースマンを沢山教えてもらいました。

何やかやがあって、その店に行くのは数ヶ月ぶりでした。マスターは笑顔で迎えてくれました。

今晩は、ハッパの話をしました。ここ十勝には、そのハッパが自生しているらしいのです。タバコより害はなく、試すと、ハイになるそうです。もちろん実際に使用すると、投獄されます。これ以上続けるのはヤバイのでやめておきます。

あと、三月三日にオープンする帯広市立の新図書館のシンボルマークに高校生の作品が採用されましたが、どうみても「ブックオフ」の会社マークに瓜二つだと彼は言うのです。図書館に問い合わせると「知らなかった。せっかく将来のある高校生が作った作品なので、マスコミに知られたヤバイ」と言ったとか言わなかったとか。市内の「ブックオフ」に言うと「本部に確認します」と答えたそうです。いずれにせよ、「被害届け」が出ない限り、この話は、なかったことになるでしょう。

今日はヤバイ話ばかりでした。