自転車は走る凶器?

ポンペイの犬

交通事故に遭ってしまいました。いや、大袈裟でした。すみません。自転車にぶつかってしまったのです。まあ、こちらが悪いのですが、路地から「歩道」に飛び出したところ、右から来た自転車に轢かれ、転倒してしまったのです。こちらも考え事をしてボーとしていて、周囲に気を配らなかったせいでした。でも、まさか、自転車がくるとは…。

何処でも事情は同じでしょうが、自転車が、「歩道」を我が物顔で飛ばしています。こちらが普通に歩いていても、後ろから、チリチリ鳴らされて、憤慨したことがあります。私の住む所は、民度が低いせいか、夜間でも電気をつけずにいきなり自転車が目の前に近づいてくるので驚いたことがあります。

第一の原因は道路事情でしょう。車道も歩道も狭すぎます。車道はやっとトラックがすれ違う二車線。歩道は人がやっとすれ違うことができる幅。北海道の歩道は、関東地方の車道と言ってもいいでしょう。人にも自転車にもぶつかることはまずありませんでした。

そもそも、最近、道路交通法を改正して、歩道の自転車走行を認知しようとしていますが、異国では考えられないことです。ローマでも上海でも、自転車は車道でした。自転車はある意味では、自動車と同じように走る凶器なのです。

歩道は、人間が安心して歩ける道路です。子供もいれば、お年寄りもいれば、足の不自由な方も安心して歩けるようにしなければなりません。

何か説教じみた話になってしまいましたが、先日、ラジオの深夜便を聞いていたら、明石アナウンサーも、歩道を歩いていたら自転車にぶつけられそうになった話をして、やはり、自転車が歩道を走るのはおかしいと提議していました。

それなら、自転車道を整備すべきだという人がいるでしょうね。まあ、それが最善策でしょう。でも、それが物理的に難しい場合、せめて、自転車に乗っている人の最低限のマナーが必要だと思います。自分が歩行者の身になれば分かると思います。

QRコード

ポンペイ

携帯の機種を変えたのは、最近、新聞や雑誌の記事等で目立ってきた「QRコード」を試してみたかったからです。

私の持っている携帯では「バーコードリーダー」という名称ですが、今日、試してみました。QRコードに携帯に付いているカメラのレンズを当てると自動的に読み取るシステムになっていました。

しかし、カメラで「撮影」している間は、iモードが起動し、その読み取ったデータを再現すると、再び、iモードが起動しなければ読み取れません。つまり、その度に課金されるわけですね。はっはー、そういう仕組みになっていたのですか。

QRコードの中にある情報が死活問題になるような最重要情報ならともかく、大方は宣伝じみていて、大したものでないことも分かりました。もう少し低料金で、しかも目に優しい紙の媒体で読んだ方が楽だといことも分かりました。

最近、「パケットし放題」の料金体系が人気になっているようです。パソコンを持っていない若者を中心に、携帯でホームページを見るのがその目的のようです。私もよく知らなかったのですが、A社の場合、携帯でホームページを閲覧すると、1ページ560円くらい掛かるそうですね。これでは、一ヶ月4万円、5万円掛かっても不思議ではありません。

たかが携帯ですが、メモ帳になったり、スケジュールを管理できたり、お財布になったり、監視カメラになったり、地図になったり、音楽が聴けたり、買い物や食事の場所の検索ができたり、本当に至れり尽くせりです。

私の携帯は、頼みもしないのに、自動的に最新ニュースが流れてきます。(このまま、ニュースが流れっぱなしになると電池の消耗が激しいというアドバイスを聞いて、このニュースを止めることにしましたが)

数年前に、「携帯のおかげで、CDレコードの売り上げが落ちた」と言われましたが、携帯のおかげで、漫画誌もガイドブックもそして新聞も、売り上げが落ちるはずです。

電凸

毎日新聞のコラム「発信箱」で、「電凸」(でんとつ)ということを初めて知りました。筆者の花谷寿人氏は、「電話による突撃」のことと注釈して、「ネットで気に入らない書き込みがあると本人のプライバシーを暴き、電話番号を探し当てて寄ってたかって電話をかける。さらにそのやりとりまでネットに載せて糾弾する。発信する側は『匿名』という安全地帯に身を置く。『顔が見えない相手から苦しめられた』という人は多い」と書いています。

電凸はすでに、言葉として広く知られているようで、かのウイキペディアには「企業や宗教団体や政党などに電話し、それらの組織の活動についての意見を問いただす行為のことを指す。マスコミに属する者が行う職業的な取材ではなく、一般顧客用の問い合わせ窓口を通して行われるのが普通である。実質的には、その組織に対する抗議行動と考えてよい」などど、かなり事細かく詳述しています(一部改変)。

ネットで、検索してみたら、中田英寿ら世界の一流スポーツ選手や俳優らを宣伝塔にして、「世界の貧困をなくす活動資金になります」とのキャッチフレーズで、恵まれない人たちのためのチャリティーとして世界中に広まった「ホワイトバンド」なるものの実態を暴いたサイトが見つかりました。

その筆者によると、日本のホワイトバンドプロジェクト事務局なるものから質問の答えが返ってきましたが、その発信元は、SSU、つまり、サニーサイドアップ社だったということです。同社には、確か、中田元選手も所属していたのではないでしょうか。

ははーん、と思ってしまいました。

「匿名」に隠れての卑劣な行為は決して許されませんが、スポンサーや視聴者に阿って深く取材できないマスコミに代わって、新境地を開く、良い意味での電凸なら、本当に条件付きで、注目したいと思っています。

もちろん、あくまでも、くどいようですが、最初に述べた花谷氏が非難するような行為は、言語道断です。

レオパルディ

ポンペイ

「大都会の人間たちは際限のない雑念に囚われ、さまざまな気晴らしに気をとられ、精神は否が応でも浮薄と虚栄に向かわせられ、内的な悦びを感じることが難しい」

このような寸鉄釘を刺すような警句を書いた人は誰かご存知ですか?加藤周一?丸谷才一?大岡昇平?はたまた、バーナード・ショー?ジョージ・オーウェル?

正解は、19世紀の作家で詩人のジャコモ・レオパルディ(1798-1837年)でした。

伯爵家に生まれた早熟の天才で、わずか15歳で「天文学の歴史」を刊行し、風刺的なエッセイを数多く残し、喘息の発作で39歳で亡くなりました。私は知らなかった、というより、忘れていたのですが、夏目漱石(「虞美人草」)、芥川龍之介(「侏儒の言葉」)、三島由紀夫(「春の雪」)ら多くの日本の作家にも影響を与えています。

1月14日付の毎日新聞の書評欄で知ったのですが、取り上げられた彼の詩集「カンティ」(脇功、柱本元彦訳)(名古屋大学出版会・8400円)(富山太佳夫氏評)は、半年以上前の昨年の5月に刊行されたものです。これは、初の原典からの完訳だそうです。数ヶ月もすれば、すぐ書店の棚から消えてしまう昨今の新刊本の宿命にしては、随分と息の長い書評の取り上げ方ぶりです。(毎日の書評欄は、日本一だと思っています。)

ネットを検索すると、熱心な方がいらっしゃるもので、「ウラゲツ☆ブログ」さんによると、日本で初めて、レオパルディが翻訳されたのは大正9年(1920年)12月に刊行された「大自然と霊魂との対話」(1827年版の散文集「オペレッテ・モラーリ」の完訳)で、これは、訳者の柳田泉氏(1894-1969年)が英訳本から重訳したそうです。逆算すると、26歳で翻訳しているのですね。柳田氏は訳者序で「レオパルディの名前は夏目漱石の『虞美人草』を読んで知った」と書いています。

「物知り博士」漱石は英訳で読んでいたのでしょうか。いずれにせよ、「思想の連鎖」のようなものを感じます。

ないない大事典

ポンペイ

 

フジテレビ系で先々週放送された「発掘!あるある大事典Ⅱ」で、納豆のダイエット効果が紹介され、納豆が売り切れる店が続出して社会的事件になりました。ところが、因果関係を裏付けるデータが捏造されていたことが昨日、発覚しました。

 

全くお粗末な話ですね。私は、この有名な番組を見たことがありませんが、テレビ局幹部と製作者の責任感のなさに本当に呆れてしまいました。

 

「あるある大事典」は、関係業界では必見の番組だそうです。特に「ダイエット効果あり」と喧伝された商品は、すぐ売り切れてしまうので、コンビニやスーパーなどでは、「『あるある大事典』で放送。在庫注意」といった伝令が各セクションに回ってくるのだそうです。

 

これだけ影響力を持っているというのに、製作者は日々の仕事に追われ、結果的に「ヤラセ」のような番組しか作れないのです。でも、これは、冷静になって考えれば、当たり前の話でしょう。世の中というのは、そう大して大それた事が起きることはなく、殆どの人の個人の一生など、退屈と単調な繰り返しのはずです。現代人はその境遇に耐えられないので、気晴らしのために手頃で安価なテレビに飛びつくのです。

 

しかし、テレビに登場するものの大半は、製作者が関わっている限り、役者さんであり、やらせであり、商品を売るための策略なのです。私がテレビドラマをなどを見ないのも、いくら役者が美人で格好よかったとしても、本物の医者や指揮者や大奥のお局さんに見えてこないからです。

 

紺屋の白袴という諺があります。テレビ局の幹部も、驚くほどテレビを見ていないのですよ。それは、煙草会社の幹部がタバコを吸わなかったり、清涼飲料水の会社幹部が自社製品のドリンクを飲まなかったり、ファストフードの会社幹部が決してファストフードを口にしたがらないのと同じ論理です。

韓国モダンダンス「冬眠のノック」

フィレンツェ

 

作家の山崎朋子さんのお誘いを受けて、韓国のモダンダンスを見に行ってきました。場所は、目黒区の東大駒場前駅にある「こまばアゴラ劇場」。平田オリザが主宰する劇団青年団の本拠地です。

 

演目は「冬眠のノック」というタイトルで、韓国の伝統舞踊、モダンダンス、創作舞踊の3部作になっており、このうちのモダンダンスを見ました。演者は、カリムダ・ダンスカンパニーにです。平田オリザが総合プロデューサーで、舞台を見に来ていました。

 

まるっきり、予備知識も何もないまま、見たのですが、わずか50分の演技に色々と感慨深い要素がふんだんに織り込まれており、しばし、俗世間の柵(しがらみ)から逃避することができました。(カリムダ・カンパニーは、1980年に韓国の名門漢陽大学出身者を中心に結成されたそうです。)

 

パフォーマンスは、3幕仕立てになっており、第一幕は、若い男のダンサーを写したビデオ映像が、観客に向けて映し出され、ダンサーは、光を反射するギンラメの傘を振りかざして、椅子に座ったり、踊ったりしていました。第二幕には、若い二人の男性ダンサーが、オフィスと思しきフロアで、書類の束を狂言回しにしてじゃれあうようにして踊り、第三幕では、中年の男性と若い女性が、激しく愛を交歓するような感じで、スケートのアイスダンスのように、男が女を高く持ち上げたりして、舞台所狭しといった感じで踊りまくっていました。擬態音や笑い声はあっても、意味のある言葉は発しませんでした。最初、全く、予備知識がなかったので、日本人かと思ったのですが、顔付きなどで、どうやら違うようだと途中で分かったのです。言葉ではなく、体全体で感情や思想や哲学を表現するダンスという芸術の奥深さを感じた次第です。

 

観客は若い女性が多く、中高年の男性もちらほらいて、全部で70人くらいいたのではないでしょうか。「面白かった」という感想ではないですが、「こういう世界もあるんだなあ。ダンスだけでは食べていくのは大変なんだろうなあ。疲れるだろうなあ」といった愚直な感想しか思い浮かびませんでした。(失敬!)

 

帰り、渋谷駅のターミナルを通ったのですが、その人の多さには唖然を通り越して、笑いがこみ上げてきました。あれだけの混雑は、世界遺産ものです。そういえば、最近は銀座専門で、池袋、新宿、渋谷といった新都心のラッシュ時にはあまり足を踏み入れてなかったので、そのカオス状態の雑踏は久しぶりでした。あの雑踏の真っ只中にいれば、正常な人間も狂うでしょうね。「過疎」の帯広が懐かしくなりました。

 

インターネットも顔が見えないだけで、カオスの雑踏状態であるのかもしれませんね。最近のネット上の中傷合戦を見聞きするたびに、その思いを強くしました。

とほほ…

 カプリ島

今日、A社のBさんから電話があり、「あなたのブログに私の経歴のことを含めて、個人的なことが事細かく書かれているようですが、困るので削除してほしい」との連絡がありました。抗議といったものではなく、とても低姿勢な「お願い」のような感じだったので、こっちがかえって恐縮してしまいました。

いやあ~、もちろんこれは私のミスですね。ご本人に確認することなく、ついつい、書いてしまいました。早速、「削除」の手続きを取りました。

でも、書いたのは、半年以上昔の話です。今更という気がしないではないのですが、今は「検索」という便利なツールがあるので、いつでも、どこでも、どんなときにでも、見つけることができます。こうして書いていても、全世界の不特定多数の人に発信しているという意識を欠いていたことは確かでした。今後、気をつけなければいけませんね。こちらが良かれと思って書いていても、知らず知らずのうちに、善意の加害者になってしまいます。

今後も、権威者や勘違いしている脳天気な人には、歯向かいますが、普通の一般の人を貶めることはこのブログの目的ではありません。これだけは強調しておきたいと思います。

無料で出版できる?!

ヴェローナ

すごいことを聞きました。

日頃から私のブログにわざわざアクセスしてくださる皆さんにだけ、そっとお教えします。

な、な、な、何と、タダで、自分の本が出版できるのです。「ありえない」と思われるでしょうが、本当です。いや、正確には、のようです。私自身まだ試していないからです。そのコンセプトは、ヤフーやグーグルなどのフリーメールのようなものです。何かで、広告費を得ているようです。自分で価格を決めて、販売もできます。これらは、すべて、インターネット上で行われます。ですから、在庫品を収納する倉庫もいりません。

最近、自費出版の会社が、言葉巧みに勧誘して、膨大な製作費を吹っかける話を聞いたことがあります。依頼者も、結局、売れない本の束を抱えて、右往左往してしまうのです。

確かに市販の本のように、装丁はしっかりしていませんが、私もいつか挑戦してみたいと思います。皆さんの中で、既に、試された方はコメントくださいね。

この便利なホームページは、「My Bookle(マイブックル)」と言います。

アドレスは、http://www.mybookle.com/browse/main  です。

 

地球温暖化の恐ろしさ

「環境省のチームマイナス6%」などのリポートから

・桜の開花は、1980年代は、三月三十日前後だったが、地球温暖化の影響で、2000年以降は、三月二十二日前後と早くなった。だから、四月の入学式の頃は、既に花は散って、葉桜になっている。

・同じように秋の紅葉も、半月遅れ、秋刀魚の旬も遅くなって、秋の魚が冬の魚になりつつある。これから、さんまは「冬刀魚」と書くようになるのかもしれない?

・暖冬で、東京では、ここ50年間で、冬日(気温が0度以下)が9割も減少した。つまり、東京ではかつて、0度以下の日が1年に平均30日あったが、今では3日しかない。

2040年には、北極、南極の氷が解けてしまうのではないかという予測もあります。そういえば、最近、白熊が絶滅危惧種に登録されたそうです。氷が少なくなって、途中で休憩する所がなくなり、溺れてしまうという、嘘のような話です。

「昆虫力」

また、ラジオの聞き書きです。

「昆虫力」(小学館)などの著書がある赤池学さん(1958年、東京都大田区生まれ)のお話です。

昆虫といえば、どうしても軽くみられがちですが、人間なんかより、遥かに大先輩で、意外と知られていない高度の「技術」を持っているのです。人類の歴史が、500万年、せめて1000万年まで遡ることができるとしても、昆虫は、何と3億年の歴史があるのです。しかも、何度かの大氷河期など気象の天変地異を経験してきて、そのまま生き残ってきた種もあるそうです。地球の全生物の実に75%が昆虫で占められているそうです。その数は200万種。まだまだ未解明な部分が多く、1000万種はあるとも言われています。

昆虫の研究がまだ発展途上なのは、昆虫の多くは、アジアに多く棲んでいるためです。欧米では、その種類が意外と少ないのです。日本では、「ファーブル昆虫記」は有名で、知らない日本人はいないほどですが、本国フランスでは、ほとんど知られていないそうです。ヨーロッパ人は、日本人ほど虫とともに生きてこなかったということでしょう。日本人なら、夏に昆虫採集したり、秋には、キリギリスやコオロギの声を聞いたりして、昆虫と身近に生きてきました。

最近の研究では、昆虫の驚くべき「力」が発見されつつあります。例えば、あの蛆虫は、大変不衛生の所にいても、病気に罹らない。なぜだろう、と調べてみると、自ら「抗菌性のたんぱく質」を生み出していることがわかりました。この抗菌性たんぱく質を何かに利用できないか、現在、研究中です。

また、蚕には、休眠細胞があり、この細胞をガン細胞に移植したら、がん細胞の繁殖を抑えられるのではないかという研究も、岩手大学で進んでいるそうです。これまで、やたらと、抗生物質を投入して、健康な細胞まで、「破壊」していたのですが、この研究が成功すれば、ノーベル賞ものではないでしょうか。