ブログの掟

読売新聞に「ブログの掟」のようなことが書いてありました。

見ず知らずの人が閲覧しているので、あまりプライバシーのことは書かない。他人を誹謗中傷しない。引用は最小限に留めて出典先を明確にする…。

要するに、著作権侵害や名誉毀損で訴えられるから気をつけるように、ということでした。

「ひえー」っていう感じですね。私はなるべく他人の悪口は書かないようにしていますが、ちょっと正直に書きすぎるところがありました。以前、X氏の人事的な話を書いたら、「まだ周知されていないので、伏せてください」と怒られてしまったこともあります。…気をつけます。

でも、すべて真実を書いているわけではないですよー、と一応読者の皆さんに煙を巻いておきます。そうでないと何も書けなくなってしまうからです。

昨晩は、N氏と銀座7丁目の「日本海庄や」で痛飲。会社のこと、組織のこと、いろんな話を聞きましたが、ここにはやっぱり書けませんね。N氏なんて、イニシャルにするぐらいですから。

昨晩は酔っ払って、ブログを更新できなかったのに、なんと「113」件もアクセスがありました。私のブログが始まって以来の新記録です。最近のアクセスは一日平均「45」件ぐらいなので、どうなってしまったのかと思いました。

恐らく見ず知らずの人がアクセスされているのでしょうね。

たぶん、そんな人は物足りないと思います。私のブログには「毒」がありませんから。ヤバイ薬の情報も、手っ取り早い金儲けの方法も、かわいい女の子やカッコいい男の子の紹介も何も書いていませんからね。

まあ、そんな物足りないと思われた方には、せっかくアクセスして戴いたので、プレゼントとして、偶々見つけた面白いブログをご紹介します。いわゆる怪文書が沢山載っています。ご興味のある方はクリックを。
http://blog.livedoor.jp/shojitujino/archives/cat_10005879.html

眼科医体験記

昨日は、北浦和にある坂井眼科に行ってきました。もう6、7年前からH症のため、定期検診のため、年に1回は眼科医に行かなければなりません。それが、一日がかりになってしまうのです。いかに、世の中に、眼の病気を持った人が多いことか、思い知らされます。結局5時間待たされました。人口の少ない帯広では、せめて30分で済んだんですけどね。

H症の定期検診は、やったことがない人にとっては、その辛さは分からないでしょう。瞳孔が開く目薬をさされ、視界はぼわーとして、5時間くらい経たないと普通の視力を回復しません。

検診では、目にレンズをはめられ、超まぶしい光線を当てられて上下左右あらゆる方向をチェックされます。まず、これで、もう失明状態です。

終わって、やれやれと思っても、外に出るとまぶしくて目があけていられません。盲目同然です。手探りしながら、いざり足で帰っていきます。

本当に目は大切ですよ。パソコンなんてやっていると目が悪くなりますよ。テレビもそう。読書もそう。

じゃあ、何をしろってか?でしょうが、覚悟するしかないでしょうね。

私の場合は、H症になったとき、「最悪、失明しますよ」と言われ、気の小さい私は不定愁訴に襲われ、結局、心療内科に駆け込むほどでしたからね。

今でこそ「年中行事」となって、大分開き直ることができますが、当初は相当落ち込んだものです。

でも、検診は嫌で嫌でたまりません。これでも、本当に色んな眼科に行きました。御茶ノ水の井上眼科と順天堂医院、浦和の中島眼科、滝本眼科、帯広のしのはら眼科…。結局、坂井眼科に落ち着いたのは、非常に腕のいい落ち着いた美人の女医さんがいるからでした。本当に素晴らしい先生です。

ここはお奨めです。でも、どこも5~6時間は平気で待たされますよ。

あまり待ちたくない人には、やっぱり、帯広のしのはら眼科か原田眼科がいいかもしれません。ここの先生は、帯広の長者番付で1位と2位を分け合っていました。

秋葉原

久しぶりに秋葉原に行ってきました。やっぱり3年ぶりですかね。すっかり、全く変わってしまいました。東口にはつくばエキスプレスなるものが開通し、どでかいヨドバシカメラが睥睨していました。昔は何だったのかさっぱり覚えていません。操作場だったのか、何か他の古い建物だったのか、どちらかだったでしょうが、昔の面影は全くありません。ヨドバシカメラに足を踏み入れたのですが、特に買うものがなかったので、その商品の多さに圧倒されて眩暈がしてすぐ出てきてしまいました。

それに外人が異様に多かったです。緑光したセネガル人、ブルカを被ったアフガニスタン人、商売人風のイラン人、顔は東洋系なのにネイティブにロシア語をしゃべる人、台湾人、韓国人、コートジボワール人、クロアチア人、あ、オーストラリア人もいましたね。

なぜ、秋葉原に行ったのかといいますと、月刊ギャラリーの本多隆彦編集長と会うためでした。場所は「赤津加」。この居酒屋を知っている人はかなりの通です。電気街のど真ん中にある仕舞屋風の店です。シマアジの刺身950円が美味しかった。

月刊ギャラリーは、6月下旬から7月初旬にかけて「第一回日中友好絵手紙コンクール」を開催するということで、その審査を頼まれたのです。私は、顔の左半分が歌舞伎の女形、右半分が京劇をあしらって「中日友好」をアピールした作品を最優秀賞に選ぶことにしました。

本多編集長は2年前にわざわざ帯広にまで遊びに来てくれた人です。その洞察力の鋭さにはいつも驚かされます。昨晩もはっきり言われてしまいました。

「君は目の前の幸せを捨てて、10年後の心配ばかりしている」

あまりにも図星だったので、20年ぶりにタバコを吸ってしまいました。

生命保険やめました

生命保険やめてしまいました。

月額約2万円支払っていたのですが、契約15年経って、同じ保証なら、急に2・5倍の「値上げ」を突きつけてきたからです。月5万円も払えますか?

生命保険も博打みたいなものです。死ねば儲けものなのですが、身も蓋もない言い方ですが、契約期間に死ななければ無駄です。

受取人もどうせ敵さんですからね。

これまでジレッタントだったので、全く、お金のことを考えたことはありませんでした。どこかサモシイと思っていたのです。だから、自分がいくら厚生年金や市税や固定資産税などを払っているのかと聞かれればすぐ答えられません。

ある人から「馬鹿なお坊ちゃん」と言われてしまいました。

その通りでしょう。

でも、これからの人はどうやっていきていけばいいのでしょうかね。もう国は頼れません。年金は破綻して、貧乏人は麦を食え、どころか、早く死ねという時代になるでしょう。

真面目にコツコツ働いていてもたかが知れています。子供なんて全く頼りになりません。

かといって、世の中、うまい話があるわけありません。

ネットサーフィンしていたら、「メールアドレスを登録してくれれば、一万円をプレゼント」なんてありました。思わず、登録しようかと思いましたが、「そんなうまい話、あるわけない!」と冷静になることができました。危ないところでした。

これまで一攫千金を狙って、宝くじを買っていましたが、もうやめました。

何しろ、1等が当たる宝くじは1000万本に1本の確率。

「宝くじは無知な人間に課せられた第二の税金」という格言には、妙に納得してしまいました。銀座で宝くじ売り場の前で長蛇の列を作っている人を見て、彼らが哀れに見えてきました。

それでは、競馬?

競馬も最初から手数料として25%も控除されているのです。要するに極めて割りの悪いギャンブルなのです。

それでは、どうしたらいいか。

私はあることをすることにしました。

もちろん、この先はブログに書けません。たぶん、そのあることのために相当時間を取られることでしょうね。

それでは皆さんのご健闘をお祈りします。

 

 

W杯サッカー日本は予選突破します

銀座・歌舞伎座

ついにサッカー・ワールドカップのドイツ大会が開幕しましね。皆さんと同じ、私もドキドキしています。最大の関心は、果たして日本は予選リーグを突破することができるかーだと思います。

そこで、元、と言っても25年前のサッカー記者として、予想します。

とはいっても、全くの勘です。チーム力を分析したわけではありません。たとえ、分析しても同じだと思います。

「未来は誰も予測できない」からです。

まあ、その、誰も未来を予測できない典型みたいなことをするわけです。当たったら、むしろ、怖いくらいですので、当てるつもりはありません。単なる「おふざけ」としてお付き合いください。

6月12日  △日本 2-2 オーストラリア 得点者:高原、大黒

6月18日  ○日本 2-1 クロアチア   得点者:柳沢、中村PKかFK

6月23日  ●日本 1-4 ブラジル    得点者:高原

この成績で、日本が1次リーグを突破する最低条件は、クロアチアとオーストラリアが引き分け、ともにブラジルに負けることです。

全くの当てずっぽうですが、可能性はあると思います。

不思議な体験6

6月2日以来の「不思議な体験」の続きです。

室岡さんの返信メールのことでした。そこには次のようなことが書かれていました。

「私のやってきたことが、西洋医学、あるいはそれに類する学問の分野によって否定されてきたことは百も承知です。否定材料を探すことはまったく楽なことです。だから、そういうことはそちらにお任せして結構です。しかし、事実は小説よりも奇なりです!百も承知でありながら、臨床的に実際に効果があることに目を奪われてきました。自分なりに勘を頼りにやっているのですが、勘がいけない、というのでは恐らく何の発展も危機の回避もできなくなるのではないでしょうか?どんな発明も発見も、結構、偶然とか勘とかがきっかけのようです。私は『感じる』ことを大切にしたいのです。もしそれがプラセボ効果だとしても、それだって素晴らしいことじゃないですか。もともと私のやっていることは常識を打破して新しい分野をみつけようということですから、否定やご批判はまったく自由であります」

つまり、室岡さんは、「否定と批判」は覚悟で邁進していたのです。

世の中には、科学では証明できないことが沢山あります。

私は室岡さんに大胆にも「あなたのやっていることは、学会では全く認められていませんし、出鱈目だと言われてますよ」と挑戦状をたたきつけたのです。

これに対して、彼が、曖昧なことを言って逃げ隠れしたりたら、正直、もう彼のことを信じるのはやめようと思っていたのです。

「自分のやっていることは正しいと思ってやっている」でもいいし、「ビジネスのためにやっている」でも何でも良かったのです。真っ正直に答えてくれれば、それでよかったのです。

返ってきた答えは、私が想像した以上に実に誠実でした。少なくとも私にはそう感じました。ですから、彼から受けた不思議な体験を書こうと思います。

その話は次回で。

つづく

山崎朋子さん

かんの温泉

今晩は、ノンフィクション作家の山崎朋子さんと銀座でお会いしました。山崎さんから先週「お渡ししたいものがあるのですが…」という電話を受け、ジョンとヨーコが雲隠れした例の喫茶店「樹の花」で待ち合わせしたのです。

「お渡ししたいもの」とは何だと思いますか?

秘密にしたいので、コメントを戴いた方にだけお教えしましょう。

山崎さんとは、本当に色んな話をしました。座を代えてすぐ近くの穴場の居酒屋「中ぜん」で4時間くらい粘ってしまいました。山崎さんはお酒は召し上がらない人なのに、私が一人でパカパカ飲んでいるものですから、ほんの少しだけ付き合ってくださいました。

山崎さんはもちろん、パソコンもしませんし、携帯も持っていません。ブログも知らないかもしれません。だから、好き勝手に書こうと思えば書けるのですが、そこまでしようとは思いません。

三国連太郎さんのこと、田中絹代さんのこと、栗原小巻さんのこと等色々お伺いしましたが、書けないこともたくさんあります。

書けることは、今度、山崎さんの代表作の「サンダカン八番娼館」が、カンボジア語に翻訳される話があるが、今許諾しようか、しまいか迷っているという話です。

山崎さんは、本当に好奇心の塊みたいな人です。これだけ有名な方ですから、皆さんも簡単に彼女の実年齢を調べることができるでしょうが、まだまだ少女のあどけなさが残る純真な人です。これだけ、世間に揉まれながら純真さを失わないのは人類史上稀有なことだと思います。

何か奥歯にモノが挟まったようなモノ言いで恐縮ですが、彼女は作家でありながら、ゼネラルプロデューサー、つまり仕掛け人でもあるのですが、その自覚がほとんどありません。行き当たりバッタリ、という言い方は失礼なのですが、ぶつかった対象相手にトコトンぶつかって、それが、文学作品になろうがなるまいが関係ない。ですから、メモも取らず、テープにも録音しないそうです。全く作為がないのです。

「私の名前は朋子ですから、一度、お友達になった方は、相手が嫌で離れるまでずっとお付き合いします」

なかなかの人です。

彼女に興味を持った方は、彼女の「サンダカンまでー私の生きた道」(朝日新聞社)

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022576782/503-8476322-6834359?v=glance&n=465392

をご参照ください。

奇妙な一致

北海道鹿追町

 

先週の土曜日、ある会合に参加しようと思い、駅に行ったところ、電車が動いていませんでした。人身事故でした。40分ほど待っていましたが、「運転再開の目途もたっていない」というので、どうしたらいいか途方に暮れてしまいました。どうしても参加したかった会合でしたが、結局、諦めることにしました。遅刻しても、講師の話が終わってしまっているからです。

 

翌日の新聞で、19歳の予備校生の飛び込みだったことが分かりましたが、私は、諦めてよかったと自分自身、納得させました。「行かなくていい」というメッセージだと思い込むことにしました。

 

というのも、最近、何やら天からのメッセージのような奇妙な一致を感じる場面が相次いでいるのです。

 

このブログに関連しています。

 

例えば、5月19日に、五日市剛さんのことを書きました。すると、翌日、私が紹介した全く同じ本が新聞の広告欄に載っていたのです。

 

6月3日に「ナイロビの蜂」を書いた翌日、主演女優のレイチェル・ワイズが男児を出産した、というニュースを目にしました。

 

6月4日に「星の王子さま」のことを書きました。すると、今日の夕刊に、「星の王子さま」のことが出ていて、昨年、多くの出版社から翻訳本が出たのは、岩波書店の独占翻訳契約が昨年で切れたため、と書いてありました。(私の推理ははずれた)。そして、日本で初めて翻訳した内藤さんは、当時、70歳だったということも書いてありました。

 

さて、「天からのメッセージ」のことで、決定的なことを書きます。

 

昨日、映画「ダ・ヴィンチ・コード」を見て、プログラムも買ってきました。そのプログラムを何気なく見ていたら、解剖学者の養老猛司氏の論文(毎日新聞からの孫引き)が載っていました。そこには、こう書いていました。換骨奪胎します。

 

「ダ・ヴィンチが500年前に手稿に書いていたことは、とことん変わらない当たり前のこと、つまり普遍性に目を向けていた。一般の人が日々、ローカルで特殊なことばかりに関わっていた中、彼は何百年という尺度でモノを考えていた」

 

私は、これを天からのメッセージと受け取ったわけです。

 

「星の王子さま」で触れましたが、サン=テクジュペリの言う「心でしかモノが見えない。大切なモノは目で見えない」という言葉の真意が、実はよく分からなかったのですが、この養老さんの言葉でハッと分かったのです。

 

つまり、私なりに、解釈するとこうなるのです。

 

「目先のことばかりを追っていると、大切なことを見失ってしまう。想像力を使わなければ、物事の本質はつかめない」

 

ダ・ヴインチの作品が、なぜ、500年も経っても人々を魅了し続けているのでしょうか?

 

それは、彼は同時代の、同世代のつまらない生活やら出世やらの悩みを超越して、100年先、500年先の世界を見越して仕事していたからに他なりません。

 

実は、私自身、東京に戻ってから、どうしようもないくらい、目先の事に追いまくれて八方塞がり状態でした。自分で「見えない壁」を作って悶々としていました。本当に大切なことを見失っていました。

 

そこで、自分で見えない壁を作れるのなら、「見えない橋」も作れるはずだ。サイモン&ガーファンクルのような「明日に架ける橋」を想像力で作れるはずだ、とハタと気づいたのです。

 

この感覚は私を開放してくれました。

 

立派な仕事を残した人は時間を超越しています。イエスは2000年経っても、滅びません。孔子も老子も釈迦もムハンマドも然りです。

 

これまで生きてきた人類の何十億、何千億人の人々が、日々の生活に追われ、組織内の争いに汲々し、町内会の付き合いに翻弄されてきたことでしょう。その中のホンの一握りの天才が、何百年という尺度で、仕事をしてきたのです。

 

今、話題の村上世彰氏は46歳で引退宣言しました。「一発どでかいことをしてやる」と宣言して、灘高ー東大法学部ー通産省という絵に描いたようなエリートコースに進み、最後は証取法違反と暴力団紛いの恐喝で何百億円という自己資産を残し、シンガポールにプール付きの11億円のマンションを買い、渋谷に13億円の豪邸を建てるから本人は大満足でしょうが、後世の人は何と言うでしょうかね。

 

いや、その前に同時代人として言わせてもらいたい。

 

村上君、君は時代のヒーローなんかじゃない。実に頭のいいさもしい人間だ。

 

とかくこの世は

子供が両親を殺して、自分も自殺する事件が千葉県習志野市でありましたね。広島県や秋田県では子供が殺される事件が相次ぎました。こういうことをあまり取り上げたくないのですが、随分殺伐な世の中になってきました。

一方では、自殺者が8年連続3万人を突破しているという異常事態が続いているのに、他人事として、あまりにも無関心が蔓延っています。

せめてもの救いはサラリーマン川柳です。

銀座でわずか千円の床屋を見つけました。洗髪も髭剃りもなく、カットのみ。約10分間。これが結構流行っているらしく、すでに川柳になっているそうです。

散髪代 犬が1万 俺千円

同じような川柳が以下の通り。

お昼時 妻はセレブで 俺セルフ

説明はいりませんね。

米原万理さん

ロシア語の通訳で作家の米原万理さんが5月25日に卵巣がんで亡くなられました。ご冥福をお祈り申し上げます。

米原さんとは、もう10年ぐらい前に一度だけ会ったことがあります。もう名前は忘れてしまいましたが、ロシア人のピアニストのインタビューの際に通訳として立ち会ってくれたのです。

当時の米原さんは「不実な美女か貞淑な醜女か」で読売文学賞を受賞するなど、作家として有名で、バリバリと作品を発表していたので、その時、「まだ、通訳の仕事をしていたのか」と意外な感想を持ったことを覚えています。一言で言って、大変頭の切れる人でした。同時通訳をこなすので当たり前でしょうが、ピアニストとはまるで通訳なしで互いにしゃべっている感じでした。米原さんはほとんどメモも取らず、右から左へポンポンといった感じだったので、「只者ではない」という印象でした。

よく知られているように、父親の昶(いたる)氏が、共産党の代議士を務めた人で、その関係で、彼女は少女時代にプラハのソビエト学校で学んでいるので、根っからのバイリンガリストだったのです。

でも、通訳と同時に文才にも恵まれている人はそう多くありません。本当に惜しい才能を天が召してしまったものです。

インタビューが終わって、自分が彼女と同じ大学の後輩であることなどを話し、何人かの共通の知っている人を挙げて、あの人はどうした、こうしたといった噂話をした覚えがあります。その時の印象は全く偉ぶったところがなく、天真爛漫で、まるで少女のようでした。

2,3年前、すっかり痩せてしまった彼女が、テレビで闘病の話をしていましたが、こんなに早く亡くなるとは思いませんでした。まだ56歳。もう少し活躍してほしかったので本当に残念です。