郵政民営化反対

東京近辺に住んでいた頃、田舎のことは全く眼中にありませんでした。
経済効率と便利さばかりを追求して、どん臭いことは大嫌いでした。

自然界はリヴァイアサン。弱肉強食だから、弱者は幕の外に退場しても致し方ないと信じていました。

しかし、今、こうして、年を重ねて、郊外どころか、過疎に近い田舎町に暮らしていると、自分の若い頃の浅薄さをすべて否定したい気持ちで一杯になるのです。

ということで、私は郵政事業に経済効率を持ち込むべきではないと考えています。
確かに、郵便貯金240兆円と簡易保険の120兆円は、喉から手が出るほど魅力的でしょう。
新生銀行のように、外国のファンドに安く譲ってあげたければ、時の権力者は正直に言うべきです。

しかし、利用者がほとんどいない離島や僻地などの採算が合わない郵便局は、民営化されれば、経済原理が働き、必ずつぶれます。

中部地方の片田舎に住む私の友人は、身体が不自由であるにも関わらず、歩いて30分以上掛かる郵便局に頼らざるを得ないので「実に身近な問題」と嘆いております。

かの「勝ち組」のIT長者は、「コンビニを利用すればいい」と放言されておられましたが、逆に言えば、コンビニも建たないような経済効率の悪い僻地に人間は住むな、ということなのでしょうか。

彼らにキリストの言葉を贈りたい。
「神よ、お許しください。彼らは自分が何をしているのかわからないのです」

念の力

彼は悩んでいました。
「もしかしたら、アイツを殺したのは、この自分ではないのか…」と。

詳しく話を聞くと、もちろん、実際に彼が殺人を犯したわけではありません。
ただ、彼はその男を非常に憎悪し、何度も殺してやりたい、と心の中で叫んだことがあり、自分自身を見失ってしまうことも再三再四あったそうです。

歴史上の人物で、敵の陰謀にはまったり、仲間に裏切られたりして、「憤死」したりする人がいますが、まさに、彼も憤死寸前でした。しかし、結局、会社の左遷を受け入れて、北国に赴任しました。その際、彼は、自分をこんな目に遭わせたアイツのことは絶対に許せない。だが、これ以上、アイツのことに関わることは馬鹿らしい。だから、今後一切、自分の履歴書の中からアイツを抹殺し、単に自分は運が悪かっただけ、と無理に納得させ、アイツのことは全く眼中に入れないどころか、頭の片隅にも登場しないように細心の注意を払うことにしたというのです。

つまり、黙殺することにしたのです。

すると、それから、一年ほどして、彼はアイツの訃報に接しました。脳梗塞で、朝方、冷たくなって発見されたそうです。

彼は一瞬、嫌な感じがしました。
もしかしたら、自分の怨念が通じてしまったのではないだろうか…。

私は、この話を聞いて、一笑に付そうとしました。しかし、彼の表情があまりにも真剣だったので、努めて冷静に振舞って、こう言いました。

「それは、君の思い過ごしじゃないか?現実的にはあり得ないよ。しかし、現代の科学では理解できない、解明できない不可思議な現象が起きることを否定するつもりはないよ。例えば、短期間で、何百億円も儲けて、球団や放送局を買収しようとしたり、国会議員に立候補したりする人間は、そういう金儲けの世界だけが、現実の世界だと思っているかもしれないが、そういう世界とは一線を画して、清く・貧しく・美しく生きている人も沢山いるはずだ。だから、君の悩みは十分、分かるよ」

私は、何か、呂律が回らない、訳の分からないことを口走ってしまいました。

彼は、半分、放心したように、半分、自嘲気味に、低くつぶやきました。
「そうじゃないんだよ。実はこれが、初めてじゃないんだよ。これまで、僕に悪さをしてきた奴らが、ことごとく死んでしまっているんだよ。彼で、もう四人目なんだよ。つまり、僕の悩みは、もしかしたら、『念が通じる』という、自分にはそういう力が生まれつき備わっているかもしれない、ということなんだ。もし、それが、事実なら、これから、もっと社会のために、人々に役に立つように使わなければならない、ということに今更ながら気がついたんだよ。つまり、ふと、したことでも、自分の考えたことが、現実化する、というか、実際に起こってしまうんだよ。大袈裟に言うと、もうこれ以上、犠牲者を増やしたくないんだよ。悪の連鎖というか、こちらが相手に対して良く思わないと、相手は、それを百万倍ぐらいにして返してくるからね。こっちもつい、念じてしまう。そうなると、いつまでも地球上に戦争がなくならないわけだ。もっと、ジョン・レノンのように愛と平和を提唱しなければいけないかもしれないね」

私は、彼の話を黙って聞くしかありませんでした。

すると、彼はこう付け加えました。
「ああ、そういえば、一つ、いい事があったよ。僕の昔からの人間で、生死を彷徨う病魔に襲われた友人がいるんだけど、一刻も早く治るようにと、念じてみたんだ。すると、どうだろう。彼は、今ではすっかり回復して、奇跡の生還を果たしたんだよ。やっぱり、念はいいことに使うものだね」

日テレビ系ドラマ「女王の教室」

最近、ほとんどテレビを見ませんが、日本テレビ系「女王の教室」が、話題のドラマになっていることぐらいは知っています。
天海祐希が扮する教師が、子供たちに「世間の常識」に目覚めさせて、極端なエリート教育を行うことから賛否両論の大合唱が巻き起こっているからです。

その中で、こんな台詞があるそうです。

「特権階級の人があなたたちに何を望んでいるか。今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。世の中の不公平なんかに気づかず、会社に入れば上司の言う事を聞いて、戦争が始まったら真っ先に危険なところ行ってくれればいいの」

今、アメリカは戦時体制の真っ只中ですが、一国の主は5週間の夏休み休暇を取るし、緊張感がないというか、無関心派も多いと聞きます。
現在、アメリカには徴兵制はなく、「危険なところ」へ行っているのは、自分以外の「愚か者」か最下層の人だからです。

奇妙な符号の一致を感じてしまいました。

STAND BY ME 

公開日時: 2005年8月21日

言わずと知れた1950年代のベン・E・キングの名曲。

このスタンド・バイ・ミーとはどういう意味なのでしょうか?

先日、ジョン・レノンのフィルムをBSで見ていたら「そばにいてくれ」という訳詞がテロップに流れていました。
何か、違和感を感じてしまいました。確か、stand byは「~の味方になってくれ」という意味じゃなかったっけ?

辞書でみると、確かに「側に立つ」という意味も載っていました。もちろん、「支持する」「肩を持つ」という意味も…。

そうか、この歌詞は、これらすべてのことを言いたかったのではないか!

「側に居てくれ」「僕を支えてくれ」「僕の気持ちも分かってくれ」
そんな意味を込めているのではないでしょうか。

これらがミックスされた意味を一瞬聞いて判断するのは日本人には無理です。
ネイティブでしかできません。

それなら、お返しに日本人しか「意味」が分からない歌詞を。

桜田淳子の歌う「真夏のヴィーナス」

去年のトマトは青くて硬かったわ
だけど、いかが?
もう今年は甘いでしょう。
たぶん、きっと、唇とろかすはずよ。
そんな言葉、突然言われたら、
あなたは、どうしますか?

徳川家康

「人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し、いそぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心にのぞみおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基。怒は敵と思え。勝つ事ばかり知って負くる事を知らざれば、害、その身に至る。己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり。」

徳川家康(1542-1616)江戸幕府の創始者。三河国岡崎城主松平広忠の子。1600年の関ヶ原役で石田三成らの西軍を破り、天下統一。03年、征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開く。05年、将軍職を秀忠に譲り、07年、駿府に移り、大御所と呼ばれる。死後、久能山に葬られたが、翌17年に日光山に改葬。東照大権現の号を勅諡される。

【釈義】あまりにも有名な徳川初代将軍の遺訓。慶長三年(一六〇三年)正月十五日の日付があるので、家康、御年六十一歳。三年前に天下分け目の関ヶ原の合戦で勝利を収め、この年の二月に征夷大将軍に任じられて江戸に幕府を開くことから、この頃は悠悠自適、余裕綽綽といったところか。それにしても何と素晴らしい人生訓なのだろう。正直の話、私は、若い頃は家康が大嫌いだった。権謀術数に長け、「狸親父」の異名通り、権力を獲得するためには手段を選ばぬ冷血漢の印象が強かったせいかもしれない。

しかし、家康は決して順風満帆の人生を送ったわけではなかった。時は戦国時代。幼少から、織田信秀、今川義元の人質となり、長じても連戦連勝どころか、何度も九死に一生を得た。関ヶ原の戦いでも、小早川秀秋らの内通がなければ勝てていたかどうか。後世の人間にとって、歴史上の人物は最初からその人の運命を与えられていたものと錯覚しがちだが、家康も五里霧中の中で神仏に縋りながら、必死で生き抜いてきたのだろう。それが、こういった金言となって自然と口から出てきたはずだ。

【結局】人間は、失敗からしか自らの教訓を引き出すことができない。他人の成功からは嫉妬を、自分の成功からは慢心と油断を学び取ることしかできないのだ。残念ながら、これは人間の性(さが)だ。

ひかりごけ     

知床旅行の時、羅臼町のマッカウス洞窟に立ち寄りました。

ここに、光る苔があるというのです。

ヒカリゴケ?

ああ、そういえば、武田泰淳(1912-76)に名作「ひかりごけ」があったなあ、と思いながら、痛い膝と腰をかがめながら緑色にボーと光る苔を眺めてみました。

そしたら、何と言うことでしょう。

この光る苔こそが武田泰淳のひかりごけだったのです。

「ひかりごけ」は1954年の作品。北海道大学の助教授を辞めて作家に専念した武田泰淳が満を持して発表したものでした。

知床沖で難破した船の船長が死んだ船員の肉を食べて生き延びた実話を元に創作したもので、もともと、羅臼町長を1995年まで3期12年務めた佐藤盛雄さん(76)が「羅臼郷土史」に書いたものでした。
佐藤さんは、1953年に武田泰淳の訪問を受けて会ったといいます。

「実際に武田さんと会ったのは10分程度でした。あの頃丁度、洞窟のヒカリゴケが話題になっていた。別な場所であった事件とヒカリゴケを結びつけた武田さんの文学的発想は、さすがと思った」という佐藤さん。(この項、北海道新聞による)

そのひかりごけ。
よく分かりにくいですが、とくとご覧あれ。

ナノバブルウオーターとは?

ヤマベや岩魚と鮪や鰯と共存できる?

最近、REO研究所の千葉金夫さんと産業技術総合研究所の高橋正好さんがナノテクノロジーを使って水を「ナノバブルウオーター」に換えることに成功したという記事を雑誌で読みました。

このナノバブルウオーターは、10年前から理論的に可能と言われていましたが、誰も成功していなかったのです。

この「水」があれば、海水魚も淡水魚も暮らしていけるそうです。それだけではなく、瀕死の状態だった魚をこの水の中に入れるとすっかり健康を回復したそうです。

今、人間にもこの水が応用できないか、研究されているそうです。

知らなかったですね。

地上では相変わらず、人間同士の醜い足の引っ張り合いをしていますが、何と清々しいニュースなのでしょうか。

コスモス

公開日時: 2005年8月17日 @ 20:14

散歩していたら、コスモスの花が満開でした。本州育ちの私としては驚きでした。
何しろまだ8月です。コスモスは「秋桜」と書くくらいですから、秋の花です。

でも、よく見ると面白いのです。隣の花壇では真紫色の紫陽花が満開なのです。

そのまた隣は、カンナ。その隣は真っ白いカサブランカ。
茲彼処に真っ赤なサルビアも、赤紫のサフィニアも咲いていました。

北海道は、本州の季節感は持ち込めないのです。

お盆を過ぎて、朝晩は大分涼しくなってきました。いや、寒いくらいです。
もうすぐ秋で、今日から小学校も2学期が始まりました。早いところでは、もうストーブをたいているでしょう。

咲ける時に咲いてしまえ、というのがこちらの花々のたたずまいなのでしょう。

ですから、この時期、花花花のオンパレードなのです。見飽きません。

タキシード

非常にトリヴィアなクイズ。

タキシードはどこから来た名前でしょうか?

繊維の種類?
人名?
様式?
国名?

答えは地名でした。

19世紀末。アメリカのニューヨーク州の郊外でパーティが開かれました。

そこは、ある煙草王と呼ばれたロリラード4世が催した夜会でした。

列席者は、通常の燕尾服の尾を切り落としたジャケットを着用してきたのです。

その場所は、かの煙草王が開発した別荘地帯でした。

名前が、タキシード・パーク。

ニューヨーク州オレンジ・カウンティにあります。

タキシードはその地名から取られ、瞬く間に世界中に広がりました。

煙草王が売り出したタバコは今でもあります。

それは「KENT」です!

今井雅之

 タモリの「笑っていいとも」の本日のゲストは俳優の今井雅之でした。
漫才師がタイムスリップし、太平洋戦争末期の神風特攻隊員になっていたという「THE WIND OF GOD」(舞台・映画)の作者であり監督、主演もした人らしく、会場に投げかけた「問題」も彼らしかったです。

 「戦後60年。さて、日本はどこを相手に戦争したか。知らない人はスイッチを押してください」

 ご存知の通り、会場に詰め掛けた百人のうち、その問いに当てはまる人だけがスイッチを押します。それがたった1人だったら、タモリの携帯ストラップをもらえる、というやつです。

今井雅之も、もちろん、「知らない人がいるわけがない。いても一人くらいだろう」ということでこの問題を出したわけです。

私も、二、三人かな、と思ったわけです。
「日本はアメリカと戦争したんだよ」と聞いて驚いた若者がいた、というのは、ちょっと話を大袈裟にしたブラックジョークだと思っていたからです。

知らない人は何人いたと思いますか?

何と13人でした。

この分だと、あと数年もすれば、半分の50人くらいが、「知らない」と言うことでしょう。
その頃、戦後○年でもなくなっているのかもしれませんが…。