安倍さんは退陣すべきだ

 京都・祇園「天周」(天麩羅)

 

昨日の参院選で、やはり、自民党は大敗しましたね。歴史的大惨敗と言っていいでしょう。改選前の64議席から37議席へと27議席も減らし、ついに参院第一党の座から滑り落ちました。与党も過半数も大きく割り込みました。参院議長のポストは民主党に譲らざるをえません。これは、1955年の自民党結党以来初めてだそうです。

 

それなのに、安倍晋三首相は、「続投」を表明し、党も承認したことから、総理総裁の権力の座にしがみつくようです。「参院選挙は政権選択選挙ではない」という論法を駆使して居直るつもりです。ところが、今回の選挙で国民が安倍政権に「ノー」の判断を下したのです。これでは、民意を反映していません。

 

私のような人間が何を言おうが、犬の遠吠え、暖簾に腕押し、蟷螂の斧なので大勢に全く影響がないのですが、これでは、民主主義国家ではないと思います。

 

大人が責任を取らない様子を見て、子供たちはどう思うでしょうか?

 

安倍さんは武士ではないので、腹を切れとは言いませんが、敗れたのに恋々と権力にしがみつく様は誠に見苦しいですね。まだ若いのですから、今回は一旦辞任して、今後の起死回生を期して、再チャレンジすればいいのではないでしょうか。あなたは、まだ一度も国政選挙で国民の信任を得たわけではなく、前任者のおこぼれをもらっているだけなのですから。

あーこんなことを書いても、全くの犬の遠吠えですね。

悪相選挙

  京都・菅原道真公生誕地

 

明日はいよいよ、参院選の投開票ですね。期日前投票も1千万近いのでは、という予想もあるので、今回ほど注目されている選挙も近年、稀に見るかもしれません。

 

私は、政治学者でも評論家でもないので、単なる当てずっぽなのですが、大方の世論調査が示す通り、自民党は惨敗するでしょうね。まさか、選挙区で30議席を切ることはないでしょうが、30台前半かもしれません。私も自民党に入れるつもりはありませんが、かと言って、是非入れたいという政党もない、典型的な無党派です。が、旗幟鮮明にすると、宗教団体には入れるつもりもありません。

 

民主党も、今の代表は、最も自民党の象徴的な人がなっているし、党員も労働委員会幹部出身者からバリバリの右翼まで、自民党以上にバラバラです。本当に政権を担当できるか疑問符を持ちますが、あまり文句ばかり言っていると、誰もいなくなってしまうでしょう。

 

この時期になると、やたらと政治家候補さんがマスコミに登場します。新聞にも、顔写真と名前の広告を出していますが、いったいいくら掛かるのでしょうかね。選挙にお金がかかるはずです。金持ちしか立候補できないはずです。そういえば、選挙権もないのに立候補したテレ朝元アナウンサーは、当然、落選するでしょうね。300万円の供託金は自腹を切っているのでしょうか。自民党が担ぎ上げたので、自民党が払うのでしょうか。政治の世界には秘密が多すぎるので、庶民には考えが及びつかないことばかりです。

 

それにしても、何と悪相が多いことか(失礼)!

ロバート・ジョセフという人

 帯広動物園

 

アメリカ人のロバート・ジョセフという人が「原爆の使用が終戦をもたらし、連合国側の万単位の人命だけでなく、文字通り、何百万人もの日本人の命を救ったという点では、ほとんどの歴史家の見解は一致する」と発言しました。2007年7月3日、ワシントンでの公式の記者会見の場なので、伊達や酔狂ではなく、信念として発言されたのでしょう。

 

まず、事の重大性は、日本で、久間防衛大臣が「原爆投下はしょうがない」と発言して辞職に追い込まれたちょうどその時期に、アメリカでまるで援護射撃のように発言したことです。

ジョセフさんという人は1949年、ノースダコダ州ウィリストン生まれ。米政府核不拡散問題特使で、ブッシュ政権内ではボルトン前国連大使に連なるネオコンの一人だそうです。イラク戦争を推進した強硬派です。そういう思想の持ち主が政権の中枢にいるとはいえ、アメリカ人の一部(いやほとんどかもしれません)の意見を反映していることは、日本人として注目しなければいけないと思っています。

「ほとんどの歴史家の見解が一致する”most historians would agree” 」歴史家とは、どういう人を指すのでしょうか。政治家に都合のいいような御用学者を侍らしているだけではないかと勘ぐりたくなります。

何と言っても「何百万人もの日本人の命を救った the atomic bombings ended a war that would have cost millions more lives.」というのはどういう意味なのでしょうか?原爆を落とさなければ、連合国側はさらに何百万人の日本人を殺戮していたということなのでしょうか。広島、長崎の原爆で殺された人は20万人と言われています。そのほとんどの人は、非戦闘員であり、無辜の民です。簡単に何百万なんという数字を出さないでほしいですね。人間の顔を被った鬼ですよ、そんなことを言うのは。

常識について

 上士幌町

 

1969年夏、甲子園球場での高校野球決勝戦。延長18回引き分けで、翌日も投げぬいた三沢高校(青森)のエース太田幸司さんは、当時は「マッサージも酸素カプセルもない。肩は冷やすな、水は飲むな。今は正反対」だったと告白しています。

 

当時は、漫画「巨人の星」が全盛期。私もよく覚えています。とにかく、スポーツしている間、決して水は飲むなという指導でした。肩も冷やしてはいけない。まさしく、今のスポーツ指導法とは正反対です。今のスポーツ選手は、野球でもサッカーでもマラソンでも、選手が途中でガブガブと水を飲むシーンが大写しにされます。投手も投げ終わると、分厚いアイシングの姿です。

 

「水は飲むな」にしても、当時は当時で、それが、常識として正しいやり方として、蔓延していたわけです。しかし、現在では、否定されて、百八十度、逆のやり方が「常識」として通用しているわけです。

 

「物の見方」というのも、そんなもんじゃないかと思います。誤解を恐れずに言えば、今の靖国問題も、従軍慰安婦問題も、さまざまな政治的な歴史問題も、今だから常識として言えるのであって、また、時代が変われば、百八十度違った常識が蔓延するのではないかという危惧を持っています。

 

物事の見方は多面的であって、ある時代は常識であっても、別の時代は非常識になることは大いにありえるわけです。

 

ですから、テレビのような大衆的なメディアに顔を出して、堂々と「自分」の意見を公言している人たちの勇気には大変恐れ多く感じてしまいます。「自信家なんだなあ」と思ってしまいます。

 

私なんか、いつも迷って、思考もコロコロ変わります。それに天邪鬼です。今日、アメリカの下院外交委員会で決議された従軍慰安婦問題も、「確かに悪徳非業で、当事者の中国や韓国に言われるのは分かるが、原爆を投下し、東京、大阪など全国の諸都市の無辜の市民を無差別空爆して殺戮した国の人間に言われたくないなあ」と、つい右翼的言動を振りかざしたくなります。

 

この決議案を提出したホンダ議員という人も名前から分かるとおり、日系の人ですが、華僑から多額の政治献金を得ているという話です。何か、裏があるような気がしてしょうがありません。

 

とはいえ、私はあくまでも、従軍慰安婦は当時の軍当局が直接関与していた申し開きのできない所業だったというスタンスです。捏造だったという説は否定します。

やくざと日本民族と靖国史観 


今、何冊か並行して本を読んでいます。

溝口敦著「カネと暴力と五代目山口組」(竹書房)は読了しました。でも、内容については、インターネットを通して、世界中に配信できるかなあ、といったものです。ネガティブな意味ではなく、大変勉強になりましたので、ご興味がある方は読んでくださいという言い方しかできません。雑誌に連載された記事の寄せ集めで、さすがに、論旨の重複や不統一が見られ、いかんせん、情報が古びてしまったものもあります。それでも、総会屋関係の人脈組織関係は、非常に参考になりました。
五代目渡辺会長が、宅見若頭の傀儡政権で、そのために、反発した中野会が、宅見若頭を暗殺したという説には大変説得力がありました。

加藤周一氏の「日本文化における時間と空間」(岩波書店)は、途中で挫折しそうです。「羊の歌」「日本文学史序説」など、加藤氏の著作は、まあまあ読んでいるとは思いますが、この本は異様に難しい。硬くなったコッペパンのように、なかなか咀嚼できません。何となく、まだ途中ですが、分かったのは、日本人は「今」「ここ」を重視する民族で、ユダヤ欧米人のように、時間的概念としての「初め」も「終わり」もその概念がない。歴史観がまるで違う、といったものです。だから、日本人はすぐ「水に流す」とかいう言い方ができるというのです。

イスラエルという国家がパレスチナに存在するのは、何千年も昔にあったという時間の延長の概念に意義と存在証明があります。

日本という国家は、歴史上、蒙古とアメリカと露西亜にしか「侵略」された経験がないので、簡単に過去のことを水に流すことができるのでしょう。

いやあ、これ以上書くと、炎上してしまうので止めておきます。

もう1冊は、小島敦著「靖国史観」(ちくま新書)です。これも、なかなかエグイ本です。著者は、最高学府で、いわば国民の税金で最高の教育を受けた母校の助教授(正確には准教授ですか)になったというのに、庶民を上から見下ろして、学問のない人間に対しては徹底的に誹謗して、人を喰ったような言い方をするのが、鼻につきますが、概ね論旨は痛快で、もやもやしていた視界が晴れるようで、爽快感があります。

著者は、司馬遼太郎をはじめ、明治維新を全面的に肯定する歴史観は中立的ではない、と批判し、そのために「国体の本義」や「国体明徴運動」などについて詳細し、歴史的に分析しているのです。

国体というのは、国民体育大会の略称ではないのだよ、お馬鹿さん。と著者は露骨に書いていますが、それは、おいといて、国体という言葉と定義を発明したのは中国人ではなく、日本人だったということを初めて、本書を通じて、お馬鹿さんの私は知りました。水戸藩の正志斎こと会沢安(あいざわ・やすし)です。

この国体の護持ということが、以前書いたポツダム宣言受諾の折に問題になり、その前に、美濃部達吉の「天皇機関説」問題などがあったり、様々な政治問題のキーワードになるわけです。もちろん、今でも続く「靖国問題」もそうです。

正直に書けば、実に面白い本です。真の歴史家を自認している著者の論理には説得力があります。「反司馬遼史観」に立つことにした私にとっても、力強い味方になってくれそうです。

この本については、また、読了後、書くつもりです。

安倍政権に反対宣言

 帯広

 

今日はちょっと、微妙な政治的な問題を考えます。

 

月刊「現代」7月号で、立花隆氏が「私の護憲論」を発表しています。東京新聞の「大波小波」でも取り上げられていたので、是非読まなければならないと思っていました。

最近、盛んに安倍首相が「戦後レジームからの脱却」を口を酸っぱくして発言していますが、立花氏はそのアンチテーゼとして論考を進めています。副題が「戦後レジーム否定論への徹底抗戦宣言」となっています。この論文は次号にも続きますが、今回の論点、つまり立花氏が一番言いたかったことは、以下のことだと思います。(換骨奪胎しています)

 

「政治とは、一国の社会が全体として持つ経済的、資源的、人的リソース(資源)をどう配分していくかを決定するプロセスのことである。戦前の日本は、全予算の半分が軍事的リソースに投入されていった。しかし、戦後はその軍の崩壊によって、リソースはすべて民生に注入することができるようになった。アメリカは、軍産複合なくして発展してこなかった。しかし、日本は軍産複合体を存在させずに経済発展を遂げたという意味で日本の成長モデルは世界に誇れるのではないか。それは、『戦争放棄』の憲法第9条の戦後レジームがあったからこそ可能なのだ」

 

立花氏は、この論考を進めるにあたって、日本国憲法の成立の過程を検証します。GHQにより「押し付けられた」というのが定説になっていますが、それでも、日本人の手によって、国民投票する機会もあったし、国会で審議する機会もあった。それなのに、当時の為政者たちが、唯々諾々と敗戦国として受け入れた。これでは「押し付けられた」という歴史的事実が一人歩きして、今後禍根を残すので、国民投票に諮るべきだと主張したのはただ一人、東大学長だった南原繁だけだったということを明らかにしています。

 

戦後レジームを云々するには、「ポツダム宣言」を知らなければならない、と立花氏はズバリ指摘してますが、本当に勉強になりましたね。面白かったのは、日本人は終戦記念日は8月15日だと思っているのですが、それは、国内向けにポツダム宣言を受諾する天皇の玉音放送があった日だけで、依然、諸外国では、15日以降も激戦が続いていた。国際法の本当の終戦は、9月2日で、戦艦ミズーリ号で日本が降伏文書に署名した日である、ということも説明され、私なんかも「なるほどなあ」と思いました。

 

今朝の朝日新聞の朝刊で、評論家の岸田秀氏も「安倍改憲は『自主』なのか 米に隷属する現状直視を」というタイトルで寄稿していました。要するに「日本は戦争に負けて、アメリカに隷属する属国になった。だから、改憲といっても事実上、米国の許容範囲内でしかできない。今の9条の歯止めをはずせば、自衛隊員はアメリカが勝手に決めた戦争で世界のどこかの最前線に送られる消耗品になりかねない」と指摘しているのです。

 

北方領土はなぜ返還されずに、ロシアの「占領」のまま続いているのか。返還する気がさらさらないプーチン大統領の理由は明快です。「第2次世界大戦の結果、ロシア人の血を犠牲にして獲得したからだ」。これは、日本がもし、先の戦争に勝っていたか、負けを宣言しなかったら、日本が朝鮮も台湾も満洲もそのまま日本の領土として保持していた時に使う同じような理由づけでしょう。領土というのは、戦争の産物だという歴史的事実を再認識させられるのです。

 

6月10日付の東京新聞の一面トップで「日本兵遺骨 51体集中」というタイトルで「インドネシア・ニューギニア島北西部のビアク島で、旧日本軍兵士の遺骨が大量に野ざらしになっているのが、確認された」事実を報道しています。ビアク島では、日本側は陸海軍計約1万2800人のうち1万2000人以上が戦死したといわれます。そのほとんどが60年以上経っても、「帰還」を果たすことができず、遺骨が野ざらしになっているというのです。インドネシア領西部は治安状況などを理由に、戦後20余年しかたっていないのに「遺骨収集は概ね終了した」と、日本の国家は終結宣言してしまうのです。海外で没した旧日本軍兵士は約240万人いますが、このうち約124万柱しか帰還を果たしていないというのです。私が興味を持つフィリピンのレイテ島の激戦では、約8万人が戦死(生存率3%)しましたが、帰還した遺骨は1万5千柱のみなのです。

 

何と言う冷たい国家なのでしょうか。仕方なく徴兵で戦場に送られた兵士が飢えで喘いで死に瀕している時に、好きで偉ぶりたくて軍人になった将校連中は、そそくさとチャーター便で帰国しているのです。何が靖国神社だと思ってしまいますね。戦後もぬくぬくと生き抜いた偉い軍人だけを祭っているのではないかと疑りたくなります。

 

ピラミッド社会の日本人の心因性などそう変わるものではありません。戦争になれば、日本人は国家の名の下でまた同じようなことをするのです。だから、私は、改憲をして戦争国家に逆戻りさせようとする安倍晋三を全く信用できないのです。

日本は独立国家か?

 亀戸

ロシア政府は、このほど、領海内で捕獲した活カにの輸出を禁止しました。まあ、資源の囲い込みの一環で、日本を狙い撃ちした「お触れ」であることは明々白々でしょう、ね?プーチンさん。あなたは本当に頭のいい人です。

 

4つの車で走る機械を作って世界一になっている日本が、食糧自給率が4割そこそこであるということは、日本政府の長年の無策の賜物と言っても皮肉にはならないでしょう。何しろ食べ物の半分以上を諸外国に頼らざるを得ないなんて国家の呈をなしていません。観光とブランド商品が世界戦略になっているフランスの実態は、農業大国で、自給率は100%以上ですからね。独立国家として胸を張っていられるわけです。

 

無能な官僚どもが、自分の天下り先の確保に汲々となっている間に、日本は、「金儲けして、何が悪いんですか」国家になってしまいました。

 

先日も、欧州産ウナギも、野生動物保護を目的としたワシントン条約の対象種として輸出が規制されることになりました。ウナギも駄目、鯨を食べるのも野蛮人だから駄目、蟹はあげないよー、と言われてしまえば、日本人は何を食べたらいいのでしょうか?貧乏人らしく麦でも食べますか?あ、これも、70%輸入だから、今は貧乏人の食べ物じゃなくなりましたかね?

彷徨えるウイグル人

 根津

 

昨日は、久しぶりにおつなセミナーに参加しました。ゲストは、中国近現代史と日中関係がご専門の水谷尚子さん。テーマは「彷徨えるウイグル人~東トルキスタン独立運動・人権運動組織と主要活動家」でした。

 

このテーマに関しては、私は全く門外漢で、こんなに多難な流血事件が中国の新疆ウイグル地区であったことを知りませんでした。日本では、この方面の専門家が少なく、ほとんど報道されることがないからかもしれません。「チベット問題」に関しては、ダライ・ラマのような精神的支柱がいたり、ハリウッド俳優のリチャード・ギアらが独立運動に関心を持っているので、かなりの頻度で報道され、世界中でも注目されていますが、「ウイグルの独立問題」については、ほとんどの日本人は知らないのではないでしょうか。

 

水谷さんは、この問題を月刊誌「諸君」(文藝春秋)で何度も取り上げ、今後も、何回か執筆される予定です。この問題の最も信頼のおける専門家の一人であると言っていいでしょう。

 

彼女の不満は、東トルキスタン(ウイグル人は自分の国をそう呼ぶ)に関連する記事や論考が、レベルが低く、直接取材しないで、インターネットで流れている「偽の情報」を丸写しにしているケースが多いということです。人名さえまともに表記できていないというのです。例えば、天安門事件で有名になった学生運動のリーダーであるウー・アル・カイシはウイグル人ですが、その名前は中国読みで、本来は「ウルケシ」と表記するのが正しいそうです。

 

もともと、遊牧民だったウイグル人は、国家を形成する観念が低く、18世紀に清朝の乾隆帝の時代に征服されて、中国の領土になったのが始まり。1933年に東トルキスタンイスラム共和国、44年に東トルキスタン共和国として独立するものの、短命に終わってしまいます。49年に同共和国の首脳陣が「飛行機事故」で死亡(実際は、ソ連のスターリンの指示でモスクワKGB刑務所で殺害されたという説が有力)してから、亡命政府設立さえ不可能になり、結局、中国共産党軍による侵攻で、55年の新疆ウイグル自治区の設置に至ります。これ以降、90年のバレン郷事件、97年のイリ事件など独立運動が展開されます。

 

ウイグル人は現在、800万人ほどいると言われています。その新疆ウイグル自治区には、北京政府の意向で、漢民族の移殖が始まり、1950年に約30万人だった漢民族の人口は、99年に687万人に膨れ上がり、政府公共機関の要職は漢人によって占められ、肥沃な土地は、ウイグル人は追い出されて、漢人が居座ってしまったという話です。しかも、同化政策によって、ウイグル語が禁止され、教育も中国語だけになったようです。

 

もともと、ウイグル人は、コーカサス系で、顔立ちもインド・ヨーロッパ系に近く、中国とは言葉も文化も風習も全く違います。また彼らはゆるやかなイスラム教を信奉しています。今まで、バラバラだった独立運動も2004年になって、やっと「世界ウイグル会議」(総本部=ミュンヘン)が設立されましたが、参加しているのも独立運動派の8割で、前途多難なようです。

 

私も、これからはもう少し、この「ウイグル問題」について関心を持とうと思いました。

戦争体験が教えること 

  コロッセオ

 

国民投票法によって、例の安倍晋太郎さんのご子息の安倍晋三総理大臣が何をしようとしているのか、我々市民は、マスコミによる情報でしか知り得ることができませんが、どうやら、憲法を改正して、集団的自衛権を確立して、アメリカの属国から離れて、真の独立国家としての一歩を踏み出したいことは確かなようです。

 

とはいえ、元組員の痴話喧嘩に端を発した籠城事件で、狙撃された警察官を5時間半も、ただ指を咥えて放置するような国家(権力)が、有事の際に(国家権力の身内ではない)国民を手厚く保護してくれるとは、とても期待できないのではないでしょうか。自分の身内の警官をほったらかしにするぐらいですから、ましてや、一般市民をやです。軍人は、自分の名誉と功名心にしか頭を働かせないものです。日本人は先の大戦で、嫌というほど懲りているはずなのに、体験者が亡くなりつつある現在、危機感すら薄れてきたから、こういう政治状況が出てきたと私は考えます。

 

経団連会長や東京電力社長を務めた財界のドン、平岩外四氏が昨日亡くなりました。享年92歳。東京帝大法学部という当時の超エリートコースから東京電灯に入社し、1940年に出征。ニューギニア戦線に送られ、117人の部隊のうち、奇跡的に生還した7人のうちの一人が平岩氏だったそうです。ですから、彼は憲法や教育基本法の改正については、懐疑的だったようです。「昭和初期の雰囲気に似てきた。ナショナリズムの高まりには注意しないといけない」というのが、彼の口癖だったようです。

 

昭和29年生まれの安倍首相は、この言葉をどう思うでしょうか?

5億円で買われた総理の椅子

 カラヴァッジョ

 

吉原勇氏の「特命転勤 毎日新聞を救え!」には、とんでもないことが書かれています。「何で、話題にならないのかなあ」と思ったのですが、このような新聞社というメディアが絡んだスキャンダルは、どこのマスコミでも書評として、取り上げにくいという事情があるのでしょう。すべてを目にしているわけではありません、三月に出版されたこの本を取り上げた新聞は今のところ皆無なのではないでしょうか。テレビは、くだらないバラエティー番組が中心ですから、取り上げる番組の枠がない。期待する出版ジャーナリズムも元気がない、といったところでしょうか。

 

この本の「第四章 自民党総裁選と五億円の謎」に、とんでもないことが実名で書かれています。同書は、毎日新聞の大阪本社の土地を巡っての、国有地払い下げの裏工作などを生々しく語っていますが、その過程で、工作資金が廻りに廻って、一国の総理大臣の椅子が金で買われた主旨のことが書かれているのです。

 

1987年10月20日の自民党総裁選。この選挙で、竹下登幹事長、安倍晋太郎総務会長、宮澤喜一大蔵相の3人が立候補しますが、前日になって、3人は立候補を辞退して、中曽根康弘首相の裁定に委ねます。中曽根首相は、世間の予想に反して、竹下氏を指名。かくして、竹下氏の総理就任が決まったのですが、この裏で、五億円もの大金が竹下氏から中曽根氏が新設するシンクタンク「世界平和研究所」に寄付の形で流れたというのです。

 

この五億円は、どこから来たのかというと、国有地払い下げ問題で工作していた毎日新聞社の山内社長が、毎日新聞のOBで、山内社長の同期でもある安倍総務会長に「謝礼金」として渡したものだったというのです。この五億円は、安倍総務会長から、大蔵官僚に睨みが利く竹下幹事長にそのまま渡って、毎日新聞の国有地払い下げを実現させる政治決着金に使われたというのです。

 

つまり、五億円の大金の流れは、毎日新聞 ⇒ 安倍 ⇒ 竹下 ⇒ 中曽根 ということになります。

 

安倍総務会長は、現首相の父親ですし、一大スキャンダルなのに、何で、話題にならないのでしょうかね?