吉野大地「インド讃美歌集」

上士幌町

 公開日時: 2006年11月11日

最近、暇な時、吉野大地さんの「インド讃美歌集~バジャン~」のCD(ブロッサム・ミュージック)を聴いています。

アジア民族造形ネットワークの金子所長の言を俟たなくても、日本人の聴く音楽は、J-POPか歌謡曲、はたまた欧米のロック、ジャズ、クラシックに偏って、アジアの民族音楽を聴く人はあまりいません。

私もその一人ですが、吉野さんのように、インド伝統の讃美歌であるバジャンを習得して、自ら作詞作曲までしてしまう人がいたとは本当に驚きです。CDには歌詞も付いているのですが、残念ながら意味が分からないので、専ら、BGMとして聴いていますが、何か心の穢れが落とされるような感じです。デニッシュ・チャンドラ・ディヨンディさんの歌声にアコーディオンとタブラーというシンプルな楽器編成ですが、曲から湧き上がってくるイメージは深遠です。

上士幌町バルーンフェスティバル

CDのライナーノーツによると、吉野さんは函館市出身で、1995年にインド讃美歌「バジャン」に出会い、現在、帯広市で音楽活動中とあります。

「ああ、帯広で会えていたのかもしれない」と思うと、また懐かしさがこみ上げてきました。

元気まち上士幌東京会議

銀座

公開日時: 2006年11月10日 @ 23:07

今晩は、品川プリンスホテル新館12階「彦根」で開かれた「元気まち上士幌東京会議」に出席しました。北海道十勝管内にある上士幌町は、人口5414人で、ご多分に漏れず「過疎化」の悩みを抱えています。農業酪農が主な産業ですが、観光産業も欠かせません。

上士幌町では、竹中貢町長を中心にその観光資源を全国にアピールして何とか観光客だけでなく、移住者、定住者の受け入れなどに目下、取り組んでいます。その一環として、花粉症の人が避難する「リトリートツアー」や森林浴ツアーなどがあります。かなりマスコミにも取り上げられ、全国的に脚光を浴びつつあります。

竹中町長はかなりのアイデアマンです。地方自治体の限界を肌身で感じているせいか、国(内閣府、国土交通省、環境省、総務省、農水省)や農協、民間の電源開発や旅行代理店、商社の三井物産とまで手を組んで、まさに町の命運を懸けて、「町おこし」に全力を尽くしているのです。

この日の会議には、竹中町長から私のところに直々に電話があったため、出席したのですが、本当に面白かったのです。

それは、かなり変わったおじさんが一人いたためです。

会には、37人ほどの人が出席したのですが、最後に、簡単に自己紹介を兼ねて、それぞれが挨拶をしました。皆が皆、上士幌町の素晴らしさや、良い所を褒めていたのに、最後に回ってきたこの山下亨さんという、まちの元気相談室代表は

「皆さん、上士幌町をどうか、そっとしておいて欲しい。電源開発は、自然を破壊した張本人だ。もうこれ以上破壊するのはやめてもらいたい。役人は、自分の任期中の出世だけしか考えていないから、絶対に責任を取らない。皆さん、本当に素晴らしいことを述べていましたが、みんな、嘘ですね。誰一人とも、本音でしゃべろうとしていない。農水省の方はどうか田舎を食い物にしないでください。総務省や環境省の方も自分のステップアップのために地位を利用しないように。ナイタイ高原牧場には3000頭の牛を買っているいるということだが、屎尿はすべて川に垂れ流して、もう水なんか飲めたもんじゃない。ここにいる竹中町長もそのうちいなくなるか、消えるか、捕まるかのいずれかでしょう…」と、天下の官僚先生らを相手に「正論」とも言うべき本音をズバズバ言うので、皆苦笑するしかありませんでした。

よくこんな「正直な人」を会に呼んだものだと、主催者の懐の深さには感服してしまいました。私は、苦笑するどころか、痛快で、大声で笑ってしまいました。

この山下さんという方は、元自治省の役人だったらしく、国家公務員の裏表を知り尽くした人でした。廃線となった旧国鉄士幌線のアーチ橋の保存に奔走した人で、現在このアーチ橋は、北海道遺産に選定されています。

http://www.kamishihoro.jp/index.php

山下さんは「トイレ研究家」という変わった肩書きを持ち、世界の民族のお尻の拭き方について、食事中であることもお構いなく話していました。

「お尻に一番適しているのは、蕗の葉っぱ。だから、ふきという。アメリカのインディアンは、トウモロコシの実をすべて食べた後の芯で拭く。イスラム教徒は、左手を使って水で3回拭く。だから、絶対に他人に左手を使ってはいけない。左手で握手をしてはいけないし、左手で子供をなでたりしたら殺されます…」

こんな調子でした。あっ、食事中の方は失礼しました。

アジア民族造形ネットワーク

トムラウシ


先日の山本さんの講演会「ガルーダとナーガ」に出席されていたアジア民族造形文化研究所の金子量重所長から、同学会の会誌を送っていただきました。


金子所長は、アジア民族学の世界で、知る人ぞ知る大人物で、アジア各国の民族資料を幅広く私費で収集し、九州国立博物館をはじめ、韓国国立中央博物館、ベトナム民族学博物館などにも個人のコレクションを「寄贈」しておられます。


アジア民族造形ネットワークを立ち上げた金子所長は「政治家や官僚たちは欧米かぶれが多い上に、『アジア識らず』のひどさに私は日本の未来に大きな不安を感じた。世界60億のうちアジアには40億近く諸民族が住み、国際情勢に照らしても『21世紀はアジアの時代』なのだ。かかる重要なアジア認識を怠った失政が、今政治や外交上重大な局面を迎えている…」と、同誌で怒りに近い心情を吐露されています。


私なんかも、アジアの文化については本当に不明を恥じたいくらい良く知りません。例えば、朝鮮の民族衣装であるチマ・チョゴリのチマはスカート、チョゴリは上衣であることを初めて知りました。チマの下にバジ(ズボン)をはいていた時代があり、古くは騎馬遊牧民であったことの証ではないか、と推測しています。


金子所長の言葉は、肝に銘じたいと思います。

「クリムト」

ミラノ

渋谷のbunkamuraル・シネマで映画「クリムト」を見てきました。

19世紀末の巨匠グスタフ・クリムトの、何と言うのか、筋はよく分かりませんでした。

1900年のパリ万国博覧会で、彼の絵が金賞か何かを受賞して一気に世界的な名声を得たり、ウイーンのカフェで芸術論争したり、モデルのレアの幻影を追いかけて、夢とも現実ともつかない女性を追いかけたり、彼につきまとう大使館の書記官が実際に存在しないクリムトの頭の中にだけいる人物だったりして…ああ、この映画はただ単に映像を楽しめばいいのかなあ、と思いました。

確かに、クリムトを演じたジョン・マルコヴィッチもエゴン・シーレを演じたニコライ・キンスキーも「そっくりさん」のように演じていました。でも、オーストリア人なのに、全編英語で通されていたのは、国際政治の力学が働いたのかなあ、と思いました。オーストリア、フランス、ドイツ、イギリス合作映画だったのですが…。

部屋の中で雪が舞い散ったり、花びらや金箔が花吹雪のように舞ったり、まさしく現実ではありえなような退廃的な幻想世界が映像の中で展開され、思わず見とれてしまいます。何と言っても、当時としては相当スキャンダラスな画家として糾弾されていたようですが、若い女性モデルの裸体が頻繁に登場しても、究極の美として説得力がありました。

映画がはねて、自由が丘に行きました。

4半世紀昔にフラフラした街ですが、すっかり変わってしまい、その面影すらなくなってしまいました。若者の街ではありましたが、昔はもう少し落ち着いていた気がしましたが、今は何か、せわしない、歩く人たちにも余裕を感じられない雰囲気でした。

5時に、作家のYさんとカフェ「アンセーニュダングル」で待ち合わせをして、その後、居酒屋「金田」で痛飲。文壇の裏話を伺いましたが、「書いちゃ駄目よ」と釘をさされてしまいました。

囲い込み運動

ミラノ

有楽町の三省堂書店で本や雑誌を買う度に、レジで「ポイントカードはありますか?」と聞かれるので、とうとう会員になってしまいました。会員といっても、年会費無料で、住所氏名年齢職業などを登録するだけです。

買った金額の1%が1ポイント、つまり、例えば1000円買うと、10ポイント付くシステムで、1ポイント1円。100ポイント以上貯まると商品券に代えられるお得なカードが発行されます。

「これは便利!」と思ったのですが…。

気がつくと財布の中には、このような様々なポイントカードがあることが分かりました。航空会社のマイレージカード、量販店のカード、CDショップのカード、理髪店のカード、パン屋さんのカード…。もう財布もパンパンです。

そして、はたと気がつきました。

「これは、他の店で買わせないようにする究極的な戦略ではないか。得したように見せかけて、結局、その金額を負担しているのは消費者であって、全く得していない。これは、単なる、手を換え品を換えた『囲い込み運動』ではないか!」

私のこの「理論」を証明してくれる本に最近出会いました。内橋克人さんの「悪夢のサイクル」(文藝春秋)です。内橋さんは、私の尊敬する数少ない経済評論家の一人です。

こういうポイントカードは、規制緩和政策によって、新規参入業者と熾烈な戦いに晒された既存の大手航空会社が、顧客を取り込む目的で始めた対抗策の1つだったということです。FFP(フリークエント・フライヤーズ・プログラム)と呼ばれますが、つまり、マイレージカードのことです。(これにより、新参入業者は敗退していきました)

そういえば、私の友人の本多さんは、帯広まで来るのに、わざわざ、釧路にまで行って、レンタカーを借りて帯広まで来たくらいですからね。つまり、彼は、全日空のマイレージカードしか持っていない。帯広は日本航空しか運航しておらず、全日空が乗り入れている釧路まで行ったわけです。

本屋さんも、日本全国に無数ありますが、このカードのおかげで、なるべくS書店で買うようになるでしょう。こういうけち臭い顧客のおかげで、弱小書店がつぶれていくわけです。

私はこのことを「囲い込み運動」と発言しましたが、もちろん、世界史に出てくる用語を拝借しただけです。未来の大人たち、つまり、世界史を履修しなかった今の子供たちは、ピンとこなかったと思いますが…。

人を憎まず 自分を褒める

銀座

一週間ほど前、夜中にふと眼が覚めてしまい、ラジオをつけたら、中高年に人気の「ラジオ深夜便」をやっておりました。その中で「ゲーテの言葉」として、大変、心に残る箴言を読んでくれました。

とはいえ、メモしたわけではないし、寝転がってぼーと聴いていたので、大まかなことしか覚えていません。こんな感じだったと思います。

過ぎ去ったことは後悔しない

人を羨んだり、憎んだりしない

自分を卑下したり、蔑んだりせず

自分を褒めること

大変素晴らしい言葉だと思います。

私なんか、いつも後悔し、ひどい仕打ちをした嫌な人間を憎み、自己嫌悪に陥っていたからです。

だから、簡単なようで、なかなかできないものです。

人を憎まず、自分を褒めるー心掛けたいと思っています。

ところで、仏教では「和顔施」という行為があるそうですね。いつも、ブスッとしていないで、人に会ったら、落ち込んでいても、嫌なことがあっても笑顔を返す。

これは、日本人は案外苦手のようです。東京では、人にぶつかっても何も言わずに、さも当然とばかりに通り過ぎていく人が多いからです。(老若男女問わず)

その点、アメリカでは、ほんの少しすれ違っただけでも、「ハイ!」と笑顔を振りまいてくれます。

ある人の説では、広大な大陸で人間同士会うのは稀で、偶に会えば、「私は、あなたの敵ではない」という自己アピールするため、ということらしいのですが、仏教徒でもないアメリカ人の方が日本人より「和顔施」を良く知っていて、しかも実践している気がします。

ガルーダとナーガ

銀座・和光


昨日は、「インドに行こう」などの著書がある山本悦夫さん(アジア民族造形文化研究所教授)をゲストにプレスセンター9階で開催された「おつなセミナー」に列席しました。8月末で渋谷のおつな寿司がなくなってしまい、プレスセンターに会場が変更になって3回目ですが、私はプレセン初参加。寿司屋の2階で車座になってワイワイやっていたのと違い、机と椅子にきっちりと座って、何か会議のような感じで、随分堅苦しくなってしまいました。


銀座・和光


テーマは「ガルーダとナーガ」。山本さんとはもう10年以上前にお見知りおきを戴き、ご自宅にまで遊びに行ったこともあり、その度にガルーダの話はうかがっていました。でも、正直、どうもイメージが湧かなかったのですが、今回、スライドを沢山見せていただき、初めて、ガルーダとは何か、大まかなことを攫むことが出来ました。


インドネシアにガルーダ航空があるくらいですから、私自身、ガルーダの発祥地はインドネシアなのかと思っていたのですが、その歴史的起源は何と、今から約5000年前、紀元前3000年頃のメソポタミアにまで遡るというのです。「鳥」と「蛇」を、対立する宇宙の二大要素とする哲学思想が生まれました。大雑把に言って、「鳥」は天と空を支配し、遊牧する民の守護神となる。「蛇」は大地と水を支配し、漁撈や農業に従事する民の守護神として崇められる、といった考えです。


この「鳥」がガルーダ、「蛇」がナーガというわけです。この思想は、神話として、東へには、インドに伝えられ、ヒンドゥー教や仏教にまで取り入れられ、東南アジア、中国、韓国を通って、日本にまで伝えられます。西へは、ギリシャ、ローマに伝わり、それがヨーロッパ全体からアメリカ大陸にまで伝播していくのです。


インドでは、ナーガ(蛇)は、カスパヤ神の第一夫人カドルの子供。ガルーダ(金翅鳥)は、カスパヤ神の第三夫人ヴィナタの子供。カドルとヴィナタは姉妹なので、ガルーダとナーガは異母兄弟となります。


ヒンドゥー教では、ガルーダは、ヴィシュヌ神とラクシュミの乗り物ということにもなっています。このヴィシュヌ神とラクシュミは夫婦で、ヴィシュヌ神は仏陀、ラクシュミは吉祥天と言われています。


ついでながら、仏教では、ガルーダは迦楼羅(かるら)と呼ばれ、奈良県興福寺に、頭の部分が鳥で胴体が人間の迦楼羅像があり、京都の教王護国寺の胎蔵曼荼羅にも右下に二体、迦楼羅が描かれています。ナーガは、摩睺羅迦(まごらか)です。


日本では、この迦楼羅は、修験道として天狗の元祖になったという説もあります。


見えてきました


西に伝わったガルーダは、ギリシャ神話で、ヘルメスの持つ杖(ケリュケイオンまたの名をカドゥケウスhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3



 


となります。ヘルメスは最高神ゼウスとマイアの子で、旅人や商業の守護神です。この「商売の神様」ということをよく覚えておいてください。



 


ヘルメスは、ローマ神話ではメリクリウスとなり、英語のマーキュリーとなります。このマーキュリーは水星とか水銀という意味で使われますね。中世の錬金術書に「ヘルメスの勝利」という本がありますが、何か関係がありそうです。



 


ガルーダとナーガのアイコンには、鳥のガルーダが蛇のナーガを食べようとしたり、ナーガがガルーダに巻きついたり、しています。互いに争っているようですが、異母兄弟なので、殺し合いにまでは発展しません。どちらも善にも悪にもなるという二面性があるわけです。


ガルーダとナーガは、中国では、「鳥と蛇」が「鳳凰と龍」になります。この思想も、日本に入ってきました。


また、日本神話に登場する八咫烏(やたがらすhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%92%AB%E7%83%8F)と神社の注連縄は蛇を連想するということで、これらの関係も今後の研究課題になりそうです。


さて、明治以降、西欧思想を積極的に取り入れた日本に、ガルーダは、ヘラクレスの杖、つまり、「商売の神様」として、本来のメソポタミアの思想やインド思想とはかけ離れた形で取り入れられました。


 あった!「ガルーダとナーダ」だ!


一橋大学の前身は、初代文部大臣森有礼が創設した私塾「商法講習所」、後の商業高等学校です。ですから、校章にガルーダとナーダが使われています。もっとも、同大学ではこの校章を「マーキュリー」http://hit-u.ac.jp/guide/other/emblem.html と読んでいますが…。

インド、東南アジアには何十回にも出掛けている山本さんの、フィールドワークには頭が下がります。日本橋の「三越」本店や、銀座4丁目の「和光」にもこの「ガルーダとナーダ」のマークを発見して写真に収めています。私も早速、和光のマークを見てきました。こんな身近な所に「商売の神様」がいたとは夢にも思いませんでした。

最後に1つ。私の見解です。


ガルーダの鳥は、概ね「鷲」をさすそうです。インドネシアやタイの国章にガルーダが使われていますが、鷲といえば、アメリカ合衆国の象徴であり、米国の国章にもなっています。さて、ガルーダの発祥地は、メソポタミアです。メソポタミアは、現在のイラクのことです。ガルーダが究極的に行き着いたアメリカが5000年後の21世紀になって、大本のイラクを爆撃して支配しようとするなんて歴史の皮肉に思えませんか?

 

 

 

鍵屋

昨晩、いや一昨晩、根岸(東京都台東区)の老舗居酒屋「鍵屋」に3年ぶりにに行ってきました。閑静な住宅街のど真ん中にあり、まるで、昭和初期にタイムスリップした落ち着いた所ですが、台東区議員とかいう酔っ払いの呉服屋のおっさんにからまれて、散々でした。

いつもは奥に引っ込んでいるご主人の清水賢太郎さんが、出てきて、話を聞いてくれたりましたが、もともと下谷の言問通りにあった「鍵屋」は現在、小金井公園の「江戸東京たてもの園」にあることを教えてくれました。昔、行ったことがあるのですが、「高橋是清邸」は強烈な印象が残っているのですが、そういえば、何となく、酒屋があったなあ、といった記憶しかなく、それが、「鍵屋」だったとは知らなかったのです。

鍵屋は、江戸時代から続く老舗中の老舗です。小金井公園内に移築された建物は、安政3年(1856年)建築ということですから、丁度、150年前にできたわけです。何と言うことでしょう。今の店が昭和初期を感じさせるのは、まだまだ新しい。幕末や明治の香りが残っていると言うべきかもしれません。名物のたたみいわしと煮奴、うなぎのくりから焼きを堪能しました。お酒はもちろん、菊正宗。

この日は、T君の就職祝いが名目でした。今年5月に施行された新会社法によって、大幅な手続き変更が必要な会社が多く、その手続きを代行する仕事です。彼にとっては全く、これまでとは違う分野ですが、心機一転、毎日徹夜する構えがあるほど意欲に燃えていたので、一安心しました。事務所のSさんが目をかけてくださって、これも、人の縁というか、私も本当に有り難い気持ちでいっぱいになりました。

鍵屋を出て、鶯谷駅の近くに立ち飲みの焼き鳥屋があり、焼き鳥5,6本、冷酒5,6杯と、しこたま飲んで、1000円ちょっとという信じられない値段でした。

もちろん前後不覚になって、どうやって帰ったか覚えていません。翌日新聞を見たら、夜6時半頃に鶯谷駅で人が線路に入り込んで、50分間不通になって、15万人が足止めを食ったという記事が載っていました。

結果的に深酒してよかった…。

STVライブは素晴らしい、懐かしい

中村さんからメールを戴き、STV(札幌テレビ)のホームページにある「ライブカメラ」http://www.stv.ne.jp/webcam/tokachi/index.htmlを教えてもらいました。

北海道各地の今の様子がライブで写しだされているのです。札幌だけでなく、あの懐かしい帯広もあります。

ああ、懐かしい!涙が出てきました。小樽も釧路も函館も釧路もあります。

ああ、行ったね、あそこも行ったね、といった感じで、嬉しくなってしまいました。

北海道ファンの皆さんは是非ご覧ください。

「国家と宗教」

ミラノ

 

保坂俊司著「国家と宗教」(光文社新書)を読みました。

この本は、タイトル通り、「国家」と「宗教」という壮大なテーマを比較宗教学などを駆使して歴史的に分析しています。門外漢にも分かりやすく、「キリスト教と政治」「仏教と政治」など四つの章に分けて解説され、とても深い省察と考えるヒントを与えてくれてくれました。

 

 著者の保坂俊司氏は、「インド仏教はなぜ亡んだのか」などの著作がある麗澤大学教授で専攻はインド思想です。彼は、キリスト教、イスラム教、仏教などを比較し、非暴力を唱える仏教の持つ思想が、21世紀の世界に不可欠な思想である、と力説しているのです。なぜなら「仏教のみが世界宗教の中で、武力を伴わずに世界に平和裡に伝播された宗教だから」ということが根拠になっています。

 

そして「宗教の違いで互いに争い合う現状において、それを緩和する発想として縁起や空の思想を政治哲学や社会哲学として展開することは、大いに意味のあることである」と、政治理念としての仏教の重要性を強調しています。しかも、その理念を世界に広めるのに「最適なのが日本人である」とまで言っているのです。

 

 ここまで、政治と宗教の密接な関係に踏み込んで論陣を張った著作を読んだのは初めてです。著者は、戦後教育を受けた現代日本人は、宗教と政治は分離しなければならないという「政教分離原理主義」思想に神経質なほど凝り固まっている。しかし、世界を見渡すと、例えばイスラム世界では、政教一元の政治思想が大原則であり、イスラム的政治制度を国教として導入している国は国連加盟国中の20%にもなるというのです。

 

米国でも、「政教分離主義」が原則です。しかし、これは、政府や公権力が特定の宗教や宗派を優遇しないという意味で、政府などが宗教に一切関わらないという意味ではないのです。

だから、「選ばれた民の意思は神の意思」といったキリスト教的思想が広く形成され、ブッシュ大統領の「アメリカの戦いは正義の戦い」などという発言がごく普通に発せられるというのです。

つまり「十字軍」の歴史感覚が現代でもまかり通っているわけです。そもそも、日本人も60年少し前までは、自らの国を「現御神(あきつみかみ=天皇)が治める神の国」と称して、宗教と国家の結びつきを疑う人がどれほどいたでしょうか、と著者は疑問を投げ掛けています。

 

日本の明治新政府が廃物毀釈を断行し、国家神道を主軸に据えた背景に「土着のものが優れ、外来のものが劣る」という思考があり、仏教を排除してヒンドゥー教を第一としたインドの「廃仏思想」に通じると、著者は喝破しています。

 

日本では、本地垂迹説が自然と受け入れらて、神仏習合していた奈良から江戸時代にかけての方が、明治以降より、戦争が少なかったという著者の指摘にも思わず、うならされました。

 

明治以降の戦争で、国家神道が日本の宗教として利用されて、死さえ恐れさせない狂信的な若者たちを生み出してきたことは、現在、イラクやアフガニスタンやニューヨークやロンドンなどで自爆テロを敢行して死さえ恐れず、むしろ英雄視される風潮と宗教観に相通じるのではないか、と考える人間は私だけではないと思います。