チャプリンと5・15事件


 いわゆる「5・15事件」は、昭和7年(1932年)の5月15日、時の犬養毅政権に不満を持つ陸海軍の青年将校が「昭和維新」断行を目指して、首相、政友会本部、日銀、警視庁などを襲撃した事件ですが、当時、たまたま来日していた喜劇王チャプリンも危うく難に巻き込まれるところだった、という話は有名です。


 当日の首相の歓迎会には出席せず、相撲観戦に行ったおかげで、難を逃れたというのが「定説」でした。


 


 が、どうやら、チャプリンそのものも、標的の対象だったようですね。日本チャプリン協会の大野裕之会長の書いた「チャプリン暗殺 5・15事件で誰よりも狙われた男」(メディアファクトリー)にその詳細が描かれているようですが、私はまだ読んでいません。


 


 当時、チャプリンの秘書を務めていた日本人の高野虎市氏が、チャプリン来日1ヶ月前から事前に訪日して日程を調整し、不穏な空気を察知し、元陸軍少将の作家、櫻井忠温(ただよし)氏に相談。櫻井氏の手紙には「最近の日本は騒がしいので、お気をつけてください。お早めに日本に来られたほうがいいと思います。東京でまず宮城に行くように」といった手紙が残っています。


 


これによって、5月14日に神戸港に到着したチャプリンは、京都・大阪には寄らずに東京に直行し、その夜、ホテルに行く前に、まず二重橋に立ち寄り、高野の指示で皇居で一礼したそうなのです。


 


 首相のレセプションをドタキャンしたのも、難を避けるため「計画的」だったのかもしれません。


 


 日本人秘書の機転がなければ、あのチャップリンも大事件に巻き込まれていたのかもしれないのですね。


 


 


 


 

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