「週刊新潮」で、加藤廣さんの「謎手本 忠臣蔵」が始まりましたね。楽しみにしていたので、早速買い求めました。
いやあ、第一回から予想に違わず、重厚な話から始まりました。我々は忠臣蔵の粗筋も結末も分かっているのに、何が起きるか分からないような、ミステリー小説を読んでいる感じです。
今年夏に加藤さんお会いした時、「これまで誰も書いていない忠臣蔵を書きます」と言ったきり、後は教えてくれませんでしたが、やはり、その通りでした。
いきなり、五代将軍徳川綱吉の側用人だった柳沢吉保が登場するのです。(私事ながら、学生時代に近くの駒込で「六義園」という立派な日本庭園があり、よくデートコースとして利用させてもらいましたが、確かここは、吉保の邸宅か別荘跡だったはずで、とても近くしく感じた人でした。)
そう言えば、赤穂事件、いわゆる討ち入りは、「時は元禄十五年(1702年)」と、講談でも有名なフレーズで始まります。そう、将軍綱吉の元禄時代なのです。
元禄時代の同時代人を思いつくままに言えば、俳人の松尾芭蕉、戯作者・井原西鶴、和算の関孝和、大和絵の土佐光起、国文学者の契沖、そして忘れてならないのは人形浄瑠璃、歌舞伎作家の近松門左衛門、琳派の俵屋宗達、尾形光琳、浮世絵の菱川師宣、歌舞伎役者の初代市川団十郎ら錚々たる文化人がおりました。いわゆる「元禄文化」が花開いた時期ですね。
将軍綱吉は、「生類憐れみの令」を出して「お犬公方」として有名ですし、今の財務大臣というか日銀総裁に当たる役職に任命した荻原重秀は、財政窮乏の対策として、悪貨を鋳造してインフレになったということでも知られています。
加藤さんの小説は、これら政治経済を背景ではなく、全面的に主役にして筆を進めていくのではないでしょうか?私としては先に挙げた元禄文化人をどこかに取り上げてもらいたいのですが…。
元禄文化人に思いを馳せているうちに、「週刊新潮」に書かれている他の記事がつまらなくてしょうがなかったです。生意気な言い方をすれば、読むに値しない、というか。内実は、書かれていることについて興味がなくなったせいかもしれません。芸能人のゴシップにしても、最近テレビを見ないせいか、その芸能人そのものを知らないせいもあります。