某有名(笑)語学塾で知り合った数人の方と最近、どういうわけか頻繁にメールのやり取りをしています。同じ目標に向かって、自分自身と闘ってきた同士なので、お互いどこか「戦友」のような親しみを感じています。
そんな中で、頂いた飯田さん(仮名)のメールは、非常に面白かったので、ご本人に許可を頂き、「お断り掲載」をさせて頂くことになりました。最近、ネタが尽きているもので、無理にご承諾いただきました。飯田さん、有難うございました。
以下そのままコピペします。面白いですよ!
私はこのごろ比較文化論に再度目覚めて、それに該当するような本を見つけたら買っては読んでいます。本といっても古本です。いま月に14、5日ほど神保町の会社でバイトをやっていますが、ご承知のように神保町は古本の街、いろいろな本を物色するにはとても適した地なのです。
その中に、ルイス・フロイスの「ヨーロッパ文化と日本文化」(岩波文庫、青459-1)があります。フロイスは、これもご承知のように、信長に接触したポルトガル生まれのイエズス会の宣教師です。面白い比較を2,3紹介してみましょう。450年前の日本人の行動、所作が記されており、現在の我々のそれと寸分も違わないことがわかり、非常に興味をそそられます。
「われわれの間では人を訪れる者は何も持っていかないのがふつうである。日本では訪問の時、たいていいつも何か携えて行かなければならない。」
「ヨーロッパでは言葉の明瞭であることを求め、曖昧な言葉を避ける。日本では曖昧な言葉が一番優れた言葉で、もっとも重んぜられている。」これに対して訳注者の岡田章雄氏は「日本では敬語を尊重し、当時は最も複雑な敬語法の発達した時代である。その敬語は直接明確な言い方を避けて、特に間接的で断定しない表現をとったことを指している。」と解説している。
「われわれは怒りの感情を大いに表すし、また短慮をあまり抑制しない。彼らは特異の方法でそれを抑える。そしてきわめて中庸を得、思慮深い。」これに対し岡田氏は「喜怒を色に現さないという儒教的、封建的な道徳観によるものであろう。」と述べている。
これは昔の比較日本人論ですが、現代の比較日本人論も、日本文化と日本人の思考、行動を知る上で大いに役立ちます。
いかがでしたか?フロイスを読みたくなったでしょう?
さてさて、昨日書いたことの続きですが、読み返してみると、どうも、帯広市役所の人が勝手にM野さんに私の住所を教えてしまったかのように読めないことはないのですが、それは決してありませんでした。
事前にちゃんと、ご連絡があり、「読者の人が熱心にあなたに連絡をとりたがっていますが、どうしますか。別にお断りしてもいいですけど」と市役所の方から電話がありました。
私は「どうぞ、お伝えしてもいいですよ」と承諾したのでした。
個人情報がうるさい昨今、私の愛する帯広市役所が、そんな勝手な振る舞いをするわけではありませんので、どうぞ、誤解のないよう宜しくお願い申し上げます。