川本三郎著「荷風と東京『断腸亭日乗』私註」

 富士山

哺下、掃苔事業を敢行せんとて、大井川渡り、駿府まで早飛脚を飛ばしたリ。
長年の夢叶ひしけるに、そこはかとなく安堵するを覚ゆ。

一昨日、川本三郎著「荷風と東京 『断腸亭日乗』私註」(都市出版)をやっと読破しました。やはり、月刊「東京人」に3年間連載され、さらに加筆したもので、初版は1996年9月5日、もう20年近く昔に出版されたものです。

でも、この本は「決定版」といえば大袈裟ですが、荷風研究では第一人者の秋庭太郎の説を否定したり、「『断腸亭日乗』は(荷風が私淑した)成島柳北の『航薇日記』の影響がある」という丸谷才一の説に賛同したり、当時入手できた全ての参考文献に目を通したと思われます。「断腸亭日乗」に挑戦するのなら、必読の入門書でしょう。

荷風といえば、今はもうあまり、読まれませんが、かつては、必読の作家として、多くの人に愛読されていました。私も、「あめりか物語」「ふらんす物語」「つゆのあとさき」「墨東綺譚」など、代表作は若い時に読みましたが、正直、あまり、感銘しませんでした。恐らく、理解できるほど、人生経験も少なかったし、何か懐古趣味的なお爺さんの繰り言のような気がしてたからです。しかし、逆に、荷風は、人生の辛酸を嘗めた中年以上でなければ、その「良さ」が分からないと悟りました。

「日乗」は、後に出版することを前提にしたのに、荷風散人は、私生活を赤裸々に綴ります。その、女性遍歴の凄まじいこと!これまで関係した女性の「データ」まで、細密に残しています。荷風散人は、偏屈なおじさんですから、人があまり行かないような陋巷や裏道やうち寂れた街を徘徊します。とにかく、毎日のように、全財産の入った鞄と傘を持って散歩します。

まさに歩く人です。理由と目的は、荷風は、独身だったので、食事を取るのに外に出なければならなかったから。そして、女性漁り(笑)。戦前は、公娼制度があったのにも関わらず、怪しげな私娼の魔窟を捜して、入り浸ります(「玉ノ井」=戦災で消滅=は、荷風が、有名にしたようなもので、太宰治や檀一雄らも通うようになった、という記述には微苦笑してしまいました)。あとは、江戸時代から、本まで出版されるほど人気のあった掃苔趣味です。これは、文人墨客の墓などをお参りすることで、荷風は、敬愛した師匠の上田敏や森鴎外らをはじめ、この本で、初めて知りましたが、江戸時代の文人館柳湾や大沼竹渓・枕山、大田南畝、荻生徂徠らの墓までお参りしています。

荷風散人は、持病を持ちながらも、当時の平均寿命としては、長生きできたのも、散歩で身体が鍛えられたせいだと思いました。

荷風は食事や喫茶で、銀座や浅草などの繁華街にも頻繁に出没します。この中で、銀座の「ラインゴールド」が出てきたので、びっくりしました。戦前、スパイ・ゾルゲがよく通っていたドイツ・バーで、ゾルゲはそこで、日本人妻となる石井花子と出会います。昭和初期なので、ゾルゲと荷風は、もしかして、その店ですれ違っていたかもしれません。

もっとも、この本の著者は、ゾルゲ事件に興味ないのか、全くこのことについては、触れていませんでしたが。

【追記】
この本で一番可笑しかったのは、「日乗」昭和4年12月7日に記された「私娼媒介所開業の案内状」の文面。

…モデルになるやうな品物も手近にたくさん御座ますから、御散歩の節お立寄り下さいまし…