WAR IS OVER!國體とは? 第5刷

色々な曲芸が次々と Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 5月29日の日曜日の朝日新聞に、偉い政治部次長様が、ご自分の写真入りで、「こすれ合って成り立っている」というタイトルで政治コラムを書いておられました。

 中身は、東条内閣の農林相で戦後、A級戦犯になりましたが、第2次岸信介内閣で法相に就いた井野碩哉(ひろや)。その孫に当たる井野朋哉さん(55)が経営する東京・新宿駅ビルの喫茶店に「War is Over」(戦争は終わった)のポスターを店の看板の脇に貼ったところ、「政治的過ぎる」というクレームがきた、という話から始まります。

 この井野さんが、2014年末に安倍首相宛てにツイッターで、祖父碩哉の臨終の際に、安倍首相の祖父に当たる岸さんがわざわざ、祖父の手を握り締めてくれたことを感謝しつつ、「総理、明日、私は官邸前での集団的自衛権行使可能の閣議決定への抗議活動に参加します」などと表明していたことも、このコラムには書かれています。

 私が問題にしたいのは、政治的なことでも、井野さんの祖父のことでも、まさか安部さんのことでもありません。単なるビートルズ・フリークとして、この「War is over」のキャッチフレーズを考えたのは、ジョン・レノンとヨーコであるのに、このコラムには最後まで、ジョン・レノンのジの字も出てこなかったことです。

 顔写真から拝見しますと、この政治部次長さんは、40歳代に見えます。となると、この「War is Over」の「語源」を知らない。無理もないのかなあ、と思いました。しかし、知らないなら、書くな、書くならよく調べろ、とも思いましたけど(笑)

 1969年のクリスマスを間近に控えたニューヨークのタイムズ・スクウエアに巨大な広告が掲示されました。そこには、「WAR IS OVER! IF YOU WANT IT Happy Christmas from John&Yoko」と書かれていました。ジョンとヨーコがこのプラカードを二人で持って掲げた写真も有名です。(この3年後の1971年に二人は「ハッピー・クリスマス」をリリースして世界中で大ヒットします)

 1969年といえば、ベトナム戦争がまだ苛烈を極めた頃です。勿論、ジョンとヨーコは反戦運動の先頭に立って活動していました。私も、当時発売された「ミュージック・ライフ」でこの写真を同時代人として見たので忘れません。

 喫茶店主の井野さんも55歳ですから、ジョンとヨーコのその看板から「借用」したことは十分承知の上だったことでしょう。

 しかし、若い世代には、まるで遠い過去の歴史的出来事だったんでしょうね。この政治コラムの筆者も、最後に「War is over(戦争は終わった)の下に小さくこう添えられている。 If you want it(きみがそう望むなら)」などと、まるで大発見でもしたかのような書きぶりです。

 恥ずかしくなってしまいましたよ。年長のデスクや校閲や整理部の人もこの原稿に目を通したはずです。その間に、この原稿の「不備」を誰一人も指摘しなかったのでしょうか?それとも、大筋には関係ないので、ジョン・レノンなどどうでもいいと確信したのでしょうか?

しかしですね。ビートルズ・フリークから見ると、怒りたいというより、みっともないと思いますよ。顔まで出して恥ずかしい。

 最近の、いや、ここ4~5年の「天声人語」もちっとも面白くないし、天下の朝日も劣化しているなあ、と思ってしまいましたよ。

色んな曲芸がまたも Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 いつも、この拙ブログに写真を提供してくださる松岡総裁こと松岡將氏がついに最新刊の「王道楽土・満洲国の『罪と罰』 帝国の凋落と崩壊のさなかに」(同時代社)を5月30日付で上梓されました。

 まずはおめでとうございます。

 つい2日前。どういうわけか、何の前触れも予告通知もなく、いきなり拙宅に小包が送られてきて、いつも不埒なことを書いている渓流斎ブログ殲滅作戦で、時限爆弾でも送られてきたのではないか、と内心ヒヤヒヤしながら包を開けたところ、この「金の卵」が入っていたわけです。

 実は、目下、何冊か並行して本を読んでいるため、まだ、この本は読んでおりません。「序章」と「あとがき」を読んだだけで、中抜き状態ですので、読了しましたら、小学生のような感想文をまたこのブログに書きたいと思います。

 松岡氏は昨年傘寿を迎えられておりますから、戦争体験者です。当時の満洲(現中国東北部)の新京(現長春)で、国民党軍と八路軍の市街戦を体験し、ソ連軍による略奪、暴行どころか虐殺も見聞されておられます。何と言っても、ご尊父の松岡二十世は、ゾルゲ事件の首謀者の一人尾崎秀実と帝大法学部の同級生で、満洲に渡って、あの甘粕元大尉の満洲映画でも働いたことがあり、最期はシベリアに抑留されて亡くなられた方です。(詳細については、「松岡二十世とその時代」=日本経済評論社=をお読みくだされ)

 松岡氏は、この本の「あとがき」の中でも、盛んに「國體」について触れております。父二十世(歴史的人物のため敬称略)が治安維持法違反で検挙されて刑務所に収容されたため、家族ともども悲惨な極貧にあえぐ体験をされたせいなのかもしれません。

 「国体」と書くと、若い世代は「国民体育大会」の略称だと思う人が多いので、松岡氏もわざわざ「國體」と旧字を使っております。

 松岡氏は、あとがきで、「わが国の昭和史にあって、いかにも日本的な、そもそもその定義すら曖昧な『國體」なる概念を国家権力が恣意的に援用することによって、自分の父親を含めてどれだけの社会的被害がもたらせてきたかを、実証的に明らかにしたい意図」があったと宣言されております。

水は貴重品です Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 さて、この國體のことで大いに関連しますが、「週刊金曜日」5月27日号に愛知県清州山王宮日枝神社の三輪隆裕宮司がインタビューに応え、見出しにもなっていますが、「明治時代の天皇崇拝は神道の長い歴史では特殊」と断言されております。

 今話題騒然となっている「日本会議」に宗教法人の神社本庁も密接な関係があり、神社関係者のほとんどすべてが改憲論者かと思っておりましたが、三輪宮司は「信念で改憲運動をやっている神道人は一握り」とこれまた意外な答えをされているのです。

 語弊があったら困る(炎上)ので、詳しくは「週刊金曜日」の同号を読んで頂きたいのですが、三輪宮司ははっきりと、明治の薩長政府によって創作された国家神道は、本当の神道の伝統ではない、と断言されております。明治政府によって、神社は国営化され、建物も敷地も国家のものになり、神道は宗教色を排除され、儀式だけやらされるようになる。宗教ではなく国家の儀礼だから国民に強制でき、同時にキリスト教に対抗できる西欧の「市民宗教」的な機能を神道に持たせようと考えたといいます。そこで、神社を管理するのは内務省、宗教を管理するのは文部省と区分されたといいます。

内務省には、ご案内の通り、治安維持を取り締まる特高がありました。

 私も「古事記」「日本書紀」と素直な清らかな心で読んでいきますと、この「国家神道は伝統ではなく、明治時代の天皇崇拝は神道の長い歴史では特殊だ」という三輪宮司の考え方が、たとえ異端だと言われようが、私の腑にはスッと入ってきてしまうのです。

もう一度書きますが、「天皇制」という言葉そのものが初めて登場したのは、昭和6年(1931年)、コミンテルン(世界各国の共産党の国際組織)の「三一年テーゼ」草案でした。

明治から大正、昭和に入り、権力を握った為政者や軍部や内務官僚が、天皇制を利用したとしか思えません。

嗚呼、こんなことを書くと炎上するかもしれませんが、あくまでも個人の感想です。