民の究極

伊太利亜ヴェローナ・ジュリエットの館

陥没した博多の丼拓先生です。

あ、扨て、そもそも、経済とか金融工学とか小難しい理論を持ち出すからややこしくなるだけなのです。所詮、人は商売で稼いでいるだけなのですよ。

商売とは、安く仕入れて高く売る。もしくは、安くつくって高く売る。単純な話です。

民間は皆、商売をして生きています。商売をしないのは、政官ぐらいです。

政官の仕事は、差配、分配、手配、許認可、捜査などです。民から集めた税金の上澄みを貰って生きています。

そこでもって、今世間で大問題になっているのが、例の代理業者です。

これは、政官と民の中間みたいな商売です。安く仕入れて高く売る基本は変わらないものの、差配や手配をします。ただし、政官のような質が高いものではなく、同じ民が嫌がる、やりたがらない、品質がやや落ちる業態を、です。

ですから、24時間、売主や喧伝主の要望に応えなければならないのです。いくら労働基準局が捜査に入ったところで、それが代理業のサガなのですよ。

民は、いつまでも官の差配に従っていては、おまんまの喰い上げに遭うわけです。

そもそも、民は、9時~5時のサラリーマンや官のような堅気の出勤業態ではやっていけないのです。

民には、時には、恫喝まがい、恐喝まがいめいた手口や事案もなきにしもあらずなのです。

ただし、そこは法治国家。法の支配の下で何とかギリギリ鎬を削っているわけです。

そこを抜け出てしまったら、裏社会になるわけですから。

つまり、民の究極社会です。