喜劇とは笑わすだけにあらず

三波伸介さんの墓誌

今日は小春日和ということで、父の命日(11月18日)が近いこともあり、お墓参りに行ってきました。

私は、スマホ中毒依存症の病気ですから、ブログを書いたり、最寄り駅から霊園へのバスの時間などを調べたりしているうちに、亡父の眠る霊園には、有名人として、コメディアンの三波伸介さんのお墓があるということが分かり、吃驚。序でではありましたが、お参りすることにしました。

広大な敷地ですので、霊園事務所で、場所を伺って行ってみたら、あの一世を風靡した有名な爆笑王が眠る墓にしてはあまりにも小さいので驚いてしまいました。

三波伸介は、1982年に、52歳という若さで亡くなりました。もう、34年も昔なので、今や不惑以上の方でないと知らないかもしれません。

実は、先日、高校の先輩OBから、開校125周年を記念して卒業生の文集を出すので、一筆思い出を書いてくれないか、といことで、大昔の高校生時代を思い出しながら、書いたものでした。

その中で、ちょうど三波伸介さんの思い出があったのです。彼は、ちょうど我々が卒業した都内の高校の隣に住んでいて、仕事に出掛ける度に、黒塗りの車で若い衆が出迎えに来ていました。どういうわけか、鼻の効く奴がいて、三波さんが出掛ける瞬間を嗅ぎつけて、窓際に釘付けになって、皆を呼びに来るのです。

そして、何人か集まると、悪ガキどが一斉に「しんすけー」と叫ぶのです。

すると、サングラスを掛けて、ヤクザの親分さんのような風体の三波さんは、ゆっくりと右手を挙げて車に乗り込むのでした。

今から考えると、サービス精神旺盛な方でした。ですから、今日は、奇妙なシンクロ二シティにまたまた驚いてしまったわけです。

ぎょうざの満洲

お墓参りした後、バスで駅に向かっていたら、「ぎょうざの満洲」の看板が見え、お腹も空いていたので、飛び込んでみました。

私は、満洲に目がないですからね(笑)。

しかし、ここでも驚きました。

お向かいがベトナム人の青年3人。左隣が、フィリピン人三世代家族、右隣が中国人でした。

餃子と塩ラーメンセットに中瓶を頼みました。
モアリズム

この後、近くの広大な国有地公園を散策していたら、無料野外ライブをやっていました。

「モアリズム」というギター2人、ベース1人の3人組のジャズ・ブルースバンドで、初めて聴きましたが、これが破格的にうまい。ボーカルもギターも、テクニックが半端じゃない。思わず聴き惚れてしまいました。

今日は、驚くことも沢山ありましたが、何か、凄い贅沢をしたような、得した気分になりました。

21世紀にも位階あり

伊太利亜ヴェローナ

【コメント】何方様か分かりませんが、実に内容の濃いコメント有難う御座いました。笏の講義は、全くありそうもなかったので、「こりゃ駄目だ」と直感して、授業中にスマホで検索したぐらいですから(笑)。
律令制時代にイチイの木はあっても、象牙なんか、相当高価だったことでしょう。

何しろ、本物の生きた象を見ることができた日本人は明治以降で、江戸の絵師伊藤若冲の象の絵も想像で描いたと言われてますからね。

象牙は、遣唐使が持ち帰ったのでしょうか?
象牙の笏を持つことが許されたのは、五位以上というのは大変興味深い話です。

多くの人はご存知ないかもしれませんが、21世紀の現代でも、宮廷、もとい、宮内庁文科省などは、国民に位階を贈呈しております。

小・中・高校の元校長先生にも、米寿のお祝いの生前贈与と死後贈与があり、小・中学校の元校長先生は、最高でも正六位ぐらいですが、高校の元校長先生の中には、正五位を贈られる方もいらはります。

東京帝国名誉教授様となりますと、間違いなく正四位とか従三位、またはそれ以上が贈られまする。(渓流斎)