20万円拾いました

伊太利亜ヴェニス

民主主義は衆愚政治に、資本主義は強欲主義になるのが現代の、そして人間の宿命的陥穽である。ーオノレ・ドゥ・キリヒラク(仏の哲学者、1916~2000)

大金を拾いました。10万円、いや20万円ぐらい入っていたかもしれません。中身は詳しく確かめていません。カードらしきものも入っていたので、「これはヤバイ」と思い、店員さんに届けました。

そうなんです。拾ったのが都内の喫茶店の中だったのです。後から、「喫茶店じゃなかったら、警察に届けて、謝礼に1割貰えたかもしれないなあ」と、強欲主義が頭を掠めました(笑)。

でも、渓流斎は善人ですから、悪いことはできません。ネコババすれば、正真正銘の窃盗罪ですし、夜も眠れませんからね(笑)。

それは、テーブルの下の隅に、小汚いマフラーと一緒に落ちていました。ゴミのように汚らしいので、拾うのも嫌でしたが、まあ、エチケットとして持ち上げました。財布ではありません。よく「百均」で売っている小さい筆箱のようなビニール製のファスナー付きのケースです。

もう何年も使っているような汚いケースでした。一応、中を確かめようとファスナーを半分開けたところで、吃驚。一万円札と千円札がビッシリ詰まっていたのです。細かく数えませんでしたが、数センチありましたから、もしかしたら、20万円ぐらい入っていたかもしれません。

店員に渡すと、彼女は「はい」と無感動で事務的に受け取っただけでした。周囲が煩くて、私の「お金が入ってましたよ」という声が聞こえていなかったのかもしれません。

彼女があまりにも、事務的だったので、私は「警察に届ければよかった」と思ってしまったわけですよ。

それにしても、考えてみれば、私はよく他人様のお金を拾います。大金を拾ったのは、子どもの頃を含めて、これで5回目ぐらいじゃないかと思います。

警察は、子どもを馬鹿にしているので、届けても、謝礼の連絡は来ませんでした。

大人になった時に見つけた大金は、中に入っていた身分証明書の連絡先に電話して渡したこともありました。

情けは人のためならずで、いつか、自分が紛失した時に、誰か他の正直者が、届けてくれるという期待感があるせいかもしれません(笑)。

いやいや、善人渓流斎の生活信条ということにしてください(笑)。