京洛先生を囲む会

霞が関

昨晩は、久し振りに痛飲し、翌日は二日酔いで半日は使いものにならず(笑)。

京洛先生が京都から東下りされて、彼を慕って集まった人雲霞の如く。まさに、仕事も取引先とも監督官庁でもないのに、老若男女が16人も参集しました。

東京・内幸町のプレスセンター地下にある「おか田」という焼鳥店でしたが、10人の予約なのに、後から後からいらっしゃるもんですから、花金のせいで座る席もなく、立っても執念深く呑み続ける方もいらっしゃったか、いらっしゃらなかったのか、群衆にまみれて確かめようもありませんでした。

昔のプレスセンターの地下は、呑み屋さんや喫茶店だらけでしたが、驚いたことに、今では飲食店は、この「おか田」のみ。あとは、眼医者とか歯医者さんだらけになってしまい、つわものどもが
夢のあとを感じました。

飲み会には、「破(わ)れ鐘三羽烏」と呼ばれる声が半端じゃないくらいどデカイ三人衆が集まったものですから、この3人による独演会となりました。

まあ、他愛のない話です。単に普段の欲求不満を解消するような与太話ですが、早晩、こんな与太話も共謀罪法の成立で、何もできなくなるかもしれませんね。

皆さん京洛先生を通じて集まったものですから、どういう繋がりあるのか、京洛先生のみぞ知るという感じで、こんな与太話会が30年以上も続くこと自体、奇跡に近いと言えます。

私は、破れ鐘どもの聞き役に徹しておりました。後で、森友学園問題の鍵を握るノンフィクション作家の菅野完さんとフランス大使館の近くで本当に偶然にお見かけした話でもすれはよかったかなあ、と思いました。

参集された方は、殆どこのブログを読まれていないでしょうからね。

それにしても、あれは本当に凄い奇遇だったなあ、今思い出しただけでも、武者震いがしてきます。

ナンデ…(笑)。