泉下で泣いている桑原武夫、忘れられた大学者

前沢宿「川松」

京都にお住まいの京洛先生が、カンカンに怒っておられます。

京都市で、フランス文学者で文化勲章受章の桑原武夫京大名誉教授(1904~88年)の1万冊の蔵書が、ゴミとして破棄された事件を憂えてのことです。

「恐らく、京都市職員幹部が、桑原武夫の名前を知らなかったんじゃないか。AKBやら鶴瓶のことはよく知っていても、歴史に残る大学者を知らないとは無知にもほどがある。世も末じゃ」と嘆いておられます。

どぜう

事件は、4月27日の一部報道で発覚しました。

京都市教育委員会は、無断で廃棄していた市生涯学習部の担当部長の女性(57)とだけしか書いておらず、名前まで分かりませんが、その部長を減給6カ月の懲戒処分にしたそうですが、実に甘い!

57歳にもなるのにこの教養のなさと民度の低さ。市民の血税で食べさせてもらっているという自覚にも欠けます。

市教委の説明では、遺族から寄贈された当初は、蔵書は桑原さんの書斎を再現した記念室で保管されていたそうです。そのうち、人々の記憶も風化して、蔵書は市内のあちこちの図書館で「お荷物」のようにキャッチボールされて、2015年12月、当時図書館副館長だった犯人の担当部長の判断で勝手に廃棄したといいます。
 
あとで、犯人の担当部長は「図書館と蔵書が重複し、目録もあるため廃棄してよいと考えた。遺族に相談すべきだった」と弁解しているそうですが、本当にお粗末君です。目録を作れば、原本は捨ててもいいという感覚です。

市からの謝罪を受けた桑原さんの遺族は「重要な資料が行政機関で引き継がれなかったのは信じがたい。残念だ」と言うのがやっとで、茫然自失だったことでしょう。

遺族は、歴史的にも価値のある蔵書が散逸しないように、京都市に寄贈したはずです。行政が信頼できなければ、一体、何を信じたらいいのやら?

うなぐ

京洛先生は「この一件は、現代の実相を見る思いがします。廃棄を指示した京都市幹部の教養度が分かります。恐ろしいほどの無知、無教養です。いわば、京都市は、泥酔で無免許の人間に公用車の運転をさせているようなもので、減俸どころか馘首するべき事件です」とまで言って、断罪しています。

京洛先生が、ここまで怒りを顕にするのには訳があります。

スタンダールの「赤と黒」やジャン・ジャック・ルソーの「社会契約論」は桑原訳で読み、岩波新書の「文学入門」は当時のほとんどの学生が読む教養書で、桑原武夫は身近な存在だったからです。

しかも、行きつけの寺町通りの老舗寿司屋「末廣」には、桑原武夫の書が飾っており、彼もこの店の常連だったことが分かります。

おには

もっとも、京洛先生の話では、この「末廣」は、江戸の天保年間創業ですから、看板の「末廣」の額を揮毫したのが、頼山陽だといいますからね。となると、頼山陽の息子で、安政の大獄で処刑された頼三樹三郎も通っていたかもしれませんし、近くの書店兼版元「竹苞楼」に通っていた上田秋成もこの店の常連だったかもしれません。

それでも、江戸時代なんて、京都の人にとっては、つい最近の出来事。

よく京都人に対するジョークで、「京都の人は、『先の大戦』というと、太平洋戦争のことではなく、幕末の鳥羽伏見の戦いのことを指すんですよ」と言われていましたが、それは間違い。

「先の大戦」とは、応仁の乱のことでした!

28年ぶりの世界盆栽大会

Copyright par Keiryusai

ゴールデンウイーク真っ只中ですね。

ごく私的なことながら、昨日は、母の卒寿ということで、秋篠宮殿下も御来駕されたことがある前沢宿の鰻屋「川松」で、誕生会。兄弟夫婦のごく身内だけが集まりました。とにかくおめでたいことでしたが、姉が膝の関節炎で杖をついて登場してきたので、眷族間では、病気の話で花が咲きました。

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今日は、28年ぶりに「世界盆栽大会」が日本での開催ということで、埼玉県のさいたま新都心まで出掛けてきました。

新都心駅に到着したのが、午前10時40分頃で、かなり混んでいて、当日券発売窓口は、かなり並んでいるということだったので、途中で、大会を後援しているコンビニ2軒も寄ってみましたが、前売券しか販売しておらず売り切れでした。

仕方がないので、会場のスーパーアリーナの窓口を並ぼうとしたところ、既に超満員で、けやき広場のところまで長い列。無愛想な係員に尋ねたところ、「さあね、3時間ぐらいかかるかな」というので、即、撤退を決断しました。

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せっかく、新都心駅まで来たわけですが、あまり時間を無断にしたくありませんからね。入場は、諦めました。動物園の人間を見に来たわけではありませんから(笑)。

思えば、民放もNHKも、世界盆栽大会の模様は、テレビで散々、やってましたからね。盆栽は、いわゆる一つの「絵になる」からでしょう。

テレビは、取り上げる題材は何でもいいんです。民放はとにかく、スポンサー様様ですから、商品が売れるように共同正犯(笑)を心掛けなければなりませんが、それ以外の「番組」は「絵になる」ことが最優先なのです。

テレビは見世物ですから、絵になれば、何でもいいんです。
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テレビの番組で初めて知ったのですが、今は、世界的な盆栽ブームなんですね。
「世界盆栽大会」が1989年に第1回大会がさいたま市で開催されてから、世界各国で4年ごとに開催されるようになり、欧米やアジア、アフリカなどの諸国を回って、今回28年ぶりに日本に戻ってきたわけです。

埼玉県伊奈町には木村正彦さんという盆栽の世界的な巨匠がいらっしゃって、世界各国から盆栽愛好家が彼の盆栽園を訪れ、幸運にも木村さんと会うと、青い眼の異人さんたちは涙を流さんばかりに喜んで一緒に写真を撮ったりしておりました。

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埼玉県旧大宮市には盆栽村があって、今はさいたま市北区盆栽町になっていますが、ここには30軒ぐらいの盆栽園がありました。いずれも1923年の関東大震災で被災した東京市小石川区の盆栽業者らがここまで逃れてきて再開発したのです。

世界的な巨匠、木村さんもこの盆栽村出身で、この盆栽村は、今でも5軒ほど営業しているそうです。

テレビでは、この盆栽村で修行する若い米国人も登場して、盆栽の奥深さや日本文化の深淵さに感心していました。

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せっかく、さいたま新都心駅まで足を運んだので、駅前に展示されていた盆栽さんの写真を撮ってきました。

小生は、これだけでも感服してしまいました。

【4月29日のアクセス数】

閲覧数=807PV、訪問者数=529IP、順位=764位

高給取りのEU職員と電波芸者

あ、銀座にポールが出現! par Keiryusai

特務機関長渓流斎は、世界各国に諜報部員を派遣して、日頃から情報収集活動に余念がありません(笑)。

先日、EU職員の給与が異様に高いのに、既得権益者の一部であるマスコミは報道しない、と苦言を呈したところ、ブリュッセルに派遣しているイ号8823から、以下の報告がありました。

《EU職員の年金などを差し引いた平均月給は、6500ユーロ(約75万円)で、最高級の局長クラスは、1万6500ユーロ(約190万円)です。これに加え、子ども1人につき月額376ユーロ(約4万3千円)など様々な手当が上乗せされ、所得税も免除されます。退職後も最高で最終給与の7割の年金をもらえます》

なるほど、そういうことでしたか。

イ号8823は、こんなこともコメントとして付け加えております。

《特に、日本のマスコミが”聖女”に祀りあげているIMF専務理事のラガルトは、母国フランスで散々悪事を働き、本来なら監獄入りなのに「国際公務員」首脳としてヌクヌク生き永らえています。お天道様が許すはずがないのに、中国でさえいち早くラガルトの再任を支持しています。中国も彼らと同罪の腐敗した官僚組織であるということが分かります。
この際、こういう国際機関や国際公務員の行革キャンペーンを張り、膿を出し切るのが国際メディアの使命ですが、その大手メディアが、彼らに世論操作で操られたり、接待で篭絡されているのですからどうしようもありません。フランス大統領選のマクロン候補も、こういう高級官僚の守護神であることは間違いありません。》

あらまあ、そこまで言い切って大丈夫かしら。諜報部員が現地で調査したのならほぼ間違いないでしょうが。

千代田区

もう1人、永田町に派遣している諜報部員ロ号1414からの報告です。

《「機密防止保護法案」に反対のジャーナリストの声明や記者会見について、大手紙は朝日新聞が小さくバタ記事で載せている程度で、各メディアは、ほとんど無視です。そこで調査したところ、いずれもテレビでおなじみの顔ぶれで、一部は最近あまりテレビの画面に出ていない干された人物も名を連ねておりました。以下の通りです。

鳥越俊太郎
金平茂紀
田勢康弘
田原総一朗
岸井成格
川村晃司
大谷昭宏
青木理 (以上敬称略)

それにしてもこんなジャーナリストの風上にも置けない商売丸出しの「電波芸者」の顔ぶれが反対するのですから、よほどこの法案が成立すると、ワイドショー番組から時事的なテーマで発言しにくくなるということなのでしょう。

鳥越は、敗れた小池都知事の「専属マッサージ師」、田原は「墓石のイメージキャラクター」、田勢は「演歌評論家」、岸井は「相撲評論家」、大谷は「警察専門の司法書士」、青木は、マスコミ協定の掟破りをした「記者クラブのお茶汲み」になるしかないでしょう。》

まあ、何と凄い報告書なんでしょう。

私も人目に触れないように慌てて隠しましたよ。

エスタブリッシュメントという既得権益者との闘いだ

パリ「ロトンド」 par Keiryusai

やっぱりおかしい。昨日からgooブログのカリキュレイターが壊れてしまったらしい(笑)。

【4月27日のアクセス数】
閲覧数=2,575PV 訪問者数=1,968IP 順位=71位

ですからね。

ありえない!笑って過ごすことにしました。

さて、世界が注目しているフランス大統領選。私は既に、遠い昔にマリーヌ・ルペン国民戦線(FN)暫時前党首(48)の当選を予言していますので、今更、変更しませんが、5月7日の決戦投票でほぼ当選確実視されているマクロン前経済相(39)が昨晩、早くも「祝勝会」を開催したため、物議を醸したようです。

場所は、パリ・モンパルナスの超有名カフェ「ロトンド」。政治家や支持者だけでなく、有名女優や作家詩人らも招待したらしく、参加できなかった(?=笑)支持者らからも顰蹙をかったようです。

渓流斎ブログには珍しく、本文と写真が一致しております(笑)。この写真は、3年前にパリを放浪した際に、自分で撮ったものです。

23日の仏大統領選第1回投票で、マクロン氏とルペン氏が勝ち残り、EU残留を目論むアンシャンレジームが、早速、「マクロン支持」を表明しました。今回立候補したルペン氏以外の候補者をはじめ、現職のオランド大統領、それにライバルのサルコジ前大統領までもがです。

マクロン氏にとって、何と言っても大きかったのは、フランス財界の全面的支持です。

しかし、考えてみれば、マクロン氏はもともと、ロトシルド、英語読みするとロスチャイルド系の投資銀行出身です。ユダヤ系資本の国際的シンジケートとして知られていますから、彼らのバックアップは甚大なのです。

彼らとしては、何はとまれ、国際金融の安定と中東問題の解決が第一ですからね。

今回の第1回投票で、フランス通信(AFP)が、マクロン、ルペン両候補の支持率が優った仏全土の地図を色分けして図解しておりましたが、本当に面白いことに、左右対象的なんですね。

つまり、ブルターニュなど西部地域はマクロン氏の圧勝、ベルギーやドイツなどと国境を接する東部地域は、ルペン氏の圧勝だったのです。

トランプ米大統領は、中西部の「ラストベルト」地帯を制覇して、選挙戦で勝利したと言われますから、さながら、フランスのラストベルト地帯は、東部なんでしょう。西部より東部の方が失業率が高いのでは。

かようにして、フランスを二分する闘いが5月7日に繰り広げられますが、これはフランス一国だけの問題ではなく、世界的な影響は多大です。

正式に公開されていませんが、EUの職員にしろ、世界の財務官僚の天下り先のIMF職員にしろ、数千万円とか数億円とかの年収を得ているという噂です。

こういう重大なことを、既得権益者の一部であるメディアも報道しません。

マクロン氏が、浮かれて下馬評通りに勝利すると思ったら、ルペン氏から足元をすくわれることでしょう。この仏大統領選は、社会の矛盾にますます不満を持った民衆と、既得権益者との闘いの構図になっているわけですから。

渓流斎ブログ、昨日のアクセス数が第22位とは!怖い、恐ろし過ぎる…

菜花散歩道

【4月26日のアクセス数】
閲覧数=5,028PV 訪問者数=3,873IP 順位=22位

えーーーー!?

何かのま、ま、間違いではないでしょうか。

御覧の通り、昨日のアクセス数が第22位だったとは!閲覧のペイジビュー(PV)も5028? ありえない!普段のPVは250~350で、順位は6000位~7000位ですからね。

史上最高値ながら、お~コワ~

何かあったんすか?

昨日取り上げたオノ・ヨーコさんの威力だったんでしょうか?

恐ろしい有事になったものです。

ま、今日も平常心でいきましょう。(スポーツ選手か?!)

今村復興相発言を逆手にとって、昨日からツイッターで「東北でよかった」というハッシュタグで、東北の素晴らしさを発信する人が増え注目されているそうですね。

綺麗な三春の桜や、美味しそうな盛岡冷麺の写真などが投稿されています。

正直、あたしは、ツイッターは個人サイトみたいなもんはあるものの、波長が合わないといいますか、はっきり言って読みづらいので、殆ど見ないのです。

しかし、この渓流斎ブログは、ツイッターと同期しているので、投稿するとツイッターにも掲載され、恐らく、昨日はそれでアクセス数が増えたのかもしれません。(でも、いつも同期してるんですが)

ところで、渓流斎の先祖は、久留米有馬藩の御舟手役とかだったらしいので、オリジンは九州人です。

しかし、おなじ佐賀九州人の今村・前復興相とは違い、東北に対する愛着度は何百万倍もあります。

そもそも、この渓流斎という雅号は、釣りとは関係なく、青森県十和田市の「奥入瀬渓流」から拝借したものだということは、長年の愛読者の皆さまは既にご存知でしょう。

しかし、渓流斎ブログは秘密結社のように(笑)、体制批判のスタンスでやっておりますから、あまりアクセス数が多くなると、共謀罪に引っかかるのではないかという懸念がありまする(笑)。

誰も読んでいないと思えば、気楽に書けるのに…と、内心喜んでおきながら、早くも天邪鬼ぶりを発揮してます。

それにしても、恐ろし過ぎる…

オノ・ヨーコさんが幻覚型認知症とは…

山吹

今日4月26日は、「ゲルニカ爆撃」(1937年)、「チェルノブイリ原発事故」(1986年)が起きた日。

昨日は、ポール・マッカートニーが51年ぶりに日本武道館でコンサート。SS席が10万円とかで、ホテルニューオータニでの自民党二階派パーティー券とどちらが高かったか話題になりました。

そのパーティーで、あの今村雅弘復興相が「震災は、まだ東北で、あっちの方でよかった」と挨拶し、さすがにこの発言で、安倍首相も大臣の更迭に踏み切ったようです。

そりゃそうでしょう。一番、被災者に寄り添って、励ましの言葉一つぐらいかけなければならない立場の人が、「本人の責任」「裁判したけりゃ、やればいい」なんて切り捨てていたんですからね。

東日本大震災で、いまだに12万人近くの被災者が避難生活を余儀なくされているというのに、その東北の被災者に対して、「東北でよかった」などと、監督官庁の大臣が言うべき言葉ではありません。

蒲公英

今村雅弘復興相は、70歳の佐賀県人。東京大学法学部を卒業して、1970年に国鉄に入社し、JR九州の企画部長などを経て、政治家に転向した人でした。

日本の最高学府を出た学士様がこの程度では、世界中で、エリート粉砕を叫ぶ候補が、選挙で当選するはずです。

菜花

残念ながら、ポール・マッカートニーの10万円の公演切符は買えませんでしたが、今日発売の「週刊新潮」は買いましたよ。

オノ・ヨーコさんが「幻覚型認知症」という記事が出ていたので、ビートルズ・フリークとしては買わずにはいられません(笑)。

ヨーコさんは84歳だそうで、車椅子に乗った写真まで掲載されていました。

ちょっとショックでしたね。

新潮らしく、「少なく見積もっても2300億円超の財産があっても、病魔の進行になす術はない」と、皮肉を書いてましたが、小野洋子は、安田財閥の一族で、父親英輔は東京銀行の常務だったという、もともと大金持ちの家庭で育ったことを家系図を入れて紹介するなど、ツボは抑えてました。

「千代田」会談

アジフライ定食

昨晩は、東京・飯田橋のグランドパレス 日本料理店「千代田」で、小新聞主筆、水雷艦長、官房秘書、財界之財界さんらと食事会。

艦長さんの機嫌がすこぶる悪く、引き連れてきた若い水兵さんに対して急に豹変して、今村復興相の如く「おまえ、うるさい」「出て行け」と怒鳴り、その後、スッキリされたのかぐっすりと寝込んでしまいました。

会談の内容は、財界之財界さんから堅く口留めされているので、茲では書けないのが残念です。

共謀罪の話は、出なかったことになっています。

恐らく、誰も知らないでしょうが、この渓流斎ブログは、改編、引越し、中断、消滅、復活…と色々ありましたが、今年で12年目になります。

昨晩の会談でも、殆ど読まれていないことが判明し、これからも、誰容赦なく、気遣いすることなく、誰も読んでいないのなら、備忘録のつもりで続けてみるか、という気持ちを新たにした次第(笑)。

日本は格付けが大好きな格差社会

菜の花

街の本屋さんの灯を消してはいけないので、たまに近所に唯一残っている本屋さんに買いに行きます。

何も、いくら便利だからといって外資系の通販ばかり儲けさせてあげることもないでしょう。

そして、出掛けてみると、意外にも、とんでもない掘り出し物にぶつかることがあります。昨日は、まさしくそうでした。

ここ最近、いやもう数十年も昔からの疑問だったのが、歴史上の身分を表す官職名です。

例えば、従三位(これで、じゅさんみ、と読みます)とか、信濃守とかいった名称です。

具体的に言いますと、豊臣秀吉は「太閤」、石田三成は「治部少輔(じぶのしょう)」、徳川家康は「内府」、このほか、水戸黄門や大岡越前守らが有名です。

これらは一体どういう意味なんでしょうか?

これらの様々な疑問に答えてくれたのが、たまたま街の本屋さんで見つけた大石学著「江戸時代の『格付け』がわかる本」(洋泉社、972円)だったのです。2017年4月19日初版なので出たばかりでした。

いやあ、長年の疑問が氷解してスッキリしました(笑)。

上の疑問で言いますと、秀吉の太閤とは、関白を中国の官職に言い換えた言葉だったのです。唐名と言います。同じように、家康の内府は、内大臣の唐名。黄門、正式には黄門侍郎は、中納言の唐名だったのです。

ちなみに、関白も内大臣も中納言も、奈良時代に中国に倣って律令制(律=刑法、令=行政法)を取り入れた時に、その官職はなかったので、令外官(りょうげのかん)と言います。令外官には、他に、征夷大将軍や検非違使などもあります。

三成の治部少輔は、官途(中央官制の長官)名で、実際の役職というより名目上の名称となりました。井伊直弼の掃部頭なんかもそうです。

大岡越前の越前守も、もともと「守」(かみ)は、国司の長官名です。身分として四等官があり、それは長官(かみ)、次官(すけ)、判官(じょう)、主典(さかん)なので、国司となると、守、介、掾、目となるわけです。

えっ?分からない?

つまり、越前でしたら、長官が越前守、次官が越前介、判官が越前掾、主典が越前目というわけです。

江戸時代になると、国司は形骸化しますから、領地の主=国司名とはならず、名目上の名前で幕府に許可を求めます。例外として、鍋島藩の肥前守などのように一致するものもあり、武蔵守は、江戸幕府のあるところなので、名乗ることは禁止されました。

大岡越前守忠相も、町奉行になる前は、大岡伊豆守を名乗っていましたが、町奉行の中に既に伊豆守がいて、バッティングしたため、越前守に変えたのです。

あと、正一位から従八位までと大小の初位(そい)の「位階」があります。

こちらは、従五位(じゅごい)以上が「貴族」、従三位以上が「公卿」と呼ばれ、歴然たる身分制度があります。

天皇に謁見するためには、この位階がなければならないので、江戸時代に初めて象が来日した時、この象さんに従四位が贈られたという逸話があります。忠臣蔵の浅野内匠頭は従五位下だったので、何とそれより上だったのです!

このように、人は官職で婉曲に呼ばれましたが、本名は諱(いみな)と言って、忌み名に通じることから、日本人は昔から、本名で呼ばれることを嫌ったからです。

「源氏物語」にしろ「徒然草」にしろ、人は、官職名で呼ばれてますよね。

言霊の国ですからね(笑)。

ですから、ネット社会で、堂々と諱を曝け出している日本人は、勇気があるなあ、と思うわけですよ。

パリの銀行が繁栄した秘密とは

昨日は、大学の同窓会(東京・大手町のサンケイプラザ)に参加してきました。春と秋の年2回あります。フランス語を専攻した皆さんなので、ワインと美食にうるさい(笑)人が多く、秋はボージョレヌーボー、春もそれなりの高級ワインが出ます。

昨日もワイン通から、ワインの説明がありましたが、忘れました(笑)。吾人には理解不能で、ワインでしたら、美味しければ何でも戴くタイプだからです。

毎回、多彩なゲストスピーカーをお呼びします。ゲストとは言っても身内の卒業生です。それが、皆さん優秀な方ばかりですので、各方面で御活躍されております。

有名な政治家だけはいないようですが(笑)、官界、財界、学界、文学界のほか、公認会計士や同時通訳者など数多の人材を輩出しております。

昨日のゲストは、東京銀行のパリ支店長などを歴任した渡辺昌俊氏でした。色々な部署を体験され、ベトナム戦争中のサイゴン支店にも勤務されていたそうです。

東京銀行は、今では三菱東京UFJ銀行として吸収合併されましたが、かつては国立の横浜正金銀行で、日本で唯一、外国為替事業を認可された銀行でした。若き永井荷風がこの横浜正金銀行の行員で、リヨン支店やニューヨーク支店で勤務した体験などから、「あめりか物語」「ふらんす物語」を発表しております。

さて、ゲストの渡辺氏は幸運なことに、パリ支店は3回も勤務されたそうで、最初に渡仏した時(1962年)の、東京銀行パリ支店長が、戦後、文民としてただ一人A級戦犯として処刑された広田弘毅元首相の長男広田弘雄で、この方、作家大岡昇平の小学校時代の同級生で小説「幼年」にも登場します。

そして、パリ支店次長が窪田開造。この人は、窪田啓作の筆名を持ち、加藤周一、中村真一郎、福永武彦らと「マチネ・ポエティック」に参加した詩人、文学者で、カミュの「異邦人」の翻訳家としても知られています。

渡辺氏のお話で面白かったことは沢山ありましたが、2点だけ特筆しますと、まず、フランスの銀行には2種類あるということでした。一つは、(1)バンク・ドゥ・デポといって、日本の市中銀行と同じように、預金で運用したりする銀行。もう一つは(2)バンク・ダフェアといって、預金は集めず、証券会社のように投資事業を行ったりする銀行ーの2種類です。

1960年代の日本の銀行には何処にもディーリングルームがなく、渡辺氏らが中心になって、色々と偵察、ではなかった、研修をさせてもらって参考にして、取り入れていったそうです。

もう1点。なぜ、フランスの金融業界が国際的に繁栄したのか?

もともと、国際金融業務は、基軸通貨が中心になります。第1次世界大戦までは、大英帝国のポンドが基軸通貨だったので、ロンドンの「シティー」が。第2次大戦後は、ブレトン=ウッズ体制でドルが基軸通貨となり、ニューヨークの「ウォール街」が中心となります。

金融業界の規模をボールに例えると、ロンドンやニューヨークがサッカーボールだとすると、パリはテニスボールぐらいの規模。金融の中心を自負するフランクフルトやチューリッヒでさえ、ビー玉ぐらいの大きさだというのです。

ですが、それにしても何故、パリにお金が集まるのか不思議です。

それは、戦後の東西冷戦の時期、ロンドン、ニューヨークといったアングロサクソン系の銀行を嫌ったソ連や東独、ポーランドといった旧共産圏がパリの銀行を贔屓にしたからなのでした。

もう一つ、ド・ゴール大統領の手腕で、アラブ諸国との交流を良好にしたため、オイルマネー(もしくはオイルダラー)がそっくりパリの銀行に流れてきたというのです。

ベトナム戦争後は、パリで和平会議が開催されるなど、パリは、アングロサクソンではないのに、国際都市として、世界から注目と信頼を勝ち取ることに成功しました。

なあるほど。プロ野球で言えば、パリの銀行は「アンチ巨人」の受け皿だったわけですね。

自民党源流の代議士の中には大政翼賛会に反抗した人がいた

ホッケ焼定食880円

これでも、近現代史関係の本は、自分なりに目を通してきたつもりでしたが、かなり偏っていたことが分かりました(笑)。

パリのクルトル先生お勧めの楠精一郎著「大政翼賛会に抗した40人 自民党源流の代議士たち」(朝日新聞社)を読み進めると、知らないことばかりで、驚きの連続です。

この本は、政府与党自民党の機関紙「自由民主」の連載をまとめたものが、朝日新聞社によって刊行されています。ということは、世間一般、巷間で伝わっているオルタナ真実とは真逆で、朝日新聞社とは、反体制派でも左翼でも何でもなく、エスタブリッシュメント(既得権益者)だということがよく分かります。

そもそも、右翼、左翼という言葉自体、フランス革命後の議会で、王党派と反王党派が席を占めた場所を指して使われ始めたもので、人間そんな単純なもんではありません、

右翼・体制派と言われた人でも、しっかりと「治安維持法」に反対した国会議員(星島二郎、尾崎行雄、坂東幸太郎ら)もいたわけで、本書にも偉大な人物として出てきます。何しろ、本書のタイトル自体が示す通り、東条英機に反旗を翻して、大政翼賛会に反抗した代議士40人を取り上げているわけですから。

デザートはムース

引用したいことは沢山あります。

「憲政の神様」と謳われた尾崎行雄(1858~1954)が、なぜ、「咢堂」と号したのか?ーそれは、尾崎が、大隈重信が結成した立憲改進党に参加した後、明治18年、東京・日本橋区から立候補して27歳で、東京府会議員になります。ところが、明治政府が民権派弾圧のために発布した保安条例によって、東京から退去を命じられてしまいます。酒席で、縁の下に隠れていたスパイによって、冗談が密告されたからです。

どこか、今の共謀罪の匂いがしてきます。

これに驚愕した尾崎は、自分の雅号を最初は「愕堂」とし、後にりっしんべんを外した「咢堂」と名乗るわけです。

チューリップ

今はときめく世耕弘成経産相兼内閣府特命担当大臣。大阪の近畿大学の理事長としても有名ですが、なぜ、早稲田大学出身の彼が近大の理事長なのか、彼の祖父の代にまで遡らなければ分かりません。

世耕弘一。恐らく、日本史上では、こちらの方の方が重要で格上でしょう。何しろ、苦学力行の人で、人望が厚く、「世耕宗」と言われるほど、和歌山の選挙区では熱烈に支持する人が多かったといいますから。

新宮市の貧しい農家の九番目に生まれ、人力車夫をしながら苦学して日大に入学し、ドイツ留学の後、教授にまでなります。昭和9年に日大と関係が深かった大阪専門学校の校長と大阪理工科大学の学長に就任し、学制改革で両校が合併して近畿大学となると、初代の総長兼理事長になった人です。

続いて、「二・二六事件」の首魁として民間人ながら処刑された北一輝(輝次郎)の実弟北昤吉も大政翼賛会に抗して同公会に所属した40人の代議士の1人でした。

彼は、母校早稲田大学哲学科の講師を始め、大東文化学院教授、大正大学教授などを務め、多摩美術専門学校(多摩美大)の創設者になっています。

さらに、国家総動員の軍事体制の真っ只中で、軍部に異議を唱えた国会議員がいました。

昭和15年3月の衆院本会議で、斎藤隆夫議員が、政府による非現実的な日中戦争の処理方針を糾弾すると、「『聖戦』を冒涜するとは何事だ」と軍部の圧力によって議員を除名されます。この時、除名の可否を問う投票で、敢えて反対票を投じる勇気のある気骨な代議士が7人いました。その中に、戦後首相となる芦田均や軍人出身の宮脇長吉、それに弁護士出身の名川侃市(ながわ・かんいち)らがいました。

この中の宮脇長吉は、昭和13年3月のあの有名な「黙れ事件」のもう一方の主役でした。主役は、戦後の東京裁判で52歳の最年少でA級戦犯(終身禁錮刑)となった佐藤賢了中将(当時は中佐、石川県出身、1895~1975)です。衆院委員会で、国家総動員法を審議している際、佐藤は、議員の質問に答弁しているときに、野次に対して「黙れ!」と一喝したのです。一介の中佐に過ぎない説明役の横柄な態度に議会は大混乱に陥ります。

佐藤の回顧録によると、この「黙れ」の後に「長吉!」と言おうとしますが、その名前はぐっと飲み込みます。その長吉こそが、宮脇長吉代議士のことで、実は、宮脇は元々軍人で、陸士第15期。陸士第29期の佐藤より14期も先輩でした。しかも、宮脇は、佐藤が陸士在校中の教官でもあったのです。

この宮脇長吉の子息が中央公論編集者から紀行作家となった宮脇俊三です。

ちなみに、佐藤は、東条英機の悪名高き「三奸四愚」の1人と言われてます。(三奸=鈴木貞一、加藤泊治郎、四方諒二、四愚=木村兵太郎、佐藤賢了、真田穣一郎、赤松貞雄)

もう1人、斎藤隆夫議員除名に反対票を投じた名川侃市は、明大卒業後、判検事登用試験に合格して東京地裁部長などを歴任します。しかし、私学出身ということから将来に見切りをつけて退官し、弁護士となります。そして、何と、大正12年の甘粕事件の弁護人の一人でもあったのです。

甘粕事件の弁護人の中にこういう経歴の人がいたとは、恐れ入りました。知りませんでしたね。