鰻はむなぎ

「江戸の銭勘定」は、テレビの番組制作会社の三次団体の若いADが、クイズ番組の種本にするんじゃないでしょうか、と先日、書きましたけど、本当に面白い種が満載されています。

森友学園、加計学園、略してモリ・カケ問題が尾を引いてますが、モリ蕎麦は、文字通り「盛り」から来たことは、誰でも分かることでしょう。だけんど、カケ蕎麦の語源が分かる方は相当の通です。

ま、諸説ありますが、「汁のぶっかけ蕎麦」から来ているそうでね。知りませんでした。

日本人なら大好きな鰻。もともと、昔は「むなぎ」と言っていたそうです。胸黄と書きます。文字通り、鰻の胸が黄色かったからです。

せっかちな江戸っ子は、むなぎ、なんて七面倒くさいことは言ってられず、うなぎとなまったのかしら。

鰻の蒲焼は、天明年間(1781〜89)に上野で始まったらしく、串に刺して焼く様が川辺に生える蒲(がま)の穂に似てたからだそうです。

また、「握り寿司」の登場は、比較的新しく江戸は幕末に近い文政年間(1818〜30年)で、深川の「松の鮨」、両国の「与兵衛鮨」など諸説あるようです。となると、家康どころか、吉宗も握り寿司を知らないわけで、映画や時代劇で、暴れん坊将軍が握り寿司を食べていたら、間違いということになりますね(笑)。

このほか、「天丼」の発祥地は、諸説ありますが、天保8年(1837年)創業の浅草「三定」が有力だそうです。いつか、行きたいものです。