浅見雅男著「歴史の余白」(文春新書)を読んでいたら、先日4月29日付の《渓流斎日乗》で御紹介した和田芳恵著「ひとつの文壇史」(新潮社)の中のエピソードが登場していたので、吃驚してしまいました。
著者の浅見氏は、手広く色んな古今東西の書籍を逍遥しているんだなあ、と感心してしまった次第。このエピソードとは、和田芳恵が新潮社の大衆文芸誌「日の出」の編集部にいて、かかってきた電話に「北条です」というので、てっきり、北条秀司の奥さんかと思ったら、何と「東条」の聞き違いで、東条英機の勝子夫人。用件は、北原白秋に揮毫してほしい、というものだったが、当時、東条は陸軍大臣で、夫人も少し上から目線だった、といったこぼれ話です。
著者の浅見氏は文章がうまいし、かなり調べ尽くしている感じです。「ある」ことは、文献を引用すればいいのですが、「ない」ことを証明するには、あらゆる文献を読み尽くさなければ、「なかった」と断定できません。ただし、「ある」と本人が日記の中で断定していても、それは実は「嘘」も多い。このように、歴史的事実を事実として認定する作業は、かなり難しいと告白しております。
繰り返しになりますが、「歴史の余白」では、面白い逸話で満載です。井伏鱒二が若い頃、森鴎外の「渋江抽斎」で、匿名でいちゃもんを付けていたとは知りませんでしたね。「十六代将軍」徳川家達(いえさと)は、長らく貴族院議長を務め、70年以上も家督を嗣子家定に譲らなかったことも、不勉強で知りませんでした。西郷隆盛の実弟西郷従道の逸話も読み応え十分。
築地「スイス」の千葉さんのカツカレー 880円
きりがないので、最後に「カツカレー」の起源を。一説では、プロ野球読売巨人軍の名選手だった千葉茂が戦後、東京・銀座の「グリル スイス」で考案したものだと言われ、私も信じてきました。銀座の「スイス」では今でも「千葉さんのカツカレー」という名前で売り出してます。
今日、昼休みに行ったら、ゴールデンウイークだというのに、銀座店は閉まっていたので、この日乗を書くためだけに、わざわざ、築地の「スイス」にまで行って、「千葉さんのカツカレー」を食べてきました。(スイス築地店は、かつては、銀座店のカレーをつくる作業場だったそうです。そう、女将さんが教えてくれました)
でも、千葉茂といっても、今のナウいヤングは誰も知らないでしょうね。あのミスター長嶋が付けていた背番号「3」をその前に付けていた名二塁手です。長嶋茂雄の現役時代を知るのはもう50歳以上ですからね。千葉茂を知るわけがありません。1950年代初めに川上哲治、青田昇らとともに、巨人軍の第2期黄金時代を築いた人ですので、実は私も彼の現役時代は知りませんけど。(野球評論家時代は知ってます)
いずれにせよ、まだまだ、食糧事情が十分ではなかった時代に、スポーツ選手のためにカレーの上にとんかつを載せた栄養満点のカツカレーを、千葉茂が考案したというのが定説だったのです。
それがこの浅見氏の本によると、既に戦前に平沼亮三という人が、自宅(とはいってもテニスコートや宿泊所などもあり、敷地3000坪)で、今のカツカレーと全く同じ料理が「スポーツライス」という名前で振る舞われていたというのです。
平沼は明治12年(1879年)生まれで、生家は横浜の大地主。幼稚舎から慶応で学び、大学では野球部のサードで4番。卒業後も柔道、剣道など26種類のスポーツをこなし、神奈川県議会議員、横浜市会議員、貴族院多額納税者議員などを歴任。このほか、日本陸上競技連盟などの会長も務め、1932年のロサンゼルス五輪、36年のあのヒットラーのベルリン五輪の日本選手団長を務めた華麗なる経歴の持ち主なのです。
この平沼の孫の一人が俳優の石坂浩二だというので少し驚いてしまいました。
やはり、カツカレーは平沼が、戦前に「考案」したということなんでしょうね。